開催日 2018年11月24日

死生学国際シンポジウム 「東アジアの死生学―超高齢化と死にゆくこと」
"Death and Life Studies in East Asia: Hyper-aging and Dying"

【日時】  2018年1124日(土)13:00-18:00

【会場】  東京大学本郷キャンパス 文学部3番大教室(国際学術総合研究棟1階)

【定員】  先着順180名(ご予約不要・入場無料) 
      ご予約なしでご入場いただけます。直接会場までお越しください。

【使用言語】 日本語・韓国語 (同時通訳付き)

【主催】 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 死生学・応用倫理センター

【後援】 翰林大学 生死学研究所

 

 詳細は 死生学・応用倫理センター のページでご確認ください。









13:00-13:15

開会の辞および趣旨説明 

池澤 優(東京大学死生学・応用倫理センター長)


Ⅰ部

■13:15-13:55 共同発表

 韓国春川地域における高齢者の自殺とその影響要因に関する調査 

  パク・ジュンシク(韓国翰林大学社会学科教授、生死学研究所長)

  キム・ヨンボム(韓国翰林大学高齢社会研究所准教授)


■13:55-14:25 発表

 ソーシャル・キャピタルは川崎市地域包括ケアシステムの構築に役立つか?

  赤川 学(東京大学大学院人文社会系研究科教授)

 

■14:25-14:40 コメント 

  澤井 敦(慶應義塾大学法学部教授)

 

■14:40-14:55 休憩

 

Ⅱ部

■14:55-15:25 発表

 台湾における終末期医療の法と倫理:「患者自主権利法」の成立と「善終」概念の変遷

  鍾 宜錚(立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員)

 

■15:25-15:55 発表

 「死にゆくこと」への介入:日韓のホスピス・緩和ケア政策から考える 

  株本 千鶴(椙山女学園大学人間関係学部教授)

 

■15:55-16:25 発表

 死を超越する愛と想像力(Love and imagination that transcends death)

  Jason Danely(オクスフォード・ブルックス大学人類学部准教授)

 

■16:25-16:40 コメント 

  会田 薫子(東京大学死生学・応用倫理センター上廣講座特任教授)

 

■16:40-16:55 休憩

 

■16:55-17:55 総合討論および質疑応答

■17:55-18:00 閉会の辞

 

◆司会:堀江 宗正(東京大学死生学・応用倫理センター准教授)、池澤 優

 



 死生学は死ぬべき存在としての人間のあり方を踏まえた上で、いかに生きるかを考える学問である。そして現在の日本における生死をめぐる最大の課題が、超高齢化の中での死にゆくこと(dying)であることは衆目の一致するところであろう。但し、その問題を考える上で踏まえておかなければならないのは、超高齢化を迎えているのは日本だけではないということである。世界的にいわゆる先進国と呼ばれる国々はいずれも超高齢化に伴う問題に直面しており、そして、その問題の状況とそれに対して模索されている対応策は国によって多様である。

なぜ同じ超高齢化という現象を前にして実際の状況が多様であるのか。言うまでもなく、各国の文化と伝統、社会状況が多様であるからである。超高齢化を考える上で文化伝統の問題を避けることはできない。日本の超高齢化に対して日本の文化はそれを乗り越える有効な選択肢を提供する源になるかもしれないし、或いは逆に問題の解決を制約する躓きの石になるかもしれない。

日本に近い東アジアの諸国も例外ではない。韓国、中国、台湾、いずれにおいても超高齢化が大きな課題になりつつ、問題の現れ方と対応の仕方は各国で異なり、そこには各国の文化と状況が反映している。それらの比較を行い、どこに共通性があるのか、どこが各国で独自なのかを明かにすることは、我々が置かれている状態を理解する上で重要であろう。異なる社会との比較を通して、我々は自分たちが文化と伝統にいかに拘束されているかを自覚することができるのである。

東京大学文学部死生学・応用倫理センターでは今回、「東アジアの死生学―超高齢化と死にゆくこと」と題するシンポジウムを企画した。死生学プロジェクトは今まで7回にわたって韓国、中国、台湾の研究者と国際シンポジウムを開催してきた。今回のシンポジウムはその成果の上に、東アジアという広い視野から、エンド・オブ・ライフケア、緩和医療、スピリチュアルケア、自殺、死別の悲嘆、地域ケアなど、超高齢化における死にゆくことと生きることの問題を考察したいと考えている。関心を持たれる諸氏の参加を期待する次第である。