全三部十章で構成される本論文は、『変身のためのオピウム』を一つの到達点とし、それに至るまでの多和田の初期作品を対象に、変身という視点から、身体、言葉、物語という三つのテーマが複雑に交差している様相に着目して考察していく。以下、各章の概要を述べる。
 第一部「身体の変身」は、「絵解き」『Das Bad/うろこもち』「かかとを失くして」を取り上げる。ここでの「身体の変身」は、従来の変身譚や異類婚姻譚において人間と人間以外のものの変身の現象を指すだけでなく、顔や肌に生じる異常な変化及び服装の着脱、化粧など身体の表面で行われる様々な変化のことをも指す。第一部で取り上げられる三つの作品は、様々な意味で多和田の出発点に当たる作品として多くの共通点を持ちながら、変身に関しても以降の作品に繰り返される原型とも言える要素が多く織り込まれている。
 第一章は「絵解き」を扱う。1987年にドイツで出版され、日本語原文とドイツ語訳が併記される形を取る多和田初の著書である„Nur da wo du bist da ist nichts“(「あなたのいるところだけ何もない」)は、19編の詩と1編の小説「絵解き」から構成される。同小説では、絵本を通して、意味の担い手、情報を伝達するための言葉に対する批判意識を読み取ることができるだけでなく、のちに繰り返される移動、夢、そして人形というモチーフが見られる。
 第二章では『Das Bad/うろこもち』を論じている。枠中物語として挿入される変身した女に関する二つの変身譚は複数のモチーフが混ざり合っている融合的な様相を帯びているだけでなく、外枠として展開される「うろこもち」である主人公の変身とも響き合っている。そして主人公の変身は、肌に鱗が生えることや顔に化粧を施すことという外観上の変化に体現されているだけでなく、舌が奪われたことで示される言葉の喪失にも表れている。同時に、鱗をそぎ落とす際の暴力や沈黙に強いられた存在である死者の存在を前に出したことによって、変身に隠されている暴力性も明瞭になる。
 第三章の中心的な課題は、「かかとを失くして」における眼差しと変身の関係である。「かかとを失くして」における主人公の不安は、異国に足を踏み入れることによって他者化されることに引き起こされている。その不安の原因を細分化すると、見られる対象を変身させるほどの暴力が眼差しに内包されていることと、発せられた言葉が固定的な意味を拒絶するという二つの方向性がある。
 第二部「言葉の変身」では、「無精卵」『ゴットハルト鉄道』『文字移植』という三つの作品を取り上げる。「言葉の変身」は、ある言語を別の言語に変換するという翻訳に端的に体現されるが、意味の担い手から解放され、音声、形態といった言葉の物質的な側面を変化させることをも指す。
 第四章は「無精卵」を扱う。「無精卵」は、規範的な身体からはみ出す身体を提示しながら、人間の身体、とりわけその表面を模倣する人形の身体に注目することで、そこに焦点化される表面的な戯れと目の錯覚から、言葉の表面、可視化される部分の持つ変容可能性を見出すことができる。
 第五章では、『ゴットハルト鉄道』における「翻訳」行為の表象について分析する。同小説は、多和田が自分のドイツ語作品を日本語に訳した最初のものとして、「自作翻訳」という視点からもアプローチできるが、本論では「翻訳」を二言語間の転換という狭義の意味にとどまらず、既定の枠組や二項対立から抜け出す方法として捉える。
 第六章では、翻訳が主題となっている『文字移植』を考察する。これまで多くの先行研究が、主人公「わたし」の翻訳行為に焦点を当てて行われてきたように、同作は翻訳の現場という実際的な問題を扱っている。しかし、同作で本質的であるのが、翻訳を通して言葉だけでなく、翻訳者も変身してしまう点である。多和田が翻訳というテーマに正面から取り組んだ作品として『文字移植』を位置付けたうえで、翻訳する過程で翻訳者が変身するという現象に着目し、翻訳と変身の関係を考察する。
 第三部「物語の変身」では、多和田の作品における民話、昔話、伝説、神話等の参照、書き換えを中心に考察する。多和田の作品では、整序され、完結するストーリーを回避して、謎を放置したままで幕を閉じることが多く見られる。この意味で「物語の変身」は、まず物語の概念、ないし定型からの逸脱を意味する。また民話、伝説、能、聖書、ギリシア神話など、幅広いジャンルにわたって自由な読み直し、書き換えが行われている。それらを分析すると、異なる地域、時代、ジャンルを横断し、複数の物語を融合させることで、テクスト間が対話する空間が生じ、複数の声や視点が導入され、従来の物語に隠された声を可聴化させるという独特な手法が明確になる。
 第七章では『犬婿入り』を取り上げる。枠中物語として挿入される民話「犬婿入り」を出典元となる民話と比較し、語り手から聞き手への伝達過程の特徴を明らかにしつつ、作品内現実において異類婚姻譚をなぞる形で成立する物語の成立と崩壊について分析する。
 第八章では、間テクスト性の視点から「隅田川の皺男」を考察する。「隅田川の皺男」は能『隅田川』と永井荷風の『濹東綺譚』が参照され、異なる視点からそれぞれ別の物語を作りあげている。「隅田川の皺男」における間テクスト性は、異なる時代、ジャンルを持つテクストを融合し、対話する回路を切り開くだけでなく、社会的コンテクスト、都市という空間をも視野に入れている。更に路地というトポスに目を向けると、本作の路地を歩く女性という主人公は従来の都市論で盛んに論じられてきた男性の遊歩者の形象に対して新たな視点を提示するものとなっている。
 第九章では、多和田の初の連載長編である『聖女伝説』を取り上げる。この作品においては、ヨーロッパ社会、キリスト教社会において多くの二項対立を築き上げる支配的なイデオロギーである「聖書」が重要な背景となっている。主人公の「わたし」は教会が代表する聖なる世界と家庭、学校、地域という世俗な世界の間に行き来する人物として描かれ、長い間女性の性と生を縛ってきた「聖母」と「悪女」という概念の間で二者択一の選択を迫られている。本章では社会的、文化的言説が女性の身体に作用するメカニズムを解明し、そこから抜け出そうとする「わたし」の試みがどのようなものであるかを明らかにする。
 第十章では、『変身のためのオピウム』を考察する。同作品は、これまで個別なテーマとして論じられてきた身体、言葉と物語の変身を総括的に表現しているだけでなく、多和田文学における変身を考察するために最も重要な作品と思われる。オウィディウスの『変身物語』にもとづく二十二人の女性を主人公にした『変身のためのオピウム』は、加齢や病気、事故、妊娠などによってもたらされた女性の身体変容を語ると同時に、規範から逸脱すると見なされてきた両性具有の身体、性転換を試みる身体像も提示している。本作は経済から芸術、政治活動に積極的に参与する女性の表象を提示しつつ、彼女たちが海外に足を踏み入れる様子も描き、亡命や移民の文脈を前景化すると同時に植民地支配や阿片戦争という大きな歴史的出来事も視野に入れている。
 本論文は、多和田文学の実験性、先鋭性と伝統的な一面を共に視野に入れて、変身という視点から、作品間に内在する繋がりを見出して、個々の作品を線で繋ぎ、一つの像を提示する。