中地義和(フランス語フランス文学)

三十数年も前に駒場生であった自分について語ろうとすると、気恥ずかしさが先にたつ。人に語れるほど決然と、鮮やかな選択ができたわけではない。気の向かないものを除けていけば、いつしか、何となく、今の道に踏み込んでいたというのが正直なところだ。それに、当時もやもやしていたものも、文字にすると妙に整理されて白々しい明快さをまといかねない。それはともかく、すでに進路を決めて迷うことのない一、二年生にはこんな駄文は無用だ。しかし、何をしようか、どこに行こうかと思案している学生には、多少のヒントになるかもしれない。そう思い直して記憶の糸を手繰ってみよう。

1972年春、明確な動機付けのないまま文科一類に入学した。都会育ちの同級生たちのスノッブなもの知り顔を前に、文化的コンプレックスは深刻だった。当時900番教室で行なわれていた法哲学や刑法概論の授業を覗くと、開始の三十分も前から教壇に近い数列に席取りのかばんがずらりと並んでおり、自分にはとても入っていけない世界のように思われた。親の説得という難題はあったが、ゴールデン・ウィーク明けには情けないほどあっさりと法学部進学の意志を捨てていた。それから一年あまり、進振りのころまでは、根無し草の心細さのなかで過ごした。

大方の授業は単位を落とさない程度に流したが、語学だけはまじめに出た。ヘンリー・ジェイムズの小説、テネシー・ウィリアムズの戯曲、ウォルター・ペイターの評論など、それぞれの教官が好みに応じて選ぶ(それが大事だ!)英語講読がおもしろかった。それ以上に興味を覚えたのは初修のフランス語で、数カ月で基本文法を終え、いきなりモンテルランの戯曲や歴史家リュシアン・フェーヴルの雄弁な講演文を、註もなしに、今よりはるかに性能の劣る仏和辞書を片手に読んだ。今にして思えば、岩塊をハンマーで崩していくような荒業だった。読解にははるかに繊細な鎚や鑿が必要で、しかもそれらを精錬する作業は果てしなく続くものだと思い知るまでに、そう時間はかからなかった。しかし、外国語を同化する際のほとんど身体的な征服感覚が味わえるのは、初級から中級を短期間で駆け抜ける駒場時代だと思う。

「傍系進学」で文学部に来る道はあのころも開かれていたはずだ。しかし十分に調べもせずに、文一からは「底なし」の教養学科フランス科に進んだ。当時フランス語教官の大半は仏文出身で、授業構成も文学色が強かったから、駒場にいながらにして環境は仏文に近かった。そこでフランス人教師から教わったのは、文学テクストの一節を克明に読み解き、解説する「エクスプリカシオン・ド・テクスト」の作法と、特定の題目をめぐってとくに論述の構成面に注意を払いながら自分の考えを表す小論文(ディセルタシオン)であった。作品の背景となるコンテクストと作者の意図を踏まえたうえで、習いはじめて日の浅い言語で論理的構成を意識しながら論評する訓練である。どちらの訓練でも、わずかな分量の読み書きに、当人の教養と知力の総体が(欠如が!)どうしようもなくあらわになる。小学校以来作文といえばもっぱら身辺雑記か感想文で、論理的文章の書き方など教わった覚えのない身にはひどく困難に思えたが、また新鮮な刺激でもあった。

 やがて仏文大学院に進み、フランスに留学するにつれて展望も変わる。〈正-反-合〉の展開を推奨する小論文や、一つのパッセージを舐めるように多方向から照射する註釈が、あくまでもフランス式文学教育の一環であって文学研究そのものではないこと、入ってのちに出るべき型であることがわかってきた。もともと速読濫読よりも遅読味読を好み、小説の筋立てや作品から抽出できる「思想」よりも文章の筆触や勢いに惹かれる性分の人間にとって、明晰さを金科玉条とするフランス式にはなじみにくい部分があった。しかしこの抵抗感との長い付き合いが、何にもまして自分を鍛えてくれたように思う。

 三十数年前と較べて、大学は大きく変わった。社会のなかの大学であるからには、社会の変容とともに大学が変質するのは当然かもしれない。しかし、産学連携どころか産学官の連携を推進する昨今の大学は、かつての学問の府のピューリタニズムからそのモラルを百八十度転換した。大学は今やグローバルな経済システムにすっぽりと組み込まれている。つねに新しい企画や組織構想を打ち出すことが求められ、成果が数値化される。ところが文学部は、学問の性格上そうした趨勢に最も適応しにくい学部であり、不用意に適応することは学問としての存立を危うくしかねない。また、文学部に進学してくるかなりの学生は、いわゆる成果主義や競争とは無縁なところで、自分の関心を開拓したいと願っているように思う。それぞれの専修課程は、独自のディシプリンを備えているが、それはすべての学生に一様に課されないし課しようもない。たとえば先に紹介した「エクスプリカシオン・ド・テクスト」や「ディセルタシオン」の授業は、仏文でも用意されている。しかしフランス語の聴き取りに苦労したり稚拙なフランス語を書くよりは、もっぱら日本人教員による訳読の授業で単位を満たしたいと思う学生も少なくない。その場合にはそれが十分可能なように編成されている。

要するに、望むだけのトレーニングの場は提供されるが、強制されないのである。目立ちたくなければ隠れていられる。顔も見たことのないような学生がすばらしい卒論を出してくることもある。文学部での二年間はあなたの思うように組み立てればよい。要は、それを人間としての底力をつけるための時間にすることだ、あなたがあなたになるための時間に。