陳 捷(中国思想文化学)

わたしの小学校時代は「文化大革命」の後期にあたっていました。そのもっとも激しい時期は過ぎていたのですが、それでもまだいろいろな政治運動が続いていました。今の子供たちのように勉強に対する圧力もなく、放課後や休日には遊ぶ時間がたくさんありました。テレビもゲームもなく、おもちゃもほとんどなかった時代ですので、スポーツが苦手の私にとっては、結局、本を読むことが一番面白いことでした。しかし、本を読むといっても、中国や外国の古典から近現代に至るまでの殆んどの書籍が「毒草」として批判されていたため、読み物を探すことに苦労しました。友達の間で互いに借り貸りしたり、親戚や近所の家にあるものを借りたりしていました。子供向きの本は少なかったですので、仕方なく大人たちの本もめくってみて、ちんぷんかんぷんではありましたが読んでいたものです。一冊の本をたくさんの人が読んでいたせいなのか、あるいは人の目にさらしたくないためなのか、表紙も奥付のページもなくなってしまい、タイトルさえも分からない本も結構読みました。後になって大学に入って文学史の授業の宿題で作品を読んだとき、これは昔あのタイトルが分からなかった小説ではないかとやっと分かったものもありました。

中学生の頃は、文化大革命の後にいろいろな書籍が解禁された時期であり、中外古今の名著が次々出版や再版され、それらが発売されるとき、書店の外まで行列ができたほどの人気でした。まるで砂漠の中に水が流れ、オアシスが生まれるように、文学の人々の心に潤いをもたらしてくれる力を実感したのです。

しかしながら当時においては、周囲の大人たちの影響もあり、わたしは文科系の勉強よりは医学の勉強をして、お医者さんになりたいと思っていました。ところが、大学受験の一年前になって、視力がよくないと医科への出願が制限されることが分かり、大変ショックでしたが、やむをえず文系クラスに編入されることとなったのです。

従いまして、大学に出願する際には、どの方向に進むのかについて悩んでいました。中国経済の改革開放が始まり、将来の就職のことなどを考えて高校の担任の先生が薦めてくれたのは、当時、大学入試において文科系の一番人気の専門分野であった、「国民経済管理」というコースでしたが、わたしは経済学にはあまり興味を感じませんでした。そして募集目録をめくっているうち、北京大学の中文系の「古典文献」という専門コースを目にして、それに惹かれたのです。どのようなコースなのか、実際のところよくわかってはいなかったのですが、子供の時から、時代の激しい変動のなか、歴史上の事件や人物の評価が目まぐるしく変わっていましたので、きちんとした古代文献の読み方を勉強して自分で分析し、真実を探ることができればと思ったためです。

実際に大学に入ってみると、この「古典文献」専門コースは当時中国の大学においては唯一の中国古典学を専門とする学部生を募集するコースであったことがわかりました。中文系に設置されてはいましたが、中国の古典文献を解読するための専門的な訓練を受けると同時に、中国古代文化についての基礎知識を広く勉強しなければならないために、歴史・哲学・図書館学などの関連分野を専攻する学生と同じ授業も受けなければならず、実は学習の負担が一番重い専攻であったわけなのです。当時ある先生から、ランナーが速く走るために人より二倍も三倍も走る練習をしなければならないのと同じように、よく読めるようになるためには人より何倍も勉強しなければならない、と激励されたことをいまでもはっきりと覚えています。

学部時代はあっという間に過ぎ去りました。その後、修士課程を経て母校で教鞭をとり、さらに機会を得て日本で勉強することとなりました。振り返ってみれば、大学を卒業したあと、自分の関心の変化や勤めていた職場の仕事のニーズに応じて、研究分野や研究テーマを何度も変えてきました。高校・大学時代においては、将来日本の大学で仕事をすることになるなどとは、夢にも思っていませんでした。しかしながら、大学時代に学んでいた古典文献の読解と資料調査の方法や、テクストの分析方法、さらには学問に対する基本的な姿勢は、その後の他分野の研究にも十分に通じるものであり、中国古代文化に関する知識を幅広く勉強することと、古典文献の解読についての基礎を築くこととを重視していた、北京大学の古典文献専攻の先生方の教育方針に対しては、いまでも心から感謝しています。

わたしが大学に入った年、同じ専攻に入った同窓生は全部で二十一人いましたが、全員第一志望だったそうです。しかしながら、勉強しているうちに、古い書物に毎日向き合うよりも、現実の社会とより密接にかかわりたいと思ったり、専攻以外のことに興味が湧いたりする人もおり、卒業後、大学教員や、図書館・出版社・メディアなどの関係する分野の仕事のほか、法律・経済に転向した人もおりました。それにもかかわらず、同窓会において、大学時代のことを振り返る際に、例え進路を変更した人であっても、当時の勉強がその後の人生に大いに役に立ったと言い、皆が懐かしく思い出すのも確かなことなのです。

結局のところ、若い時の選択は、いろいろな要素に左右されていますし、その後また新しい選択が待ちかまえているはずです。しかしながら、その時その時の自分の感性を大切にして努力しつづけるならば、必ずそれなりの収穫があるはずなのです。また、そのような努力は人生の経験となって、その人の生活を豊かにしてくれるものだと、わたしは今でも思っております。