本稿は、戦争違法化の時代において法規範が現実にいかなる影響を及ぼしたのか「警察」(以下括弧省略)という法概念に着目して解明しようとする試みである。
 第一次世界大戦を経て発効した国際連盟規約や不戦条約は、戦争の開始や継続、拡大を法的に制限し、戦争の抑制や平和的解決を目指すものだったが、それ以降にも満州事変やエチオピア戦争、日中戦争や第二次世界大戦といった国際紛争が絶えなかった。この戦争違法化(Outlawry of War)の広がりと制度化、そしてこの潮流に反するような国際紛争の続発という一九二〇~四〇年代の展開は一見、戦争違法化の法規範が目指したものを現実が裏切っていく過程と総括できる。
 一方、日本は満州事変や日中戦争において国際連盟規約や不戦条約、アメリカの中立法の規制をかいくぐるため、宣戦を布告しないまま自衛や治安維持、東亜新秩序建設を名目に大規模な戦闘行為を続ける戦争形態を採った。この事実上の戦争という形式の法的特殊性ゆえに、占領地行政や捕虜の扱いといった戦争に伴う諸行動も通常の戦争におけるそれとは変容していく。戦争違法化の法規範からの逸脱が特異な形式を生み、その形式に適合的な制度運用が要請されたのである。このことは、当初目指したもの(=戦争の禁止や抑制)とは異なる変化を現実の軍事や行政にもたらすという、法規範が現実を規定する局面の複層性を示すものと評価できるのではないか。本稿はこの法規範の複層的な現実規定のあり方に着目しつつ、宣戦布告の「不在」という消極的な形式に留まらず、軍事行動の正当化のために動員された積極的な形式が及ぼした影響をも検討するため、法執行や秩序維持のために人民の自由を制限する警察という法概念に着目した。
 近代日本の軍隊は、国内や植民地、国外で警察的な軍事行動(暴動や民族運動の鎮圧、パルチザンの討伐など)を実行しており、戦争違法化の時代においては、事実上の戦争や再軍備にも正当化の名目として警察概念を援用するようになっていく。一方で警察概念には、特有の原則が存在した。すなわち、暴力行使の相手が正規の戦闘員ではないこと、行政機関が管轄する国内法的な政策領域であることを理由に、兵器使用の抑制や行政機関の権能尊重といった権限抑制的な原則が求められ、一方で戦時の諸制限から解放され得るという意味では権限拡張的な原則をも内包していたのである。そのため、事実上の戦争や再軍備を警察概念によって正当化したとき、警察概念に付随する原則も一緒に持ち込まれ、戦争の内実を変容させたのではないかという仮説が成り立つ。以上より本稿は、戦争違法化の時代の日本における法規範の複層的な影響力を、警察概念に付随する原則の流入という側面から解明することを課題に設定した。
 第一部「戦前における軍事行動と警察概念」は昭和戦前~戦時期を対象とし、第一章「日本陸軍の警察行動における兵器使用と法規範 衛戍勤務令の運用をめぐって」では戦争違法化の分析に入る前提として、日本軍の警察行動一般に法規範が伴ったことを指摘した。具体的に着目したのは、兵士や部隊が駐屯地周辺の秩序を維持する衛戍勤務時の行動原則を定めた衛戍勤務令の運用過程である。同令は兵士が兵器使用を制限する規定を持った唯一の国内法令だったが、制定当初の民衆都市暴動や植民地戦争においては参照されず、陸軍当局も米騒動で効力を否認した。しかし関東大震災における兵士の民衆殺傷事件を事後的に正当化するため動員されて以来、同令は山東出兵や日中戦争といった海外における武力紛争中の警察行動にも準用されていった。以上の分析を通じ、日本軍の警察行動には兵器使用を限定的にすべきという原則が(実際に守られたかは別として)存在し、衛戍勤務令がその原則を根拠づける法規範と見なされたことを確認した。
 第二章以降は戦争違法化の時代が舞台となる。第二章「満州事変と戦時国際法」では、日本における催涙性ガスの運用過程を事例に、事実上の戦争における戦時国際法の解釈、運用と警察概念との関係を検討した。日本陸軍は満州事変時、国際法上違法な毒ガスの一種たる催涙性ガスの使用を国内警察行為としてなら問題ないという法解釈を示す。この法解釈は、催涙性ガスの警察使用が拡大していった一九二〇‐三〇年代の国際的、国内的情勢や同時期のジュネーヴ一般軍縮会議における議論を反映したものだった。こうした催涙性ガスをめぐる展開は、戦時に違法、警察行動時に適法という催涙性ガスの特殊な原則が国内外で確立していく時代背景と、戦争違法化における警察概念の肥大化とが共振した事例と位置づけられる。この事例を以て本章は、戦時使用を禁じられた特定の兵器の使用を許容するような権限拡張的な法規範を警察概念がもたらしたと指摘した。
 第二部「戦後における再軍備と警察概念」では、分析対象を昭和戦後期にも拡大した。戦後日本では敗戦後の武装解除、戦争、武力行使に加えて戦力の保持をも禁じた日本国憲法第九条によって戦争違法化が進展した一方、再軍備の嚆矢として一九五〇年に創設された警察予備隊(予備隊)に憲法との整合性を保つため警察官という法的性格を与えられる。このように再軍備という軍事の領域へ警察概念が持ち込まれたときどのようなことが起きるのか検討することで、単に再軍備を禁止するという当初の期待とは異なる戦争違法化の複層的な影響力を明らかにしようと試みた。
 第三章「再軍備の開始と治安政策との齟齬 政令制定過程に着目して」では、予備隊の根拠政令たる警察予備隊令・同施行令(予備隊二令)の制定過程を検討した。同過程では、上記のような戦後警察制度の原則と再軍備とをいかに整合させるかが一つの焦点となる。加藤陽三や海原治ら条文作成に当たった警察官僚グループは、警察の最高機関たる公安委員会を予備隊の出動判断に関与させようとするなど、戦後警察制度の分権的、権限抑制的な原則を予備隊二令にも盛り込もうとしたが、GHQや吉田茂内閣は広範な権限を持つ中央政府直属の軍隊に近い機関として予備隊を位置付けており、両者間には競合が存在した。予備隊二令は首相の指揮権を容認したものとなり、警察官僚グループは予備隊創設後も首相の独断で予備隊が出動させられる可能性に危機感を表明していった。以上の競合は、再軍備の正当化のために警察概念が動員されたため、警察概念に付随する原則までもが制度設計の場に持ち込まれた結果と評価できる。
 この競合が予備隊創設後どのように引き継がれたのか検討するのが、第四章「警察予備隊の出動をめぐる競合」の課題となった。再軍備と警察制度との理論的な齟齬は、予備隊の出動の可否、出動時の指揮系統といった部隊運用をめぐる競合として表出する。一般警察出身者が多くを占める警察予備隊本部(内局)官僚や幕僚は一般警察と連携し、予備隊の当面の出動を避けるようなすみ分けを進めていくが、出動を判断、命令する法的権限を首相が独占する構図は、保安庁法でも変わらなかった。治安情勢の悪化や内閣の予備隊への期待などによって、講和条約発効後の幕僚は出動を具体的に想定した準備を進めざるを得なくなるが、同時に内局や幕僚は非制度的な方針、次いで訓令という法律の改正を必要としない領域で出動判断に一般警察が関与する余地を補完していく。以上から法令の水準における一体性、運用の水準における連携とすみ分けという構図が五〇‐五二年の再軍備と治安政策の関係の実態だったと総括し、警察概念がもたらす法規範が再軍備と治安政策との関係を制度設計、運用の両面で規定したと結論した。
 なお補論「警察概念から自衛概念への法的架橋 内閣法制局による再軍備の正当化と日本国憲法第一三条」では、本論で注目してきた制度設計、運用の局面から一旦離れ、再軍備を正当化する高次の憲法解釈で警察概念の果たした影響を明らかにした。法制官僚は、国民の権利に対する国政上の尊重を義務づけた日本国憲法第一三条が再軍備を積極的に要請しているというロジックを発案し、防衛政策への転換が政治的に求められるようになると警察概念と自衛概念とを架橋するため第一三条に再着目した。第一三条が治安政策としての再軍備だけでなく防衛政策をも要請しているという議論は、法制官僚内部に疑義を孕みつつ発信され、政府の見解として定着していった。この過程は、行政の領域にあるゆえに他の政策と同様の論拠を以て再軍備を正当化できる警察概念の特有さと、その延長において自衛概念を正当化する狙いが今日まで有効とされる法解釈を生み出したことの意義を示すものである。
 終章では全体の事例を、戦争違法化の時代における警察概念が宣戦布告の不在といった消極的な形式に留まらず、行政の原則を軍事の領域に流入させる積極的な形式として機能していたものとまとめた。すなわち、警察概念は戦争禁止・軍備縮小・戦力放棄という戦争違法化の法規範をかいくぐるために政治家や軍当局、官僚ら戦争や再軍備の当局者から持ち出されるのだが、今度はその警察概念に付随する原則に適合的な兵器使用や法解釈、制度設計や運用手続などを当局者に要請、許容するという形で彼らの行動を規定していたのである。本稿は、逃れたものとは別の法規範が否応なく還流していくというこの複層的な影響力が、戦争違法化の時代において法規範が現実を規定する一つのあり方だったと結論した。さらに展望として、警察概念に付随する原則の流入という現象が自衛隊創設以降の防衛政策と治安政策との関係にも継続して見られることを確認するとともに、本稿の知見がPKOや対テロ戦争といった主権国家間の通常戦争と異なる実力行使、紛争形態の分析にも活かせる可能性を指摘した。