三枝 暁子(日本史学)

「人生において自分が選択できることなんて、実はほとんどないのではないだろうか」と思ったのは、10年にわたる東京大学での院生・研究員生活を終え、大学に職を得て京都へと向かう新幹線の中だった。直前に、親しく交流してきた同じ研究室の友人とお昼ご飯を食べ、別れたばかりだった。彼女のあたたかな門出の言葉を思い出しては、新幹線の中で涙した。泣きながら、頭では就職できることになった幸運、研究のフィールドである京都に住むことになった幸運に感謝すべきと考えながらも、その幸運と引きかえに、たったいま、自分にとって、とってもとっても大事なものを置いてきたような気がして、悲しかった。

それまでは、高校も大学も大学院も、また研究分野も研究テーマも、自分の意志で選択してきたという自負がどこかにあり、またその自負に支えられて自分なりに努力をしてきたものと思い込んでいた。そして、それがようやく認められてここまでたどりついたのだと思っていた。でも、努力をすることまでは自分の意志でできるとしても、その結果については自分の意志ではどうにもならない。就職は特にそうであり、自分では努力し、業績を積んできたつもりであっても、先方の都合にあわず、先方から選択してもらえなかったら終わりである。すでに何度か志望する研究機関への公募に落ち、ようやく得ることのできた就職先へと向かうというその時になって、はじめて、はたして今から自分が行くところは自分が心から望んでいこうとしている場所なのか、なじみ深くあたたかいものから遠く離れてまで行くべきところなのか、自分はそれで幸せになれるのだろうかと、急に不安になってきた。それと同時に、自分がどこへ行くかを決めることのできるのは自分ではなく他者なのだ…という真理のようなものに気づいたのである。

この気づきは、慣れない土地での生活が始まる中で、ともすれば失望や諦観に近い感覚をともないながら時折自分を苦しめた。不遜であることを自覚しながらも、何かつらいことがあると、なぜ自分はこのような目に合わなければならないのだろう、このようなことのために努力してきたわけではないはずだ、しかしこれもこうなる運命だったのだろうか…などと、思い悩むわけである。しかし一方、まさに選択の余地もなくふりかかる日々の仕事に自分なりに取り組むうちに、これまで思いもかけなかった自分の特性を知ったり、思いもかけなかった人との出会いに恵まれたりするようになり、しだいに「自分」という限られた視野のなかで何かを選択し生きることよりも、与えられた場や機会を大事にして生きることのほうが、はるかに意義深いのではないか、もっと言えば幸せなのではないか、と考えるようになった。

選ぶのではなく与えられることに価値を見出すようになった理由として、京都という特殊な空間で働き生活していたことも大きかったように思う。日本の都市の中で突出した歴史の長さを誇る街には、いわゆる「伝統」を担う人々が多く住んでいる。これらの人々と教育や研究を通じて知り合い、交流する機会が増えるにつれ、「運命」・「使命」と「縁」というものについて深く考えるようになった。室町時代から続く華道の家の次期家元や祭祀の継承者、江戸時代から続く和菓子屋の社長や京町家の継承者…などなど、みな、生まれついた家の歴史や業(なりわい)・文化を背負いながら、次の世代に繋げるため、懸命の努力を重ねていた。言葉のはしばしから、自分の「運命」を受け入れるまでに様々な葛藤のあったことがうかがわれる一方、「自分」や「現在」のみに価値をおくのではなく、過去から未来へ、世代をこえて存続してきたもの・存続させるべきものに価値をおくことへの揺るがない信念があった。選択することのできなかったこと、与えられたことを受け入れながら、今さえよければ良いという考え方や我欲にしばられることなく、与えられた環境に「運命」というよりはむしろ「使命」を見出し、道を究めるように生きる人々の姿に、圧倒された。同時に、時間の積み重ねを重視する歴史学を研究する身として、その価値観に刺激されながら、自身は何をすべきだろうかと考えるようになった。

こうした出会いのなかで、しだいに、京都の伝統世界に生きる人々ばかりでなく、私自身にも、また誰にも、ほんとうは与えられた「使命」や道があるのではないかと考えるようになった。それが生まれながらにわかりやすく示されている人もいれば、そうでない人もいる。ではその「使命」や道はどうしたら見つかるのかと考えたときに、自分で選んで見つけるというよりはむしろ、自分のところに「縁」あってやってくるもの、与えられるもののなかに、答えがあるように思えてならない。少なくとも私のこれまでの人生をふりかえれば、我欲で選択したもの、自身の狭い視野のなかで選択したもの(損得勘定で選択したものと言うべきか)よりもむしろ、自然に耳にした他人からの情報や、他人が与えてくれた機会によって自分の行く道の決まることが多かった。

しかし若い人からみれば、このような考え方は、主体性のない生き方を示すものとしてちっとも魅力的ではないかもしれない。私自身は、自分自身のことを主体性のない生き方をしてきた人間であるとは決して思っていない。ただ、いざ「私の選択」について書こうとすると、「選択できない」ことにこそ価値があるのではないかという思いを、どうしても止めることができない。これが、これまでの人生を通して抱いた私の偽らざる実感なのである。