本論では、更新世末~完新世前半におけるロシア極東・中国東北部・韓半島の新石器時代土器群の形成と変容、そして地域間関係性について、検討を行った。そして、東北アジアにおける新石器時代土器の出現と拡散過程と、韓半島における古い土器群の位置づけを明確にすることを目指した。
 本論の研究対象は、ロシア極東(アムール下・中流域、沿海地方)、中国東北部(吉林省、黒竜江省)、および韓半島(南部・東部地方)である。ロシア極東と中国東北部では、更新世末に遡る出現期土器群の良好な資料の存在が報告されている。また、完新世以降は、大貫(1998)のいう極東平底土器群が東部圏(アムール編目文系)と北部圏(隆起線文系)に分かれ、相互関係を保ちながら変遷したことが知られている。
 極東地域一帯の土器出現期以降の新石器時代に関しては、韓半島の古式土器群となる高山里式土器や東三洞式土器の出現経緯、また、韓半島中東部地方出土の平底土器群の位置づけを理解するうえで、注目されてきた。新石器時代の古い段階に「北方地方」と韓半島との間に関係性があった可能性が指摘されてきたのだが、これまで、ロシア極東・中国東北部と韓半島を含む地域一帯を対象として、土器出現期から新石器時代前半期にかけての土器群を通時的かつ総合的に捉え、比較研究がなされたことはない。本論では、このことに取り組んだ。
 
 第Ⅰ部「東北アジアにおける出現期土器群」の第3章では、スレドネアムールスカヤ低地帯北東部に着目し、オシポフカ文化期における土器の特徴とその変遷過程について検討を行った。その結果、オシポフカ文化の土器群を、第1段階~第3段階に分けて整理することができた。すべての段階を通じて、平底、条痕調整、押捺施文といった土器製作技術が継続するとともに、調整の精密化、薄手化、装飾性の強化という変遷が認められることを確認した。
 次に、ゼヤ・ブレヤ平原のグロマトゥハ文化、松嫩平原の后套木嘎1期文化、そして沿ハンカ地区・沿海地方南東部のウスチノフカ3、チェルニゴフカ1、リソボエ4遺跡の出土土器に関して、土器の型式内容や14C年代を調べ、地域間比較を行った。その結果、極東における出現期土器群には相似性と相違性があることがわかった。
 第Ⅱ部「極東における新石器時代前半期土器群」では、極東東・西部における新石器時代前半期の土器群が有する特徴の分類を行い、その変遷過程を明らかにした。また、広域編年編年を整理した上で、極東東西の接触・交流のあり方の復元を試みた。
 第4章では、松花江河口域ビジャン4遺跡の資料に着目し、新石器時代前半期における極東東部と西部の間の接触・交流の在り方に関して、新たな見解を提示した。ビジャン4遺跡では、古段階に、極東東部のスレドネアムールスカヤ低地帯と強く関係するアムール編目文系土器群(コンドン式)が出土した。新段階になると、極東東部の多方面に関係づけられる要素が混在し、極東東部系(アムール編目文)と極東西部系(隆起線文)の折衷土器が存在する。このことから、ビジャン4新段階並行期の松花江河口域では、沿海地方、またはゼヤ・ブレヤ平原や松嫩平原との間で接触・交流が活発化したことを読み取ることができた。
 第5章では、極東東部におけるアムール編目文土器群の編年と動態を検討した。まず、アムール流域コンドン式土器と沿海地方ルドナヤ式土器の編年を構築し直し、アムール編目文土器群の展開を、アムール編目文1段階(コンドン1・ルドナヤ1段階)、同2段階(コンドン2・ルドナヤ2段階)、同3段階(コンドン3・ルドナヤ3段階)に分けて整理した。全体的にそれらの変遷は、単一の文様要素から複数文様要素の組み合わせへの変化、文様帯の多段化・分帯化、そして施文範囲の拡張という流れで捉えられる。
 アムール編目文2段階になると、コンドン式・ルドナヤ式の遺跡分布が拡大し、土器要素が多方面に拡散したことが分かった。同3段階になると、コンドン式の分布がさらに北に拡大し、ルドナヤ式からの影響による新たな文様要素の採用が認められた。また、沿海地方中部、沿ハンカ地区、牡丹江流域にはコンドン式とルドナヤ式の折衷型式が存在し、ゼヤ・ブレヤ平原や韓半島中東部地方の遠隔地でもアムール編目文系が出土することを確認した。
 第6章では、極東全体における隆起線文土器群の古段階に注目し、その細部編年の整備を行った。その結果、隆起線文土器群の古段階は、隆起線文1段階、同2段階、同3段階、に細分することができた。土器型式変化の全体的傾向は、口縁部形態(波状口縁 → 肥厚口縁a → 肥厚口縁a・b → 肥厚口縁c)、隆起線上のキザミ(有 → 無)、隆起線の断面形態(半円形・梯形 → 三角形)、隆起線の間隔(分散型 → 密集型)とまとめられる。
 第7章では、第4~6章の結果に基づき、極東東・西部における新石器時代前半期土器群の広域編年を提示し、東西交流史を論じた。広域編年は、第Ⅰ段階(アムール編目文1段階・隆起線文1段階)、第Ⅱ段階(アムール編目文2段階・隆起線文2段階)、第Ⅲ段階(アムール編目文3段階・隆起線文3段階)となる。東西の土器分布圏を超えた接触・移動現象は、第Ⅱ段階以降、顕在化する。第Ⅱ段階になると松花江河口域と牡丹江流域に隆起線文系とアムール編目文系の折衷型式が現れ、第Ⅲ段階になるとアムール編目文系が遠隔地(ゼヤ・ブレヤ平原、韓半島中東地方)に進出したことが確認された。
 
 第Ⅲ部「韓半島における新石器時代前半期土器群」では、韓半島における新石器時代前半期の土器群が有する特徴と変遷過程を検討し、地域間並行関係を整理した上で、南部地方と中東部地方の接触・交流関係の変遷を調べた。また、新石器時代前半期の韓半島と極東と間における相互関係史について再検討を行った。
 第8章では、韓半島最古の高山里式土器の型式分類を行い、段階区分案を提示した。前半は繊維質混入無文土器(ⅠA類)が中心となり、点列文土器(Ⅱ類)と 砂質無文土器(ⅠB類)が少量含まれる。後半は、ⅠA類とⅠB類が存続するなかで、Ⅱ類の割合が高くなることを確認した。
 第9章では、韓半島における新石器時代前半期土器群の変遷と地域間交渉について調べた。中東部地方の鰲山里式土器と南部地方の東三洞式土器に関する先行研究をふまえ、編年考察を行った。その結果、東三洞・鰲山里1段階(東三洞1段階・鰲山里1段階)、同2段階(東三洞2・3段階・鰲山里2段階)、同3段階(東三洞4段階・鰲山里3段階)という順に整理された。次に、南部地方と中東部地方の中間に位置する蔚山湾・竹邊湾付近の土器群に注目し、東三洞式と鰲山里式との接触関係を検討した。その結果、両型式の接触・交渉は東三洞・鰲山里2段階から活発化したことが分かった。また、同2段階後半に、中間地帯において東三洞式の施文技法や文様に、鰲山里式の器形や製作技法が共存する折衷型式が広がったことが確認された。東三洞・鰲山里3段階の中東部地域北部で隆起文土器が主体化する現象については、同2段階後半における東三洞・鰲山里式折衷型式の器形・文様・製作技術の組み合わせが起点となり、3段階で完全に両型式が融合したと考えられる。
 第10章では、土器出現期~新石器時代前半期における韓半島と極東の関係性について検討した。まず、北方起源説の材料として扱われてきた繊維土器群に注目し、それらを地域間で比較した。分析結果、繊維混入方式に時間的・地域的なまとまりはなく、また、繊維土器群の分布も面的にまとまらないため、繊維混入技術が地域間接触によって拡散したとは言えないことを指摘した。
 ほかに、韓半島中東部地方の鰲山里式土器と極東東部のアムール編目文土器群の関係性についても、再検討を行った。まず、新石器時代前半期土器群の広域並行関係を第Ⅰ~Ⅳ段階に整理し、アムール編目文土器群と鰲山里式土器の型式内容を比較した。その結果、第Ⅲ段階の鰲山里中層式土器は、鰲山里系の器種・器形と、アムール編目文系の文様要素・配置・モチーフが組み合わさった結果、成立した土器型式であることが分かった。鰲山里中層式土器の成立過程については、第Ⅱ~Ⅲ段階にわたるアムール編目文土器群の南方への拡散がその背景にあると指摘した。
 
 総論では、東北アジアにおける新石器時代土器の出現と普及過程について論じた。検討の結果、晩氷期の気候変動期に、ロシア極東および中国東北部の各地域集団が独自の技術的適応として土器を生み出したことが明らかとなった。また、完新世初頭の土器出現期から新石器時代前半期への移行段階では、複数の土器系統が登場・併存・消滅する現象が確認された。その後、気候最適期に至る温暖化の過程で、極東東部、極東西部、韓半島の新石器時代土器群の配置関係が成立し、土器の本格的採用、小地域化、多様化が進展したことが分かった。つまり、更新世末の土器出現期から完新世前半の新石器時代前半期への移行を経て、新石器時代の土器文化が徐々に定着し、地域ごとの特性を形成していく過程を明らかにすることができた。
 また、韓半島における新石器時代土器文化の配置について、北部には極東平底土器群が広がり、中部以南には独自的に成立した別系統の土器群が展開する構図を確認した。さらに、韓半島中部以南における新石器時代前半期の土器の出現や拡散、そして定住的な生活様式への移行において、極東地域との連動性が認められた。このことから、韓半島中部以南の新石器時代前半期の文化群は地域性を維持しつつも、極東型新石器時代文化群の一部として、新石器的な世界の定着や安定化に向かっていたことが明らかとなった。