本論文は、サイト・スペシフィックな芸術実践について考察し論じるための一つの分析モデルの提示を試みるものである。「サイト・スペシフィック」であるとは、芸術実践がある特定の場所と緊密に結びついている性質をもつことを指す。美術史家ミウォン・クォンが述べるように、1960年代のポスト・ミニマリズムの潮流から生じたサイト・スペシフィック・アートは、当初は特定の場所の物理的側面に関心をもつ芸術実践として出発しつつも、その後の展開の中で「サイト」を非物質化されたものとして捉えるものへと変遷を遂げてきた。クォンはこの変遷を「現象学的サイト」から「制度的サイト」を経て「言説的サイト」へといたるものとして論じ、サイト・スペシフィック・アートにおける「サイト」の三つのパラダイムを提示している。
 本論文は基本的にクォンの著書『ひとつの場所のつぎにまたひとつの場所: サイト・スペシフィック・アートと場所のアイデンティティ(One Place After Another: Site-Specific Art and Locational Identity)』(2002)の批判的検討のうえに成り立っている。クォンの著書は最も代表的なサイト・スペシフィック・アート研究の一つであり、出版されてすでに20年近く経つにもかかわらず現在でも頻繁に参照されている。先述した「言説的サイト」や、サイト・スペシフィックからコミュニティ・スペシフィックへのシフトなど、こんにちの社会関与的な芸術実践にいたるまでの幅広い芸術実践を対象として包括的な研究を行っている彼女の著書は、サイト・スペシフィック・アートについて論じるうえで大変有効な参照枠である。しかし、本論文で見ていくように、同時に彼女の議論はサイト・スペシフィック・アートの先行研究として一定の問題を孕んでいる。そこで本論文でまず行うのはクォンの議論の批判的検討および可能な限りでのその修正である。それは主に第2章・第3章で中心的になされるが、それ以降もクォンの議論にはしばしば立ち戻ることになる。
 クォンの議論の批判的検討を行う中で本論文が試みるのは、サイト・スペシフィック・アートに関する考察に地理学の知見を取り入れ、場所そのものを再考することで芸術実践もまた新たな観点から見直すことである。地理学者ドリーン・マッシーは、交通や通信技術が発達し、いわゆる「時間-空間の圧縮」が起こっているこんにちの社会状況において、イーフー・トゥアンなどの人文主義地理学者たちのように場所を単に静的なもの、すなわち人々が場所に対して愛着を持ち「場所の感覚」を育てるような、いわば首尾一貫したアイデンティティをもつものとして捉える立場を批判しつつ、「関係的」な場所概念を提示した。このような考え方は、場所を変化に開かれているもの、またほかの場所と結ぶ「関係」の中で、いわばネットワークの一部として構成されるものとして場所を理解するものである。静的かつ固定的な場所概念から「モバイル」かつ「関係的」な場所概念へのシフトは、サイト・スペシフィックな芸術実践そのものの展開とも呼応するだけでなく、そのような芸術実践を新たな観点から捉えるための手がかりを与えてくれる。
 本論文は具体的には以下のように展開される。第1章ではまず、モダニズム以降のサイト・スペシフィック・アートの前史を確認する。サイト・スペシフィック・アートは当初モダニズムへの対抗として登場してきたものであり、この経緯を理解することはそれ以降の考察のためにも重要である。モダニズム以前には、彫刻作品一般はそれが置かれている場所の歴史的事象などを表象する点で基本的に場所と緊密に結びつくものであった。しかし、クレメント・グリーンバーグの思想で代表されるモダニズム期に彫刻はそれ自体で自立する「ホームレス」なものとなり、ここで芸術と場所との間に一度断絶が生じる。その後ミニマル・アートやアースワーク、インスティテューショナル・クリティークのような芸術潮流および政府によるパブリック・アート制度などにより、再び場所と結びつくサイト・スペシフィックな芸術作品が登場することになる。
 第2章では、クォンによるサイト・スペシフィック・アートの三つのパラダイムを詳細に検討し、その中で三つ目の「言説的サイト」に焦点をあて、それを批判的に考察する。「言説的サイト」は、物理的側面にこだわらず社会関与的な実践を行うこんにちのプロジェクト型のサイト・スペシフィックな実践をある程度適切に説明してはいるものの、社会問題などの「言説」こそが「サイト」になると述べる彼女の議論は、そこにおける「サイト」がもはや現実の場所から離れているものになっている点で問題含みであると考えられる。そこで本論文では、この「言説的サイト」の修正を試みるために、コラボレーティヴ・アートと場所との関わりについて論じているグラント・ケスターの議論を参照するとともに、異なる地域において一つの「言説」を扱う二つの具体例を挙げ、芸術実践における「言説」と場所との関係を再考する。
 第3章では、サイト・スペシフィック・アートの<固定>と<移動>という、こんにちの矛盾する状況に焦点をあてる。グローバリゼーションの進展のもとサイト・スペシフィック・アートは美術展の一部として世界を巡回するなど、当初はサイト・スペシフィックなものとして意図されたはずの作品が芸術家の意志に反して、または芸術家の同意のもと移動する事例が多くなっている。このような状況を受けクォンは固定性と移動性のどちらかだけを擁護するのではなく、そのような諸条件の「間」に位置するものに注目しようと提案するが、この点に関するより踏み入った考察は行われていない。そこで本論文はマッシーの「関係的」な場所概念を参照し、クォンの議論を補いつつ、サイト・スペシフィック・アートについて考察するための新たな枠組みを取り入れることを試みる。すなわち場所そのものを、外部に対して、また変化に対して開かれており、外部との関係の中で構成されるものとして捉え直すことによって、サイト・スペシフィックという概念により幅ないし拡張性、または展開可能性をもたらすことができるのである。
 第4章では、クォンの議論ではあまり重視されていなかった初期アースワークの代表的な事例であるロバート・スミッソンの実践に焦点をあてる。スミッソンは有名な屋外アースワーク《スパイラル・ジェティ》(1970)を制作する前に、ギャラリーの中で展示される「ノンサイト」作品群の制作に取り組んでいた。この作品群は展示空間の外にある特定の場所、すなわち「サイト」を指し示す地図、写真、テクスト、またその「サイト」から取ってきた砂などの物質から構成されるものであった。この作品群はミニマル・アート以降のサイト・スペシフィックな芸術実践の中で初期のものとして位置づけられながらも、クォンが提示する三つの「サイト」のパラダイムには必ずしも合致しない独自の要素を有している。この点について論じるとともに、クォンの研究は基本的にパブリック・アートが中心になっておりアースワークなどの事例を重要なものとして考慮しないことによって議論が一面的になっている点を指摘する。
 第5章では、サイト・スペシフィック・アートにおける時間の問題に焦点をあてる。その出発点となるのはリチャード・セラのパブリック・アート作品《傾いた弧》である。当初ニューヨークの連邦広場に設置されたこの作品は数年後、公聴会や裁判を経て撤去されたが、その際にみずからの作品を擁護するためにセラが用いたのがサイト・スペシフィック・アートの「永久性」という概念だった。この論争にまつわる議論を出発点として、サイト・スペシフィック・アートの「永久性」を批判する議論、さらに「一時性」を積極的に擁護する議論を検討したうえで、最後にコミュニティに関するクォンの議論とあわせて考察することで、サイト・スペシフィック・アートに要求される一時性と持続性のダイナミズムを提示する。
 最後に第6章では、日本国内の事例である地域アート、その中でも「大地の芸術祭」を取り上げる。「大地の芸術祭」は地域活性化を最も大きな目標としており、その開催地である新潟県越後妻有への人々の愛着や「場所の感覚」を重視する点で、マッシーが批判したような「反動的」な場所概念に結びつくと見られる余地がある。しかし、「関係的」な場所概念を適用することによって、従来とは異なる仕方で地域芸術祭を理解できるのではないかというのが本章の問題提起である。具体的には、常設の作品や拠点施設によって作り出されるコミュニティの<持続性>と、3年ごとに開催される芸術祭の<一時性>の共存について考察し、さらに来場者たちが作る複数の「軌跡」によって芸術祭の経験が構成されるという点に着目する。
 以上を通じて、本論文では以下の点を主張する。「サイト・スペシフィック」という概念は、芸術実践そのものの変遷とともに、繰り返しその更新を必要とするものになっている。そのためある場所と緊密な関係を結んでいる芸術実践を指す際、そのような変遷や意味の幅広さを十分に考慮せず「サイト・スペシフィック」という用語を用いると、むしろその意味が不明瞭になってしまう懸念があるのではないか。さらに作品が移動しがちなこんにちでは、「サイト・スペシフィック」という概念そのものの有効性さえも疑われかねないだろう。このような状況のなかで、特定の場所にこだわることを「反動的」といって退けるのではなく、場所そのものを別の仕方で理解することによってサイト・スペシフィックな芸術実践を見直し、そこから新たな意味を見出すことができるのである。