本論文は、20世紀音楽における引用及びコラージュのポエティクスとポリティクスという文脈において1960年代、70年代の「音楽のコラージュ」の社会批判的性格を説明する理論を再構築するものである。
 「音楽のコラージュ」は1980年代以降、ポスト構造主義の展開の中でアカデミズムの研究対象となり、間テクスト性の方法論と結び付けられたため、その技法的側面のみが研究されてきた。現在は異質な音楽の断片を「切り貼りする」技法と定義され、借用技法の下位概念または引用技法の一種として捉えられている。しかし、1960年代、70年代の最初期の「音楽のコラージュ」理論と実践では技法上の問題を超える、多層的な社会文化的様相が示されている。本論文はこの時期に描き出されている「音楽のコラージュ」の諸相に着目し、それをめぐる理論と実践を接続した上で、思想的、社会文化的状況の中でその意義を捉え返す。具体的には、1920年前後に生まれた戦後第一世代の作曲家のB. A. ツィンマーマン、H. W. ヘンツェ、G. リゲティを対象とし、コラージュ技法をめぐる彼らの実践活動、音楽創作理念、そして政治的理念の交差点において彼らの言説や作品を分析し、その根底にある様々な思想的側面を前景化する。さらに、彼らを取り囲んでいた戦前と戦後という時代状況を踏まえながら、コラージュ技法をめぐる「創作と受容」と「社会文化的状況」の間の力学を探る。そのことで、「音楽のコラージュ」が内包する社会に対する批判的性格の実態が浮かび上がり、従来の研究に欠如していた歴史性が検証される。
 
 全体は序章、第1部理論的側面(第1章~第3章)と第2部実践的側面(第4章~第6章)、終章で構成される。
 
 第1章では予備的考察として、本論文が検討の対象とする1960年代、70年代の「音楽のコラージュ」の独自性を顕在化させるために、N. グッドマンの「引用に関するいくつかの問題」(1978)、G. ノエの「音楽の引用」(1963)、Z. リッサの「音楽の引用における様々な美的機能」(1966)と「今日の音楽文化における音楽の歴史意識とその役割」(1973)、そしてE. ブッデの「引用、コラージュ、モンタージュ」(1972)における引用論・コラージュ論を捉え直す。伝統的な引用に見られるような記号性や象徴性がないという「音楽のコラージュ」の成立条件や多義的な解釈の可能性と聴き手の知的・精神的活動の促進という特徴など、1960年代、70年代の「音楽のコラージュ」の独自性を導き出す。これらの独自性からは伝統的な「音楽の引用」に見られるような作曲家が一方的に与える意図を聴き手が受け入れるという上から下への方向ではなく、聴き手のより積極的な知的活動が要請される下から上への方向への移行という論点を摘出することができる。
 
 第2章では後期ロマン派の作曲家G. マーラーの引用技法における1970年代の解釈を糸口として、理論の領域における「音楽のコラージュ」に対する捉え方を検討する。マーラーの交響曲に見られる異質の音響の挿入に対する二人の音楽学者W. デームリングとT. クナイフの論争では、マーラーの引用技法をコラージュと見なすことの妥当性が論じられている。デームリングは形式論の立場から音響的、楽式論的非連続性を持つものを「音楽のコラージュ」と規定しているのに対し、クナイフは意味論の立場から指示性、記号性がないときに成立するものを「音楽のコラージュ」と見なしている。一方、同時代の作曲家G. リゲティは美術史全般を網羅した上でコラージュの社会批判性から、マーラーの引用技法に社会批判性やユートピアの可能性を見出している。この比較検討を通して、「音楽のコラージュ」に対する多様な見方は彼らがどの先行するコラージュの類型を参照したのかによって異なり、他芸術領域での引用やコラージュ概念に大きく依存して考察されてきたことを明らかにする。また、「音楽のコラージュ」の社会批判性は理論的側面だけでは十分に論じきれないことを指摘した上で、「音楽のコラージュ」を同時代の社会文化現象として考え直す視点転換の必要性を提起する。
 
 第3章では1960年代、70年代にダルムシュタット国際夏季現代音楽講習会で定期的に講演を行ったT. W. アドルノとC. ダールハウスの参加芸術論を吟味し、これまで注目されてこなかったこの時代のアンガージュマン概念と「音楽のコラージュ」との関係性を明らかにする。アドルノはサルトルやブレヒト批判を通じ、アンガージュマン芸術の本質は芸術家の政治的理念や活動にあるものではなく、作品内部における既存の形式を破壊し新しい形式法則を生み出すという芸術の「内在的批判性」を提唱している。また、彼は芸術が持つ虚構性が原因で作品に内在する社会政治的内容は鑑賞者の煽動も教化も起こさないと見なしている。一方、ダールハウスはアドルノ批判を通じ、自律的音楽は「革命的影響力」を持っておらず、美的なものと政治的なものの共存を否定している。ここから、アドルノは音楽内部構造に限って「音楽」と「社会」の統合を認めているのに対し、ダールハウスはそれらの分離を主張していることが読み取れる。それにもかかわらず、両者は「音楽の自律性」を擁護する共通の立場をとり、芸術家の社会政治的参加に否定的である。また、彼らの見解は「音楽のコラージュ」に対する捉え方にも反映されている。アドルノは「音楽のコラージュ」を「規則に定められた現在の否定」をするものとし、「音楽のコラージュ」に「内在的批判性」を見出しているのに対し、ダールハウスは「音楽のコラージュ」を政治的芸術の中に捉えるのではなく、「美学的に統合された」ものとしている。当時の理論的潮流として音楽は社会の問題と別個であるべきという議論が主流だったことが示される。
 
 第4章より、戦後第一作曲家たちのコラージュ美学に焦点を当て実践的側面から「音楽のコラージュ」の社会批判性の内実を明らかにする。
 
 第4章ではツィンマーマンのコラージュ美学を検討する。ツィンマーマンの哲学及び文学の受容を手がかりに、様々な音楽様式の寄せ集めとして捉えられてきた彼の「球体的時間」概念を再考する。彼は人間の精神の中での時間のあり方を表す「恒常的現在」(アウグスティヌス)、過去と未来を現在において再構成する「現前化」(フッサール)、未来を見据えることによって「世人」から「現存在」への意識転換を通じて存在の意味を問うこと(ハイデガー)などの時間論を「音楽のコラージュ」の思想的基盤とする。また、彼は時空間理論と押韻理論などの文学理論を採用し、言葉と音楽の関係や伝統的なドラマトゥルギーを見直した上で、聴き手の知的・精神的活動に直接に刺激を与えようとした。ツィンマーマンにおけるコラージュは聴き手に音楽様式の脱歴史的文脈化によって再構成した新たな意味を、自ら構築し把握していくことを求めるのである。このような批判的考察を触発することが彼のコラージュの内包した批判性の内実である。彼の作品例を取り上げ、ツィンマーマンの「音楽のコラージュ」は、どの時代においても出会うような不条理な状況、すなわち人種、階級、抑圧、自由などに関連する人類の普遍的な問題への批判であることを検証する。
 
 第5章ではヘンツェのコラージュ美学を扱う。1960年代、70年代の同時代の言説では否定的に捉えられていた「伝統的なもの」に対するヘンツェの思考から、「音楽のコラージュ」が抵抗性を帯び60年代の文脈において一種の社会参加を示すことを明らかにする。「音楽のコラージュ」は音楽に現実社会を写実的に描写しなくても、歴史的現実に抵抗するイメージを作ることで、聴き手に過去のものを現在に再文脈化することを促すのである。さらに、当時のセリー音楽の権威や過去ナチスのファシズム、ひいては60年代の人種差別やジェンダー問題への抵抗を表すものであることを示す。彼は「音楽」と「人間であること」と「社会」が分離しないという自らのユートピア世界の想像を聴き手に求め、「芸術と生の同一性」という理念の下で「音楽のコラージュ」を発展したことが明らかになる。
 
 第6章ではリゲティのコラージュ美学を論じる。68年前後の言説の分析を通じ、彼の「音楽のコラージュ」への取り組みは、戦前と戦後のあらゆるイデオロギーを批判する彼自身の政治的理念を背景に成り立つことを示す。それは「音楽のコラージュ」の根幹をなす折衷主義にも表される。彼の折衷主義の核心は「伝統」と「革新」をテーゼとアンチテーゼの弁証法的な関係ではなく、「伝統」そのものを絶え間なく「変形」または「歪曲」させるという点にある。彼のシュルレアリスム受容と擬似言語の創出は人間情緒や人間の社会的行動への批判のために工夫されたことが明らかになる。これまでの議論にリゲティのコラージュ美学を加えることで、「音楽のコラージュ」の社会批判性の体系化が可能になる。
 
 各章の議論を総括すると、1960年代、70年代の戦後第一世代の作曲家たちにおける「音楽のコラージュ」は、ナチス批判に限定されず、ヒューマニズムや多様性を賛美するという広い射程を持つのであり、単なる技法上の問題を超え、社会参加の一形態であったことが明らかになる。それは、通俗的意味での社会参加ではなく、芸術の自律性を担保しつつ、聴き手の批判的思考を促すという社会参加である。それによって、本研究は1960年代、70年代における「音楽のコラージュ」の社会批判性の内実を解明することにとどまらず、この時期の「音楽のコラージュ」の多層的な社会文化的意味をその時代性に即して捉え直すことによって現代音楽文化史と戦後ドイツ史の中に位置付けられるのである。