本論文は、明代に成立した白話小說『水滸傳』とその關連作品を中心に、元~清代前期の白話文學、及び同時代の文獻資料を用い、物語や敘述の內容とともに、「語り方」にも焦點を當てつつ、各々の資料が前提としている「あるべき秩序」、それを支える世界觀や「正しさ」のありよう、「秩序」や「正しさ」と暴力の樣々な絡み合い、秩序から「外れた」と判定される基準や「外れた」人々の見られ方・扱われ方、あるべき秩序に合わせた「正統的」な述べ方とそこから逸脱した述べ方、それらの資料間での相異や搖れ、時代的な變化等について檢討し、その一端を明らかにすることを試みる。
 
 序論において、本論文における問題設定を述べ、主要な分析対象とした『水滸』に關わる作品群の基本情報及び版本に関する情報をまとめて提示した。
 
 第1章では、主として小說『水滸傳』成立頃までの、水滸說話(時代にも受容形態にも制限なく、諸作品の前提としてあった物語の枠組みや設定をも含む、流傳していた物語の總體を指す)を基礎として成立した作品群をとりあげ、自己の膂力に賴って渡世する人々「強人」がいかなる存在であったとされていたかを檢討した。早期の作品群においては、強人たちの凶暴さは、正當化を經ること無くそのまま提示され、堅氣の人々はそれを恐れ忌んでいること、強人にとっての行動論理は、自己と集團の生存と安全確保が第一であり、それに資する「強さ」の尊重や、「結義」で結ばれた仲間內の相互扶助論理が重視されること、早期の水滸雜劇などに見られる「結義」は、強人集團內で閉じておらず、窮地に陷った強人を助けるなどした一般人との間でも結ばれ得ること、また、強人の世界と一般人の世界とはある程度交通可能・往還可能な世界として描かれていることを指摘した。強人の行動論理から考えれば「強さの尊重」に對應する「強人同士の戰い」、「仲間内の相互扶助論理」に對應する「結義した恩人を救う義舉」を扱う話が原型に近く、そこから、「強人同士の戰い」という基本形にゆきずりの被害者を絡ませて善惡の色分けを行い、善玉の強人が惡玉の強人をやっつけて被害者を救うタイプの義舉、更には惡玉を貪官汙吏に代え、善玉の強人が惡の貪官汙吏を懲らすタイプの「義舉」を扱う話が派生したと考え得ること、強人たちが招安を受ける前の時点から「朝廷への忠」を懷いているとする描寫を含む作品の出現は比較的晩いことを指摘した。
 
 第2章では、第1章においてより原初的な認識と推論した「凶惡・凶暴な強人の暴力」の性質について、小說『水滸傳』の一般的には不評な「李逵の小衙内殺し」の段を取り上げ、世間的な倫理や秩序から逸脫した「凶惡・凶暴な強人の暴力」の扱われ方を檢討した。こうした剝き出しの制御されない暴力、法の手中になく、まず第一にその存在の宣言であるような暴力(「宣言としての暴力」)への讚歎が基底にある『水滸傳』において、「宣言としての暴力」を體現する李逵の暴力が、梁山泊によって「手段としての暴力」として利用され馴致されるさまが、この段に対する違和感の底流をなしていることを論じた。
 第3章では、第1章の檢討對象とほぼ同時代の三國故事を扱った作品群を取り上げた。『平話』などには、正統的な「唯一無二の皇帝を頂點とする階層的秩序觀」からは逸脫した「述べ方」―嚴密な言葉の使い分けをせず、多くの「帝」「天子」「王」などが相互の關係が不明確なままごろごろと存在して、そのどれにも一應の敬意を表する、といった(一般に「稚拙」と評される)敘述―が見られ、「唯一無二の天子」と、それを頂點として明確に序列付けされた秩序を「あるべき秩序」として前提していない(「あるべき秩序」にあわせて物語を切り取り、語ろうとしていない)と考えられること、君臣秩序の敘述に關し、文言文と相當に異なる「語り方」が存在し、そうした語り方をさせる、士人の「正統的」なそれとはかなり異なる認識・秩序意識が存在していたと考えられることを指摘した。こうした傾向が特に明瞭に看取されるのは、成立のやや早い『平話』・元刊本雜劇や詩讚系說唱『花關索傳』であり、脈望館鈔本雜劇、傳奇『古城記』『草廬記』も、顯著とは言えないが上述の傾向が見える。これらに比べると、『三國演義』(及び明の皇族朱有燉の雜劇『義勇辭金』)では、肯定的人物の「逸脫」は削除されるか書き變えられ、逸脫した述べ方も「矯正」されて、「正統的」な敘述と、その「あるべき秩序」に相當に親和的となっていることを跡づけた。
 
 第4、5章では、第1章を補足しつつそれに續く時代における變化を追った。
 
 第4章では、『水滸傳』を論ずる際、しばしば取り上げられる「忠義」の語に焦點を當て、早期の作品群や批評では、(第1章で「相手を問わない正義」や「朝廷への『忠』」より早い段階で出現し、また強調されていると推論した)「仲間內の相互扶助」を讚える用法が相當に有力であったこと、それが、明末の文繁不分卷系版本における正文の書き換えや、それに附された批評においては、現在一般にイメージされるような「朝廷への『忠』」へとすり替えられ「矯正」されていっていることを明らかにした。
 
 第5章では、小說『水滸傳』の版本分化及び明代後期~清代前半の『水滸』關連の傳奇(南曲)作品を取り上げ、凶惡・凶暴な強人同士の爭いから、善惡の色分けを強調して「善玉 vs. 惡玉」の對立へ、さらに敵對者を代えて「正義の好漢 vs. 惡の貪官汙吏」の對立の構圖が強調されていく樣相、この構圖が強調されるのに伴ってイレギュラーな(「正統的」價値觀からは逸脱した)認識や語り方が切り捨てられていったことを論じた。
 
 第6章では、岳飛を扱った作品群を取り上げ、「國家」及び「民族」(に相當する概念)の(不在・稀薄を含めた)ありよう、及びそれらに關わる記述の偏差・變化を檢討した。
 『東窗事犯』『大宋中興通俗演義』など、早期のテクストにおいて見られる肯定的人物の不敬・不穩と受け取れる言動などの逸脫した要素は、時期の晚い諸テクストにおいては取り除かれ、財や名聲への欲望を示す部分も削って「忠義」の「純粹化」を圖る方向性がここでも見られる。また、所謂<忠義>の對象として選擇される語彙の傾向から、時期の晩い作品群においては(皇帝個人よりも)「皇帝を核とする國家」のより「公」的な側面を強調し、さらに、『說岳全傳』では岳飛らの事業が向けられ・ささげられている對象として、(皇帝を中心としつつも)「民」をも含めたより廣い、抽象的なものを喚起しうる布置になっていることを指摘した。
 また、<民族>に關しても、一般論的には前近代の中國の文獻において、近代の「漢族」に相當するような「人々」のカテゴリーは曖昧で搖れの大きいものであったように見えること、予め均質で統合された<われわれ>のカテゴリーが想定されているのではなく、他者である朝廷(皇帝を核とした政權)とそれぞれの人々とがおのおの何らかの關係を結んだり(解消したり)しているという世界像が考えられること等を前提として確認した上で檢討を行った。早期の作品においては上述の世界像をほぼ踏襲しながらも、宋金對立時代の史料に見える文化的相互浸透、宋金雙方における多<民族>的構成、「所屬」の變更しやすさなどは多くは消去されており、宋金雙方の內部の多樣性が捨象されている點に注意した。更に時代が降るにつれ、樣々な言說布置の變更によって、「より廣い、抽象的な」カテゴリーが<われわれ>として立ち現れることを論じた。このカテゴリーは、「傳統的」世界觀の、不平等な階層秩序を繼承しつつも、生得的な基準により變更不能な境界線がはっきりと引かれている點でそれとは異なる。また、文化的・民族的要素と、「國家」への「歸屬」とを重ね合わせることを良しとする點、「生まれ」や「血統」がその「所屬」を決定すると觀念される點で近代の國家と重なるが、境界線の向こうに、異質ではあるが對等の外國が想定されているのではなく、むしろ類似していてかつ劣っている「外國」が想定されている點で、nation stateとは異なっていることを論じた。
 
 「7.結論」において、以上の章をふまえて整理・再檢討を行った。
 本稿の考察對象とした作品群の中では早期に屬する、元~明前期の雜劇や平話などにおいては、「あるべき秩序」からの逸脫に對するある種現實的な「ゆるさ」が認められる。述べ方・語り方においても、正統的・規範的な文言にあるような「あるべき秩序に當てはめて述べる」縛りが比較的ゆるく、逸脫した(規範的な立場からは「未熟な・誤った」)述べ方が許容され殘存していると言える。そして、時代が降るにつれ、また、作者や受容者の階層が高くなっていく(と推定される)につれ、「あるべき秩序」に合わせ、そこから逸脫しはみ出る部分が切り捨てられ、「矯正」されていく傾向が見られる。
 比較的早期の作品でも社會的地位が高い作者のものは相對的に規範的である、などの點からは作者・受容者の階層も無視できないが、全體の傾向としては時代が降るにつれ「矯正され」「習熟した」敘述が優勢を占めてゆくと見られることから、明清に進行したとされる中國社會全體の「禮教化」「秩序化」が、上述のような「正統的な」それとはかなり異なる(「逸脫した」)秩序に關わる認識を「矯正」し、通俗文藝におけるこうした敘述をも規範化していった、という視點からの檢討も可能と思われる。