この博士論文は、台湾の先住民語であるアミ語を記述言語学および類型学の視点から研究したもので、音韻論、形態論、統語法、言語類型論といった広い分野をカバーしている。
 第1章では、アミ語の基本的な情報を紹介し、文法を概説している。アミ語は台湾のオーストロネシア語族に属し、アミ族の民族人口は約20万人であるが、そのうちの年配者しか流暢に話すことができないことから、話者人口は数万人を超えない。アミ語には母音4つ、子音17個の21の音素がある。様々な接辞を持ち、語根や語基に複数の接辞を付加することによって様々な語形成を行う。基本的に文頭に述部が来る。その他の「フィリピン型言語」と同様「焦点システム」と呼ばれる態の体系を持っている。名詞、動詞の区別は設定可能であるが、形容詞という品詞を設定する必要はない。方言間の違いは主に語彙的、音韻的なものである。そのほか、名詞類の格には主格、対格、属格、所有格がある。語句や節を連結する際は「繋辞(リンカー)」と呼ばれる語を用い、動詞連続、従属節、様態・引用構文などの様々な構文を作る。この章における文法の概観が、後続の章でのアミ語文法とその類型の詳細な分析の基盤となっている。
 第2章では、アミ語の声門閉鎖音を扱う。アミ語の声門閉鎖音は長らく音素として扱われてきた。しかし、本論文では主に二つの理由に基づいて、それを音素とみなすべきではないと主張する。第一に、声門閉鎖音の発生は語根境界や二つの母音の間で予測可能であり、その場合に挿入される音として [w]、[j]、に加えて声門閉鎖音が現れるため、この位置における声門閉鎖音は挿入規則により説明することができる。第二に、子音に隣接する声門閉鎖音は、他の音素、すなわち喉頭咽頭閉鎖音の異音として分析することができる。喉頭咽頭閉鎖音は声門閉鎖音と音価が似ているため以前は混同されることもあったが、現在では異なる音価を持つ別の音であることが示されている。声門閉鎖音と喉頭咽頭閉鎖音の分布を分析することで、子音に隣接する声門閉鎖音と他の位置の喉頭咽頭閉鎖音は相補分布をなしており、同一の音素の異音であると捉えることができる。いくつかの単語の再建形もこの分析を支持しており、子音に隣接する声門閉鎖音と喉頭咽頭閉鎖音の両方がオーストロネシア祖語で*qとして再構成されている。このことは、この位置の声門閉鎖音がもともと喉頭咽頭閉鎖音だった可能性を示唆している。この分析に沿わない例が先行研究で報告されているが、フィールドワークから得たデータに基づくと、これらの例は本論文の分析と矛盾しない。一方、分析に問題を提起する単語が2つだけ見つかっており、これらは子音に隣接する位置であるにも関わらず声門閉鎖音ではなく喉頭咽頭閉鎖音が見つかっている。声門閉鎖音が音素ではないという主張には問題を生じないものの、これらがなぜ例外的に声門閉鎖音となっていないのかはさらなる調査が必要である。
 第3章では、アミ語における接辞、接語、語の分類について議論する。アミ語では、語は次の二つの特徴によって定義される:(1) 独自のアクセントを持つこと、(2) 単独で発話可能であること。また、接語と接辞の違いは次の三つの基準によって定義される:(1) 接語は様々な形態素に付着するが、接辞は特定の形態素にのみ付着する、(2) 接語は必ずしも語の音韻規則に従わない、(3) 接語は付属しても予測不可能または恣意的な意味を生じさせないが、接辞はそうである場合がある。これらの基準をいくつかの形態素に適用し、以前の研究で語として扱われていた形態素のいくつかを接語または接辞として分析する。分析される形態素には、格標識のko=、to=、no=、o=、i-、nai-、ci-、ni-、ci-...-an、ca-、na-、ca-...-an、相標識の=toおよび=ho、様式および引用標識の=saおよび=han、所有代名詞の=ako、=iso、=itaが含まれる。定義によれば、これらの形態素の中には ci や i などこれまでは語として扱われてきたものもあるが、本研究の基準ではそのいずれも接語または接辞として分析される。様々な形態素を分析することで、アミ語においては語から接語、接辞への連続体が存在することが明らかになった。
 第4章では、アミ語の三項動詞について取り扱い、アミ語の以下の八つの動詞を分析した:[1] pakafana'「教える」、[2] panengneng「見せる」、[3] pafeli'「与える」、[4] feli'「与える」、[5] pacaliw「貸す」、[6] caliw「借りる」、[7] pa'aca'「売る」、[8] 'aca'「買う」。これらの動詞は生産的使役構文から三項動詞、二項動詞への連続体に位置付けられる。統語論的な観点からは動詞[1]から[5]は三項動詞であり、[6]、[7]、および[8]は二項動詞である。形態論的には三項動詞の中で[1]は生産的使役に近く、二項動詞の中で[6]は三項動詞に近い。したがって、これらの動詞は「生産的使役 - [1] - [2] [3] [4] [5] - [6] - [7] [8]二項動詞」という連続体を形成する。三項動詞と二項動詞の区別は「受取人」名詞句の意味的重要性などから生じていると考えられる。
第5章では、アミ語の態接辞のうち一部を取り上げ、その接辞群と他動性、動作主・被動者性について議論している。アミ語は、フィリピン型言語の特徴を持つ複雑な態システムを有している。この章の第一の目的は、これらの接辞の意味の特徴、特に時制および相の特徴について記述することである。第二の目的は、他動性、動作主・被動者性の概念に基づいて以下の階層を提案することである。
  他動的  自発的  状態の  非意図的  他動的
  動作主  動作主  経験者   被動者    被動者
  ←――――――――――――――――――――――→
  動作主的他動性           被動者的他動性

この階層を利用することで、アミ語における動詞の態の接辞の分布を明確に示すことができる。この階層は、これまで「高い・低い」の1方向で考えられてきた他動性を2方向に拡張したものであり、かつ「状態の経験者」などの部分に他動性ではなく「自動性(自動詞性)」の概念も含んでいるものである。
 第6章では、能格性について取り扱い、アミ語が能格言語であるという主張の妥当性を検討する。まずはLiao (2004) における能格性の定義および「能格性は現実に存在しない抽象概念である」という考えに基づいて「原型的な能格性」を定義する。その後、その定義に基づいてアミ語の分析を行った結果、以下のことが判明する:[1] 動詞の形態的標示:AVもPVも無標ではない。[2] 対話における頻度:AVとPVはおおよそ同じくらい頻繁である。[3] 広範な分布:分布に差はなく、AVとPVはどちらも命令文で使用することができる。[4] 早期習得:アミ語が危機に瀕している言語であるため調査することはできない。[5] 生産的および規則的なパターン形成:AVとPVはどちらも生産的で規則的である。[6] 他動性:AVもPVも「特定の人を殺す」といった高い他動性の文を作ることができる。以上から、アミ語は能格言語と対格言語のちょうど中間に位置していると思われる。「アミ語は能格言語である」という主張は、能格性の定義をどこまで強くするかにかかわっているのであり、能格性の定義は強すぎず弱すぎず、ちょうどよい「便利」な強さの定義を目指すべきであると指摘する。
 第7章では、アミ語の統語論について議論する。この章では、アミ語の様々なリンキング構造を説明する。まず、名詞連結、動詞連結、および様態・引用構文の三つのカテゴリに分類する。名詞連結には名詞の並置と関係節が含まれる。動詞連結には動詞連続、従属節、二種類の副詞節、および並列が含まれる。様態・引用構文は、終助詞 =sa、=hanおよびその変種によって形成される構造である。様態・引用構造は重要だがあまり議論されていないアミ語の構造であり、動作の様態、付帯状況、引用、または対比(「~については」)などを表す。