本研究は、南コーカサス地方クラ川中流域の中石器時代・新石器時代遺跡から出土した石器群の分析及び石器製作技術の復元と比較を行い、これにより新石器時代における遺跡間・地域間関係を論じ、当地の新石器文化の成立・展開過程をより詳細に解明することを目的としたものである。
本研究で主に取り上げるのは、南コーカサス地方の内でもクラ川中流域のガンジャ・ガザフ平原及びマルネウリ平原と、アラクス川上流域のアララト高原の3地域である。これらの地域の考古学研究においては、前6千年頃の新石器文化の成立期、すなわち食糧生産技術の導入やそれに伴う生活様式の変化、そして同時期の周辺地域との関係が研究者らの関心を集めてきた。こうした中で、当地における新石器文化は画一的なものではなく、遺跡ごと、地域ごとに多様性をもち、また段階的に発展したものであるとの見方が近年定着しつつある。本研究はこうした研究動向の内で、中石器時代末から新石器時代の後半期まで見通すことができる観点として、両時期間で大きな変化がみられる石器群及び石器製作技術を対象にその時間的変遷や空間的相違についての詳細な分析を行い、遺跡間・地域間の関係性とその変化を明らかにすることを目指した。また、近年研究が進みつつある様々な文化要素における時空間的な相違・分布と本研究の分析成果を対比し、当地の新石器文化の成立過程で在地の中石器集団が果たした役割を考察することで、新石器文化の様相を解明することを目指した。
本論文は9章から構成される。序章から第4章では研究の背景や目的を示し、研究史の整理や対象資料及び研究手法の提示を行った。第5章と第6章ではガンジャ・ガザフ平原の平地遺跡、洞窟遺跡それぞれの石器群に対し、動作連鎖の観点を踏まえて詳細な分析を行い、石刃生産技術を中心に石器製作・利用の工程復元を試みた。第7章ではマルネウリ平原の遺跡から出土した黒曜石製石核の分析と他地域との対照を行い、石刃生産技術における地域性について検討を行った。これらの分析結果を踏まえて第8章では考察、議論を行い、終章で本稿の内容をまとめた。各章の概要は以下の通りである。
序章では、研究対象となる南コーカサス地方の新石器時代研究の動向を踏まえつつ、本稿の問題意識と研究目的を提示した。第2章では、古環境復元研究の成果や黒曜石資源の分布、当地の新石器文化についてこれまで蓄積されてきた知見を整理した。また、本稿における石器製作技術研究の中でも中核をなす押圧石刃生産技術について南コーカサス地方内外の事例や実験考古学的アプローチに基づく既存の研究成果を確認した。これに加え、南コーカサス地方の新石器文化の成立過程と対照するため、隣接する北コーカサス地方における同時期の様相を概略的に整理した。第3章では、本論文で分析対象とする各遺跡について石器群に関する報告を主として発掘者らによる既存の研究の成果を示し、第4章では本稿で実施する分析内容の概要及び分析手法の具体的な提示を行った。
第5章では平地のテル型遺跡であるギョイテペ遺跡及びハッジ・エラムハンル・テペ遺跡の石器群のうち石刃石核を含む黒曜石製石器資料群を対象として詳細な分析を実施し、これをもとに動作連鎖の観点を踏まえながら石材の獲得から石刃を中心とした素材の生産、トゥールの製作・利用に至るまでの工程の復元を行った。結果として、これらの遺跡では遺跡外で粗割・成形した石核を搬入し、テコの原理を用いた装置による押圧剥離法(テコ式)を含む様々なモードの押圧剥離法によって石刃が生産されていたこと、押圧石刃の剥離を円滑に進めるための技術的処理が丁寧に行われていたことが明らかとなった。またフラクチャー・ウィングの分析による剥離方法同定からは、両遺跡において黒曜石製石刃の大部分が押圧剥離法によって生産されていたことが初めて定量的に示された。さらに、これまで一様に扱われその変異には着目されてこなかった南コーカサス地方新石器時代の石刃生産技術について、両遺跡の石刃石核が2つのタイプに分類できそれぞれ対応する反動痕跡の分布パターンがみられることから、石核の固定方法を含む押圧石刃生産方式が複数併存していた可能性を指摘した。石器素材の利用については、加工/使用される割合は高い一方で、簡易的な加工のみを施された石器が多数を占め、また再利用されたと考えられる石器も一定数存在することから、場当たり的な石器利用と資源の有効活用という異なる傾向を併せ持っていたことが想定された。本章では当地の新石器時代のテル型遺跡における石器製作と利用の工程を包括的に検討することで、遺跡間・地域間の比較を行うための参照軸を提示することができた。
第6章では、ダムジリ洞窟の中石器時代及び新石器時代層出土の黒曜石製・非黒曜石製石器群の分析を実施し、先行研究や第5章のテル型遺跡の分析結果と対比を行いながら、石器製作・利用の工程復元を行った。フラクチャー・ウィングを用いた剥離方法同定による定量的な検討の結果、新石器時代では第5章の2遺跡に比べ石刃における押圧剥離法の適用割合が低いこと、また一方で中石器時代においても新石器時代と同様に約半数の石刃が押圧剥離法の所産であることが示された。また、押圧石刃のサイズや生産技術、石器素材の利用傾向について、当遺跡において新石器時代の少なくとも前半までは、中石器時代と高い共通性をもつことが明らかになった。一方で新石器時代には、黒曜石製石刃に見られる平地遺跡と同様な技術的処理の出現や、後半の器種構成とその変化等において、平地のテル型遺跡における石器群との類似点が部分的にみられるようになることも指摘された。
第7章では石刃生産技術の地域間比較を行うため、マルネウリ平原のイミリス・ゴラ遺跡、フラミス・ディディ・ゴラ遺跡、シュラヴェリ・ゴラ遺跡出土の黒曜石製石刃石核の分析を行い、またアララト高原の遺跡を中心に調査報告書や論文等から確認が出来る石核資料の集成と比較・検討を行った。結果として、押圧剥離法による大型石刃生産という素材生産において基盤となる技術や、その実施を円滑にするための技術的処理のノウハウは、地域を越え広く共有されていたとみられることが確認された。一方で、第5章の分析で見出された2つのタイプの石刃石核についてはマルネウリ平原及びアララト高原でも確認されたが、ガンジャ・ガザフ平原を含む3地域においてそれぞれに出現頻度や石核の成形方法に一定の傾向差がみられ、地域差が存在した可能性が認められた。特にクラ川中流域のガンジャ・ガザフ平原とマルネウリ平原では、異なる装置や手順を必要とする複数の押圧石刃生産方式が一つの集落内で併存していたと想定された。この背景には固定具や押圧具から構成される装置等の制約や原石のサイズ・形態という資源的制約だけでなく、集落や石器製作者の何らかの帰属意識と結びつく社会的要因が働いていた可能性も考えられることに言及した。
第8章では各分析結果及び既存の研究成果を踏まえて、新石器時代の遺跡間や地域間の関係性を検討し、南コーカサス地方における新石器文化の成立・展開について議論を行った。本研究で分析を行った遺跡であるダムジリ洞窟と平地の2遺跡については多くの要素において相違がみられるが、石器についても対照によりいくつかの相違点を見出すことができた。特にダムジリ洞窟の新石器時代層出土の幾何学形石器については、中石器時代層との変化が乏しく、平地遺跡で出土するものとは異なる傾向を示すことを指摘した。またダムジリ洞窟の石器群には新石器時代の後半期に平地遺跡と共通する要素が増え、両者の関係はやや強化されたように見られるが、幾何学形石器や石刃生産技術には引き続き差異が存在する。石器群の対照分析結果に加え、報告にあるような壁体をもつ住居や農耕の痕跡の欠如等も踏まえると、ダムジリ洞窟では平地の集落と関係を持ちつつも異なる主体により中石器時代の生活様式が部分的に継続されていたとの解釈も可能であると述べた。洞窟遺跡と平地遺跡で別々の主体が、それぞれ狩猟採集と農耕牧畜という異なる生活様式を保ち一定の交流をしつつも一体化することなく数百年に渡って共存していたとするならば、これは当地における新石器社会の多層的なあり方の一端を示していると考えられる。また本研究ではクラ川中流域の2地域とアララト高原の間での大型押圧石刃生産技術の運用における地域間変異の可能性を示した。この成果は先行研究でも言及されてきた新石器時代の南コーカサス地方における文化要素の多様な現れ方について新たな観点を提示できたものである。この様な地域間変異の背景について、経済的な要因からの説明に加え、本稿では次のように他の側面からの考察も試みた。黒曜石製石器の原産地分析結果を検討したところ、少なくとも小コーカサス山脈の南北で原産地の使い分けや黒曜石流通圏の相違がみられ、互いを別の集団とする認識が存在した可能性が提示された。また、こうした集団意識と石刃生産技術の運用における空間的変異や様々な文化要素の地域変異が相互作用することで、これらの維持や強化が促されたという解釈の可能性を最後に示し本稿を結んだ。
本研究によって得られたこれらの知見は、様々な研究で示されてきた南コーカサス地方の新石器時代における文化の多様性をめぐる議論において、社会の様相を把握するための重要な視点を提示し、特にクラ川中流域における新石器社会の成立・展開の過程をより一層詳らかにすることに貢献したと考える。
本研究で主に取り上げるのは、南コーカサス地方の内でもクラ川中流域のガンジャ・ガザフ平原及びマルネウリ平原と、アラクス川上流域のアララト高原の3地域である。これらの地域の考古学研究においては、前6千年頃の新石器文化の成立期、すなわち食糧生産技術の導入やそれに伴う生活様式の変化、そして同時期の周辺地域との関係が研究者らの関心を集めてきた。こうした中で、当地における新石器文化は画一的なものではなく、遺跡ごと、地域ごとに多様性をもち、また段階的に発展したものであるとの見方が近年定着しつつある。本研究はこうした研究動向の内で、中石器時代末から新石器時代の後半期まで見通すことができる観点として、両時期間で大きな変化がみられる石器群及び石器製作技術を対象にその時間的変遷や空間的相違についての詳細な分析を行い、遺跡間・地域間の関係性とその変化を明らかにすることを目指した。また、近年研究が進みつつある様々な文化要素における時空間的な相違・分布と本研究の分析成果を対比し、当地の新石器文化の成立過程で在地の中石器集団が果たした役割を考察することで、新石器文化の様相を解明することを目指した。
本論文は9章から構成される。序章から第4章では研究の背景や目的を示し、研究史の整理や対象資料及び研究手法の提示を行った。第5章と第6章ではガンジャ・ガザフ平原の平地遺跡、洞窟遺跡それぞれの石器群に対し、動作連鎖の観点を踏まえて詳細な分析を行い、石刃生産技術を中心に石器製作・利用の工程復元を試みた。第7章ではマルネウリ平原の遺跡から出土した黒曜石製石核の分析と他地域との対照を行い、石刃生産技術における地域性について検討を行った。これらの分析結果を踏まえて第8章では考察、議論を行い、終章で本稿の内容をまとめた。各章の概要は以下の通りである。
序章では、研究対象となる南コーカサス地方の新石器時代研究の動向を踏まえつつ、本稿の問題意識と研究目的を提示した。第2章では、古環境復元研究の成果や黒曜石資源の分布、当地の新石器文化についてこれまで蓄積されてきた知見を整理した。また、本稿における石器製作技術研究の中でも中核をなす押圧石刃生産技術について南コーカサス地方内外の事例や実験考古学的アプローチに基づく既存の研究成果を確認した。これに加え、南コーカサス地方の新石器文化の成立過程と対照するため、隣接する北コーカサス地方における同時期の様相を概略的に整理した。第3章では、本論文で分析対象とする各遺跡について石器群に関する報告を主として発掘者らによる既存の研究の成果を示し、第4章では本稿で実施する分析内容の概要及び分析手法の具体的な提示を行った。
第5章では平地のテル型遺跡であるギョイテペ遺跡及びハッジ・エラムハンル・テペ遺跡の石器群のうち石刃石核を含む黒曜石製石器資料群を対象として詳細な分析を実施し、これをもとに動作連鎖の観点を踏まえながら石材の獲得から石刃を中心とした素材の生産、トゥールの製作・利用に至るまでの工程の復元を行った。結果として、これらの遺跡では遺跡外で粗割・成形した石核を搬入し、テコの原理を用いた装置による押圧剥離法(テコ式)を含む様々なモードの押圧剥離法によって石刃が生産されていたこと、押圧石刃の剥離を円滑に進めるための技術的処理が丁寧に行われていたことが明らかとなった。またフラクチャー・ウィングの分析による剥離方法同定からは、両遺跡において黒曜石製石刃の大部分が押圧剥離法によって生産されていたことが初めて定量的に示された。さらに、これまで一様に扱われその変異には着目されてこなかった南コーカサス地方新石器時代の石刃生産技術について、両遺跡の石刃石核が2つのタイプに分類できそれぞれ対応する反動痕跡の分布パターンがみられることから、石核の固定方法を含む押圧石刃生産方式が複数併存していた可能性を指摘した。石器素材の利用については、加工/使用される割合は高い一方で、簡易的な加工のみを施された石器が多数を占め、また再利用されたと考えられる石器も一定数存在することから、場当たり的な石器利用と資源の有効活用という異なる傾向を併せ持っていたことが想定された。本章では当地の新石器時代のテル型遺跡における石器製作と利用の工程を包括的に検討することで、遺跡間・地域間の比較を行うための参照軸を提示することができた。
第6章では、ダムジリ洞窟の中石器時代及び新石器時代層出土の黒曜石製・非黒曜石製石器群の分析を実施し、先行研究や第5章のテル型遺跡の分析結果と対比を行いながら、石器製作・利用の工程復元を行った。フラクチャー・ウィングを用いた剥離方法同定による定量的な検討の結果、新石器時代では第5章の2遺跡に比べ石刃における押圧剥離法の適用割合が低いこと、また一方で中石器時代においても新石器時代と同様に約半数の石刃が押圧剥離法の所産であることが示された。また、押圧石刃のサイズや生産技術、石器素材の利用傾向について、当遺跡において新石器時代の少なくとも前半までは、中石器時代と高い共通性をもつことが明らかになった。一方で新石器時代には、黒曜石製石刃に見られる平地遺跡と同様な技術的処理の出現や、後半の器種構成とその変化等において、平地のテル型遺跡における石器群との類似点が部分的にみられるようになることも指摘された。
第7章では石刃生産技術の地域間比較を行うため、マルネウリ平原のイミリス・ゴラ遺跡、フラミス・ディディ・ゴラ遺跡、シュラヴェリ・ゴラ遺跡出土の黒曜石製石刃石核の分析を行い、またアララト高原の遺跡を中心に調査報告書や論文等から確認が出来る石核資料の集成と比較・検討を行った。結果として、押圧剥離法による大型石刃生産という素材生産において基盤となる技術や、その実施を円滑にするための技術的処理のノウハウは、地域を越え広く共有されていたとみられることが確認された。一方で、第5章の分析で見出された2つのタイプの石刃石核についてはマルネウリ平原及びアララト高原でも確認されたが、ガンジャ・ガザフ平原を含む3地域においてそれぞれに出現頻度や石核の成形方法に一定の傾向差がみられ、地域差が存在した可能性が認められた。特にクラ川中流域のガンジャ・ガザフ平原とマルネウリ平原では、異なる装置や手順を必要とする複数の押圧石刃生産方式が一つの集落内で併存していたと想定された。この背景には固定具や押圧具から構成される装置等の制約や原石のサイズ・形態という資源的制約だけでなく、集落や石器製作者の何らかの帰属意識と結びつく社会的要因が働いていた可能性も考えられることに言及した。
第8章では各分析結果及び既存の研究成果を踏まえて、新石器時代の遺跡間や地域間の関係性を検討し、南コーカサス地方における新石器文化の成立・展開について議論を行った。本研究で分析を行った遺跡であるダムジリ洞窟と平地の2遺跡については多くの要素において相違がみられるが、石器についても対照によりいくつかの相違点を見出すことができた。特にダムジリ洞窟の新石器時代層出土の幾何学形石器については、中石器時代層との変化が乏しく、平地遺跡で出土するものとは異なる傾向を示すことを指摘した。またダムジリ洞窟の石器群には新石器時代の後半期に平地遺跡と共通する要素が増え、両者の関係はやや強化されたように見られるが、幾何学形石器や石刃生産技術には引き続き差異が存在する。石器群の対照分析結果に加え、報告にあるような壁体をもつ住居や農耕の痕跡の欠如等も踏まえると、ダムジリ洞窟では平地の集落と関係を持ちつつも異なる主体により中石器時代の生活様式が部分的に継続されていたとの解釈も可能であると述べた。洞窟遺跡と平地遺跡で別々の主体が、それぞれ狩猟採集と農耕牧畜という異なる生活様式を保ち一定の交流をしつつも一体化することなく数百年に渡って共存していたとするならば、これは当地における新石器社会の多層的なあり方の一端を示していると考えられる。また本研究ではクラ川中流域の2地域とアララト高原の間での大型押圧石刃生産技術の運用における地域間変異の可能性を示した。この成果は先行研究でも言及されてきた新石器時代の南コーカサス地方における文化要素の多様な現れ方について新たな観点を提示できたものである。この様な地域間変異の背景について、経済的な要因からの説明に加え、本稿では次のように他の側面からの考察も試みた。黒曜石製石器の原産地分析結果を検討したところ、少なくとも小コーカサス山脈の南北で原産地の使い分けや黒曜石流通圏の相違がみられ、互いを別の集団とする認識が存在した可能性が提示された。また、こうした集団意識と石刃生産技術の運用における空間的変異や様々な文化要素の地域変異が相互作用することで、これらの維持や強化が促されたという解釈の可能性を最後に示し本稿を結んだ。
本研究によって得られたこれらの知見は、様々な研究で示されてきた南コーカサス地方の新石器時代における文化の多様性をめぐる議論において、社会の様相を把握するための重要な視点を提示し、特にクラ川中流域における新石器社会の成立・展開の過程をより一層詳らかにすることに貢献したと考える。