身体感覚は、現在から離れてはありえないものである一方で、それによって、過去に引き戻されたり未来を想像させたりするような対象である。本論文の目的は、身体感覚が、病いの過去・現在・未来の時間をどのように描かせるのかについて、エスノメソドロジー・会話分析の方法論に基づいて分析することにある。
 序章では、本論文の問いを設定した。病いについて説明するとは、病いがなぜ起こり、どのような経緯をたどって、いかなる未来に向かうのかという時間的経過を描くことである。それでは治療場面において、身体感覚を起点として、いかなる病いの時間的経過が描かれているのだろうか。そして、相互行為場面のいかなる構造がそうした描写を可能にしているのだろうか。本論文は、病いの時間性に関する議論の射程を相互行為分析によって広げるとともに、治療場面の構造を批判的に検討するための方法論を提起することを目指す。
 続いて、本論文の分析視角を説明した。本論文は、身体感覚を起点として、二つの時間的な事情が重なりあっていると考える。一つは、経時的(chronological)な事情である。経時的であるとは、過去、現在、未来を一貫した形で描くその配列のことである。本論文は、病状に説明を与えることが、現在の状態がいかなる過去によって生じているのか、あるいはいかなる未来の見通しを描くものなのか、その想起や想像の機会になっていることを検討する。もう一つは、相互行為内の時間的(temporal)な事情である。私たちの振る舞いは、いつ誰にいかなる内容の発話をどのように向けるか、そしてその向けられた発話にいつどのように答えるかという、行為の連なりを時間に沿って展開していく相互行為の中にある。そのため、病いに与えられる説明の意味を理解するためには、その説明がいかなる「行為」においてどのような「仕方」で行われたのかに注目しなければならない。
 第1章では、医療社会学の先行研究を検討し、本論文の分析対象を選定した。「病い」や「生活史(biography)」をめぐる先行研究は、病気に対する説明が状況に応じて多義的であること、さらにそれらの説明は、病いがなぜ生じ、これからどうなるのかという経時的文脈を描くために動員されていることを指摘してきた。これに対して本論文は、多様な生活史の描かれ方を解明するためには、先行研究が主として検討してきた物語を語る形式においてだけでなく、治療中に進行する相互行為において、いかなる多義性と経時性が描かれるのかに目を向ける必要があることを論じた。
 続いて本論文の対象を設定した。本論文は訪問鍼灸マッサージの治療場面を対象として選定した。訪問鍼灸マッサージとは、週に2回程度患者の自宅や施設といった生活の場に赴き、不調部位に鍼灸やマッサージを行う治療である。この施術は、凝りや張り、痛みをはじめとするありふれた不調に、定期訪問を通して対処するものであり、治療と日常生活との時間的・空間的連続性が強くみられる場面である。このため、身体感覚を起点とした経時的文脈の描写について検討する本論文にとって適した対象であることを示した。
 第2章では、身体感覚をめぐる先行研究を検討した。既存研究では、身体感覚の記述は、単なる刺激への反応でも、本人が私秘的に有しているものでもなく、進行する行為や活動の中でこそ特定できることが指摘されてきた。これに対して本論文は、身体感覚の記述と行為・活動との結びつきは、既存研究が対象としてきた高度に制度化された治療場面においてだけでなく、治療が埋め込まれているより広い生活の文脈においても検討されるべきであることを主張した。そのうえで本論文は、痛みの持続、過去の想起、未来の想像の3つの場面に注目し、訪問鍼灸マッサージの場面の相互行為においてこれらの描写が行われる仕方を分析する
こととした。
 第3章では、本論文で採用する方法論を示した。エスノメソドロジー・会話分析は、人々が説明可能で理解可能な社会的現実を組織する仕方について探求する理論、ならびに方法論である。発話の組み立て、行為連鎖上の位置、身体配置といった相互行為の様式に着目することで、進行する相互行為の構造的特徴が、感覚の表現をどのように可能にさせているのかを問うことができる。ならびに、感覚表現を取り扱うにあたって、本論文がビデオデータを資料にすることの適切性についても述べた。
 第4章では、本論文の対象である訪問鍼灸マッサージの概要を示すとともに、本論文のために行われた調査について説明した。
 第5章から第7章にかけては分析を行った。
 まず第5章では、痛みや冷たさの持続を患者が訴える仕方に注目した。分析を通して、患者が症状の持続を訴えるとき、症状を治療の対象として施術者に提示していることが見出された。つまり、身体感覚の表現を治療の対象として構成するという相互行為内の事情に依存して、身体感覚の持続性が描写されていることが明らかになった。
 第6章では、現在に観察される症状を起点として、過去の出来事が想起される仕方を検討した。検討の結果、次のような相互行為の構造が見出された。施術者は、患部の状態にいつもとは違う症状を観察した時、「情報の探り出し装置」を利用して発話を組み立てていた。この装置は、知識への権利と義務をめぐる差異を利用して、患者の側に患部の状態を説明させるものである。この装置には次のような効果がある。まずこの装置によって、患者の側に過去の出来事を想起する機会が生じる。次に患者が過去を想起することで、日常生活の中で過去に生じた出来事を証拠として、症状が治療の対象ではないような些細な問題として位置付
け(「通常化」)られる。つまり、「情報の探り出し装置」の使用によって、「通常化」される内容へと、病いを説明する仕方が制約されていたと言える。ここにおいて、過去の想起は、過去の出来事を証拠として現在の症状を評価することであることが見出された。
 第7章では、患部が改善しており見込みもあるという未来を描くために、患部の状態を評価する仕方が調節されている場面を取り上げた。施術者が患部に対して肯定的な見通しがあり、他方で患者は悲観的な見通しをもっている場面において、施術者が自身の見通しに説得性を持たせるために、良くなっていると言える患部の状態が見つかるまで検討を続けるという実践が見出された。つまり、改善が見込まれるという筋書きに説得性を持たせるために、現在の患部を評価する仕方が左右されていた。ここにおいて、病いの未来を想起することは、現在の患部の状態のあり方を証拠として可能になっていると考えられる。
 第8章では、本論文の議論を整理するとともに、以下の意義を示した。
 まず、本論文は病いを説明するために描かれる時間の多様性を明らかにした。本論文は、病いの過去・現在・未来が結びついて描かれるとき、単に様々な出来事が筋のある形に順序立ててられるだけでなく、描かれる軌道の「長さ」や「強さ」の点において異なっていることを示した。さらにその多様性は、現在において進行する治療場面のさまざまな必要性に応じて調節されていることもまた見出された。本論文は、過去・現在・未来の出来事が物語の形式において整序されることを中心的に論じてきた先行研究に対して、相互行為において進行する時間という論点を提起した。
 次に、本論文は治療活動が病いの描写を可能にしつつ制約していることを明らかにした。その際に、相互行為の時間的な展開を支える構造的な特徴を具体的に検討した。これにより、患者の経験や語りを制約するものとして治療場面を批判的に検討する医療社会学に対して、相互行為分析という方法論的視座を提供した。
 最後に、エスノメソドロジー・会話分析に対しては、現在において進行する時間に加えて、過去や未来へとつながる経時的な時間もまた、身体感覚にとっての説明の文脈になっていることを指摘した。さらに、現在において振る舞う仕方と、過去や未来の文脈を描く仕方とが、互いが互いの証拠となる相互反映的な関係にあるという論点を提起した。
 本論文には、「生活史」が描く物語と「自己」との関係、ならびに、診察室と訪問鍼灸マッサージの場面に見られる「制約」の違いについての比較検討というさらなる課題がある。ただし、これまでの医療社会学の議論が置いてきた理論的な前提もまた、経時的な語りを可能にし制約している相互行為の文脈に差し戻して考え直す必要があると考えられる。
 さらに、本論文の分析がビデオデータを資料として行われたところに、調査上の限界がある。なぜなら、鍼灸マッサージにおいて参与者たちが相互行為のために用いている資源は、ビデオデータを見ることによってアクセスすることができる視覚と音声だけでなく、触覚や、触覚を通して感じられる身体感覚でもあるからだ。ビデオデータが、分析者に対して何をどのようにして「見る」ことを可能にさせているのかについて検討することが、本論文にとっての次なる課題である。