本論文が対象にしているのは、1950年代及び1960年代に出版された日本人作家の東欧各国への旅行を描いた紀行文である。具体的には、1956年から1967年にかけて東欧の国々を訪問した日本人作家、安部公房、開高健と、島尾敏雄を扱う。
本論文では、当時の日本と東欧の関係を確認し、三人が東欧に惹かれた理由を考慮に入れながら、その体験が記された紀行文及び東欧訪問後に発表された三人の文学作品の分析を行う。三人の作品の分析を通して、彼らの関心や印象、または訪問中に惹かれた東欧という地域の文化について考察し、戦後日本と、当時社会主義国家であった東欧の国々の文化的な関わりについて検討する。
論文において扱うのは、安部公房の1956年のチェコスロヴァキアとルーマニアの訪問を記した『東欧を行くハンガリア問題の背景』(1957年)、開高健の1960年のチェコスロヴァキア、ルーマニア、ポーランドへの旅行を描いた『過去と未来の国々―中国と東欧』(1961年)、そして1967年の島尾敏雄のチェコスロヴァキア、ポーランド、ユーゴスラヴィアの旅行を辿った『夢のかげを求めて―東欧紀行』(1975年)である。これらの紀行文を中心に三人の東欧体験を分析し、三人が東欧訪問後に発表した様々なエッセイ、座談会の記録、または文学作品に目を向けて、その考察を行う。
五部から成る本論文の具体的な構成は以下の通りである。
第一部では、戦後日本の背景を紹介しながら東欧に目を向け、1950年代から1960年代にかけての東欧の政治・文化的状況を確認する。また、本論文で主に扱う文学のジャンルが紀行文というトラベルライティングの一種であるため、ジャンルとしての紀行文を定義し、日本の古典から発展してきた20世紀の紀行文の特徴を確認する。
第二部では、安部公房の東欧体験を紹介しながら、安部が東欧に向かった理由、「新日本文学会」及び国民文化会議の代表者としてのチェコスロヴァキア作家大会に出席した経緯に触れる。次に、安部が旅行中に考察していた「矛盾」「偏見」「国境」「境界」といった概念に目を向け、安部の伝統、社会主義リアリズムと前衛主義に関する思想を論じつつ、紀行文『東欧を行く―ハンガリア問題の背景』の分析を行う。
安部は旅行に対してある種の「偏見」を持ち、特に観光旅行の意義は薄いと考えていた一方、社会主義国における「矛盾」の発見を通して、その国のさらなる発展の可能性を見出せると考えていた。そのため、東欧二カ国を旅行しながら、安部はその肯定的な社会変化を促す「矛盾」を追求し、それを「境界」の一種である国家内国境において発見する。安部は、チェコスロヴァキアの少数民族である「ジプシー」を国家内国境の一つの表れとして挙げ、日本に目を向け、日本の占領下にあった満州や日本における米軍基地の位置を「境界」の概念と結びつけて論じている。
さらに、安部の東欧訪問後に発表された小説「鏡と呼子」(1957年)及び「ミラチェック君の冒険」(1956年)における「矛盾」と「境界」の扱いを論じ、東欧体験に影響を受けたといえるこの二作を安部の創作過程に位置付ける。
安部の初めての東欧旅行の成果は、上記の紀行文と小説にとどまらず、初の外国語訳出版や、日本共産党及び「新日本文学会」からの離脱にも及ぶため、第二部ではこれらの成果を含めて安部の東欧体験を総合的に扱う。
第三部では、開高健の東欧体験に目を向け、彼のポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニアでの体験を記した紀行文『過去と未来の国々―中国と東欧』の分析を行う。開高が東欧に旅行したのは、安部の四年後であったが、その間には東欧と日本の双方においていくつかの重要な社会的変化が起こった。その例としては、東欧のハンガリー動乱(1956年)とポズナン暴動(1956年)、及び日本の安保闘争(1960年)が挙げられる。開高は、これらの重要な出来事を踏まえつつ、中国(1960年5-7月)と東欧(1960年9-11月)を旅行し、新生社会主義国における現実を把握しようとした。同年に初めて海外に出た開高は、特に中国と東欧各国の社会主義体制を比較することを目指し、各国における現実を文学組織や出版社等の代表者を通して理解できることを望んでいた。
開高は各国の観察を通して中国と東欧の社会主義の様々な相違点に気づき、革命が未完了であった中国に比べ、東欧の社会主義体制が安定に転じ、沈滞しているのではないかと考え始めた。『過去と未来の国々』は旅行中に執筆しているため、この沈滞に関する印象は旅行時点での感想と考えられるが、旅行後に書かれた「はしがき」において開高は、沈滞という表現は過りであり、その過りは自身の不十分な知識から生じたと述べている。
開高の紀行文の興味深い点は、このような印象の変化であるが、その東欧体験に対する印象は1960年代後半に再び変化する。中国の文化大革命及びプラハの春を知った開高は、再び自身の東欧体験を顧み、社会主義が沈滞しているという第一印象が正しかったと認めた。その結果、初めての東欧旅行には失望した一方で、旅行そのものには関心を示し、1960年代を通して世界各国を旅行し、その体験を小説の題材として用いるようになった。その中には東欧訪問への言及を含む小説「太った」(1963年)があり、本論文ではその分析を行なっている。「太った」は、開高がポーランドのアウシュヴィッツを訪れた体験を反映した作品であり、彼の半自伝的な文学への歩みを表している。
開高の初めての海外旅行は、ある種の失望と自己非難で終わったが、その後の文学は新しい方向性を見出し、彼の旅行への憧れの源となったと考えられる。
第四部では、開高の東欧旅行の七年後に行われた島尾敏雄の東欧体験に目を向け、その紀行文である長作の『夢のかげを求めて―東欧紀行』の分析を行う。島尾の東欧体験は、安部・開高のものと大きく異なり、紀行文の描写やアプローチも異質である。まず、島尾は社会主義体制そのものにはほとんど関心を示しさず、東欧を「異質なもの」と認識して訪れている。安部・開高が組織に招待されてから旅行したのに対し、島尾は東欧に観光客として訪れ、案内ガイドや通訳者なしで各国を巡った。そのため、彼の紀行文は社会主義体制の観察、またはその中の「矛盾」の発見よりも、私的なで個人的な経験が中心となっている。
また、1967年の東欧旅行は島尾にとって初めての東欧体験ではない。島尾は、二年前に訪れたポーランドの文学及び映画に惹かれたことがきっかけで、再訪と他国訪問を望むようになった。ポーランドでは旧知の人々と再会し、各地を巡って風景や歴史への理解を深めた。一方、チェコスロヴァキアとユーゴスラヴィアでの滞在は短く、紀行文の大半はポーランドの描写で占められる。
島尾がポーランドに強く関心を抱いた背景には、彼がカトリック教徒であることがある。島尾はポーランドを旅行しながら、多くの修道院や教会を訪れ、「異質」として見ていた東欧を教会内の雰囲気と結びつけて論じている。さらに、その紀行文は日記形式に近く、後の文学作品にもこの形式を追求していく。例えば、『日の移ろい』は虚構の日記として、島尾に似た体験を持つ主人公を登場させ、東欧体験への言及も含む。ここでは、作者自身の「記憶」と主人公の「記憶」が混ざり合っており、フィクションとノンフィクションの境界を曖昧にする島尾の「記録型文学」への志向が見て取れる。この創作姿勢に東欧体験が与えた影響は大きいと考えられる。
第五部結論では、これまで各作家の紀行文を通して検討してきた「矛盾」「境界」「異質」「記憶」等の概念を総合的に論じ、特に「記録」と「記憶」を中心に据えた紀行文というジャンルの特徴を考察する。三人の作家は訪問国も期間も異なっており、その分析を通して1950年代から1960年代にかけての日本と東欧の関わりを多角的に把握し、当時の社会変化を背景に、各作家の創作過程における東欧訪問の意義と重要性を明らかにした。
本論文では、当時の日本と東欧の関係を確認し、三人が東欧に惹かれた理由を考慮に入れながら、その体験が記された紀行文及び東欧訪問後に発表された三人の文学作品の分析を行う。三人の作品の分析を通して、彼らの関心や印象、または訪問中に惹かれた東欧という地域の文化について考察し、戦後日本と、当時社会主義国家であった東欧の国々の文化的な関わりについて検討する。
論文において扱うのは、安部公房の1956年のチェコスロヴァキアとルーマニアの訪問を記した『東欧を行くハンガリア問題の背景』(1957年)、開高健の1960年のチェコスロヴァキア、ルーマニア、ポーランドへの旅行を描いた『過去と未来の国々―中国と東欧』(1961年)、そして1967年の島尾敏雄のチェコスロヴァキア、ポーランド、ユーゴスラヴィアの旅行を辿った『夢のかげを求めて―東欧紀行』(1975年)である。これらの紀行文を中心に三人の東欧体験を分析し、三人が東欧訪問後に発表した様々なエッセイ、座談会の記録、または文学作品に目を向けて、その考察を行う。
五部から成る本論文の具体的な構成は以下の通りである。
第一部では、戦後日本の背景を紹介しながら東欧に目を向け、1950年代から1960年代にかけての東欧の政治・文化的状況を確認する。また、本論文で主に扱う文学のジャンルが紀行文というトラベルライティングの一種であるため、ジャンルとしての紀行文を定義し、日本の古典から発展してきた20世紀の紀行文の特徴を確認する。
第二部では、安部公房の東欧体験を紹介しながら、安部が東欧に向かった理由、「新日本文学会」及び国民文化会議の代表者としてのチェコスロヴァキア作家大会に出席した経緯に触れる。次に、安部が旅行中に考察していた「矛盾」「偏見」「国境」「境界」といった概念に目を向け、安部の伝統、社会主義リアリズムと前衛主義に関する思想を論じつつ、紀行文『東欧を行く―ハンガリア問題の背景』の分析を行う。
安部は旅行に対してある種の「偏見」を持ち、特に観光旅行の意義は薄いと考えていた一方、社会主義国における「矛盾」の発見を通して、その国のさらなる発展の可能性を見出せると考えていた。そのため、東欧二カ国を旅行しながら、安部はその肯定的な社会変化を促す「矛盾」を追求し、それを「境界」の一種である国家内国境において発見する。安部は、チェコスロヴァキアの少数民族である「ジプシー」を国家内国境の一つの表れとして挙げ、日本に目を向け、日本の占領下にあった満州や日本における米軍基地の位置を「境界」の概念と結びつけて論じている。
さらに、安部の東欧訪問後に発表された小説「鏡と呼子」(1957年)及び「ミラチェック君の冒険」(1956年)における「矛盾」と「境界」の扱いを論じ、東欧体験に影響を受けたといえるこの二作を安部の創作過程に位置付ける。
安部の初めての東欧旅行の成果は、上記の紀行文と小説にとどまらず、初の外国語訳出版や、日本共産党及び「新日本文学会」からの離脱にも及ぶため、第二部ではこれらの成果を含めて安部の東欧体験を総合的に扱う。
第三部では、開高健の東欧体験に目を向け、彼のポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニアでの体験を記した紀行文『過去と未来の国々―中国と東欧』の分析を行う。開高が東欧に旅行したのは、安部の四年後であったが、その間には東欧と日本の双方においていくつかの重要な社会的変化が起こった。その例としては、東欧のハンガリー動乱(1956年)とポズナン暴動(1956年)、及び日本の安保闘争(1960年)が挙げられる。開高は、これらの重要な出来事を踏まえつつ、中国(1960年5-7月)と東欧(1960年9-11月)を旅行し、新生社会主義国における現実を把握しようとした。同年に初めて海外に出た開高は、特に中国と東欧各国の社会主義体制を比較することを目指し、各国における現実を文学組織や出版社等の代表者を通して理解できることを望んでいた。
開高は各国の観察を通して中国と東欧の社会主義の様々な相違点に気づき、革命が未完了であった中国に比べ、東欧の社会主義体制が安定に転じ、沈滞しているのではないかと考え始めた。『過去と未来の国々』は旅行中に執筆しているため、この沈滞に関する印象は旅行時点での感想と考えられるが、旅行後に書かれた「はしがき」において開高は、沈滞という表現は過りであり、その過りは自身の不十分な知識から生じたと述べている。
開高の紀行文の興味深い点は、このような印象の変化であるが、その東欧体験に対する印象は1960年代後半に再び変化する。中国の文化大革命及びプラハの春を知った開高は、再び自身の東欧体験を顧み、社会主義が沈滞しているという第一印象が正しかったと認めた。その結果、初めての東欧旅行には失望した一方で、旅行そのものには関心を示し、1960年代を通して世界各国を旅行し、その体験を小説の題材として用いるようになった。その中には東欧訪問への言及を含む小説「太った」(1963年)があり、本論文ではその分析を行なっている。「太った」は、開高がポーランドのアウシュヴィッツを訪れた体験を反映した作品であり、彼の半自伝的な文学への歩みを表している。
開高の初めての海外旅行は、ある種の失望と自己非難で終わったが、その後の文学は新しい方向性を見出し、彼の旅行への憧れの源となったと考えられる。
第四部では、開高の東欧旅行の七年後に行われた島尾敏雄の東欧体験に目を向け、その紀行文である長作の『夢のかげを求めて―東欧紀行』の分析を行う。島尾の東欧体験は、安部・開高のものと大きく異なり、紀行文の描写やアプローチも異質である。まず、島尾は社会主義体制そのものにはほとんど関心を示しさず、東欧を「異質なもの」と認識して訪れている。安部・開高が組織に招待されてから旅行したのに対し、島尾は東欧に観光客として訪れ、案内ガイドや通訳者なしで各国を巡った。そのため、彼の紀行文は社会主義体制の観察、またはその中の「矛盾」の発見よりも、私的なで個人的な経験が中心となっている。
また、1967年の東欧旅行は島尾にとって初めての東欧体験ではない。島尾は、二年前に訪れたポーランドの文学及び映画に惹かれたことがきっかけで、再訪と他国訪問を望むようになった。ポーランドでは旧知の人々と再会し、各地を巡って風景や歴史への理解を深めた。一方、チェコスロヴァキアとユーゴスラヴィアでの滞在は短く、紀行文の大半はポーランドの描写で占められる。
島尾がポーランドに強く関心を抱いた背景には、彼がカトリック教徒であることがある。島尾はポーランドを旅行しながら、多くの修道院や教会を訪れ、「異質」として見ていた東欧を教会内の雰囲気と結びつけて論じている。さらに、その紀行文は日記形式に近く、後の文学作品にもこの形式を追求していく。例えば、『日の移ろい』は虚構の日記として、島尾に似た体験を持つ主人公を登場させ、東欧体験への言及も含む。ここでは、作者自身の「記憶」と主人公の「記憶」が混ざり合っており、フィクションとノンフィクションの境界を曖昧にする島尾の「記録型文学」への志向が見て取れる。この創作姿勢に東欧体験が与えた影響は大きいと考えられる。
第五部結論では、これまで各作家の紀行文を通して検討してきた「矛盾」「境界」「異質」「記憶」等の概念を総合的に論じ、特に「記録」と「記憶」を中心に据えた紀行文というジャンルの特徴を考察する。三人の作家は訪問国も期間も異なっており、その分析を通して1950年代から1960年代にかけての日本と東欧の関わりを多角的に把握し、当時の社会変化を背景に、各作家の創作過程における東欧訪問の意義と重要性を明らかにした。