本研究は、第Ⅰ部から第Ⅲ部の計九章にわたり、歴史と対照させ、物語の虚構をあぶり出すだけでなく、それを改めて物語の論理から捉え直すことによって、『源氏物語』という虚構の長編物語を読み解いていくことを目的とする。
第Ⅰ部「史実と物語」では、史実との対照だけでは説明がつかない問題を、物語内部の論理から考究する三つの論考を収めた。第一章「紅葉賀・花宴・藤花宴の連関とその回想―皇統と藤原氏―」は、桐壺帝御代の聖性を示すとされてきた紅葉賀・花宴とその回想の問題を、藤原氏の〈藤〉を寓す藤花宴まで含めて論じることで、物語の政治世界の中に皇統と藤原氏の対立の構造を見出すものである。分析の対象としたのは、少女巻朱雀院行幸での朱雀院の花宴の回想、藤裏葉巻六条院行幸での頭中将(太政大臣)の紅葉賀の回想、若菜上巻朧月夜のもとを訪れた際の光源氏の藤花宴の回想である。いずれの場合も、帝との姻戚関係を通し権力伸長を図る藤原氏に関係する作中人物をめぐる場面であり、不義の子冷泉帝即位という物語独自の皇位継承が達成され、帝の実父として光源氏が准太上天皇に昇る中、藤原氏に関係する人物たちは過去を思い返し、その意味を問い直していく。不如意な状況に置かれたこれらの人物は、光源氏の栄華と表裏一体の存在であり、むしろ影の部分を描き出すことによって、物語の政治世界を複層化していく。紅葉賀・花宴・藤花宴そのものは史実との関わりから主に論じられてきたが、その〈回想〉の問題は物語内部の政治世界と深く関わる問題であり、その動態を光源氏の栄華の反面という観点から論じている。
第二章「朱雀朝の《后》不在と女三宮の裳着―朱雀院柏梁殿という場に注目して―」は、作品成立期までに内親王の裳着が後院で行われた例が見られないことを史料調査から指摘した上で、物語は何故女三宮の裳着の場として朱雀院柏梁殿を選んだのか論じるものである。史料調査では、后腹であれば当代の帝の娘ではなくとも、その裳着は宮中で行われ、叙品が行われたことを指摘した。平安時代中期の内親王は叙品に伴う品封が経済的基盤の一つとなっており、后腹の内親王であれば裳着で叙品され社会的・経済的に自立する可能性が生まれるのだが、物語はあえて女三宮を女御腹とすることで、女三宮の叙品を描かず、経済的・社会的基盤を提供できる男性への降嫁の検討に自然と繋げていく。ただし、物語は女三宮の裳着の場として朱雀院柏梁殿という格式高い場を選び、女三宮に中宮が立たなかった朱雀帝の幻の《后腹》の皇女の可能性を潜在させる。この巧みな設定が、その後の女三宮をめぐる物語を導いていくのであり、史実を取り込みながら、それを巧みに踏み越えることで、その後の物語の展開を導く点に『源氏物語』の達成を見出している。
第三章「平安朝物語における妻妾の居住のあり方―『うつほ物語』『源氏物語』から平安後期物語へ―」は、歴史的実態として一貴族が有力な妻妾を集めて同じ邸に住まわせる例が見られないことを指摘した上で、平安朝物語に見られる作中人物たちの居住のあり方について整理し、歴史的実態を離れたところで物語がいかに先行物語を摂取し、展開していくかを論じている。第一章・第二章は『源氏物語』という物語内部の論理からある問題を考究する論考であるが、第三章は妻妾の居住のあり方に着目することで、物語作品同士の影響関係を整理し、平安朝文学史の中に流れる一つの大きな文脈を見出すことに主眼がある。以上の三章は、従来歴史との対照から主に論じられてきた問題を物語の論理から捉え直すものである。
第Ⅱ部「物語の表現空間」の計三章では、物語の呼称・表現を取り扱う。このうち、第四章「邸第呼称の方法意識―左・右大臣家と頭中将家を中心に―」、第五章「夕霧巻における皇統と藤原氏の対立構造―方法としての人物呼称・邸第呼称―」は、作中人物の邸第の呼称を取り扱ったものであり、二つの章は相互補完的に「邸第呼称論」の確立を目指している。
第四章は、『源氏物語』において左大臣邸(「大殿」、「三条宮」、「三条殿」)、右大臣邸(「大殿」「二条宮」)の呼称が変化することに着目する。「大殿」「三条宮」「二条宮」などの呼称が読み手に喚起するイメージを、男性官人が書く古記録・史書類、『うつほ物語』などの作り物語、『伊勢物語』などの歌物語など平安時代における多様なテクストから明らかにした上で、邸第呼称の変化が物語の展開、作中人物の退場や造型の変化によってもたらされていることを論じている。その上で、未だ定説を見ない頭中将の邸第をめぐる問題について、新しい見解を提示した。邸第呼称の使い分けには、「大殿」「三条宮」「二条宮」という呼称が読者に与える印象を巧みに操る、物語の明瞭な方法意識が働いていることを指摘し、人物呼称論をモデルとした新たな「邸第呼称論」を提案する。
続く第五章は、夕霧巻という挿話的な一つの巻内部の呼称について注目し、「宮」と「殿」と明確に描き分けられた呼称には、夕霧巻の中で描かれる皇統と藤原氏の対立構造が背景にあることを論じている。この論の中では、従来明確に区別されてきた人物呼称と邸第呼称を同時に分析の対象とすることで、人物呼称論と邸第呼称論という二つの呼称論の境界を超えた新たな議論の意義を提示しており、第四章とともに新たな「邸第呼称論」の構築を目指している。
第六章「再会の場面における「ねび」表現―過去の記憶をめぐって―」は、従来老いの問題と関連して論じられてきた「ねび」表現(動詞「ねぶ」、複合動詞、名詞を含む)について、再会の場面において用いられる「ねび」表現が過去の記憶を思い起こさせることに注目し、その意味の再考を試みるものである。場面設定と「ねび」表現の関わり合いについても論の射程に入れた上で、『源氏物語』という長い時間と男女の対面の場面の蓄積を内包する物語が、「ねび」表現の新しい意味を開拓することを明らかにし、物語が一連の表現に物語独自の意味を持たせた例として指摘する。
第Ⅲ部「第三部世界構築の方法」では、超越的な存在であった光源氏の亡き後の物語について取り扱う。物語はいかに光源氏の亡き後の物語世界を立ち上げ、薫という複雑な人物をめぐる物語を語り出していくのか―――第七章「父不在の薫―「かしづく」をめぐって―」は、光源氏や実父柏木を亡くし、冷泉院に可愛がられて育った薫の複雑な精神世界を「かしづく」という語から論じていく。『源氏物語』中の「かしづく」(複合動詞や「かしづき」などの名詞も含む)全181例を調査し、匂宮三帖において冷泉院が薫を「かしづく」ことの背景には、冷泉院が出生の秘密を知らずに薫を実父光源氏の忘れ形見と見ている可能性が高いことを指摘した。その上で、宿木巻では今上帝が薫を婿として「かしづく」ことに注目する。今上帝と薫は朱雀院という共通の祖を持つことから、平安貴族社会に見られるような舅が婿を「かしづく」関係を築くことができることを指摘し、薫という複雑な人物を「親」との関係から論じている。この章は、第Ⅱ部の問題意識を共有しつつ、薫を主人公の一人に据える第三部世界がいかに語られているか論じるものである。
第八章「続篇における六条院世界の変容について―匂兵部卿巻賭弓の還饗を中心に―」は、続篇最初の巻である匂兵部卿巻の中の唯一の場面である賭弓の還饗において、六条院が「仏の国」と表現されることに注目し、光源氏亡き後の六条院世界がいかなるものか論じている。正編では、六条院は「生ける仏の御国」と形容され、男踏歌という宮中行事を行うことによって、光源氏の王者性が示されていた。一方、続篇の六条院で行われた賭弓の還饗は、近衛大将が自邸で行うことが前提とされていることを史料調査から指摘、光源氏の亡き後の六条院は宮中行事を行う力などもはやなく、光源氏時代の王者性・卓越性が失われていることを明らかにした。その上で、宿木巻では夏の町に夕霧の六の君の婿として匂宮が迎え入れられることに着目し、第三部世界の六条院世界がいわゆる「摂関家」的な繁栄の場に変質したことを論じる。
第九章「宿木巻の藤花宴―史実と物語―」では、薫を今上帝の婿として歓待する宿木巻の藤花宴を取り上げ、史実からの文脈と物語内部の文脈の双方から読み解いていく。作品成立以前の史上の藤花宴の開催例を全て調査し、後宮居所(藤壺など)で行われた場合、藤花宴は帝と姻戚関係を結んだ藤原氏一門との紐帯を世に示す場であったことを推定した。その上で、宿木巻の藤花宴は、帝の婿となった薫が歓待されていることから、史上の藤花宴に見られる帝―后妃―藤原氏という姻戚関係が、『源氏物語』では帝―皇女―その婿という姻戚関係に変奏されていることを指摘した。その上で、『伊勢物語』『源氏物語』の藤花宴の例とも比較し、物語の文脈からも宿木巻の藤花宴を捉え直す。先行する物語の中の藤花宴は、藤原氏が婿を招く場であり、〈藤〉が藤原氏の氏姓を寓するものであることから、薫という藤原氏の血脈を密かに継ぐ人物を帝の婿として招く宴として、物語は藤花宴を仮構したことを明らかにした。
以上の計九章は、歴史を踏まえ物語を分析していくだけでなく、物語内部の論理からも物語の構造や表現を考究するものである。本学位申請論文は総体として、歴史と物語の双方との対照から物語を考究する新たな研究手法の構築を模索している。
第Ⅰ部「史実と物語」では、史実との対照だけでは説明がつかない問題を、物語内部の論理から考究する三つの論考を収めた。第一章「紅葉賀・花宴・藤花宴の連関とその回想―皇統と藤原氏―」は、桐壺帝御代の聖性を示すとされてきた紅葉賀・花宴とその回想の問題を、藤原氏の〈藤〉を寓す藤花宴まで含めて論じることで、物語の政治世界の中に皇統と藤原氏の対立の構造を見出すものである。分析の対象としたのは、少女巻朱雀院行幸での朱雀院の花宴の回想、藤裏葉巻六条院行幸での頭中将(太政大臣)の紅葉賀の回想、若菜上巻朧月夜のもとを訪れた際の光源氏の藤花宴の回想である。いずれの場合も、帝との姻戚関係を通し権力伸長を図る藤原氏に関係する作中人物をめぐる場面であり、不義の子冷泉帝即位という物語独自の皇位継承が達成され、帝の実父として光源氏が准太上天皇に昇る中、藤原氏に関係する人物たちは過去を思い返し、その意味を問い直していく。不如意な状況に置かれたこれらの人物は、光源氏の栄華と表裏一体の存在であり、むしろ影の部分を描き出すことによって、物語の政治世界を複層化していく。紅葉賀・花宴・藤花宴そのものは史実との関わりから主に論じられてきたが、その〈回想〉の問題は物語内部の政治世界と深く関わる問題であり、その動態を光源氏の栄華の反面という観点から論じている。
第二章「朱雀朝の《后》不在と女三宮の裳着―朱雀院柏梁殿という場に注目して―」は、作品成立期までに内親王の裳着が後院で行われた例が見られないことを史料調査から指摘した上で、物語は何故女三宮の裳着の場として朱雀院柏梁殿を選んだのか論じるものである。史料調査では、后腹であれば当代の帝の娘ではなくとも、その裳着は宮中で行われ、叙品が行われたことを指摘した。平安時代中期の内親王は叙品に伴う品封が経済的基盤の一つとなっており、后腹の内親王であれば裳着で叙品され社会的・経済的に自立する可能性が生まれるのだが、物語はあえて女三宮を女御腹とすることで、女三宮の叙品を描かず、経済的・社会的基盤を提供できる男性への降嫁の検討に自然と繋げていく。ただし、物語は女三宮の裳着の場として朱雀院柏梁殿という格式高い場を選び、女三宮に中宮が立たなかった朱雀帝の幻の《后腹》の皇女の可能性を潜在させる。この巧みな設定が、その後の女三宮をめぐる物語を導いていくのであり、史実を取り込みながら、それを巧みに踏み越えることで、その後の物語の展開を導く点に『源氏物語』の達成を見出している。
第三章「平安朝物語における妻妾の居住のあり方―『うつほ物語』『源氏物語』から平安後期物語へ―」は、歴史的実態として一貴族が有力な妻妾を集めて同じ邸に住まわせる例が見られないことを指摘した上で、平安朝物語に見られる作中人物たちの居住のあり方について整理し、歴史的実態を離れたところで物語がいかに先行物語を摂取し、展開していくかを論じている。第一章・第二章は『源氏物語』という物語内部の論理からある問題を考究する論考であるが、第三章は妻妾の居住のあり方に着目することで、物語作品同士の影響関係を整理し、平安朝文学史の中に流れる一つの大きな文脈を見出すことに主眼がある。以上の三章は、従来歴史との対照から主に論じられてきた問題を物語の論理から捉え直すものである。
第Ⅱ部「物語の表現空間」の計三章では、物語の呼称・表現を取り扱う。このうち、第四章「邸第呼称の方法意識―左・右大臣家と頭中将家を中心に―」、第五章「夕霧巻における皇統と藤原氏の対立構造―方法としての人物呼称・邸第呼称―」は、作中人物の邸第の呼称を取り扱ったものであり、二つの章は相互補完的に「邸第呼称論」の確立を目指している。
第四章は、『源氏物語』において左大臣邸(「大殿」、「三条宮」、「三条殿」)、右大臣邸(「大殿」「二条宮」)の呼称が変化することに着目する。「大殿」「三条宮」「二条宮」などの呼称が読み手に喚起するイメージを、男性官人が書く古記録・史書類、『うつほ物語』などの作り物語、『伊勢物語』などの歌物語など平安時代における多様なテクストから明らかにした上で、邸第呼称の変化が物語の展開、作中人物の退場や造型の変化によってもたらされていることを論じている。その上で、未だ定説を見ない頭中将の邸第をめぐる問題について、新しい見解を提示した。邸第呼称の使い分けには、「大殿」「三条宮」「二条宮」という呼称が読者に与える印象を巧みに操る、物語の明瞭な方法意識が働いていることを指摘し、人物呼称論をモデルとした新たな「邸第呼称論」を提案する。
続く第五章は、夕霧巻という挿話的な一つの巻内部の呼称について注目し、「宮」と「殿」と明確に描き分けられた呼称には、夕霧巻の中で描かれる皇統と藤原氏の対立構造が背景にあることを論じている。この論の中では、従来明確に区別されてきた人物呼称と邸第呼称を同時に分析の対象とすることで、人物呼称論と邸第呼称論という二つの呼称論の境界を超えた新たな議論の意義を提示しており、第四章とともに新たな「邸第呼称論」の構築を目指している。
第六章「再会の場面における「ねび」表現―過去の記憶をめぐって―」は、従来老いの問題と関連して論じられてきた「ねび」表現(動詞「ねぶ」、複合動詞、名詞を含む)について、再会の場面において用いられる「ねび」表現が過去の記憶を思い起こさせることに注目し、その意味の再考を試みるものである。場面設定と「ねび」表現の関わり合いについても論の射程に入れた上で、『源氏物語』という長い時間と男女の対面の場面の蓄積を内包する物語が、「ねび」表現の新しい意味を開拓することを明らかにし、物語が一連の表現に物語独自の意味を持たせた例として指摘する。
第Ⅲ部「第三部世界構築の方法」では、超越的な存在であった光源氏の亡き後の物語について取り扱う。物語はいかに光源氏の亡き後の物語世界を立ち上げ、薫という複雑な人物をめぐる物語を語り出していくのか―――第七章「父不在の薫―「かしづく」をめぐって―」は、光源氏や実父柏木を亡くし、冷泉院に可愛がられて育った薫の複雑な精神世界を「かしづく」という語から論じていく。『源氏物語』中の「かしづく」(複合動詞や「かしづき」などの名詞も含む)全181例を調査し、匂宮三帖において冷泉院が薫を「かしづく」ことの背景には、冷泉院が出生の秘密を知らずに薫を実父光源氏の忘れ形見と見ている可能性が高いことを指摘した。その上で、宿木巻では今上帝が薫を婿として「かしづく」ことに注目する。今上帝と薫は朱雀院という共通の祖を持つことから、平安貴族社会に見られるような舅が婿を「かしづく」関係を築くことができることを指摘し、薫という複雑な人物を「親」との関係から論じている。この章は、第Ⅱ部の問題意識を共有しつつ、薫を主人公の一人に据える第三部世界がいかに語られているか論じるものである。
第八章「続篇における六条院世界の変容について―匂兵部卿巻賭弓の還饗を中心に―」は、続篇最初の巻である匂兵部卿巻の中の唯一の場面である賭弓の還饗において、六条院が「仏の国」と表現されることに注目し、光源氏亡き後の六条院世界がいかなるものか論じている。正編では、六条院は「生ける仏の御国」と形容され、男踏歌という宮中行事を行うことによって、光源氏の王者性が示されていた。一方、続篇の六条院で行われた賭弓の還饗は、近衛大将が自邸で行うことが前提とされていることを史料調査から指摘、光源氏の亡き後の六条院は宮中行事を行う力などもはやなく、光源氏時代の王者性・卓越性が失われていることを明らかにした。その上で、宿木巻では夏の町に夕霧の六の君の婿として匂宮が迎え入れられることに着目し、第三部世界の六条院世界がいわゆる「摂関家」的な繁栄の場に変質したことを論じる。
第九章「宿木巻の藤花宴―史実と物語―」では、薫を今上帝の婿として歓待する宿木巻の藤花宴を取り上げ、史実からの文脈と物語内部の文脈の双方から読み解いていく。作品成立以前の史上の藤花宴の開催例を全て調査し、後宮居所(藤壺など)で行われた場合、藤花宴は帝と姻戚関係を結んだ藤原氏一門との紐帯を世に示す場であったことを推定した。その上で、宿木巻の藤花宴は、帝の婿となった薫が歓待されていることから、史上の藤花宴に見られる帝―后妃―藤原氏という姻戚関係が、『源氏物語』では帝―皇女―その婿という姻戚関係に変奏されていることを指摘した。その上で、『伊勢物語』『源氏物語』の藤花宴の例とも比較し、物語の文脈からも宿木巻の藤花宴を捉え直す。先行する物語の中の藤花宴は、藤原氏が婿を招く場であり、〈藤〉が藤原氏の氏姓を寓するものであることから、薫という藤原氏の血脈を密かに継ぐ人物を帝の婿として招く宴として、物語は藤花宴を仮構したことを明らかにした。
以上の計九章は、歴史を踏まえ物語を分析していくだけでなく、物語内部の論理からも物語の構造や表現を考究するものである。本学位申請論文は総体として、歴史と物語の双方との対照から物語を考究する新たな研究手法の構築を模索している。