本研究は、『万葉集』の挽歌および、集中の長歌・歌群の制作方法について考えるものである。全体は、第一部「『万葉集』挽歌のミチ」、第二部「『万葉集』挽歌の死去表現」、第三部「長歌・歌群の方法」の全三部の計九章、および、序論「死と歌をめぐって」、結語「『万葉集』における死と歌」からなる。
序論「死と歌をめぐって」は、人間の死と『万葉集』の「挽歌」について、予備的な考察を行う。第一節「人間の死」では、人間の生死をめぐる先行の諸論を参照しつつ、人間の死が、当事者として経験することの不可能性、現象としての不可逆性を持つことを確認する。それゆえに死は、生者にとって喪失や別離として経験され、不条理性を感じさせるが、死者の作りあげたものや死者をめぐる記憶と無縁に生きることは困難であり、そうした状況が死なる事象の特異性を構成していると考える。第二節「『万葉集』の「挽歌」」では、『万葉集』中で歌の分類を示す「挽歌」なる語の指示する範囲が、漢籍におけるそれと異なっていることを指摘したうえで、自傷歌や臨死歌も含めて、生者の立場から死者あるいは死を思うのが集中の「挽歌」であるとする見方を提起する。
第三節「様式と修辞」では、『万葉集』の歌々においては、序詞や枕詞、恋の歌に多く見える類句、同一句のみならず、さまざまな「様式」が存在し、そのなかでも、五音・七音を基本とする定型が根源的な様式であることを指摘する。それによって、既存の歌から言葉を取捨選択し、配置を変更することで新たな歌を作ることが可能になったと見て、そうした様式性を打ち破りつつ、新たな様式を形成してゆくものとして「修辞」を位置づけることを試みる。
以上をふまえて、第一部および第二部では、『万葉集』の「挽歌」の諸表現の分析を通じて、その解釈や背景となる発想を考察し、第三部「長歌・歌群の方法」では、長歌一首、歌群一個を構築するにあたっての修辞技術や方法意識を明らかにしてゆく。
第一部「『万葉集』の挽歌のミチ」は全三章で、挽歌におけるミチについて、具体的な作品の分析を通じて考察する。第一章「挽歌的表現のミチとイヘ」は、山上憶良「日本挽歌」(5・七九四~九)において「家離る」の語(七九四)が奈良の家を離れることと死にゆくこととを同時に示しえていることに着目し、家郷を離れて旅ゆくことと、生から死へと移行してゆくこととを、ともにイヘ(家)を離れてミチ(道)をゆくと表現する、挽歌的な発想の存在を指摘する。さらに、『懐風藻』の大津皇子の臨終詩の死をめぐる表現に見える「離家」の語の背景にも同様の発想があったと考える。
挽歌的なミチ・イヘの表現について総論的に述べた第一章を受けて、第二・三章ではその見方を具体的な作品の読解につなげることを試みる。第二章「高市皇子「十市皇女挽歌」第三首の表現」は、「山吹の立ちよそひたる山清水」(2・一五六)の句が「黄泉」を含意するという通説的理解を批判し、人知れず山吹の花の咲く水の聖地の表現ととらえる。三輪山の神事と清水を汲む行為との関係、薨去時の十市皇女の立場から、同歌は水を汲む皇女の姿を想像し、それを追ってゆきたいという高市皇子の思慕の表現として読みうることを述べる。
第三章「柿本人麻呂「泣血哀慟歌」第一歌群の展開」は、同歌群(2・二〇七~九)にミチ(チ)の語が頻出することに注目して、作中の「われ」の行動と心情を読み解く。使者の言に接して以降、妻は「軽の路」にいるという確信が揺らぎ、そのゆえにかえって「軽の市」で妻の声や姿を求め(二〇七)、「山道」へと妻を求めようとする(二〇八)。ミチは異郷や死への経路でありつつ、思慕の対象へ至るための経路でもあり、その両義性が同歌群の実況的な叙述の一貫性を支えていることを指摘する。
第二部「『万葉集』挽歌の死去表現」は全三章で、「過ぐ」「宿る」などを「死ぬ」を言い換えた「敬避表現」ととらえる見方を批判的に検討しつつ、それぞれの用例の歌中、歌群中における意味を再考する。
第四章「挽歌的表現の「過ぐ」―柿本人麻呂「献呈挽歌」を中心に」は、挽歌における死をめぐる表現に登場する「過ぐ」は、移動、消滅、形状の変化などさまざまな意味を示すことがあり、「死ぬ」に換言できない内実を持つと考えられるが、人麻呂関係歌においてはその意味するところの差異が明確に意識され、利用されていたことを指摘する。「献呈挽歌」(2・一九四~五)では、反歌(一九五)結句の本文「過ぎゆく」と異伝「過ぎぬ」の差異にそれがあらわれており、その点から長歌をも含めた叙述が、本文と異伝で異なる文脈、異なる「君」の像を描き出していることを示す。
第五章「大伴坂上郎女「尼理願挽歌」の構造」は、同歌群(3・四六〇~一)における尼理願の行動の表現に注目しつつ、作者から石川命婦に贈られたことの意義を考える。理願の行動は、新羅から渡航し、佐保の山辺に定住し、大伴家の者たちの留守中に去ってゆくまでが一連のものとしてうたわれている。孤独で宗教的な情熱を持った理願の死を嘆く歌を贈ることには、仏教の教説が女を劣視しがちな状況下で、女同士の紐帯を確認、強化する意味もあったと考える。
第六章「遣新羅使人歌群「雪連宅満挽歌」の意義」は、同歌群(15・三六八八~九六)における「宿る」「別る」「ゆく」などに注目して、宅満の死が、新羅へと旅ゆく一行の移動に対する、宅満の壱岐の地での残留のようにうたわれている関係を明らかにする。さらに、遣新羅使人歌群(三五六七~七二二)全体において、一行の旅の様子に「ゆく」「宿る」が、家郷の妻との別れに「別る」が用いられてきたこととの関係から、家郷の妻たち、使人一行、宅満の関係が、二重の別離という構図を浮かびあがらせる。
第三部「長歌・歌群の方法」も全三章で、山上憶良、大伴家持らの挽歌的な作を題材として、一個の長歌・歌群制作における修辞技術、方法意識を考える。
第七章「山上憶良「日本挽歌」長反歌の構成」は、同歌群(5・七九四~九)が「家と旅」の構図(伊藤博)によって奈良の家と筑紫とを対比していることを確認したうえで、それ以前に例のない長反歌六首がいかに構成されたかを考える。長歌の結句「家離りいます」と第一反歌の初句「家に行きて」とは、「家」を離れ去ってしまった妻を嘆き、さらに自分ひとり「家」に行っても詮のないことをうたうことで連続性を持つ。同様に、第二~第五反歌は、直前の歌の内容を引き継ぎつつ、新たな展開を示すことによって、「嘆きの霧」をうたう第六首(七四九)へ至る展開が形成されていることを示す。
第八章「麻田陽春・山上憶良「熊凝哀悼歌」の展開」は、同歌群(5・八八四~九一)における大伴君熊凝の死をめぐる「過ぐ」「別る」「ゆく」「死ぬ」の表現に注目して、「過ぐ」を基調とする麻田陽春の二首(八八四~五)の発想から、これに「敬和」する憶良の漢文序および長反歌(八八六~九一)において「別る」を基調とする発想へと推移し、異郷にあって病を得て、家郷の父母と会えぬままの死を迎えるという状況が、長反歌六首によってより具体的かつ明確に述べられていることを指摘する。
第九章「大伴家持歌における歌句の連携的用法―「悲世間無常歌」の表現から」は、同歌群(19・四一六〇~二)の長歌(四一六〇)で「流る」の語が冒頭と末尾で異なる事柄を表していることに注目し、家持歌が池主歌からの触発によって、文脈上の意味を違えながらの同語反復の手法を開発した経緯を裏づける。さらに同歌群では、流れる水を思わせる表現がくり返されており、意味的にも形態的にも「世間無常」が表現されていることを指摘し、家持歌の特異な修辞意識の一斑を解明する。
結語「万葉集における死と歌」は、第一~三部における考察をふり返ったうえで、相聞歌に頻出する「死ぬ」の語と挽歌的な表現としての「過ぐ」「別る」などとの相違、「敬避」という概念の有効性などについて、今後の検討課題をあげる。
序論「死と歌をめぐって」は、人間の死と『万葉集』の「挽歌」について、予備的な考察を行う。第一節「人間の死」では、人間の生死をめぐる先行の諸論を参照しつつ、人間の死が、当事者として経験することの不可能性、現象としての不可逆性を持つことを確認する。それゆえに死は、生者にとって喪失や別離として経験され、不条理性を感じさせるが、死者の作りあげたものや死者をめぐる記憶と無縁に生きることは困難であり、そうした状況が死なる事象の特異性を構成していると考える。第二節「『万葉集』の「挽歌」」では、『万葉集』中で歌の分類を示す「挽歌」なる語の指示する範囲が、漢籍におけるそれと異なっていることを指摘したうえで、自傷歌や臨死歌も含めて、生者の立場から死者あるいは死を思うのが集中の「挽歌」であるとする見方を提起する。
第三節「様式と修辞」では、『万葉集』の歌々においては、序詞や枕詞、恋の歌に多く見える類句、同一句のみならず、さまざまな「様式」が存在し、そのなかでも、五音・七音を基本とする定型が根源的な様式であることを指摘する。それによって、既存の歌から言葉を取捨選択し、配置を変更することで新たな歌を作ることが可能になったと見て、そうした様式性を打ち破りつつ、新たな様式を形成してゆくものとして「修辞」を位置づけることを試みる。
以上をふまえて、第一部および第二部では、『万葉集』の「挽歌」の諸表現の分析を通じて、その解釈や背景となる発想を考察し、第三部「長歌・歌群の方法」では、長歌一首、歌群一個を構築するにあたっての修辞技術や方法意識を明らかにしてゆく。
第一部「『万葉集』の挽歌のミチ」は全三章で、挽歌におけるミチについて、具体的な作品の分析を通じて考察する。第一章「挽歌的表現のミチとイヘ」は、山上憶良「日本挽歌」(5・七九四~九)において「家離る」の語(七九四)が奈良の家を離れることと死にゆくこととを同時に示しえていることに着目し、家郷を離れて旅ゆくことと、生から死へと移行してゆくこととを、ともにイヘ(家)を離れてミチ(道)をゆくと表現する、挽歌的な発想の存在を指摘する。さらに、『懐風藻』の大津皇子の臨終詩の死をめぐる表現に見える「離家」の語の背景にも同様の発想があったと考える。
挽歌的なミチ・イヘの表現について総論的に述べた第一章を受けて、第二・三章ではその見方を具体的な作品の読解につなげることを試みる。第二章「高市皇子「十市皇女挽歌」第三首の表現」は、「山吹の立ちよそひたる山清水」(2・一五六)の句が「黄泉」を含意するという通説的理解を批判し、人知れず山吹の花の咲く水の聖地の表現ととらえる。三輪山の神事と清水を汲む行為との関係、薨去時の十市皇女の立場から、同歌は水を汲む皇女の姿を想像し、それを追ってゆきたいという高市皇子の思慕の表現として読みうることを述べる。
第三章「柿本人麻呂「泣血哀慟歌」第一歌群の展開」は、同歌群(2・二〇七~九)にミチ(チ)の語が頻出することに注目して、作中の「われ」の行動と心情を読み解く。使者の言に接して以降、妻は「軽の路」にいるという確信が揺らぎ、そのゆえにかえって「軽の市」で妻の声や姿を求め(二〇七)、「山道」へと妻を求めようとする(二〇八)。ミチは異郷や死への経路でありつつ、思慕の対象へ至るための経路でもあり、その両義性が同歌群の実況的な叙述の一貫性を支えていることを指摘する。
第二部「『万葉集』挽歌の死去表現」は全三章で、「過ぐ」「宿る」などを「死ぬ」を言い換えた「敬避表現」ととらえる見方を批判的に検討しつつ、それぞれの用例の歌中、歌群中における意味を再考する。
第四章「挽歌的表現の「過ぐ」―柿本人麻呂「献呈挽歌」を中心に」は、挽歌における死をめぐる表現に登場する「過ぐ」は、移動、消滅、形状の変化などさまざまな意味を示すことがあり、「死ぬ」に換言できない内実を持つと考えられるが、人麻呂関係歌においてはその意味するところの差異が明確に意識され、利用されていたことを指摘する。「献呈挽歌」(2・一九四~五)では、反歌(一九五)結句の本文「過ぎゆく」と異伝「過ぎぬ」の差異にそれがあらわれており、その点から長歌をも含めた叙述が、本文と異伝で異なる文脈、異なる「君」の像を描き出していることを示す。
第五章「大伴坂上郎女「尼理願挽歌」の構造」は、同歌群(3・四六〇~一)における尼理願の行動の表現に注目しつつ、作者から石川命婦に贈られたことの意義を考える。理願の行動は、新羅から渡航し、佐保の山辺に定住し、大伴家の者たちの留守中に去ってゆくまでが一連のものとしてうたわれている。孤独で宗教的な情熱を持った理願の死を嘆く歌を贈ることには、仏教の教説が女を劣視しがちな状況下で、女同士の紐帯を確認、強化する意味もあったと考える。
第六章「遣新羅使人歌群「雪連宅満挽歌」の意義」は、同歌群(15・三六八八~九六)における「宿る」「別る」「ゆく」などに注目して、宅満の死が、新羅へと旅ゆく一行の移動に対する、宅満の壱岐の地での残留のようにうたわれている関係を明らかにする。さらに、遣新羅使人歌群(三五六七~七二二)全体において、一行の旅の様子に「ゆく」「宿る」が、家郷の妻との別れに「別る」が用いられてきたこととの関係から、家郷の妻たち、使人一行、宅満の関係が、二重の別離という構図を浮かびあがらせる。
第三部「長歌・歌群の方法」も全三章で、山上憶良、大伴家持らの挽歌的な作を題材として、一個の長歌・歌群制作における修辞技術、方法意識を考える。
第七章「山上憶良「日本挽歌」長反歌の構成」は、同歌群(5・七九四~九)が「家と旅」の構図(伊藤博)によって奈良の家と筑紫とを対比していることを確認したうえで、それ以前に例のない長反歌六首がいかに構成されたかを考える。長歌の結句「家離りいます」と第一反歌の初句「家に行きて」とは、「家」を離れ去ってしまった妻を嘆き、さらに自分ひとり「家」に行っても詮のないことをうたうことで連続性を持つ。同様に、第二~第五反歌は、直前の歌の内容を引き継ぎつつ、新たな展開を示すことによって、「嘆きの霧」をうたう第六首(七四九)へ至る展開が形成されていることを示す。
第八章「麻田陽春・山上憶良「熊凝哀悼歌」の展開」は、同歌群(5・八八四~九一)における大伴君熊凝の死をめぐる「過ぐ」「別る」「ゆく」「死ぬ」の表現に注目して、「過ぐ」を基調とする麻田陽春の二首(八八四~五)の発想から、これに「敬和」する憶良の漢文序および長反歌(八八六~九一)において「別る」を基調とする発想へと推移し、異郷にあって病を得て、家郷の父母と会えぬままの死を迎えるという状況が、長反歌六首によってより具体的かつ明確に述べられていることを指摘する。
第九章「大伴家持歌における歌句の連携的用法―「悲世間無常歌」の表現から」は、同歌群(19・四一六〇~二)の長歌(四一六〇)で「流る」の語が冒頭と末尾で異なる事柄を表していることに注目し、家持歌が池主歌からの触発によって、文脈上の意味を違えながらの同語反復の手法を開発した経緯を裏づける。さらに同歌群では、流れる水を思わせる表現がくり返されており、意味的にも形態的にも「世間無常」が表現されていることを指摘し、家持歌の特異な修辞意識の一斑を解明する。
結語「万葉集における死と歌」は、第一~三部における考察をふり返ったうえで、相聞歌に頻出する「死ぬ」の語と挽歌的な表現としての「過ぐ」「別る」などとの相違、「敬避」という概念の有効性などについて、今後の検討課題をあげる。