本論文では、日本語を母語とする子供たちが、主格主語・主格目的語・非対格動詞の内項(主語)を、大人と同様の統語的位置に配置し、適切に主語性を持つかどうかを実験的に調査した。本研究では、Chomsky(2000, 2001)の Probe-Goal 枠組みを採用し、日本語におけるこれら三つの主格の名詞句が、大人の文法知識ではTPの指定部が埋まっていなければならないという条件(EPP)を満たすために TPの指定部へ移動すると想定する。この点を踏まえ、子供の言語獲得を考察する。例えば、英語では虚辞が存在し、空主語現象を許さないため、英語を習得する子供にとってEPPの有効性を認識することは容易であろう。事実、英語を母語とする子供たちが比較的初期の段階からEPPを獲得している例も報告されている。一方、日本語は主要部終端言語であり、主格の名詞句が基底位置に留まっても語順には影響が生じない。さらに、日本語には虚辞が存在せず、空主語現象が許容されるため、EPPを満たす必要があるという明示的なインプットが与えられない。そのため、日本語において EPPが機能しているかどうかは、インプットのみに基づく限りでは不明瞭である。つまり、子供たちが受け取るインプットと、獲得すべき統語知識との間には大きな乖離があり、これは「刺激の貧困」に該当する。本研究の目的は、このような刺激の貧困の状況下において、子供たちが主格の名詞句に関してどの程度、大人と同様の知識を獲得できるのかを明らかにすることである。とりわけ、子供たちがインプットに頼らずTPの指定部に主格の名詞句を適切に配置できるかどうかを調べることは、EPPが普遍文法においてどのようなステータスを持っているかを探ることに直結する。特に近年では、EPPが普遍文法において普遍的に有効であるか否かが、大きな注目を集めている。本論文では、子供たちが主格目的語に対して誤って主語性を与えることがある一方で、上述のような刺激の貧困の環境下においても、一貫して主格の名詞句をTPの指定部に配置することを示す。この観察に基づき、本研究は EPPが普遍的に働いていることは普遍文法の原理のひとつであると主張する。
第1章では、まず日本語における大人の文法知識を概観し、本研究の問いをさらに深化させるために Han et al.(2007)および Goro(2007)の研究を取り上げる。従来の言語獲得に関する一般的な見解では、刺激の貧困状況下においても、ある言語の話者集団は共通の文法知識に到達すると考えられてきた。しかし、Han et al.(2007)と Goro(2007)は、それぞれ韓国語と日本語において、特定の文の解釈に関して母語話者の判断が二分されるという観察結果を示している。彼らは、この観察結果について、動詞の主要部移動の有無がインプットから直接確認できないため、最終的に母語話者がランダムにその有無を決定すると主張した。つまり、文法知識がひとつに収束しない原因は、インプットの不十分さにあると考えたのである。この点を本研究に適用すると、三種の主格名詞句の統語位置(移動)に関して話者の判断が二分されたとしても不思議ではない。なぜなら、主格名詞句は基底生成された位置に留まったとしても語順に影響を与えず、また、移動を引き起こす要因である EPPの存在自体もインプットから直接学習することができないからである。したがって、ある子供は EPPを満たすために名詞句を移動させる一方で、別の子供は移動を行わない、という二分が観察されたとしても自然なことであろう。しかしながら、本研究では、明示的なインプットがないにもかかわらず、以下で示すように子供たちは名詞句の移動に関して一貫して TP の指定部まで移動させていることが明らかになった。
第2章では、子供の主格主語の統語的位置について論じた。これまで、子供たちが主格主語を主語指向性のある「自分」の先行詞として許容することは示されてきたが、その統語的位置は明確にされていなかった。本研究では、この統語的位置を検証するために、否定文における選言詞「か」の解釈を用いた実験を行った。移動が生じた場合は、移動先で意味解釈を受けるという特性を利用するのである。また、Goro (2007)によれば、日本語を母語とする子供の場合、初期の「か」は英語の「or」と同様に肯定極性を欠いているため、発達段階の途中では大人とは異なって、「か」が否定の作用域で解釈され得ることが観察されている。言い換えれば、「か」は、対格目的語の位置など否定の作用域内で解釈された場合、連言的解釈を受ける一方で、否定の作用域外にあるTP の指定部では、選言的解釈を受けることが予測されるわけである。本研究の実験でも、対格目的語が「か」を伴う否定文において、一定数の子供が「か」を連言的に解釈することが確認された。しかし、主格主語の場合には、大人と同様に選言的解釈を示した。このことから、子供は主格主語を大人と同様に否定辞より高い TP の指定部に配置していることが示された。さらに、上述のようにインプットに直接的な移動の証拠がないことを鑑みると、この観察は EPPが普遍的に有効であることを支持するものと考えられる。
第3章では、非対格動詞の内項(主語)について論じた。これまで、通言語的に非対格動詞構文の獲得は早いとされ、日本語においてもその傾向が観察されてきた。しかし、子供たちの文法知識において、非対格動詞の内項が実際に主語性を持つのか、そして主格主語と同様に TP の指定部を占めるのかは明らかではなかった。そこで、まず前者の問いに取り組むため、主語指向性を持つ照応表現である「自分」を用いた実験調査を行った。その結果、子供は大人と同様に、非対格動詞の内項を「自分」の先行詞として許容することが明らかとなった。しかし、これだけでは非対格動詞の内項が TP の指定部にあるかは定かではない。主語性が vP の指定部で獲得されるのであれば、その位置に留まる可能性も考えられるためである。そこで、第2章で論じた主格主語の場合と同様に、否定文における選言詞「か」を伴う非対格動詞の内項の解釈を調査する実験を行った。その結果、子供たちは非対格動詞の内項に含まれる「か」を、主格主語の場合と同様に選言的に解釈することが明らかとなった。この事実は、非対格動詞の内項もまた、他の主格主語と同様に TP の指定部に位置することを示唆している。さらに、この観察は、第2章で述べた EPPが普遍的に有効であることを支持するものである。
第4章では、主格目的語について論じた。主格目的語の統語分析はこれまで多くの研究で注目されてきたが、その獲得過程については十分に検討されてこなかった。そこで、本研究では主格目的語構文の非主語性を明らかにするため、第3章で論じた「自分」を含む文を用いた実験を実施した。複数の構文を対象に調査を行ったが、特に述語が「動詞+可能の接辞(られ)」を含む場合、子供は大人とは異なり、「自分」の先行詞として主格目的語を許容することが観察された。この結果から、一部の子供たちは主格目的語を主格主語と誤認している可能性が示唆される。しかし、一方で、大人と同様に正しく解釈する子供も存在するため、少なくとも一部の子供は(非)主語性に関して正しい知識を獲得していると考えられる。ただし、これだけでは主格目的語の統語的位置を確定することはできない。そこで、上述の実験と同様に、否定文における「か」を含む主格目的語の解釈を調査した。その結果、対格目的語の場合とは異なり、主格目的語では子供たちが一貫して「か」を選言的に解釈した。このことから、主格目的語も TP の指定部を占めることが明らかとなった。
第5章では、日本語における主格の多様な分布に着目し、第4章で観察した子供が示す主格目的語に関する誤った解釈の原因として子供の誤分析(Misanalysis)を提案した。日本語では「主格主語+主格主語+述語」という構文と「主格主語+主格目的語+述語」という両方の構文が許容される。さらに、規範的な観点からは、通常、主格が付いた名詞句は主語であると解釈されることが影響していると考えられる。しかし、この二つの構文は項構造が大きく異なる。「主格主語+主格主語+述語」の場合、一番目の名詞句は必ず付加詞として機能するのに対し、「主格主語+主格目的語+述語」の場合、一番目の名詞句も項として機能する。子供は発達の過程でこの違いに気付き、文法知識を修正していくのではないかと推察される。一方、英語においては、主格目的語が存在しないだけでなく、多重主語構文も存在しない。つまり、日本語と比べて主格の名詞句の分布に多様性はないことから、このようなエラーは起こらないと考えられる。
第6章では、本研究が観察した実験調査の結果とその意義、そして今後の課題等をまとめた。
第1章では、まず日本語における大人の文法知識を概観し、本研究の問いをさらに深化させるために Han et al.(2007)および Goro(2007)の研究を取り上げる。従来の言語獲得に関する一般的な見解では、刺激の貧困状況下においても、ある言語の話者集団は共通の文法知識に到達すると考えられてきた。しかし、Han et al.(2007)と Goro(2007)は、それぞれ韓国語と日本語において、特定の文の解釈に関して母語話者の判断が二分されるという観察結果を示している。彼らは、この観察結果について、動詞の主要部移動の有無がインプットから直接確認できないため、最終的に母語話者がランダムにその有無を決定すると主張した。つまり、文法知識がひとつに収束しない原因は、インプットの不十分さにあると考えたのである。この点を本研究に適用すると、三種の主格名詞句の統語位置(移動)に関して話者の判断が二分されたとしても不思議ではない。なぜなら、主格名詞句は基底生成された位置に留まったとしても語順に影響を与えず、また、移動を引き起こす要因である EPPの存在自体もインプットから直接学習することができないからである。したがって、ある子供は EPPを満たすために名詞句を移動させる一方で、別の子供は移動を行わない、という二分が観察されたとしても自然なことであろう。しかしながら、本研究では、明示的なインプットがないにもかかわらず、以下で示すように子供たちは名詞句の移動に関して一貫して TP の指定部まで移動させていることが明らかになった。
第2章では、子供の主格主語の統語的位置について論じた。これまで、子供たちが主格主語を主語指向性のある「自分」の先行詞として許容することは示されてきたが、その統語的位置は明確にされていなかった。本研究では、この統語的位置を検証するために、否定文における選言詞「か」の解釈を用いた実験を行った。移動が生じた場合は、移動先で意味解釈を受けるという特性を利用するのである。また、Goro (2007)によれば、日本語を母語とする子供の場合、初期の「か」は英語の「or」と同様に肯定極性を欠いているため、発達段階の途中では大人とは異なって、「か」が否定の作用域で解釈され得ることが観察されている。言い換えれば、「か」は、対格目的語の位置など否定の作用域内で解釈された場合、連言的解釈を受ける一方で、否定の作用域外にあるTP の指定部では、選言的解釈を受けることが予測されるわけである。本研究の実験でも、対格目的語が「か」を伴う否定文において、一定数の子供が「か」を連言的に解釈することが確認された。しかし、主格主語の場合には、大人と同様に選言的解釈を示した。このことから、子供は主格主語を大人と同様に否定辞より高い TP の指定部に配置していることが示された。さらに、上述のようにインプットに直接的な移動の証拠がないことを鑑みると、この観察は EPPが普遍的に有効であることを支持するものと考えられる。
第3章では、非対格動詞の内項(主語)について論じた。これまで、通言語的に非対格動詞構文の獲得は早いとされ、日本語においてもその傾向が観察されてきた。しかし、子供たちの文法知識において、非対格動詞の内項が実際に主語性を持つのか、そして主格主語と同様に TP の指定部を占めるのかは明らかではなかった。そこで、まず前者の問いに取り組むため、主語指向性を持つ照応表現である「自分」を用いた実験調査を行った。その結果、子供は大人と同様に、非対格動詞の内項を「自分」の先行詞として許容することが明らかとなった。しかし、これだけでは非対格動詞の内項が TP の指定部にあるかは定かではない。主語性が vP の指定部で獲得されるのであれば、その位置に留まる可能性も考えられるためである。そこで、第2章で論じた主格主語の場合と同様に、否定文における選言詞「か」を伴う非対格動詞の内項の解釈を調査する実験を行った。その結果、子供たちは非対格動詞の内項に含まれる「か」を、主格主語の場合と同様に選言的に解釈することが明らかとなった。この事実は、非対格動詞の内項もまた、他の主格主語と同様に TP の指定部に位置することを示唆している。さらに、この観察は、第2章で述べた EPPが普遍的に有効であることを支持するものである。
第4章では、主格目的語について論じた。主格目的語の統語分析はこれまで多くの研究で注目されてきたが、その獲得過程については十分に検討されてこなかった。そこで、本研究では主格目的語構文の非主語性を明らかにするため、第3章で論じた「自分」を含む文を用いた実験を実施した。複数の構文を対象に調査を行ったが、特に述語が「動詞+可能の接辞(られ)」を含む場合、子供は大人とは異なり、「自分」の先行詞として主格目的語を許容することが観察された。この結果から、一部の子供たちは主格目的語を主格主語と誤認している可能性が示唆される。しかし、一方で、大人と同様に正しく解釈する子供も存在するため、少なくとも一部の子供は(非)主語性に関して正しい知識を獲得していると考えられる。ただし、これだけでは主格目的語の統語的位置を確定することはできない。そこで、上述の実験と同様に、否定文における「か」を含む主格目的語の解釈を調査した。その結果、対格目的語の場合とは異なり、主格目的語では子供たちが一貫して「か」を選言的に解釈した。このことから、主格目的語も TP の指定部を占めることが明らかとなった。
第5章では、日本語における主格の多様な分布に着目し、第4章で観察した子供が示す主格目的語に関する誤った解釈の原因として子供の誤分析(Misanalysis)を提案した。日本語では「主格主語+主格主語+述語」という構文と「主格主語+主格目的語+述語」という両方の構文が許容される。さらに、規範的な観点からは、通常、主格が付いた名詞句は主語であると解釈されることが影響していると考えられる。しかし、この二つの構文は項構造が大きく異なる。「主格主語+主格主語+述語」の場合、一番目の名詞句は必ず付加詞として機能するのに対し、「主格主語+主格目的語+述語」の場合、一番目の名詞句も項として機能する。子供は発達の過程でこの違いに気付き、文法知識を修正していくのではないかと推察される。一方、英語においては、主格目的語が存在しないだけでなく、多重主語構文も存在しない。つまり、日本語と比べて主格の名詞句の分布に多様性はないことから、このようなエラーは起こらないと考えられる。
第6章では、本研究が観察した実験調査の結果とその意義、そして今後の課題等をまとめた。