本論文は、戦間期ドイツの批評家・思想家ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』(以下「パサージュ」)を扱い、未完の断片集に終わったこの著作の「構成」を間テクスト的配置において検討する。「パサージュ」を中心とした後期ベンヤミンの著作を中心的に取り上げるが、中でも「ボードレール論」を「パサージュ」の「極小版」とする著者本人の言を重視し、最終的にこのテクストに問題が収斂するように論を展開する。
タイトルにある「歴史のミニチュア」とは、歴史主義の因果連関による歴史記述および生の哲学による連続的歴史表象とは異なったかたちで、歴史全体の「モナド」を断片的事物に見ようとするベンヤミンの方法を本論文が定式化したものであり、「子供・映画・賭博・街路そして娼婦」とは、この断片的事物とそれに対応する主体の位相および舞台を指す。名詞の並置の形をとるのは、対象を次々移してゆき、その都度その個別的対象に「モナド」を読み込もうとする、ベンヤミンのアレゴリー思考を反映してのことである。
「導入 問題設定」では「パサージュ」をはじめとしたベンヤミンのテクストが抱える固有の断絶を、単なる構成上の瑕疵ではなく、積極的な契機として引き受ける方針を打ち出す。この断絶は例えば、史的唯物論による芸術-史的記述と、ファシズム対コミュニズムという政治的危機の図式を無媒介的に提示する『技術的複製可能性時代における芸術作品』(『複製芸術論』)において、最もはっきりと表れる。本論文はそうした断絶を、歴史の研究・記述という活動がいかにして現在における政治へと接続されうるのか、という問題として引き受け、この問題に対する解決の手がかりをベンヤミンにおける「遊戯」および「賭博」の概念に求める。こうした問題設定と仮説が、以下各部において詳述される。
第一部では、ベンヤミンが「パサージュ」を執筆するにあたって掲げた「文書モンタージュ」なる方法についてまず検討し、さらに、「パサージュ」の「梗概」として残された独仏二稿のテクストを検討し、「文書モンタージュ」によって構成されるはずだった歴史記述の企図を提示する。
写真に見立てた断片を映画のように組み合わせる「文書モンタージュ」によってベンヤミンは、厳密な因果関係の継起および流れという形での歴史記述ではなく、個別的事象あるいは限定された時空のうちに歴史全体を「モナド」として凝縮的に含む、歴史のイメージを「構成」することを目的とする。19世紀のパサージュ建築を都市全体の「ミニチュア」、つまり全体を表象する個別というモデルにとる歴史記述こそが、凝縮的表象の「モンタージュ」がもたらす「ショック」によって集団の「目覚め」を惹起する。この「目覚め」の前提である「夢」と、直接的なきっかけとなる「ショック」をどのような「構成」において提示するのか。これこそが「パサージュ」全体の企図となる問いである。
第二部ではベンヤミンの回想である『1900年ごろのベルリンの幼年時代』に萌芽的に含まれている「遊戯」の可能性を抽出する。仏語版「梗概」は、歴史および自然の永劫回帰という「覚めない悪夢」のイメージによって閉じられることになるが、本論文はこの『幼年時代』のテクストから、この永劫回帰をも「子供の知恵」として縮めて表象し、歴史の変革可能性へと生産的に覆す「遊戯」概念を抽出する。
パサージュ建築が凝縮的に封入していたユートピア的イメージを忘却する歴史の進歩を「梗概」テクストは破局の連続と解釈し、この破局からの「目覚め」を、「夢」をも利用する「詭計」の図式において提示するが、本論文はこの「詭計」を「梗概」テクストにおいて完結するのではなく、『幼年時代』をはじめとした他のテクスト、およびそれらのテクストの諸稿間の異動からこそ構成的に読解されるべき図式とみなす。
『幼年時代』に記述された技術メディアとの「遊戯」の夢のような回想から、本論文がこの「詭計」に相応しい主体の位相として抽出するのが「インファンスの身体」である。核家族的な「母」による市民的自我への形成過程においては忘却され散逸してしまうような、メディア・技術・事物との「子供」の身体的関りの記憶こそが、集団の「目覚め」の鍵を握っている。この「インファンスの身体」との出会いが果たされないままも約束されていることを、本論文は『幼年時代』における「せむしの小人」という形象に読み込む。
第三部は「遊戯」の展開を記したものとして『複製芸術論』を考察する。「パサージュ」の企図が集団の「目覚め」にあることを鑑みて、第二部で扱った一人の「子供」の身体を「集団的肉体」として思考しなおすために、本論文は20世紀のメディアである映画を扱ったこのテクストを検討し、断片的かつ無意識的な記憶の形象化である「小人」も、カメラがとらえる「視覚的無意識」との関りにおいて取り上げる。
『複製芸術論』の初稿において提示された「第二の自然」の代わりに「第二技術」の概念が第二稿では登場することを本論文は、ベンヤミンの果敢な賭けとして取り上げる。技術的進歩による抑圧的で動かしがたい社会を「第二の自然」と名指した後に、ベンヤミンはこの「第二の自然」をも一挙に刷新する可能性を映画に認めるために「第二技術」を提示するのだ。この「第二技術」の作用によって、集団は「視覚的無意識」を知覚しなおし生産的な反応を返す「神経接続」を訓練されるのであり、ベンヤミンはこの「神経接続」による社会変革、および自然との協働遊戯のユートピアが可視化された形象として、ミッキーマウスを取り上げている。このミッキーマウスのようなささやかかつ戯画的なイメージに本論文は、動かしがたい歴史の重圧を今この瞬間における危機として知覚した集団が、軽やかな跳躍によって革命を成就させる、ベンヤミンの大胆な政治的要請を読みとる。『複製芸術論』を「パサージュ」のための「装置」としてとらえるベンヤミン本人の証言は、こうした20世紀の危機と好機のせめぎ合いを「19世紀の根源史」に読み込む企図として解釈される。
第四部は反復的な「遊戯」(Spiel)を一回的な危機と好機への反応へと接続する『複製芸術論』の企図を、「賭博」(Spiel)に関するベンヤミンの他のテクストの援用によって明確化する。さらには、一見軽薄で空しい体験の反復である「賭博」を有史以来の人類の儀礼的経験の現代版として見る、ベンヤミンの人類学的思考の大胆さが浮き彫りにされる。過去へ向かう歴史家の後ろ向きの活動が、現在における肉体的行動へと一瞬にして変換される、この翻身のモチーフを本論文はベンヤミンの研究・著述方法から救い上げそこに「賭博」の構造を重ねる。
歴史および日常の最も世俗的な契機をも神学的に救済するベンヤミン本来の企図を、「賭博のメシアニズム」という形で定式化したことが、本論文が従来のベンヤミン研究に対して持つ最大の新規性である。また、「遊戯」および「賭博」という活動に対応する集団の身体性を検討するために、ベンヤミンの仮想敵とされることの多いベルクソンの記憶・知覚論を再検討したことも、研究史的に重要である。
第五部は上記のような「賭博」を身振りにおいて体現する存在として、「エキセントリック」なる存在をベンヤミンの「ボードレール論」から取り上げる。そして、この「エキセントリック」が、遊歩者や屑拾いなど19世紀パリの都市文芸における諸典型を仮の姿としながら、雑踏のなかを歩き一回的な知覚と反応を試みては失敗する舞台が記録されたものとして、ボードレールの街路の詩を提示する。
本論文は1900年ごろの「インファンスの身体」の集団化として20世紀の映画観客をとらえた後に、この第五部にて19世紀パリの街路でショックを伝達し合う雑踏に集団的身体性を認める。ショックに身を晒しショックを決定的な反応へと変換しようとしては失敗する、このような形で集合的身体を集約する存在を本論文は、ベンヤミンが折に触れて言及する「エキセントリック」に求める。ショックの応酬において砕かれつつも路上に一瞬現れる歴史の断片を、「エキセントリック」たる遊歩詩人がかろうじて目に留めた記録である「ショック体験」の詩にこそ、「目覚め」の鍵になる歴史経験が封入されているはずである。
ベンヤミンが取り上げるボードレールの詩のなかでも本論文は「通りすがりの女へ」の詩を重視し、遊歩者が一瞬雑踏を通して垣間見た「女」を、「パサージュ」の重要概念である「娼婦」との関係において検討することで、同じく「パサージュ」の根幹的概念であり、古代の近代における現れを示す「弁証法イメージ」がこの詩には明確に記録されていることを示す。
第五部における最大の主張は以下である。詩人の眼差しに「通りすがりの女」を運んでくる雑踏を「波打つヴェール」と名指すベンヤミンが、ルネッサンス美術における古代の引用を女性的形象がまとう「波打つ添え物」に特定していた美術史家アビ・ヴァールブルクの研究を本格的に受容していたならば、「女」の断片化されたディティールに近代と古代の「弁証法イメージ」を認め、さらには、集合的記憶から古代を破壊的に引用する「モード」をモデルに自らが定義する「革命」をもそこに見出したはずである。女=娼婦がまとう古代的意匠こそ、「小人」および「視覚的無意識」の19世紀パリにおける対応物であり、そこに自然との協働遊戯のユートピア的イメージが凝縮・封入されている。この細部における「弁証法イメージ」をベンヤミン自身が捕捉しそこなったことで、「ボードレール論」は「パサージュ」の「縮小版」として結晶化するための焦点を失い、「パサージュ」本体も「構成」を欠いた断片の集積として残されることになる。結論としてこのことを示し、本論文は締めくくられる。
タイトルにある「歴史のミニチュア」とは、歴史主義の因果連関による歴史記述および生の哲学による連続的歴史表象とは異なったかたちで、歴史全体の「モナド」を断片的事物に見ようとするベンヤミンの方法を本論文が定式化したものであり、「子供・映画・賭博・街路そして娼婦」とは、この断片的事物とそれに対応する主体の位相および舞台を指す。名詞の並置の形をとるのは、対象を次々移してゆき、その都度その個別的対象に「モナド」を読み込もうとする、ベンヤミンのアレゴリー思考を反映してのことである。
「導入 問題設定」では「パサージュ」をはじめとしたベンヤミンのテクストが抱える固有の断絶を、単なる構成上の瑕疵ではなく、積極的な契機として引き受ける方針を打ち出す。この断絶は例えば、史的唯物論による芸術-史的記述と、ファシズム対コミュニズムという政治的危機の図式を無媒介的に提示する『技術的複製可能性時代における芸術作品』(『複製芸術論』)において、最もはっきりと表れる。本論文はそうした断絶を、歴史の研究・記述という活動がいかにして現在における政治へと接続されうるのか、という問題として引き受け、この問題に対する解決の手がかりをベンヤミンにおける「遊戯」および「賭博」の概念に求める。こうした問題設定と仮説が、以下各部において詳述される。
第一部では、ベンヤミンが「パサージュ」を執筆するにあたって掲げた「文書モンタージュ」なる方法についてまず検討し、さらに、「パサージュ」の「梗概」として残された独仏二稿のテクストを検討し、「文書モンタージュ」によって構成されるはずだった歴史記述の企図を提示する。
写真に見立てた断片を映画のように組み合わせる「文書モンタージュ」によってベンヤミンは、厳密な因果関係の継起および流れという形での歴史記述ではなく、個別的事象あるいは限定された時空のうちに歴史全体を「モナド」として凝縮的に含む、歴史のイメージを「構成」することを目的とする。19世紀のパサージュ建築を都市全体の「ミニチュア」、つまり全体を表象する個別というモデルにとる歴史記述こそが、凝縮的表象の「モンタージュ」がもたらす「ショック」によって集団の「目覚め」を惹起する。この「目覚め」の前提である「夢」と、直接的なきっかけとなる「ショック」をどのような「構成」において提示するのか。これこそが「パサージュ」全体の企図となる問いである。
第二部ではベンヤミンの回想である『1900年ごろのベルリンの幼年時代』に萌芽的に含まれている「遊戯」の可能性を抽出する。仏語版「梗概」は、歴史および自然の永劫回帰という「覚めない悪夢」のイメージによって閉じられることになるが、本論文はこの『幼年時代』のテクストから、この永劫回帰をも「子供の知恵」として縮めて表象し、歴史の変革可能性へと生産的に覆す「遊戯」概念を抽出する。
パサージュ建築が凝縮的に封入していたユートピア的イメージを忘却する歴史の進歩を「梗概」テクストは破局の連続と解釈し、この破局からの「目覚め」を、「夢」をも利用する「詭計」の図式において提示するが、本論文はこの「詭計」を「梗概」テクストにおいて完結するのではなく、『幼年時代』をはじめとした他のテクスト、およびそれらのテクストの諸稿間の異動からこそ構成的に読解されるべき図式とみなす。
『幼年時代』に記述された技術メディアとの「遊戯」の夢のような回想から、本論文がこの「詭計」に相応しい主体の位相として抽出するのが「インファンスの身体」である。核家族的な「母」による市民的自我への形成過程においては忘却され散逸してしまうような、メディア・技術・事物との「子供」の身体的関りの記憶こそが、集団の「目覚め」の鍵を握っている。この「インファンスの身体」との出会いが果たされないままも約束されていることを、本論文は『幼年時代』における「せむしの小人」という形象に読み込む。
第三部は「遊戯」の展開を記したものとして『複製芸術論』を考察する。「パサージュ」の企図が集団の「目覚め」にあることを鑑みて、第二部で扱った一人の「子供」の身体を「集団的肉体」として思考しなおすために、本論文は20世紀のメディアである映画を扱ったこのテクストを検討し、断片的かつ無意識的な記憶の形象化である「小人」も、カメラがとらえる「視覚的無意識」との関りにおいて取り上げる。
『複製芸術論』の初稿において提示された「第二の自然」の代わりに「第二技術」の概念が第二稿では登場することを本論文は、ベンヤミンの果敢な賭けとして取り上げる。技術的進歩による抑圧的で動かしがたい社会を「第二の自然」と名指した後に、ベンヤミンはこの「第二の自然」をも一挙に刷新する可能性を映画に認めるために「第二技術」を提示するのだ。この「第二技術」の作用によって、集団は「視覚的無意識」を知覚しなおし生産的な反応を返す「神経接続」を訓練されるのであり、ベンヤミンはこの「神経接続」による社会変革、および自然との協働遊戯のユートピアが可視化された形象として、ミッキーマウスを取り上げている。このミッキーマウスのようなささやかかつ戯画的なイメージに本論文は、動かしがたい歴史の重圧を今この瞬間における危機として知覚した集団が、軽やかな跳躍によって革命を成就させる、ベンヤミンの大胆な政治的要請を読みとる。『複製芸術論』を「パサージュ」のための「装置」としてとらえるベンヤミン本人の証言は、こうした20世紀の危機と好機のせめぎ合いを「19世紀の根源史」に読み込む企図として解釈される。
第四部は反復的な「遊戯」(Spiel)を一回的な危機と好機への反応へと接続する『複製芸術論』の企図を、「賭博」(Spiel)に関するベンヤミンの他のテクストの援用によって明確化する。さらには、一見軽薄で空しい体験の反復である「賭博」を有史以来の人類の儀礼的経験の現代版として見る、ベンヤミンの人類学的思考の大胆さが浮き彫りにされる。過去へ向かう歴史家の後ろ向きの活動が、現在における肉体的行動へと一瞬にして変換される、この翻身のモチーフを本論文はベンヤミンの研究・著述方法から救い上げそこに「賭博」の構造を重ねる。
歴史および日常の最も世俗的な契機をも神学的に救済するベンヤミン本来の企図を、「賭博のメシアニズム」という形で定式化したことが、本論文が従来のベンヤミン研究に対して持つ最大の新規性である。また、「遊戯」および「賭博」という活動に対応する集団の身体性を検討するために、ベンヤミンの仮想敵とされることの多いベルクソンの記憶・知覚論を再検討したことも、研究史的に重要である。
第五部は上記のような「賭博」を身振りにおいて体現する存在として、「エキセントリック」なる存在をベンヤミンの「ボードレール論」から取り上げる。そして、この「エキセントリック」が、遊歩者や屑拾いなど19世紀パリの都市文芸における諸典型を仮の姿としながら、雑踏のなかを歩き一回的な知覚と反応を試みては失敗する舞台が記録されたものとして、ボードレールの街路の詩を提示する。
本論文は1900年ごろの「インファンスの身体」の集団化として20世紀の映画観客をとらえた後に、この第五部にて19世紀パリの街路でショックを伝達し合う雑踏に集団的身体性を認める。ショックに身を晒しショックを決定的な反応へと変換しようとしては失敗する、このような形で集合的身体を集約する存在を本論文は、ベンヤミンが折に触れて言及する「エキセントリック」に求める。ショックの応酬において砕かれつつも路上に一瞬現れる歴史の断片を、「エキセントリック」たる遊歩詩人がかろうじて目に留めた記録である「ショック体験」の詩にこそ、「目覚め」の鍵になる歴史経験が封入されているはずである。
ベンヤミンが取り上げるボードレールの詩のなかでも本論文は「通りすがりの女へ」の詩を重視し、遊歩者が一瞬雑踏を通して垣間見た「女」を、「パサージュ」の重要概念である「娼婦」との関係において検討することで、同じく「パサージュ」の根幹的概念であり、古代の近代における現れを示す「弁証法イメージ」がこの詩には明確に記録されていることを示す。
第五部における最大の主張は以下である。詩人の眼差しに「通りすがりの女」を運んでくる雑踏を「波打つヴェール」と名指すベンヤミンが、ルネッサンス美術における古代の引用を女性的形象がまとう「波打つ添え物」に特定していた美術史家アビ・ヴァールブルクの研究を本格的に受容していたならば、「女」の断片化されたディティールに近代と古代の「弁証法イメージ」を認め、さらには、集合的記憶から古代を破壊的に引用する「モード」をモデルに自らが定義する「革命」をもそこに見出したはずである。女=娼婦がまとう古代的意匠こそ、「小人」および「視覚的無意識」の19世紀パリにおける対応物であり、そこに自然との協働遊戯のユートピア的イメージが凝縮・封入されている。この細部における「弁証法イメージ」をベンヤミン自身が捕捉しそこなったことで、「ボードレール論」は「パサージュ」の「縮小版」として結晶化するための焦点を失い、「パサージュ」本体も「構成」を欠いた断片の集積として残されることになる。結論としてこのことを示し、本論文は締めくくられる。