韓国史において大韓帝国期(1897年~1910年)は、甲午改革期から続く近代への転換期として位置づけられる。すなわち、この時期は、19世紀末から20世紀初頭にかけての政治・社会的変動および国際関係の大きな変化にともない、近代化の進展に直面した時代であった。1897年10月、朝鮮王朝最後の国王である高宗は、中国に対する事大関係を終結させ、日清戦争後に強まった日本の影響力からの脱却を図るため、大韓帝国の成立を宣言した。これにより、大韓帝国は自主独立の皇帝国として成立し、西洋の文物を受け入れつつ、法律・制度の整備、教育、外交など多方面にわたる全面的な改革を試みた。最終的には、立憲主義的な国家構造を完全な形で整備するには至らなかったものの、前近代的な王朝国家体制を脱し、近代的な官僚制度や新式の軍事制度への転換を模索したという点において、大韓帝国期は韓国史の中でも極めて重要な意義を有する時代であったといえよう。

 本稿で主に扱う対象時期である1894年から1910年は、韓国において近代の始まりとされる甲午改革と大韓帝国の成立、そして日韓併合へと至るまで、近代史上最もダイナミックな変化が生じた時期である。特に、甲午改革期を起点として、政治的・軍事的な制度が制定されていく過程に際しては、東アジアの近隣国であり、すでに明治維新による近代化を経験していた日本の制度が多く参照されることになった。本稿では、国家政治の根幹をなす官僚制度の変化が大韓帝国期においてどのような様相を示したのかを主な検討対象とした。大韓帝国期における官僚・軍事・栄典という三つの制度は、当時の大韓帝国の政治体制を構成する最も重要な要素であり、それゆえに日本の干渉を最も強く受け、変容を余儀なくされたものであった。

 それらの変容をめぐって、大韓帝国が日本からの干渉にいかに対峙していったのか、その過程を解きほぐすことによって、大韓帝国の個性(独自性・特殊性)を明らかにすることができるのではないだろうか。かかる問題意識に基づき、本稿では制度史という側面から、大韓帝国の統治システムの核心をなした官僚・軍事・栄典という三つの制度の変遷を検討した。本稿は、以下のように、序論・本論(三部七章)・結論から成る。

 第一部 近代官僚制度への移行と任命文書の変遷
  第一部では、甲午改革期以後から大韓帝国期に至る官僚制度全体の変遷の中で、それに伴って生じた、官僚制度において重要な位置を占めた任命文書の変遷過程を描き出した。
  第一章「甲午改革期の官制変化と「任官誥」の施行」では、大韓帝国の官僚制度および文書制度の基盤が確立される甲午改革期における官僚制度の整備を検討し、その中で、朝鮮時代に官僚へ発給された任命文書である「告身」が帯びていた過渡的性質と、そこから新文書式である「任官誥」の制定に至る過程を明らかにした。
  第二章「大韓帝国期における官僚制度と誥命文書」では、「任官誥」の制定以後、それに基づいて大韓帝国期の「官誥」「官牒」が定着していく過程を明らかにするとともに、1905年末頃における親任官官等の新設の経緯を、誥命文書および日本の親任官制度との対照・分析を通じて解明した。
  第三章「大韓帝国期後期の官僚制度と官誥・官牒の変化」では、「任官誥」が1907年に「官誥式様」へと改定された経緯、および日韓併合に至るまでに発給された文書の実例を分析し、1904年以降、日本の影響力が増大する中で、官僚制度のみならず文書制度までもが日本に由来する制度へと組み込まれていく過程を明らかにした。

 第二部 元帥府の成立と1904年以後の軍制改定
  第二部では、大韓帝国期における軍事制度の中核をなした元帥府の性格を究明し、その解体および大韓帝国軍隊の解散に至るまでの過程において、日本の軍事制度が移植されていった様相を解明した。
 第一章「大韓帝国の元帥府成立と運用―明治日本の元帥府との比較検討―」では、両国における元帥府創設の目的と運用面における相違に着目し、伝統的な専制主義体制下における軍令権の概念と、近代的な業務分掌および伝達体系を複合的に体現した大韓帝国期元帥府の性格を明らかにした。
  第二章「元帥府の解体と軍制改革」では、近代日本が陸軍省から参謀本部と教育総監部の二機関を分離し、軍政・軍令・教育の三元化を実施した経験が、1904年における大韓帝国の元帥府廃止にどのように反映されたのかを分析した。さらに、大韓帝国元帥府に集中していた統帥権の分離を模索し、その運用の効率化を図ろうとした点も指摘した。

 第三部 大韓帝国期における栄典制度
  第三部では、官僚と軍事を合わせて近代的制度の一つとして位置づけられた、勲章・爵位・追贈から成る栄典制度について検討した。
  第一章「大韓帝国の勲章制度について」では、勲章の起源と大韓帝国勲章に影響を与えた日露両国の勲章制度を取り上げ、日露の関係と情勢変化の中で展開した大韓帝国勲章の創設過程とその議論を考察した。
  第二章「爵位制度の変化様相」では、爵位に関する日韓両国の制度的な変遷について言及するとともに、大韓帝国の皇室と官僚が「朝鮮貴族令」を通じて日本の近代的爵位制度に編入されていく過程を明らかにした。また、朝鮮時代から受け継がれてきた栄典制度の一つである追贈についても分析した。

 大韓帝国期は、韓国の近代史において、前近代から近代への移行という大きな転換期に直面した時代であった。各種制度の近代的整備が実施された甲午改革が、日本および親日勢力の影響のもとで行われた改革であったという点において、その延長線上にある大韓帝国の正当性や自主性に対して否定的な見方が成り立ちうることも否定できない。しかしながら、本稿の分析が示したように、国家統治に付随する官僚・軍事・栄典の諸制度においては、国内的には事大主義の終焉を通じた自主的意識の存在が、そして対外的には、万国共通の潮流に基づく近代的制度整備への志向が確認される。日露戦争における日本の勝利によって、韓国に対する日本の権益が西欧列強に黙認されると、大韓帝国は日本によって保護国化され、最終的には併合に至った。しかし、それに先立って存在した大韓帝国の官僚・軍事・栄典に関する諸制度は、皇帝国としての独立を自覚しつつ制定されたものであり、同時に日本からの圧力に対抗する手段としての性格も併せ持っていたといえよう。

 このように、大韓帝国の諸制度は、皇帝国としての独立国であるという意識に基づいて制定されたものであり、ひいては日本の圧力に対する抵抗であると同時に、国権の意志を体現する象徴ともなった。本稿では、以上の検討を通じて、韓国史における大韓帝国期という時代の歴史的意義が、制度にあらわれた自立性・主体性・独自性の発露に存していたことを明らかにし た。