1.概要
この論文は、日本語の研究で注目されてきた「非飽和名詞」と呼ばれる名詞類について認知言語学の観点から論じたものである。名詞は事物を分類するのに使われるものだと通常考えられている。例えば、「学生」はそれだけで人を学生とそうでないものに分ける。しかし、そうでない名詞もある。例として「作家」と「作者」を比較してみよう。この2つの名詞は似た意味を持つが重要な点で異なっている。「あなたは作家ですか」と聞かれれば、基本的にイエスかノーで答えることができる。しかし、急に「あなたは作者ですか」と聞かれたら「え、何の?」と聞き返したくなる。質問として成立していないと感じられるからである。ある人が作者かどうかは、「ワンピースの作者」のように「~の」に当たる要素を念頭に置かなければ問題にすることができない。つまり、「作家」は「学生」と同じくそれだけで人の分類として機能するが、「作者」はそうではないということである。このような特徴を持つ名詞は、意味的に不十分であるとされ、「非飽和名詞」と呼ばれる(逆にそうでない名詞は「飽和名詞」と呼ばれる)。これを西山(2003: 33)は「「Xの」というパラメータの値が定まらないかぎり、それ単独では外延(extension)を決めることができず、意味的に充足していない名詞」と定義している。例えば「作者」は本や芸術作品をパラメータに取る非飽和名詞であると言える。非飽和名詞として他に「犯人」「主役」「ライバル」「妹」「相手」「理由」「きっかけ」「手がかり」「欠点」「本場」「特徴」「欠点」「上」「となり」等が挙げられる。この名詞類は、カキ料理構文と呼ばれる「XはYがZだ」型の文 (1) や、「XをYに」が副詞節としてふるまう地図をたよりに構文 (2) 、連体修飾節構文 (3) といった文法現象と深い関連があると考えられ、研究が蓄積されている。
(1)カキ料理は、広島が本場だ。
(2)彼は、体力の限界を理由に引退した。
(3)火事が起きた原因
西山(2003)をはじめとする主な先行研究では、言語の知識を閉じた体系と考え、意味論と語用論を心的モジュールとして峻別する立場から、飽和名詞と非飽和名詞の区別を名詞の純粋な言語的意味の問題として分析する立場が主流であった。しかし、近年ではその限界も指摘されている(山泉 2010; 羅漢 2017など)。本論文は、言語を一般的な心の働きの一環として捉える認知言語学、特にRonald Langackerの認知文法(Langacker 2008他)の立場から、飽和名詞と非飽和名詞の区別の本質を問いなおすものである。
2.分析の骨子
本論文は、(i) フレーム、(ii) 参照点能力、(iii) カテゴリー化、そして (iv) 視座の移行という概念を用いて、非飽和名詞がいかなる意味構造を持つのか、飽和名詞と非飽和名詞にどのような関係があるか、なぜ両者の区別が文脈の中で揺れるのかといった問題に一貫した説明を与える。第一に、非飽和名詞とされてきた名詞は、特定のフレーム(百科事典的知識の構造化された単位)と慣習的に結びついており、その中の特定の役割を指すという意味構造を持つ。ある人が「作者」かどうかは何の作品が話題になっているかがわからなければ答えようがないという観察は、この語の指す役割の理解が、背景となるフレームに依存することに由来すると考えられる。
第二に、それゆえに個々の非飽和名詞はその関連フレームの事例の特定を必要とする。したがって使用の際に話し手は(すでに特定されているのでない限り)関連フレームの事例を特定する手がかりを与えなければならない。この役割へと至るプロセスは、認知文法で重視される一般的な心の働きである参照点能力(何かを介して別の何かにアクセスする能力)の発現である。
第三に、飽和名詞と非飽和名詞の違いの本質は対象をカテゴリー化する様式の違いである。前者は類・事例モデル、後者はフレーム・役割モデルのカテゴリー化に基づいている。飽和から非飽和へ(およびその逆)の臨時的意味拡張や、一つの名詞が飽和と非飽和の多義性を示す例は、文脈の中でのカテゴリー化様式の変異とその定着・慣習化の結果として説明できる。
最後に、概念が飽和であるか非飽和であるかは、概念化の主体の視座のあり方に左右される。それゆえ、主体が視座を置く場が移行する過程(反省・没入)により概念の飽和化・非飽和化が生じうる。そう考えることで、主題による視座変化を特徴とするカキ料理構文には非飽和名詞が出現しやすいと同時に例外も存在するという事実や、人間に毒であるものを単に「毒」と呼ぶような自己中心的飽和用法が説明できる。
全体として、辞書的意味と百科事典的知識の区別、意味論と語用論の関係といった基礎的な問題について考察した上で、飽和・非飽和の区別が文脈から独立した意味論的特性として存在するという見方に反して、一般的知識と認知能力の観点からこれまで十分に説明されていなかった諸現象に統一的説明を与えることを目指した論文である。
3.各章の内容
第1章では、この論文で扱う問題の概略を説明するとともに、採用する分析の方針、および論文の構成を述べている。言語を人間の心理と行為を広く理解することの一環として理解するという目標と、説明において言語現象を説明するためだけに構築された概念に訴えないという方針が述べられる。第2章では、非飽和名詞にまつわる基本的事実の紹介と先行研究の紹介および批判を行なっている。これまでの研究では意味論と語用論を峻別する立場から、飽和名詞と非飽和名詞を語彙レベルで二分する見方が主流であったが、それでは説明のつかない例も多数報告されていた。特に注目すべきは、語彙レベルでは飽和名詞と思われるものが、カキ料理構文など非飽和名詞に限られるとされる環境に現れる例、および、一つの名詞が文脈によって飽和名詞としても非飽和名詞としても使われる例である。そこで、言葉の意味に対する見方を再検討する必要が持ち上がる。
第3章では、意味論と語用論の関係を根本的に見直す。その結果、言語記号の意味を百科事典的知識、文脈、そして人間の行為といったものから切り離された存在として見る立場は維持できないという結論に至り、Grice、Clark 、Langackerらの研究に基づきながら、具体的な場面での伝達行為を基礎に据えた使用基盤の意味論を描く。
それらを土台として、第4章では話者の持つ百科事典的知識との関係で非飽和名詞の意味を特徴づける。非飽和名詞は、言語に特化しない百科事典的知識の構造化されたまとまりとしてのフレームと慣習的に結びついており、その中の特定の役割を指し示す構造を持つ。そして先行研究の「パラメータの値を補充する」という考え方を退け、かわりに関連フレームのインスタンスの特定し役割へと至るための参照点の提示(係留)という考え方を取ることで、概念構築の経路の柔軟性を捉えることが可能になると論じる。
第5章では、「係留」の実態にさらに踏み込み、慣習的非飽和名詞が使用される際に概念を発話場面へとどのように位置付けているのかを詳しく検討する。話し手による非飽和名詞の使用から、聞き手は関連フレームのインスタンスをただ一つ選び取ることが可能だとわかる。これは英語定冠詞と同じく、(関連フレームに関する)同定可能性を示すものと分析することができる。この考えにより、非飽和名詞を主名詞とする連体修飾節にまつわる論争が発展的に解消される。
第6章では一つの名詞が飽和名詞としても非飽和名詞としても使われる現象(多義性)を事例として、カテゴリー化(対象をXとみなす心的作用)の様式を検討する。カテゴリー化には、対象を既存の類の事例と認める「類・事例モデル」によるものと、状況にフレームを適用し、対象がその中で担っている役割に基づいてカテゴリー化する「フレーム・役割モデル」がある。慣習的に前者と結びついているのが飽和名詞、後者と結びついているのが非飽和名詞と呼ばれてきたものである。類カテゴリーの存在理由の考察から、多義性を生み出す原理が導かれる。
第7章ではカキ料理構文について論じる。主題を動的な参照点と捉える認知文法的観点から、この構文の意味構造を「主題を通した限定による二層構造」として特徴づける。これにより、カキ料理構文が非飽和名詞を強く選好するという事実を捉えつつも、その例外も説明可能になる。例外の多くは、世界あるいは時点に対する相対化として捉えられる。一方で、それだけでは説明されずに残る事例群も存在する。
8章では、反省・没入という2つの心的状態の移行を仮定し、自己中心的飽和用法を分析する。暗にある状況に立脚している状態からその状況自体を思考対象とする状態へと移行する、発達レベルおよび文脈レベルでの反省プロセスにより、飽和名詞だったものが非飽和名詞へと転じうる。この心的状態の移行が飽和と非飽和の揺れを生じさせる一因であるとする仮説が提示される。
第9章では論文のまとめと意義が示される。
参考文献
Langacker, Ronald W. (2008) Cognitive grammar: A basic introduction. Oxford: Oxford University Press.
西山佑司 (2003)『日本語名詞句の意味論と語用論:指示的名詞句と非指示的名詞句』東京: ひつじ書房.
羅漢 (2017)「非飽和名詞の飽和化とその発生要因」『国語学研究』東北大学大学院文学研究科 56: 88–99.
山泉実 (2010)「節による非飽和名詞(句)のパラメータの補充」東京大学大学院総合文化研究科博士論文.