本研究の目的は、トルコ語の従属節における標識の選択と主語の格標示の選択について量的調査を行ったうえで記述・分析を行うことである。前者に関してトルコ語における補文節と関係節を形成する複数の標識に関して、それぞれどのような頻度で選択されているかを調査した。後者に関してトルコ語における補文節と関係節内の主語の属格標示とゼロ標示の交替に関してどのような性質の名詞句でその交替が起こるのかを頻度に注目し調査をした。
 これらの現象は共通して体言化の観点から重要である。体言化 (nominalization) は名詞的表現を派生するプロセスであり、様々な言語にみられる現象である。Yap & Grunow-Hårsta (2010) やMalchukov (2006) の体言化研究やShibatani (2019) の体言化理論では、語彙的な派生に加え、従属節を体言化の一種として分析する (Shibatani 2019)。このような体言化はどれほど脱動詞化 (deverbalization) と物体化 (substantivization) されているかという点で体言化の度合いが異なる (Malchukov 2006)。それぞれの従属節の体言化の度合いによって、補文節や関係節の頻度、主語の標示の頻度が異なることが予測される。このような背景を踏まえ、本研究は実際に発話された用例を観察し、量的な調査を行った。近年認知⾔語学において、実際の言語使用に基づく量的調査によって⾔語現象を分析する研究が重要視され始めた。実際に発話された用例に基づく量的調査を行うことで、内省や聞き取り調査から得られるデータを見ているだけではわからない言語の構造を明らかにすることができる。
 このような調査の結果、トルコ語の複数の種類の補文節はCTP (Complement Taking Predicates; 補文節をとりうる述語) によって異なる頻度で選択されること、文法関係の階層において高い項は低い項よりも関係節化される頻度が高く、特に文法関係の階層で最も高い項である主語が最も関係節化される頻度が高いことがわかった。さらに、従属節において、ゼロ標示主語の頻度が高くなるのは、補文節の主語が非人間の場合、主語に複数標示がついていない場合、不定標識がある場合、補文節の動詞が受け身動詞・逆使役動詞と非意志動詞の場合であることがわかった。これらの調査結果に基づき、どの現象においても意味的な緊密性の強さと形式的な体言化の度合いに相関関係があり、それが頻度に反映していることを論じた。
 本論文の構成は次のとおりである。第1章では本研究の背景や調査方法、議論の概略を述べた。具体的には、補文節と関係節の現象は共通して体言化の観点から重要であることを述べた。さらに、方法論に関してコーパスデータに基づく量的調査について詳述した。調査結果を提示する前に、第2章から第5章では、本研究の調査の背景となる記述・分析を提示した。第2章で本研究の記述・分析の前提としてトルコ語の概要を提示した。具体的には、トルコ語の基本情報を概観した後、音韻論・形態論・統語論の観点から従属節に関連するトルコ語の特徴を記述した。第3章では本研究の研究対象であるトルコ語の従属節を概観した。トルコ語の従属節には補文節、関係節、副詞節がある。トルコ語には従属節を形成する標識が複数ある。これらの標識によって形成される従属節はそれぞれ異なる形態統語的特徴をもつ。第4章ではトルコ語の示差的主語標示の特徴を類型論やトルコ語の記述研究を参照しつつ記述し、本研究の分析を提示した。本章で記述するトルコ語のDSMの特徴自体は先行研究で記述されている。しかし、本研究はそれらの特徴を、類型論的研究を参照しながら分類を行い、新たな分析を提示した。第5章では本研究が扱う従属節の体言化の程度について議論した。機能主義類型論において体言化の度合いがどのように論じられているのかについて導入した後、その理論に基づき、トルコ語の従属節の体言化の度合いを検討した。具体的には、それぞれの形態統語的特徴に基づき、補文節と関係節は i. の順で体言化の度合いが高いと分析した。
 
  1. 定動詞補文節 < -DIK/-(y)AcAK補文節 < -mA補文節 < -mAK補文節 < -DIK/-(y)AcAK関係節 < -An関係節
 
本研究はこのようなトルコ語の従属節の体言化の度合いを包括的に検討する点にも新規性がある。
 第6章から第10章までは本研究の調査の結果を提示した。第6章では補文節を形成する標識の選択、第7章では関係節を形成する標識の選択について扱った。第8章では-DIK補文節、第9章では-mA補文節、第10章では関係節における示差的主語標示の交替を扱った。これらの調査結果として次のことがわかった。
 
  1. トルコ語の複数の種類の補文節はCTPによって異なる頻度で選択される。その補文節の選択頻度に基づきCTPをいくつかのクラスターに分類することで、CTPと補文節の関係のパターンを示すことができる。CTPの補文節の選択要因は第一に時間的依存性、第二にコントロールの強さである。どの現象においても意味的な緊密性の強さと形式的な体言化の度合いに相関関係があり、それが頻度に反映している (第6章)。
  2. トルコ語では文法関係の階層において高い項は低い項よりも関係節化される頻度が高く、特に文法関係の階層で最も高い項である主語が最も関係節化される頻度が高い。主要部あり関係節では主要部なし関係節よりも広範囲の文法関係において頻度が高い。文法役割については、主要部の有無を問わずS (自動詞主語) が多く、特に主要部を欠く関係節ではd(ervied)-S(ubject) の関係節化が多い (第7章)。
  3. -DIK補文節では主語が動詞直前で普通名詞である条件において、属格主語よりゼロ標示主語の頻度が高い。その上で、ゼロ標示主語の頻度が高くなるのは、補文節の主語が非人間の場合、主語に複数標示がついていない場合、不定標識がある場合、補文節の動詞が受け身動詞・逆使役動詞と非意志動詞の場合である (第8章)。
  4. -mA補文節では、主語が動詞直前で普通名詞であるという条件において、ゼロ標示主語より属格主語の頻度が高い。その上で、ゼロ標示主語の頻度が高くなるのは、補文節の主語が非人間の場合、主語に複数標示がついていない場合、不定標識がある場合、補文節の動詞が受け身動詞・逆使役動詞と非意志動詞の場合である (第9章)。
  5. 関係節では、実際の言語使用において主語が属格標示の例の頻度が非常に高く、ゼロ標示の例は非常に頻度が少ない (第10章)。
 
 第11章ではこのような本研究の記述に基づき、次のことを議論した。
 
  1. どの現象においても意味的な緊密性の強さと形式的な体言化の度合いに相関関係があり、それが頻度に反映している。
 
補文節に関して、それぞれのCTPは文法的には様々な補文節をとることができるが、選択する補文節の頻度は異なる。CTPが意味的に緊密であればあるほど体言化の度合いが高い補文節が選択される。関係節に関して、文法的には幅広い階層の文法項が関係節化できるが、文法項によって関係節化される頻度が異なる。事象により密接に結びつく文法項がより関係節化されやすい。さらに、体言化の度合いが高い関係節はより名詞的な使われ方をする頻度が高い。示差的主語標示について補文節と関係節のなかでも主語の属格の取りやすさに階層があり、より体言化の度合いが高い節が属格をとりやすい。さらに、本研究の調査結果に基づき、トルコ語のDSMにおける特定性について再検討した。名詞の卓立性が低い場合に主語がゼロ標示になり、名詞の卓立性が高い場合に属格標示がつく傾向があることがわかる。卓立性が低い場合に特定性は低く、卓立性が高い場合に特定性は高いのでDSMと特定性はやはり関連していることがわかる。しかし、-DIK補文節で補文節の動詞がol ‘be, exist’ とgerek ‘be necessary’ の場合に主語がゼロ標示である頻度が高かったことや、従属節の種類で格標示の頻度が異なることは特定性だけからは予測できない。このような発見は本研究のように様々な観点から包括的に量的調査を行うことで初めてわかった発見である。最後に、トルコ語の主語の属格の標示が同定の機能を持つと論じた。トルコ語のDSMは機能主義類型論における有標性と頻度の原理から予測されるものとは異なる傾向がみられる。しかし、主語の属格の標示が同定の機能を持つことを考えれば、その傾向も不思議ではないということを論じた。
 このような本研究における発見は、トルコ語の記述研究に加え、事象統合や文法関係、示差的項標示、体言化の理論的研究に多くの示唆を与える。記述的に、本研究の発見や議論は、頻度に注目した量的調査を行うことで初めてわかったことである。例えば、-mA補文節、-DIK補文節、関係節によって示差的項標示の属格標示のされやすさが異なることは本研究が初めて発見したことであり、先行研究のように文法の適格性だけを見ていては、補文節と関係節においてDSMがみられうることしか観察できない。こうして本研究はトルコ語の記述研究に量的調査の重要性を示した。類型論的には、事象統合や文法関係の問題、さらには示差的主語標示の研究に貢献する。具体的には、まず、通言語的にみられる事象統合と統語的統合の間にみられる類像性がトルコ語においても検証されたことを量的データとともに示した。次に、トルコ語では文法関係によって関係節化の頻度が異なることを示すことで、文法関係の階層の重要性を示す。最後に、トルコ語の格標示の交替に関わる名詞句の性質は類型論で注目されるような性質である。トルコ語の示差的主語標示は重要なケーススタディとなる。このように、本研究のトルコ語の補文節と関係節における標識の選択と主語の標示の選択についての調査は、個別言語の文法研究と言語類型論の両方の分野に大きな貢献がある。