本研究は、都市空間に互いに見知らぬ人々が集まり、空間の用途を変革する現象を「広場的現象」の変革的局面として位置づけ、その成立メカニズムを明らかにする。
初期都市社会学(Simmel 1957=1976; Park 1915)は、互いに見知らぬ人々が集まり、計画を超えて独自の空間へ造りかえる過程として都市を動的に捉え、村落とは異なる都市の本質を見いだした。20世紀後半の資本主義的開発の中で、Lefebvre(1974=2000)などの新都市社会学は、人々が行政や資本に対抗して独自の空間を創りだす過程をマクロに論じ、「人々が独自の仕方で空間を変革する局面」としての都市に注目した。しかし、都市空間に働きかける主体として組織的な社会運動が前提とされ、都市の「互いに見知らぬ人々が同じ空間に共在する局面」は十分に深められなかった。
一方、Goffman(1963)などの相互行為研究が、人々が身体や服装を通じて無意識に行うコミュニケーションを主題化し、無自覚な協働による街路の秩序形成や、都市の見知らぬ他者との共存秩序の創出過程が議論された。これは、「互いに見知らぬ人々が同じ空間に共在する」局面としての都市に注目する研究群だったが、日常的な秩序が安定的に維持される局面が注目され、都市の「人々が独自の仕方で空間を変革する局面」は考慮されなかった。
「人々が独自の仕方で空間を変革する」局面と、「互いに見知らぬ人々が同じ空間に共在する」局面の重なり合いに位置する、「互いに見知らぬ人々が独自の仕方で都市空間を変革する」局面としての都市は、都市を見知らぬ人々の集まる空間として根本的に認識しつつ、空間が新たに変革される動的な過程に注目する点で、都市社会学の重要な問題領域だが、十分に分析されてこなかった。
盛り場論(吉見1987)や群衆論(中筋 2005)、広場論(Sand 2013; 南後 2016)、および近年の都市コモンズ論(Borch & Kornberger 2015)は、互いに見知らぬ人々が同じ都市空間に集まる中で独自の空間を立ち上げる過程を議論し、広場的現象の変革的局面に迫る視角を提示した先駆的研究だった。しかし、人々の能動的な空間使用を、人々の内面的意図や同時代の構造的背景に還元してしまい、分析視角の本来の有効性を発揮できていない。
本研究は、互いに見知らぬ人々が独自の仕方で空間を変革するという広場的現象の変革的局面を、組織的運動や時代背景構造に還元するのではなく、あくまで現場で人々の空間使用実践が交錯する中で、どのように既存の空間が変革され、想定外の独自の空間が創発的に生み出されるのかを分析する。なお、広場的現象という問題領域自体には履行的・抑圧的局面も含まれているが、本研究は以上の問題関心から特に変革的局面に注目する。
本研究は、従来研究では運動組織による空間変革過程か、互いに見知らぬ人々による安定的秩序に基づいた相互行為過程のいずれかとして分析されてきた3事例(1960年国会周辺の安保反対デモ・1969年新宿西口地下広場のフォーク集会・1980年前後の原宿歩行者天国)に注目し、実際には互いに見知らぬ人々の相互行為の中でどのように動的に空間が変革されたかを解明する。
空間の管理者がそこをどのような空間として設計・管理したか・人々が実際にその空間をどのように使用したか・互いに見知らぬ人々が空間の使い方をどのように変革したかを分析する。人々の空間変革を、意図や時代背景に還元せずに現場での使用実践の交錯から分析するため、互いに見知らぬ人々が近接する中で展開される身体的な相互行為に注目する。人々が相互の身体を「感受・触知」する関係(中筋 2005)の中で、空間の用途が変革され、独自の空間が創出される過程を分析する。史料として、当時の新聞記事や雑誌、ミニコミ誌、当事者の手記、警察資料などの文献や、ドキュメンタリー映画やテレビ番組などの映像を用いる。
1960年安保闘争は組織的社会運動による都市空間の占拠として位置づけられてきたが、実は安保反対デモは、互いに見知らぬ人々の相互行為の中ではじめて可能になった過程だった。沿道で孤立した無党派層の傍観者たちは、デモ参加者との身体的相互作用を経てデモに参加した。身近な服装や外見の人々が集まる状態が生み出されたことで、人々は主権者や臆病者としての主体性を遂行し、交通空間を政治的発信・連帯の空間に変革できた。また、デモが露天商や見物人も集まる祝祭的なイベントだったからこそ、人々は都市の所有者としての主体性を遂行し、交通・消費空間を都市居住者の連帯の空間に変革できた。これは、互いに見知らぬ人々が車道と沿道に近接する中で身体的に相互作用する中で、交通空間が政治的発信・連帯のための空間に変革され、都市居住者の連帯のための空間が創り出された広場的現象だった。
1969年の新宿西口フォーク集会は、反戦運動による空間占拠か新宿特有の秩序に基づく相互行為のいずれかとして説明されてきたが、実は互いに見知らぬ人々の相互行為によって生み出された現象だった。本来は孤立した通勤・買い物客の通行のための空間だった地下広場は、互いに見知らぬ通行人や運動家が政治的議論を繰り広げる空間に変革された。さらにそこに他の運動家たちが集まることで、誰も意図しなかった創発的な過程として、地下広場に政治的公共性を体現する空間が創出された。これは、互いに見知らぬ人々が討論の輪の内外で身体的に相互作用することで、交通空間が政治的議論のための空間に変革され、政治的公共性を体現する空間が創り出された広場的現象だった。
1980年前後の原宿での歩行者天国は、互いに見知らぬ若者たちが消費社会的秩序に規定されながら日常的に群れ集った事例とされてきたが、実は都市空間を変革する過程でもあった。本来の原宿は、人々が話題の服飾店や飲食店で消費し洗練性を競争する相互作用が秩序づけられた商業空間だった。しかし竹の子族は限られた経済力で差異の競演に参加するため、他者の振る舞いを模倣して路上で踊る行動形態を展開し、差異の競演という相互行為秩序を弛緩させた。これは、互いに見知らぬ若者たちが路上で近接する中で身体的に相互作用することで、買い物や飲食を通じて洗練性をアピールするための空間が変革され、ストリートパフォーマーたちが巧拙を問わず雑多な演目を披露する空間が創り出された広場的現象だった。
本研究は、人々の空間的近接の中で展開された想定外の相互行為によって都市空間が変革され、さらにその空間で人々による想定外の相互行為が展開され、再び都市空間が変革されるという循環関係を解明した。空間的近接によって形成される社会関係に注目し、かつその社会関係によって空間が創出される過程を捉えるという意味で、社会と空間の関係を問う都市社会学の基底的問いに迫る議論である。広場的現象の問題領域は、社会学・人類学・工学分野研究へのインパクトはもちろん、現代都市の観察手法や空間における抑圧の問題系の発展にも寄与する広がりをもつ。
文献
Borch & Kornberger, 2015, “Introduction: Urban Commons,” Christian Borch & Martin Kornberger eds., Urban Commons: Rethinking the City, London: Routledge, 1-21.
Goffman, Erving, 1963, Behavior in Public Places: Notes on the Social Organization of Gatherings, New York: Free Press.
Lefebvre, Henri, 1974, La Production de l’espace, Paris: Editions Anthropos.(斎藤日出治訳,2000,『空間の生産』青木書店.)
中筋直哉,2005,『群衆の居場所――都市騒乱の歴史社会学』新曜社.
南後由和,2016,「商業施設に埋蔵された『日本的広場』の行方――新宿西口地下広場から渋谷スクランブル交差点まで」三浦展・藤村龍至・南後由和編『商業空間は何の夢を見たか――1960~2010年代の都市と建築」平凡社,67-166.
Park, Robert Ezra, 1915, “The City: Suggestion for the Investigation of Human Behavior in the Urban Environment,” American Journal of Sociology, 20(5): 577-612.
Sand, Jordan, 2013, Tokyo Vernacular: Common Spaces, Local Histories, Found Objects, Berkeley: University of California Press.
Simmel, Georg, 1957, Brücke und Tür: Essays des Philosophen zur Geschichte, Religion, Kunst und Gesellschaft, Margarete Susmann & Michael Landmann eds., K. F. Koehler.(酒田健一・熊沢義宣・杉野正・居安正訳,1976,『ジンメル著作集12』白水社.)
Wirth, Louis, 1938, “Urbanism as a Way of Life,” American Journal of Sociology, 44(1): 1-24.
吉見俊哉,1987,『都市のドラマトゥルギー――東京・盛り場の社会史』弘文堂.
初期都市社会学(Simmel 1957=1976; Park 1915)は、互いに見知らぬ人々が集まり、計画を超えて独自の空間へ造りかえる過程として都市を動的に捉え、村落とは異なる都市の本質を見いだした。20世紀後半の資本主義的開発の中で、Lefebvre(1974=2000)などの新都市社会学は、人々が行政や資本に対抗して独自の空間を創りだす過程をマクロに論じ、「人々が独自の仕方で空間を変革する局面」としての都市に注目した。しかし、都市空間に働きかける主体として組織的な社会運動が前提とされ、都市の「互いに見知らぬ人々が同じ空間に共在する局面」は十分に深められなかった。
一方、Goffman(1963)などの相互行為研究が、人々が身体や服装を通じて無意識に行うコミュニケーションを主題化し、無自覚な協働による街路の秩序形成や、都市の見知らぬ他者との共存秩序の創出過程が議論された。これは、「互いに見知らぬ人々が同じ空間に共在する」局面としての都市に注目する研究群だったが、日常的な秩序が安定的に維持される局面が注目され、都市の「人々が独自の仕方で空間を変革する局面」は考慮されなかった。
「人々が独自の仕方で空間を変革する」局面と、「互いに見知らぬ人々が同じ空間に共在する」局面の重なり合いに位置する、「互いに見知らぬ人々が独自の仕方で都市空間を変革する」局面としての都市は、都市を見知らぬ人々の集まる空間として根本的に認識しつつ、空間が新たに変革される動的な過程に注目する点で、都市社会学の重要な問題領域だが、十分に分析されてこなかった。
盛り場論(吉見1987)や群衆論(中筋 2005)、広場論(Sand 2013; 南後 2016)、および近年の都市コモンズ論(Borch & Kornberger 2015)は、互いに見知らぬ人々が同じ都市空間に集まる中で独自の空間を立ち上げる過程を議論し、広場的現象の変革的局面に迫る視角を提示した先駆的研究だった。しかし、人々の能動的な空間使用を、人々の内面的意図や同時代の構造的背景に還元してしまい、分析視角の本来の有効性を発揮できていない。
本研究は、互いに見知らぬ人々が独自の仕方で空間を変革するという広場的現象の変革的局面を、組織的運動や時代背景構造に還元するのではなく、あくまで現場で人々の空間使用実践が交錯する中で、どのように既存の空間が変革され、想定外の独自の空間が創発的に生み出されるのかを分析する。なお、広場的現象という問題領域自体には履行的・抑圧的局面も含まれているが、本研究は以上の問題関心から特に変革的局面に注目する。
本研究は、従来研究では運動組織による空間変革過程か、互いに見知らぬ人々による安定的秩序に基づいた相互行為過程のいずれかとして分析されてきた3事例(1960年国会周辺の安保反対デモ・1969年新宿西口地下広場のフォーク集会・1980年前後の原宿歩行者天国)に注目し、実際には互いに見知らぬ人々の相互行為の中でどのように動的に空間が変革されたかを解明する。
空間の管理者がそこをどのような空間として設計・管理したか・人々が実際にその空間をどのように使用したか・互いに見知らぬ人々が空間の使い方をどのように変革したかを分析する。人々の空間変革を、意図や時代背景に還元せずに現場での使用実践の交錯から分析するため、互いに見知らぬ人々が近接する中で展開される身体的な相互行為に注目する。人々が相互の身体を「感受・触知」する関係(中筋 2005)の中で、空間の用途が変革され、独自の空間が創出される過程を分析する。史料として、当時の新聞記事や雑誌、ミニコミ誌、当事者の手記、警察資料などの文献や、ドキュメンタリー映画やテレビ番組などの映像を用いる。
1960年安保闘争は組織的社会運動による都市空間の占拠として位置づけられてきたが、実は安保反対デモは、互いに見知らぬ人々の相互行為の中ではじめて可能になった過程だった。沿道で孤立した無党派層の傍観者たちは、デモ参加者との身体的相互作用を経てデモに参加した。身近な服装や外見の人々が集まる状態が生み出されたことで、人々は主権者や臆病者としての主体性を遂行し、交通空間を政治的発信・連帯の空間に変革できた。また、デモが露天商や見物人も集まる祝祭的なイベントだったからこそ、人々は都市の所有者としての主体性を遂行し、交通・消費空間を都市居住者の連帯の空間に変革できた。これは、互いに見知らぬ人々が車道と沿道に近接する中で身体的に相互作用する中で、交通空間が政治的発信・連帯のための空間に変革され、都市居住者の連帯のための空間が創り出された広場的現象だった。
1969年の新宿西口フォーク集会は、反戦運動による空間占拠か新宿特有の秩序に基づく相互行為のいずれかとして説明されてきたが、実は互いに見知らぬ人々の相互行為によって生み出された現象だった。本来は孤立した通勤・買い物客の通行のための空間だった地下広場は、互いに見知らぬ通行人や運動家が政治的議論を繰り広げる空間に変革された。さらにそこに他の運動家たちが集まることで、誰も意図しなかった創発的な過程として、地下広場に政治的公共性を体現する空間が創出された。これは、互いに見知らぬ人々が討論の輪の内外で身体的に相互作用することで、交通空間が政治的議論のための空間に変革され、政治的公共性を体現する空間が創り出された広場的現象だった。
1980年前後の原宿での歩行者天国は、互いに見知らぬ若者たちが消費社会的秩序に規定されながら日常的に群れ集った事例とされてきたが、実は都市空間を変革する過程でもあった。本来の原宿は、人々が話題の服飾店や飲食店で消費し洗練性を競争する相互作用が秩序づけられた商業空間だった。しかし竹の子族は限られた経済力で差異の競演に参加するため、他者の振る舞いを模倣して路上で踊る行動形態を展開し、差異の競演という相互行為秩序を弛緩させた。これは、互いに見知らぬ若者たちが路上で近接する中で身体的に相互作用することで、買い物や飲食を通じて洗練性をアピールするための空間が変革され、ストリートパフォーマーたちが巧拙を問わず雑多な演目を披露する空間が創り出された広場的現象だった。
本研究は、人々の空間的近接の中で展開された想定外の相互行為によって都市空間が変革され、さらにその空間で人々による想定外の相互行為が展開され、再び都市空間が変革されるという循環関係を解明した。空間的近接によって形成される社会関係に注目し、かつその社会関係によって空間が創出される過程を捉えるという意味で、社会と空間の関係を問う都市社会学の基底的問いに迫る議論である。広場的現象の問題領域は、社会学・人類学・工学分野研究へのインパクトはもちろん、現代都市の観察手法や空間における抑圧の問題系の発展にも寄与する広がりをもつ。
文献
Borch & Kornberger, 2015, “Introduction: Urban Commons,” Christian Borch & Martin Kornberger eds., Urban Commons: Rethinking the City, London: Routledge, 1-21.
Goffman, Erving, 1963, Behavior in Public Places: Notes on the Social Organization of Gatherings, New York: Free Press.
Lefebvre, Henri, 1974, La Production de l’espace, Paris: Editions Anthropos.(斎藤日出治訳,2000,『空間の生産』青木書店.)
中筋直哉,2005,『群衆の居場所――都市騒乱の歴史社会学』新曜社.
南後由和,2016,「商業施設に埋蔵された『日本的広場』の行方――新宿西口地下広場から渋谷スクランブル交差点まで」三浦展・藤村龍至・南後由和編『商業空間は何の夢を見たか――1960~2010年代の都市と建築」平凡社,67-166.
Park, Robert Ezra, 1915, “The City: Suggestion for the Investigation of Human Behavior in the Urban Environment,” American Journal of Sociology, 20(5): 577-612.
Sand, Jordan, 2013, Tokyo Vernacular: Common Spaces, Local Histories, Found Objects, Berkeley: University of California Press.
Simmel, Georg, 1957, Brücke und Tür: Essays des Philosophen zur Geschichte, Religion, Kunst und Gesellschaft, Margarete Susmann & Michael Landmann eds., K. F. Koehler.(酒田健一・熊沢義宣・杉野正・居安正訳,1976,『ジンメル著作集12』白水社.)
Wirth, Louis, 1938, “Urbanism as a Way of Life,” American Journal of Sociology, 44(1): 1-24.
吉見俊哉,1987,『都市のドラマトゥルギー――東京・盛り場の社会史』弘文堂.