本論文は,日本と韓国の高齢者夫婦を対象に,家庭内家事労働分担の観点から,性別役割分業を明らかにすることを目的とした.特にライフステージの観点を導入することで,これまで出産・育児期に限定されてきた性別役割分業の議論を高齢期まで広げ,高齢者の性別役割分業を検討した.その際に,世界で最も高齢化した社会である日本,ならびに近年の高齢化傾向が甚だしい韓国を事例とした.日本と韓国は,ジェンダー格差が大きく,性別役割分業も強固であるため,高齢期夫婦の性別役割分業をみるうえで重要な事例であるといえる.
 本論文の構成は以下の通りである.
 第1章「家事労働からみる性別役割分業」では,本研究の研究背景を説明した.まず,家事労働における主要な議論を整理したのちに,本研究が高齢期に注目することや日本と韓国の事例を取り上げる理由について述べた.さらに先行研究の検討を通して本研究の位置づけを示した.
 第2章「研究対象とデータ」は,各章における研究対象と各章の分析に使用するデータについて説明した.本論文では,第4章で「East Asian Social Surveyデータ(以下EASSデータ)」,第5章で「社会階層と社会移動に関する全国調査データ(The National Survey of Social Stratification and Social Mobility,以下SSMデータ)」,第6章で「韓国女性家族パネル調査データ(Korean Longitudinal Survey of Women and Families,以下KLoWFデータ)」を用いる.これらのデータはそれぞれに限界も有するが,高齢者の家事参加頻度や家事参加時間を尋ねていることや,高齢者の就業に関する情報も含まれていることから,本研究に対して適切なデータであるといえる.
 第3章「マクロ統計データからみる日韓高齢者の現状と趨勢」では,マクロ統計データから日韓高齢者の現状を把握した.まず,本研究の中心課題である高齢期の性別役割分業を理解するため,高齢者の就業状況を男女別に検討した.また,高齢者の家事時間や家事に関する意識等を検討した.これらの内容を踏まえ,第4章から第6章の検討課題を設定し,分析を行った.
 第4章「高齢者の家事労働における時代的変化:日本と韓国を通して」では,「時代的変化」に焦点を当てて,日本と韓国の高齢者における家事時間の2006年から2016年にかけての変化を検討した.その際,高齢者の家事労働を規定する要因には何があり,それが2006年と2016年とで異なっているかを,男女別に考察した.特に,社会経済的要因と家族要因に注目し,EASSデータを使用して検討した.
 その結果,2006年に比べて2016年では日韓高齢男性の家事時間が増加し,日韓高齢女性の家事時間は減少していることが見出された.また,高齢者の家事時間に影響を及ぼす規定要因として家族要因があり,配偶者がいる場合の家事時間が日韓高齢男性において減少し,日韓高齢女性においては増加していることがわかった.この結果から,高齢者においては,社会経済的要因よりも配偶者の有無が性別による家事時間の差を生みだしていることが確認された.この結果を踏まえて,次の章からは,配偶者と同居している高齢者夫婦を対象に分析を行った.
 第5章「現役世代との比較からみる高齢者の家事労働:日本を通して」では,「世代間の比較」に注目し,日本を事例として,高齢期夫婦の家事労働を現役期夫婦の家事労働と比較して検討した.特に,高齢者の就業要因が家事時間に及ぼす影響を検討し,現役世代と比較することで,高齢期の性別役割分業を明らかにした.使用したデータはSSMデータであった.
 その結果,現役世代と高齢者で共通して,家事の多くを女性が担っていることが確認された.年齢層に関係なく,女性が家事を行っているということである.次に男女別の結果をみると,男性の場合は現役世代・高齢者同様に,就業状況や労働時間が家事時間に有意味な影響を与えていることがわかった.
 これに対して女性の場合には,現役世代と高齢者で異なる結果が得られた.現役世代の女性は現役世代の男性と同様,就業状況や労働時間が家事時間に影響を及ぼしていたが,高齢女性については,自営業者や9時間以上の長時間労働者であるときも,非就業者と比べて家事時間に変わりがなかった.このことから,高齢女性の場合は,現役女性とは異なり,就業と関係せず家事の役割を担っているといえる.
 最後に,第6章「高齢女性の就業変化からみる家事時間の変化:韓国を通して」では,「高齢女性個人内部の変化」に注目し,高齢女性の加齢や就業変化により家事時間,特に妻自身の家事時間や配偶者である夫の家事分担割合をどのように変化させるかを,KLoWFデータを使用して分析を行った.
 その結果,韓国高齢女性(妻自身)の家事分担割合は夫より多く,家事の役割は主に女性の役割であることがわかった.分析対象期間の2007年から2020年にかけたすべての時期において夫の家事分担割合は増加したとしても10%前後であり,かなり低い分担率であった.
 また,妻の就業状況や雇用形態が変わると,妻の家事時間も変化することがわかった.特に自営業や家族従業であった場合よりも被雇用であった場合に,家事をする時間が減少していた.これに対して,夫の就業状況が変化しても,妻の家事時間には変わりがなかった.高齢期の女性は夫よりも家事時間がはるかに長く,妻の家事時間が調整されるとしても家事の主な担当は女性であり,夫の就業状況の変化にかかわらず家事は妻が担当していた.つまり,性別役割分業が高齢期にも続いていると考察される.
 このように,日本の家事労働における「世代間の比較」と,韓国の家事労働に関する「個人内部の変化」を検討した結果,日韓の双方において,高齢女性,高齢期の女性において女性が家事役割を担っていることが確認された.特に「世代間の比較」を通して就業要因は現役世代女性の家事時間を説明することができても高齢女性の家事時間に対しては十分な説明力を持たないことがわかった.さらに「個人内部の変化」の検討を通して,夫の就業状況が変化しても,高齢女性の家事時間は変化しないことが明らかになった.
 このことから,高齢期になっても夫の就業状況とは関係なく女性が家事の役割を担っていることが見出される.高齢者である女性,高齢期の女性において,「女性は家事をする」という性別役割分業が見られると考えられる.
 本研究の分析結果から以下の示唆が得られる.
 第1に,日本と韓国においては,高齢期にも性別役割分業が強固に持続していることがわかった.マクロ統計データが示す日韓高齢者における家事労働時間の男女差は,本研究の分析結果でも同様に見出された.女性のほうが家事を多く担う傾向は,時代的検討,世代間比較,高齢女性個人の変化のいずれの検討においても見られた.高齢者である女性,高齢期にいる女性において,家事は女性の役割となっていると考えられる.
 この結果は,性別役割分業をめぐる理論枠組に次の示唆を与える.これまでの研究は,労働市場との関係から現役世代女性の社会進出と共働き世帯の増加に注目して性別役割分業を再検討してきた.これに対して本研究は,就業環境が現役世代とは異なる高齢者,高齢期において,性別役割分業が強固であることを見出し,高齢期の性別役割分業を労働市場との関係のみで説明することの不十分さを指摘した.高齢期には就業いかんにかかわらず家事は女性の役割であるとの社会規範が強く作動している可能性がある.
 第2に本研究は,結婚して夫婦になると,近代家族の土台とされる性別役割分業が強く機能し,高齢期の夫婦関係において持続している可能性を示唆した.分析において,日韓いずれの高齢者においても,配偶者がいることの意味が男女で異なり,配偶者がいることで性別役割分業が持続されていることがわかった.日韓の高齢男性は妻がいる場合に家事時間が短くなる一方で,高齢女性は,夫がいることによって家事時間が長くなっており,また就業状況により女性本人の家事時間が調整されていたとしても家事の大部分を担っていることから,高齢期に拡張された家事労働に明確な男女差があることを見出した.性別役割分業を規定しているのは女性の就業より家事労働を女性の役割とする規範意識であることが考えられ,本研究を通して,女性であるから家事を遂行するという仮説の支持が明確になったといえる.
 以上の知見は,これまでの性別役割分業に関する議論に次のような貢献をなしうる.日本と韓国は,高齢化の進行に伴い,単身世帯や夫婦のみ世帯の割合が急激に進行している.本研究の知見は,出産・育児期に限定された性別役割分業の議論枠組は,これからの高齢社会における性別役割分業を説明するには不十分であることを示唆する.性別役割分業の議論は,労働市場に限定されるのではなく,高齢期に拡張されて議論される必要がある.
 さらに本研究は,女性の就労環境の改善により家庭内労働も平等になるという先行研究の仮説が必ずしも支持されないことを明確にした.本研究は,労働市場から離脱した高齢期においても女性における家事の役割が強固であることを示した.就業の変化にかかわらず女性が男性より多くの家事を遂行し続けているのは,女性の就業が始まる以前よりそもそも家事労働が女性の役割であることが前提とされているためといえるだろう.