中心視野と周辺視野の機能は,その根底にある神経メカニズムの差異によりさまざまに異なる。周辺視野の機能に関しては,周辺視野が中心視野と異質なメカニズムを持つという立場と,周辺視野は中心視野の視覚能力を量的に減衰させたものであるという立場が存在する。中心視野と周辺視野を同質的なものとみなす立場では,皮質拡大係数を用いて,中心視野と周辺視野における人間の観察者のパフォーマンスを等化しようと試みたが,複雑な刺激を周辺視野で観
察した時の人間のパフォーマンスを説明することは困難であった。本研究では,周辺視野は中心視野とは異なる独自の情報符号化様式を持つという立場にたち,特に複雑な刺激を観察するときに周辺視野がどのようなメカニズムで知覚や意識の形成に貢献するかについて解明することを目的とした。
  周辺視野における視知覚メカニズムの候補として現在提案されているのが,要約統計量による符号化理論である。要約統計量とは,視覚入力が局所的なプーリング領域を要約する測定値によって表現されるとき,その測定値のことを指す。周辺視野の視機能は,要約統計量の知覚に大幅に依存すると提唱するこの理論は,周辺視野において,近隣にディストラクターがあるときに対象の物体の識別が困難になる現象(クラウディング)の発生をよく説明できる。一方で,この理論をはじめとして,既存の周辺視野の視機能のモデル化の試みのなかで説明されていない要因がある。それは,周辺視野における色の問題である。これまで,周辺視野は色感度が悪いと考えられ,あまり色が取得できないために,視知覚にもあまり影響を及ぼさないとしばしば考えられてきた。このような背景もあり,周辺視野における符号化様式を探求する中で,色に関する議論は十分には検討されてこない傾向があった。しかし,近年では周辺視野でもサイズを調整すれば色が十分に把握可能なことなどがわかってきており,周辺視野に関する視知覚のメカニズムの包括的な提案において,色の次元を取り入れて議論することは重要であると考えられる。本研究では,周辺視野との関わりの深さから,情景認知という観点に着目し,周辺視野における情景認知に色がどのように貢献するかを明らかにすることを目的の一つとし,そのための研究を第4章で実施した。
  また,周辺視野における視知覚メカニズムを明らかにする上で,無視することができない問題がある。それが周辺視野における視覚意識の問題である。周辺視野では対象を低い解像度でしか見ることができず,細かい情報が失われるにもかかわらず,観察者は周辺視野の対象を中心視野と同じように明瞭に見ていると考える傾向がある。つまり,周辺視野で受け取ることができる限定的な視覚入力とは整合しない,明瞭で鮮明な視覚意識が周辺視野でも生じるというこ
とである。このような視覚意識の問題について,感覚処理段階から説明しようとする立場と,より反応形成段階に近い処理から説明しようとする立場がある。この二つの立場は,本質的に相互排反的なものではないと考えられ,この二つの立場それぞれについて,さらに議論を深化させることが,周辺視野における視覚意識の問題の解明につながると考えられる。
  まず,周辺視野の視覚意識の問題を感覚処理段階から説明しようとする立場においては,具体的には,周辺視野において,なんらかの形でぼやけたあるいは欠けた感覚信号が埋め合わされる(これをフィリングインと呼ぶ)ことで,豊かな視覚意識が生じると想定されている。ただし,盲点におけるフィリングインなどと異なり,周辺視野という広範な埋め合わされるべき範囲を持つ場合のフィリングインでは,初期の視覚システムにおいて周辺視野にレチノトピックに対応する膨大な数の神経細胞に対し,近隣の神経細胞の信号などを用いて埋め合わせるということは考えにくい。したがって,周辺視野においてフィリングインが生じるためには,なんらかの高次メカニズムが介在する必要がある。そして,この高次メカニズムに関する代表的な候補が,予測符号化理論である。この考えは,アルゴリズムとしては高い説得力を持つ一方,実際に予測がどういう形で構築されているのかが不明確である。具体的には,視覚系は周辺視野からの情報がどのような状態であるとき,予測と整合した状態とみなすなどの点が不明確であるため,これを明らかにすることが必要である。そのために,第2 章の研究では,周辺視野における物体の視覚意識に関する錯視を題材として,視覚系がどのような予測を立て,周辺視野からの感覚信号をどのように予測と照合し,視覚意識を形成しているかということを明らかにする実験を実施した。
  次に,周辺視野の視覚意識の問題をより反応形成に近い段階から説明しようとする立場においては,信号検出理論に基づいた指標であるバイアスに着目した説明がなされている。周辺視野の視覚意識が視覚入力と乖離する原因に関し,ある研究では,周辺視野における反応バイアスによって説明されると主張されている。例えば,ガボールパッチに関する検出課題を用いた実験では,刺激を中心視野で呈示する条件と周辺視野で呈示する条件とで,中心視野条件と周辺視野条件の間で参加者の検出成績を一致させた状況であっても,参加者は中心視野に比べて周辺視野では,実際には刺激がないのに「ある」と答えやすい傾向が示された。周辺視野におけるこのようなバイアスの発生原因に関しては,今なお研究が進められているが,一説には,周辺視野における注意の減少に起因するという主張がある。ただし,このような周辺視野におけるバイアスが,周辺視野における視覚意識現象を説明できるかは明らかではない。というのも,ガボールパッチの検出課題など比較的単純化された実験操作で見出された知見が,周辺視野における視覚意識の問題のモデルケースのような事例においても応用できるかは自明ではない。例えば,周辺視野における視覚意識のありようを示す興味深い例として,画像周辺部の色を無色にするという操作を行っても画像を観察した参加者はしばしばフルカラーと認識する現象が報告されている。この現象は,周辺視野における視覚入力が示唆するものと実際に生じる視覚意識が正反対の方向性であるような極端な状況(すなわち,周辺視野からの信号が,「全く色がない」ことを報告しているにもかかわらず,色があるように主観的には感じるという状況)が存在することを示しており,この現象についても周辺視野におけるバイアスにより説明できるかは明らかではない。これを検証するために,第3 章では,周辺視野における周辺部の色を無色化した画像に対し,参加者がフルカラーであると答える現象を扱い,この現象についても,周辺視野におけるバイアスが認められるかを調べた。そして,このバイアスは,注意の減少により引き起こされているかについても検証した。
  以上の研究を実施したことで,本研究は次の知見を得た。まず,周辺視野における視覚意識の形成過程に関し,感覚処理段階と,より反応形成段階に近い段階の二つの階層を通して明らかにすることができた。第2 章では,視覚系が,特定のパターンが周辺視野に入力された際に生成される信号の予測を立て,それと実際に得られた感覚信号の強度がどれくらい違うかに基づいて視覚意識を決定している可能性を明らかにすることができ,どのように感覚処理段階に
おいて,視覚系の予測が構築され視覚意識に反映されるかについての実証的な例を示すことができた。第3 章では,中心視野から周辺視野にわたって呈示される情景に対する色に関する視覚意識を扱い,周辺視野に色の情報がない場合でも周辺視野において豊かな色の視覚意識が形成される現象が,少なくとも部分的には周辺視野における反応バイアスにより生じていることを明らかにした。中心視野にだけ色がある情景画像を見せたとき,観察者は周辺視野にも色があ
るとしばしば報告するということは,これまでは周辺視野の色感度がいかにとぼしく,いかに周辺視野の意識に影響を与えないかということを示す例としてみなされることがあった。第3章の研究を通して,周辺色錯視は周辺視野における色感度減少を示す例というよりも,視覚系が,中心視野からの情報をバイアスという形で周辺視野の視覚に反映させ,周辺視野における視覚意識を形成する過程を示す例として解釈すべきである可能性が示唆された。実際,周辺視野における色感度は,情景認知に役立てることができるほどには高いことが,第4章でも明らかになっている。第4 章では,周辺視野において色を情景認知に役立てる時,視覚系が過去に経験し蓄積された情景に関する記憶と照合しながら,色を情景認知に用いていることが明らかになり,周辺視野における情景認知の初期段階では,無彩色情報の処理と同様,色の情報も過去に蓄積された情景に関する記憶と照合されながら情景認知に活用されることがわかった。また周辺視野において空間解像度が低下することにより,周辺視野では広範な種類の情景において色の効果がみられることも示した。このように,本研究は,視野異質論の立場から,周辺視野における視知覚のメカニズムを解明に貢献した。