西村 明(宗教学宗教史学)

自分が文学部に進学して人文学、とりわけ宗教学をライフワークに選んだのはなぜだったのだろうか。2006年末に博論をベースに出版した単著(『戦後日本と戦争死者慰霊—シズメとフルイのダイナミズム』有志舎)の「あとがき」でも少々触れてはいるが、ちょうど大学入学から30年が過ぎた2023年春のこのタイミングで、このコーナーに書く機会をいただけたので、より広角的に振り返ってみたい。

現在、取り組んでいる慰霊研究に直接つながるようなきっかけは、やはり高校時代に経験した雲仙・普賢岳の噴火災害だろう。「島原大変、肥後迷惑」という言葉で知られた寛政4(1792)年の大噴火以来198年ぶりとなった平成の噴火は、1990年、私の高校2年の秋に始まった。体調不良で灰色がかっていた高校生活に追い打ちをかけるように、文字通り灰まみれの日々となる。

雨のたびに土石流が流れ、翌年6月3日には43名の犠牲者を出した火砕流災害も起こった。私の実家は直接の被災地域ではなかったが、母校の島原高校からは、山頂の溶岩ドームから流れ下る火砕流の様子が毎日のように見られ、通学中の「汽車」も巻き込まれるのではないかという恐怖を幾度か味わった。ちなみに、火砕流は写真では灰のかたまりにしか見えないが、700℃の熱風が時速100km以上で迫ってくる。まもなく鉄道も寸断され、高校3年の1学期は授業も未消化のまま終業、急きょ6月下旬に夏休みに突入した。

途方に暮れたのは、授業や受験のことばかりではない。「災害派遣」というプレートを掲げた自衛隊の装甲車が街に入って島原城に駐屯し、被災地区の人たちは体育館での避難生活を送っていた。結果的には5年間続くことになる噴火活動は、もちろんこの初期の段階では収束の気配がまったくうかがえず、将来の見通しについても、灰まみれの視界のように、まさに「先の見えない」状況の只中に投げ込まれた。こうした圧倒的な現実を目の前にして、とにかくいまここで何が起こっているのかを理解し、アタマを整理したいという気持ちに駆られた。その頃から、そうした作業にふさわしいコトバを与えてくれる思想や哲学の本を意識的に読み始めたように思う。

実を言うと、それ以前に思想系の文章になじみがなかったわけではない。小学生時分は昼休みに図書室の事典を開いて、仏像の写真を眺めるのを日課とする風変わりな子供だった。しかし、本人的には両親が営む飲食店で夜な夜な酔客の、必ずしも上手くないカラオケの声を聞きながら眠る喧騒の日々に、心の落ち着きをもたらす実践だった。寺の総代だった祖父の本棚に並ぶ仏教の入門書をパラパラめくりだしたのは、小学6年からだっただろうか。いずれにせよ噴火前から仏教には興味を持っていたが、それはどちらかと言えば、現実から退却(リトリート)するためのものだった。

他方、噴火後の人文学への関心は、むしろ我が身にまとわりつく筆舌に尽くしがたさに対して、それでもあえて積極的にコトバを与えたいという「前のめり」な性格をもっていた。抽象度の高い議論への関心も、大所高所から「いまここ」にある非常事態が照射されればという願望に根ざしていた。噴火前から当時の時流に乗って国際機関で働きたいという思いもあったが、一年間の浪人生活を経て、思想研究とフィールド調査を学ぶ方へと足は向かっていった。

とは言え、入った科類は文Iだった。それは、法学分野への関心のためということではまったくなく、「どこの学部・学科に行けば自分がやりたいことができるのか」ということについての情報をまったくと言っていいほど持ち合わせていなかったためである。オンラインでさまざまな情報を収集できる現在とは異なり、当時の地方在住の高校生にとって主な情報源は受験雑誌程度であり、進路決定に必要な判断材料が決定的に不足していた。東大は入学時に専門分野を決める必要がなく、また文系科類の中では文Iがもっとも進路選択の幅がありそうだということを、限られた事前情報として仕入れていたのである。そこで、大学入学後は読書会などに顔を出しながら、進学先を探した。

いくつかの選択肢があったが、結果的には宗教学研究室を選んだ。当時関心のあった、哲学や思想、社会学や人類学・民俗学などの分野をバランスよく学べそうだということが一つ、もう一つは自分のような人間にも居場所がありそうだということだった。進学ガイダンスで説明された「宗教に関係することなら何をやってもいい」というのは、宗教学のルーズさを表し評価が分かれるところかもしれないが、むしろ特定の教義に立脚せず宗教以外も含めた諸宗教に対して価値中立的に向き合うこの分野の姿勢からもたらされた懐の深さとして、個人的には積極的に評価したい部分である。ここに来なかったならば、果たして今頃私は、どこでどうしていたのだろうか。と、高校時代の混乱した日々を思い返しながら、改めて途方に暮れる。

慰霊とか遺骨収集とか、研究している本人も「さて、これは宗教学なんだろうか?」と思いつつ、おっかなびっくりやってきたところがある。博士論文で長崎原爆慰霊を論じた後は、もう少し軽快なテーマを研究しようかと思わなくもなかった(いずれ、「海と宗教」、「笑いと宗教」については取り組みたいと思っている)。振り返ってみて改めて感じるのは、圧倒的な現実にコトバを与えるような営みはやはり宗教学に親和性があるし、そういう領域に触れていないと、どうも何か物足りなさがつきまとう。今のところ、この選択は間違っていなかったと言える。