愛鷹・箱根山麓は後期旧石器時代の遺跡群が密集する地域として知られている。この地域では、分厚いローム層の中で層位的に石器群が出土しており、後期旧石器時代の編年研究を行う上で重要な資料となっている。本研究の目的は、この愛鷹・箱根山麓を中心とする地域の後期旧石器時代石器群を対象として、高い精度で把握した編年に基づき、人類活動の変遷の復元を試みることにある。
 第I章では本論への導入として、後期旧石器時代の石器群の編年研究の現状を概観し、また本研究における石器群の基本的な捉え方を整理した。
 第II章では、愛鷹・箱根山麓をとりまく地形と古環境について整理した。この地域に関わる古環境データは石器群の変遷に比べて情報量が十分でない面もあるが、愛鷹・箱根山麓の遺跡で得られた試料による植物珪酸体分析では関東地方より温暖な環境が想定される一方で、その外縁部に当たる伊豆半島では寒暖の変動に伴う植生の変化がより顕著に観察されている。
 第III章では、愛鷹・箱根山麓の後期旧石器時代石器群の編年について改めて整理し、後期旧石器時代初頭の第IVスコリア層から細石刃石器群まで、20の編年的単位に分節して整理した。この編年的単位の整理に当たっては、層位の明確な石器群を基準としつつ、層位だけで位置づけの決定しがたい石器群についても、石器群の内容や関連する年代データの比較等に基づき、その位置づけを決定した。
 第IV章では、後期旧石器時代石器群の編年に対応する年代を明らかにするため、愛鷹・箱根山麓とその周辺地域の試料で測定された放射性炭素年代のデータを集成し、分析を行った。年代データはAMS法によるものを採用し、IntCal20に基づき較正年代を求めた。その上で、石器群と共伴する可能性が高い年代データを選択的に採用することで、石器群の編年的単位に対応する年代を求めた。さらに、関連するテフラの年代も追加して検討することで、導出された年代の妥当性を向上させた。
 集成できた年代データには、時期・地域によってその密度に多寡がある。愛鷹・箱根山麓では、後期旧石器時代初頭から休場層直下黒色帯下部までについてまとまった年代が得られているのに対し、関東地方では、後期旧石器時代後半期後葉以降、すなわち愛鷹・箱根山麓でデータが欠けている時期に関わる年代が多く得られている。そこで、愛鷹・箱根山麓とその周辺地域で得られた年代データを総合して、後期旧石器時代全体を通して編年に対応する年代を求めた。地域間で年代データを統合して扱うには、地域間の石器群の並行関係が適切に整理されている必要がある。しかし、地域間の石器群の並行関係については、研究者間で一致しない部分が少なくないため、愛鷹・箱根山麓と関東地方とで石器群の並行関係を再検討しながら、年代をまとめた。その上で、OxCalのプログラムを使用し、年代データを編年的単位に対応した前後関係に置くかたちでシミュレーションを行った。その結果、愛鷹・箱根山麓のみのデータ、関東地方のみのデータそれぞれに基づいた場合でも、両者の重複部分について大きなずれは認められなかった。そこで両者を統合することにより、後期旧石器時代のほぼ全ての時期に対して年代を求めた。これは現在得られる最も妥当な年代観であると考えられる。
 第V・VI章では、愛鷹・箱根山麓における後期旧石器時代の居住形態の変化について検討を行った。まず石器群の規模と遺跡数について、編年的単位ごとに集計して第IV章で求めた年代幅で補正することによって、後期旧石器時代を通した変化の傾向を示した。後期旧石器時代前半期には第V黒色帯と第II黒色帯で遺跡数と規模が極大となるが、ニセローム層でいったん縮小する。その後、再び遺跡数と規模は再び回復し、後半期後葉にはもっとも拡大した時期を迎えるが、尖頭器石器群、細石刃石器群で再び縮小するかたちとなる。
 このように観察された遺跡の数と規模の増減について、居住形態の変動と関連付けて考察した。後期旧石器時代前半期前葉においては、第IVスコリア層、第V黒色帯は大規模石器群を中心とした相対的に兵站的移動性の高い居住形態、第VII・VI黒色帯、第IV黒色帯については小規模石器群を形成する居住地移動性の高い居住形態が復元される。前者は相対的な温暖期、後者は相対的に寒冷化する時期に相当することから、寒冷な時期には居住地移動性が高くなるという相関関係が想定でき、寒冷化によって開発対象の資源の密度や予測可能性が低下したことが予想される。
 後期旧石器時代前半期後葉、第IIIスコリア帯黒色帯2からニセローム層までにかけては、石器製作や石器組成、石材組成の点で異なる特徴の石器群が同時期に展開する点に特徴が認められる。これは、季節的な資源の変動に対応したものではないかと推定される。この傾向が特に顕著なのが第III黒色帯、第II黒色帯である。第III黒色帯では兵站的移動性が高い大規模石器群を形成する期間と、居住地移動性の高い中・小規模石器群を形成する期間とが季節的に入れ替わっていたものと予測される。同時期に存在していた陥穴群については、広い範囲に分散する中・小規模石器群の形成と関連して残された可能性が高い。また、第II黒色帯では、石刃製尖頭形石器は極めて異所性の強い石材消費過程を示し、予測可能性の高い資源への計画的な獲得行動に関連付けられることが考えられる。これに対し、小型剥片製尖頭形石器を伴う石器群と不定形剥片製作に関わる石器群はそれ以外の、定常的な活動に対応しているものと考えられる。第II黒色帯の石器群で見られる大型の石刃製尖頭形石器は、同時期の関東地方で予測されている大型獣狩猟への傾斜が愛鷹・箱根山麓でも存在した可能性があるが、その機会はかなり限定されていたため、日常的な狩猟具として剥片製の尖頭形石器が並行して利用されていたものと考えられる。しかし、この状況は続くニセローム層では一転し、愛鷹・箱根山麓では石器組成の単純な小規模石器群のみが形成され、居住地移動性の高い居住形態に移行する。当該期の変化は、MIS3からMIS2へ向けての寒冷化とともに、これと軌を一にして起こった大型狩猟対象獣を中心とする生業資源の減少に伴うものと考えられる。
 後期旧石器時代後半期前葉、第I黒色帯から休場層下位は、いわゆる最終氷期最寒冷期に相当し、大きな資源環境の改善があったとは見込まれない中で遺跡数・規模が回復していった時期である。その要因として考えられるのは、まず開発資源の多角化であろう。石器の種類は狩猟具、加工具とも多様化しており、大規模石器群ではまとまって組成されている。兵站的な居住本拠地を基地として、多様な資源を対象に開発が進んだものと考えられる。もう1つは愛鷹・箱根山麓内の資源の探索密度の増大であり、この時期以降、箱根山麓にも一貫して遺跡が残されるようになり、生業域として安定して利用されるようになったものと考えられる。
 後期旧石器時代後半期後葉、休場層中位から上位、愛鷹・箱根山麓における砂川期に相当する石器群から尖頭器石器群までの時期では、時期によって利用石材の構成の入れ替わりが顕著な状況が見られた。このうち、休場層中位・砂川並行期の石器群では主として信州産黒曜石、ホルンフェルス、ガラス質黒色安山岩が消費されている。低頻度で入手される信州産黒曜石が、限られた地点で集中的に消費され、尖頭形石器の製作に利用されるのに対し、高頻度で多量に入手可能なホルンフェルスは多くの地点で浪費的に消費され、石刃の状態でも多く利用される。ガラス質黒色安山岩は両者の中間的な利用形態を示す。石材ごとに異なる消費過程を適用し、その組み合わせで構成される石器群は、同時期において少なくとも相模野台地、武蔵野台地などを含む関東地方南西部に共通するものと考えられ、信州産黒曜石と、近傍に豊富に産する石材との消費の組み合わせで石器群を構成するという構造で説明することができる。砂川並行期において、愛鷹・箱根山麓から関東地方にかけて、石器製作技術だけでなく石材消費まで含めて同一の構造をもつ石器群が成立した点は重要であり、愛鷹・箱根山麓におけるこの後の石器群の変遷も、基本的には関東地方と同一の構造の中で変化していくこととなる。砂川並行期に後続する休場層中・上位の石器群では、信州産黒曜石と箱根産黒曜石とを利用しつつ、生業域はより小区画化し、愛鷹山麓側と箱根山麓側とに異なる生業域が成立した可能性を指摘した。さらに、尖頭器石器群についても、箱根産黒曜石やガラス質黒色安山岩が主体となり、石材獲得のための移動域が縮小したかたちとなる。後期旧石器時代終末期の細石刃石器群についても、愛鷹・箱根山麓では、関東地方とほぼ同時に現れたものと考えられるが、この変化も後半期後葉、同一構造の石材消費をもつ石器群が並行して存在していた延長上で捉えられる。
 以上、愛鷹・箱根山麓の後期旧石器時代石器群について、層位に基づく変遷観と放射性炭素年代測定に基づく年代観を総合し、それに対応する居住形態の変遷を分析した。この地域で得られている古環境データは石器群の変化と対比検討するのには必ずしも十分なものではないが、石器群の変遷に年代軸を与えることができたことから、広域的なスケールの気候変動と対比して当時の人々の生活の変化を考察することも可能となった。愛鷹・箱根山麓では、後期旧石器時代の早い段階で限られた範囲の生業域が成立し、その中で移動性が拡大・縮小する変遷をたどるパターンで説明される。これは、関東地方のように時期によって大きな移動距離の変化が認められるのとは大きく異なるものであり、地域の環境条件に応じた変遷過程の事例研究と言えるものである。