本論文では、日本における近代的「不思議」の誕生過程を明らかにした。特に、仕掛けや秘密の動作によって不思議な現象を実現させる手品・奇術と、その背景となる知識体系に着目して分析し、近世・近代の歴史性から近代的「不思議」の説明を試みた。
修験道等の儀礼に見られる火渡の実践や、寺院や神社の縁起として語られる霊験譚の存在が示すように、不思議な現象は宗教的な加護や神仏の力を示すことと結びつき、宗教への求心力を起こすのに一役買ってきた歴史がある。また、現代のナイジェリアの伝統医が手品のように見える実践を行う事例が報告されるなど、「不思議」に見せることは、呪術実践とも関わっている[1]。こうした事例の一方で、からくり人形や歌舞伎における早替わりの仕掛けなどは、「不思議」さの感覚を与えるが、霊的な「不思議」と見做されることは稀である。現代の知識体系に基づけば、こうした「不思議」は宗教や呪術というよりも科学的に実現されたものと見做されるだろう。「不思議」の実践はこうして、宗教学で伝統的に議論されてきた呪術・科学・宗教の三つの次元と重要な関わりを持つ。日本においては、近世以降に、「不思議」な現象や物を博物学的な関心で網羅的に解説する出版物や、「不思議」な現象の実現方法や仕掛けを明らかにする出版物がしばしば発行されるようになる。また、近代以降は、近代科学的な視点で「不思議」を解明する活動や、「不思議」なことを実践する人々が自説を出版物で説明する事例が多く見られるようになる。これらの活動や出版物を通じ、「不思議」さを感じさせる実践が近世から近代の日本宗教史においてどのような変化を辿ったのかを追うことで、世界の腑分けの仕方がどのように形成されて、実践されてきたのかを明らかにすることが本論文の目的となる。
序論では、近代宗教史研究と奇術史研究について整理し、本論文の議論の視覚を設定した。藤原聖子は『「聖」概念と近代—批判的宗教学に向けて—』[2]において、これまでの研究者が用いてきた合理性概念を、以下の三つの類型で説明している。第一の類型は理論的合理性であり、これは「特定の行為と特定の結果の結びつきを論理的に整合的に説明できるかどうか」という知識的、主知主義的な基準に基づいて合理・非合理を判断するものである。第二の合理性は目的合理性で「特定の行為が特定の目的や欲求に適していると行為主体によって判断されているかどうか」という実践的な基準の合理性である。そして、これら二種の合理性と比べて、現代の研究では顧みられる機会が少なくなった第三の合理性の類型として、実体的(非)合理性が挙げられる。この類型は「当事者によって体験される不思議さ」として非合理性としてのみ現れるものであり、「当該文化の人々に畏怖の感情や不思議な体験を引き起こす」ものである[3]。前者の二つの合理性の反対概念としてこの実体的非合理性が捉えられてきたが、実際のところ非論理的である場合や、合目的性を欠いている場合でも「体験される神秘性(実体的に非合理)」という含意がないことは十分にあると指摘されている[4]。
藤原の類型論と、実体的非合理性についての指摘は、近代の「不思議」論にも応用できる。「不思議」について解説する奇術師や啓蒙家や霊術家たちは「理屈がわからないから「不思議」なのであり、理屈が分かれば「不思議」ではない」という態度をとることが多い。こうした態度は、「不思議」さを生む実体的非合理性の部分を理論的非合理性に置き換えて、それを解消することで「不思議」そのものの解消を試みている。当人たちは理論的に合理的な説明を志向しているが、実態としては説明原理が実体的にも合理的とされる場合に「不思議が不思議でなくなる」現象が起きていると言ってもいい。このように、「不思議」を体験させる実践とそれを取り巻く人々の言説に着目することは、「不思議」を飼い慣らすべくいかに「合理性」が操作されてきたかを問うことでもある。こうした議論を踏まえることで、関連する近代宗教史研究や奇術史研究についても、「不思議」と合理性の問題系の中に位置付けることができる。
第1章では、近世における宗教者や芸能者の編成状況などの社会の様相と、その中での宗教者や芸能者の位置付けについて検討した。本末関係を中核とする宗教の自律的な編成と貨幣経済の浸透の中で、各々の宗教者や芸能者の階層化と職分の明確化が進められた。「不思議」な芸を担うとされた「放下」は、現代でいう手品のみならず、曲芸なども併せて行う芸能者であった。その職分の編成と、「放下」についての記録は、近世の「不思議」観が近代的な理屈よりも驚異の感覚に根ざしていたことを示している。
第2章では、近世後期の出版文化と、奇術の伝授本について検討した。近世の出版文化の中では、中国の類書の影響を受けつつ、博物学的な嗜好が広がり、網羅的な知識を記す出版物が増加している。こうした中で著された奇術の伝授本では、手品だけでなく、呪いや占いの方法も解説されている。日本で最初の伝授本とされる『神仙戯術』『続神仙戯術』の内容から、これらの解説には物理的な仕掛けの説明と観念連合的な説明が混在しており、相互に検証し合うような関係にはなかったことを明らかにした。さらに、『神仙戯術』『続神仙戯術』の源流にあたる、元代の『事林廣記』などの中国の類書と比較を行い、独立した「占い」のカテゴリーが解体され、呪いや手品と共に「不思議」な術として占いが扱われる状況が作られていることを示した。その原因については、中国社会と江戸社会における占いの位置付けの違いと、江戸時代の知における相互検証の欠如という特徴から説明した。
第3章では明治初期の宗教の近代的再編の中でどの様な「不思議」が展開されるかを検討した。宗教の再編過程では、近世以前の宗教伝統や民俗的な実践が抑圧され、文明開化の価値観が押し広げられた。こうした中で「不思議」を重視した人々として、井上円了と霊術家の古屋鉄石を取り上げて、その著作などをもとに近代的な「不思議」の成立過程を検討した。仏教の素養を持ちながら近代学問を学んだ井上円了は、民衆教化と学問の発展、さらに「真怪」の発見を目的に妖怪学を確立して「不思議」の研究を進めた。円了の高度な議論は十分に広まらなかったが、様々な「不思議」な現象についての関心により妖怪学は広まり、「不思議」を文明開化の価値観に即した形で議論の俎上に載せる役割を果たした。霊術家の古屋鉄石は、円了の議論を援用しながら「不思議」の実践を生活に役立てる方向で応用した。こうした人々の活動の中で、「不思議」という概念は、一見「非合理」に見える伝統的ないし民俗的な実践に、学問的な裏付けを与え、近代社会の中での存在意義を確立させた。
第4章ではこうした学術的な活動と並行するものとして、托鉢僧から奇術師に転向した松旭斎天一を事例として、伝統的あるいは民俗的な実践の近代化過程から近代的「不思議」と「理屈」について検討した。明治期の宗教の再編と芸能の統制は、伝統的あるいは民俗的な実践の担い手に、自らの実践を脱文脈化して近代化を図ることを要請した。天一は、仏教的なルーツを持ちながら奇術師として活動した人物であり、西洋の術を積極的に取り入れて新たな「不思議」の領域を作り出した。天一の談話記事には、「理屈がわかれば不思議ではない」という態度が見られ、近代の学問や思考様式と矛盾しない形で「不思議」を提示したことが窺える。ただし、奇術実践の継続には、秘密を守ることも不可欠であり、こうした「不思議」の近代性と葛藤する部分も見られた。
第5章では、近代的な「不思議」の葛藤について、合理性概念とともに検討を加えた。「理屈がわかれば不思議ではない」という感覚を広める要因の一つとなった、明治初期の窮理学の流行から検討を始め、理論的非合理性と実体的非合理性が重ね合わせられていく過程を検討した。井上円了や古屋鉄石は、近代的「不思議」の理論的非合理と実体的非合理を区別して捉える概念を生み出そうとしたが、その試みは十分に広まらず、通俗的な理解の上では理論的非合理と実体的非合理は一体となっていた。こうした中で、催眠術の実体的な非合理性をなくし、理論的な合理性に回収して「普通」の術にしようと試みたのが村上辰午朗であった。しかし、村上の実践もまた、「不思議」の魅力に支えられていた。村上の実践は奇しくも、近代的「不思議」の、「没入」「解放」「分析」の三つの楽しみの側面を示す好例となった。三つの楽しみが同時に起こるのも、理論的合理性と実体的合理性が近接した近代の「不思議」の特徴であると言える。
近世の「不思議」には、複数の説明原理が併存しており、理屈による説明よりも驚異の感覚に根ざして規定されていた。これに対して、近代的「不思議」は、文明開化の価値観と矛盾しないよう、「理屈」で説明可能なものであることが求められた。ここに、葛藤を含みながら、葛藤自体をも魅力の一部として展開する近代的「不思議」の特徴がある。
修験道等の儀礼に見られる火渡の実践や、寺院や神社の縁起として語られる霊験譚の存在が示すように、不思議な現象は宗教的な加護や神仏の力を示すことと結びつき、宗教への求心力を起こすのに一役買ってきた歴史がある。また、現代のナイジェリアの伝統医が手品のように見える実践を行う事例が報告されるなど、「不思議」に見せることは、呪術実践とも関わっている[1]。こうした事例の一方で、からくり人形や歌舞伎における早替わりの仕掛けなどは、「不思議」さの感覚を与えるが、霊的な「不思議」と見做されることは稀である。現代の知識体系に基づけば、こうした「不思議」は宗教や呪術というよりも科学的に実現されたものと見做されるだろう。「不思議」の実践はこうして、宗教学で伝統的に議論されてきた呪術・科学・宗教の三つの次元と重要な関わりを持つ。日本においては、近世以降に、「不思議」な現象や物を博物学的な関心で網羅的に解説する出版物や、「不思議」な現象の実現方法や仕掛けを明らかにする出版物がしばしば発行されるようになる。また、近代以降は、近代科学的な視点で「不思議」を解明する活動や、「不思議」なことを実践する人々が自説を出版物で説明する事例が多く見られるようになる。これらの活動や出版物を通じ、「不思議」さを感じさせる実践が近世から近代の日本宗教史においてどのような変化を辿ったのかを追うことで、世界の腑分けの仕方がどのように形成されて、実践されてきたのかを明らかにすることが本論文の目的となる。
序論では、近代宗教史研究と奇術史研究について整理し、本論文の議論の視覚を設定した。藤原聖子は『「聖」概念と近代—批判的宗教学に向けて—』[2]において、これまでの研究者が用いてきた合理性概念を、以下の三つの類型で説明している。第一の類型は理論的合理性であり、これは「特定の行為と特定の結果の結びつきを論理的に整合的に説明できるかどうか」という知識的、主知主義的な基準に基づいて合理・非合理を判断するものである。第二の合理性は目的合理性で「特定の行為が特定の目的や欲求に適していると行為主体によって判断されているかどうか」という実践的な基準の合理性である。そして、これら二種の合理性と比べて、現代の研究では顧みられる機会が少なくなった第三の合理性の類型として、実体的(非)合理性が挙げられる。この類型は「当事者によって体験される不思議さ」として非合理性としてのみ現れるものであり、「当該文化の人々に畏怖の感情や不思議な体験を引き起こす」ものである[3]。前者の二つの合理性の反対概念としてこの実体的非合理性が捉えられてきたが、実際のところ非論理的である場合や、合目的性を欠いている場合でも「体験される神秘性(実体的に非合理)」という含意がないことは十分にあると指摘されている[4]。
藤原の類型論と、実体的非合理性についての指摘は、近代の「不思議」論にも応用できる。「不思議」について解説する奇術師や啓蒙家や霊術家たちは「理屈がわからないから「不思議」なのであり、理屈が分かれば「不思議」ではない」という態度をとることが多い。こうした態度は、「不思議」さを生む実体的非合理性の部分を理論的非合理性に置き換えて、それを解消することで「不思議」そのものの解消を試みている。当人たちは理論的に合理的な説明を志向しているが、実態としては説明原理が実体的にも合理的とされる場合に「不思議が不思議でなくなる」現象が起きていると言ってもいい。このように、「不思議」を体験させる実践とそれを取り巻く人々の言説に着目することは、「不思議」を飼い慣らすべくいかに「合理性」が操作されてきたかを問うことでもある。こうした議論を踏まえることで、関連する近代宗教史研究や奇術史研究についても、「不思議」と合理性の問題系の中に位置付けることができる。
第1章では、近世における宗教者や芸能者の編成状況などの社会の様相と、その中での宗教者や芸能者の位置付けについて検討した。本末関係を中核とする宗教の自律的な編成と貨幣経済の浸透の中で、各々の宗教者や芸能者の階層化と職分の明確化が進められた。「不思議」な芸を担うとされた「放下」は、現代でいう手品のみならず、曲芸なども併せて行う芸能者であった。その職分の編成と、「放下」についての記録は、近世の「不思議」観が近代的な理屈よりも驚異の感覚に根ざしていたことを示している。
第2章では、近世後期の出版文化と、奇術の伝授本について検討した。近世の出版文化の中では、中国の類書の影響を受けつつ、博物学的な嗜好が広がり、網羅的な知識を記す出版物が増加している。こうした中で著された奇術の伝授本では、手品だけでなく、呪いや占いの方法も解説されている。日本で最初の伝授本とされる『神仙戯術』『続神仙戯術』の内容から、これらの解説には物理的な仕掛けの説明と観念連合的な説明が混在しており、相互に検証し合うような関係にはなかったことを明らかにした。さらに、『神仙戯術』『続神仙戯術』の源流にあたる、元代の『事林廣記』などの中国の類書と比較を行い、独立した「占い」のカテゴリーが解体され、呪いや手品と共に「不思議」な術として占いが扱われる状況が作られていることを示した。その原因については、中国社会と江戸社会における占いの位置付けの違いと、江戸時代の知における相互検証の欠如という特徴から説明した。
第3章では明治初期の宗教の近代的再編の中でどの様な「不思議」が展開されるかを検討した。宗教の再編過程では、近世以前の宗教伝統や民俗的な実践が抑圧され、文明開化の価値観が押し広げられた。こうした中で「不思議」を重視した人々として、井上円了と霊術家の古屋鉄石を取り上げて、その著作などをもとに近代的な「不思議」の成立過程を検討した。仏教の素養を持ちながら近代学問を学んだ井上円了は、民衆教化と学問の発展、さらに「真怪」の発見を目的に妖怪学を確立して「不思議」の研究を進めた。円了の高度な議論は十分に広まらなかったが、様々な「不思議」な現象についての関心により妖怪学は広まり、「不思議」を文明開化の価値観に即した形で議論の俎上に載せる役割を果たした。霊術家の古屋鉄石は、円了の議論を援用しながら「不思議」の実践を生活に役立てる方向で応用した。こうした人々の活動の中で、「不思議」という概念は、一見「非合理」に見える伝統的ないし民俗的な実践に、学問的な裏付けを与え、近代社会の中での存在意義を確立させた。
第4章ではこうした学術的な活動と並行するものとして、托鉢僧から奇術師に転向した松旭斎天一を事例として、伝統的あるいは民俗的な実践の近代化過程から近代的「不思議」と「理屈」について検討した。明治期の宗教の再編と芸能の統制は、伝統的あるいは民俗的な実践の担い手に、自らの実践を脱文脈化して近代化を図ることを要請した。天一は、仏教的なルーツを持ちながら奇術師として活動した人物であり、西洋の術を積極的に取り入れて新たな「不思議」の領域を作り出した。天一の談話記事には、「理屈がわかれば不思議ではない」という態度が見られ、近代の学問や思考様式と矛盾しない形で「不思議」を提示したことが窺える。ただし、奇術実践の継続には、秘密を守ることも不可欠であり、こうした「不思議」の近代性と葛藤する部分も見られた。
第5章では、近代的な「不思議」の葛藤について、合理性概念とともに検討を加えた。「理屈がわかれば不思議ではない」という感覚を広める要因の一つとなった、明治初期の窮理学の流行から検討を始め、理論的非合理性と実体的非合理性が重ね合わせられていく過程を検討した。井上円了や古屋鉄石は、近代的「不思議」の理論的非合理と実体的非合理を区別して捉える概念を生み出そうとしたが、その試みは十分に広まらず、通俗的な理解の上では理論的非合理と実体的非合理は一体となっていた。こうした中で、催眠術の実体的な非合理性をなくし、理論的な合理性に回収して「普通」の術にしようと試みたのが村上辰午朗であった。しかし、村上の実践もまた、「不思議」の魅力に支えられていた。村上の実践は奇しくも、近代的「不思議」の、「没入」「解放」「分析」の三つの楽しみの側面を示す好例となった。三つの楽しみが同時に起こるのも、理論的合理性と実体的合理性が近接した近代の「不思議」の特徴であると言える。
近世の「不思議」には、複数の説明原理が併存しており、理屈による説明よりも驚異の感覚に根ざして規定されていた。これに対して、近代的「不思議」は、文明開化の価値観と矛盾しないよう、「理屈」で説明可能なものであることが求められた。ここに、葛藤を含みながら、葛藤自体をも魅力の一部として展開する近代的「不思議」の特徴がある。
[1] 近藤英俊「冒険する呪者たち—ナイジェリア都市部呪医の実践から—」、川田牧人・白川千尋・関一敏編『呪者の肖像』臨川書店、2019年、163–192頁。
[2]藤原聖子『「聖」概念と近代—批判的宗教学に向けて—』(大正大学出版会、2006)
[3] 「<宗教・呪術・科学>三分法の成立と合理性」、藤原前掲書181-230頁。
[4] 同204-205頁。