本論文は、サンスクリットの相関構造の統語的特徴の通時的変化を記述し、その理論的な解釈を行うものである。サンスクリットの相関構造には、相関関係節と相関副詞節の二種類が存在する。本論文では、第二章で相関関係節、第三章で相関副詞節の通時的変化を調査し、分析を行った。

 本論文の構成は全四章からなる。第一章は論文全体の導入として先行研究、方法論、サンスクリットの構造についての概説を行った。第二章と第三章では、それぞれ相関関係節と相関副詞節の用例調査を行い、用例数の差異に基づいてそれらの節の通時的変化を辿った。

 最後に、第四章では簡潔に論文全体の結論を述べ、まとめとした。

 まず、第一章では本論文の採用する方法論、サンスクリットの言語的特徴や先行研究の概説を行った。サンスクリットの統語法に関する先行研究は、主にその言語類型論的分類や、生成文法に基づく理論的な解釈を目的として行われたものが多く、サンスクリットの数千年にわたる歴史の内部におけるバリエーションや通時的変化には十分な注意が払われてこなかった。とりわけ、yadā「~のとき」や yatra「~のところで」をはじめとする副詞が導く副詞節については、先行研究でもほとんど取り扱われていないことを指摘した。そこで、本論文では、サンスクリットの時期区分として、ヴェーダ期サンスクリット(Vedic Sanskrit)、叙事詩サンスクリット(Epic Sanskrit)、古典期サンスクリット(Classical Sanskrit)という三段階の存在を想定し、その上で各段階からいくつかの文献を選定し、用例の全数調査を行うことによって、サンスクリットの相関構造の通時的変化を辿ることを試みるという方針を決定した。

 第二章では、相関関係節の通時的変化の調査を行った。それに際して、本論文では、ヴェーダ期の文献として『リグヴェーダ・サンヒター』(R̥gveda-Saṃhitā)、叙事詩サンスクリットの文献として『ラーマーヤナ』(Rāmāyaṇa)、古典期サンスクリットの文献として『仏所行讃』(Buddhacarita)を用いた。その結果、主節の左に置かれる相関関係節(左・相関)の割合が時代が下るにつれて有意に増加し、主節の左に置かれる非相関関係節(左・非相関)および主節の右に置かれる関係節(右・相関および右・非相関)の割合が有意に減少する傾向があるということがわかった。また、時代が下るにつれて、左・相関と右・非相関の構造をとる傾向が強くなっている。サンスクリットで左・相関の構造が典型的であるということは既に知られているが、今回では、その傾向の強さが時期によって有意に異なるということが判明した。

 さらに、この調査の副産物として、ヴェーダ期には一般的であった関係詞 yad-の副詞的用法も、時代が下るにつれて徐々に減少していったこともまた判明した。yad-の中性単数主・対格形 yad の「なぜならば、もし、~だけれども」のような用法はヴェーダ期サンスクリットに限られ、古典期サンスクリットになると、yad-の主な機能は関係代名詞、補文標識および主題標識に限られるようになる。

 また、主節の左に置かれる相関関係節(左・相関)の割合が時代が下るにつれて有意に増加するという傾向の理論的な解釈として、左方転移(left-dislocation)という概念を利用した。左方転移とは特定の語あるいは句を文の左方に転移させる統語的現象であり、主に話題を提示する機能をもつ。Lambrecht (2001: 1050)によれば、左方転移であると判断するための条件は、(i) 左方転移の構成素が(主)節の外に置かれること、(ii)左方転移の構成素を(主)節の中に置く方法が存在すること、(iii)主節に代名詞が置かれること、(iv)何らかの特殊な韻律をもつこと、という 4 種類である。サンスクリットの相関関係節は、まず従属節内の動詞がアクセントをもつという点で(i)と(iv)を満たす。そして、右・非相関の構造の存在が(ii) に該当し、相関構造であるという時点で自明に(iii)を満たす。したがって、サンスクリットの相関関係節は左方転移であるとみなしてよいと判断された。

 さらに、yad-節が関係節とは異なった振る舞いをする例があるという点も指摘した。サンスクリットの相関関係節には、yad-の導く従属節と、主に tad-の導く主節のそれぞれに異なる名詞が同格に置かれる(主要部)ことがある。このような場合においては、従属節と主節の指示対象が完全に一致しないため、単純な関係節として解釈することが難しい。一方で、それらの例を左方転移と見なすならば、解釈は難しくない。これは「相関関係節」を関係節ではなく左方転移であるとみなすことの利点であるといえる。

 左方転移は本来主題を表示するものとして用いられていたと考えられるが、形態的な類似性により徐々に複文と混同されるようになり、再分析され、その結果として、左・相関関係節として文法化して定着したと考えられる。左・相関関係節が時代の下るにつれて増加しているのはこのためだと解釈することができる。先行研究においては、左方転移に起こりうる通時的変化として、左方転移が主語に変化する例が報告されていた(Givón 1979)。本論文の内容は、左方転移が相関関係節にも変化する例として、言語類型論的な示唆をも与えうるものである。

 また、サンスクリットが他の言語と異なる変化を見せた内在的要因は、サンスクリットの初期の文献に一種の話し言葉(spoken language)的性格があるためである可能性がある。サンスクリットには数千年に及ぶ口頭伝承の歴史があり、写本として書き留められるまでの長い期間口頭で伝承されてきた。Gillian and Yule(1983: 17)によれば、書き言葉(written language)では主語・述語構造が多用され、話し言葉では主題・コメント構造(topic-comment structure)が多用される。サンスクリットの相関関係節の歴史的発展には、このような背景が存在する可能性がある。

 第三章では、サンスクリットの相関副詞節の通時的変化や、副詞節の相関率と位置に影響する要因を調査した。本論文では、その中でも、時間節を導く yadāと場所節を導く yatra を調査した。その結果、以下のことが判明した。

 

(1)    相関詞:ヴェーダ期サンスクリットにおいては、yadāyatra のどちらにも複数の種類の相関詞が用いられうる。しかしながら、後代には、対応する ta-系列の副詞(すなわち、tadāおよび tatra)に固定される。

(2)    yadāおよび yatra の相関率:ヴェーダ期・叙事詩・古典期というサンスクリットの時期区分と、韻文と散文の区別が、相関率と関係する要素である。また、相関関係節とは反対に、相関副詞節の相関率は時代が下るにつれて減少する。副詞節は左方転移と無関係であるためであると思われる。なお、相関率は韻文よりも散文で有意に高い。

(3)    yatra および yadāの従属節内における位置:古い時代には両者ともに節頭に置かれる場合がほとんどであったが、後代には節頭以外の位置に置かれる例もみられるようになる。これは韻文と散文の区別とは無関係である。

(4)    yatra 節および yadā節の位置:yatra 節の位置は、サンスクリットの時期区分と関連がある。ヴェーダ期では左側、叙事詩では右側に置かれる傾向があり、古典期にはこれといった傾向がない。yadā 節については有意な傾向はみられなかった。両者の違いは、おそらく tadāと相関する yadāの例がほぼ叙事詩と古典期に限られるためであると思われる。

 

 理論的には、サンスクリットの相関関係節の通時的変化のメカニズムにおいて、再分析と類推という 2 種類がはたらいていると考えられる。より具体的には、相関関係節は再分析による文法化、類推による文法化を経ていると思われる。例えば、 yadāの相関詞として従来のād atha ではなく tadāが一般的になったのは、yad-tad-をはじめとする、同一系列の指示詞を相関詞として用いるものからの類推であると考えられる。また、サンスクリットの相関構造の変化の中には、談話的な現象が統語的な現象に変化するというものがあり、この点で Givón’s slogan(“Today’s syntax is yesterday’s discourse”)とも符合している。