菊地 達也(イスラム学)

「イスラム学」などという、多くの人にとって耳馴染みのない学問分野に従事していると、しばしば「そのような分野を選んだのはなぜですか」と尋ねられる。そんな風変わりでマイナーな分野を選択するからには何か特別な理由や運命的な出会いがあったのではないか、聞き手側のそんな期待を勝手に読み込み、いつも返答に窮し口ごもってきた(15億人を超えるイスラム教徒の宗教文化の研究が世界的に見てマイナーなのか、というツッコミはさておき)。実際には特別な理由も運命的出会いもなく、当時の記憶もおぼろげになってしまっているが、今回のエッセイ執筆依頼を良い機会として、自分が大学受験以降繰り返してきた幾つかの選択について振り返ってみたい。

インターネットがまだ存在しない1980年代、山形県天童市に住んでいた私がちょっと背伸びした知識を身につけたいと思ったら、隣の山形市にある大規模書店や図書館に出かけるしかなかった。それでも東京との間にあった圧倒的な情報格差は埋めようがなく、最新の文化的流行や先端的な学問分野は無縁のものだった。「文系の学問の中では法学や経済学にはあまり関心が持てない」「かといってこれといってやりたい分野があるわけでもなく分野を選ぶ知識もない」「でもせっかくだから大学で何か学問に触れてみたい」などと考えていた田舎の高校生にとって、文科3類は法学と経済学以外のすべての文系学問が学べ、しかも知識が乏しい状態で無理に専門分野を選ばなくて良いという天国のような場所であった。少なくても自分には進学振り分けという制度自体が魅力的だったのである。

教養学部時代には幸いにして面白そうな研究分野にたくさんめぐり会うことができた。しかし、たくさんあると今度は選択に迷う。「なぜイスラム学を選んだんですか」という問いには「井筒俊彦先生に影響されて」などと答えることがこれまで多かった。この答えは嘘ではない。ただ、きっかけではあっても運命的な出会いと言えるようなものではなかった。イスラム神秘哲学やインド・中国の諸思想を縦横無尽に横断する井筒先生の東洋哲学は確かに魅惑的で知的な興奮を覚えたが、フランス現代思想など同じくらい魅力を感じる分野は他にもあった。進学振り分け時に結局イスラム学を選んだのは、「イスラム教の思想文化を扱う研究室は東大にしかないのでせっかくだから」「世俗的栄達を捨て文科3類を選んだ以上毒を食らわば皿まで」(失礼な話ですが)程度の理由だったように思う。

イスラム学では、アラビア語やペルシア語で書かれたテクストの厳密な読解がすべての基礎となる。教養課程でアラビア語の初級文法を学んではいたが、それだけですぐに1000年前に書かれた神学書や法学書を読めるわけではない。そもそも辞書すら満足に引けない。専門課程に進み初めて受けるイスラム学演習の前日、10時間以上予習してもアラビア語の神学書が3行しか読めなかったときには自分のいい加減な選択を本気で後悔した。それでも日々読解に明け暮れるうちに少しずつ読めるようにはなったが、すらすら原文を読めるようなレベルにはほど遠く、大学院に進んでアラビア語原文をちゃんと読めるようになりたいと思うようにもなった。

進学するなら研究テーマが重要になる。だが、研究テーマの決定も進学振り分けのときと同じくらい悩ましかった。イスラム学では、イスラム教の中心的な学問であるコーラン学、ハディース(預言者伝承)学、法学、神学といった宗教諸学だけでなくギリシア以来の伝統を継承する哲学、数学、医学など、イスラム圏で後代に発展したスーフィズム(神秘主義)も研究対象になりうる。1980年代に顕著となったイスラム復興を受け当時は現代のイスラム(原理)主義の研究も盛り上がりつつあった。小さな研究室のわりに選択肢はやたらとたくさんあり、文学部の枠組みを超え理系にまで及ぶ。面白そうな分野は複数あったけれど、自分が選んだ研究テーマはシーア派の一派、イスマーイール派の思想だった。教養学部時代に井筒先生が執筆したこの宗派に関する論文を読んだことが関心を持つようになったきっかけであり、ギリシア哲学を独自の形に変容させた思想を掲げときにはイスラム法の廃棄をも主張したイスマーイール派は怪しげでもあり魅力的でもあった。とは言え、全イスラム教徒人口の約1割を占めるシーア派諸派の中でもさらに少数派である。「もっと優先すべき主流の思想があるはずでは」「そんなにマイナーなことをやっていると就職のとき困るよ」といったアドバイスを先生や先輩方からいただいたりもしたが、最終的には研究業界としての優先順位や社会的意義よりも個人的な興味関心を優先させた。わざわざ(日本においては)マイナーな研究分野を選んだんだし、せっかくだからその中でもマイナーな研究テーマを選びたい、という不合理で難儀な性向のなせるわざだったのかもしれない。「マイナーすぎて就職できないかもしれないけどバイトで食べていけるでしょ」と安易に考えてしまったのは、バブル時代末期だからこその楽観ゆえだろう。

幸いなことに、イスマーイール派研究は自分にとっては楽しいものとなり博士論文に結実させることもできたし、就職することもできた。努力の成果も多少はあるにせよ、なんとかなったのは運やタイミングによる部分が大きい。そのこと自体は言祝ぐべきことではあるが、私がこれまでに繰り返してきた選択から教養学部1、2年生に役立つ教訓や範例を導き出すことは難しい。同じような選択をしようとしている学生が目の前にいたら間違いなく再考を促すだろう。それでも無理矢理オチをつけるならば、実際にやってみないと面白いと思えるポイントは見つからないし、今やろうとしている選択に神経質になりすぎなくても良いのでは、ということになろうか。イスラム学に進学した後語学力が向上して面白いと思えるテーマが見つかるまで2年ほどかかったし、別の専門課程に進学したとしてもたぶん面白いことは見つかったのではないかと思う。別の専門課程に進んだ経験をもつわけではないので根拠はないに等しいけれど、他の専門分野の先生方の発言や姿勢はそう思わせてくれるし、各学問分野の背景にある長きに渡る伝統はそう信じさせてくれる。もちろんその人の個性が学風と合わないという可能性もありえるので、やり直せる機会と余裕がより多くの人にある、そういう社会であって欲しいものではあるが。