本論文は、演奏研究の蓄積によって明らかにされてきた演奏様式の変遷に着目し、楽譜資料と録音資料に基づいて、ピアノによる演奏がどのように形成されてきたのかを明らかにすることを目的とする。本論文が分析対象とするJ. S. バッハの鍵盤作品は、作曲家の死後社会から一度忘れられたことで作曲当時の演奏習慣が消失し、作曲家が想定していた楽器も廃れてたために、バッハが復興した19世紀に、作曲家とは切り離されたところで演奏の伝統が形成されていった。本論文ではバッハ鍵盤作品のなかから、ヴィルトゥオーゾと呼ばれる高度な演奏技術を持った演奏家たちのレパートリーであった《半音階幻想曲とフーガ》BWV903と、バッハ復興のきっかけともなり19世紀から高く評価されていた《平均律クラヴィーア曲集》に着目し、楽譜自体のあり方や、演奏における楽譜の位置付けが変化するなかで、師から弟子へと演奏が受け継がれながらどのように変化してゆくのかを、楽譜と録音の二つの資料から浮き彫りにすることを試みる。

 西洋芸術音楽研究において、音楽作品とは作曲家が書いた楽譜すなわちテクストであり、演奏とはテクストが再現されたものに過ぎないという考えが主流であった。しかし1980年代以降、テクストを偏重する研究手法への批判から、演奏も研究対象として重視されるようになる。楽譜資料のなかで本論文が主な分析対象とする実用版楽譜(praktische Ausgabe)は、校訂者が演奏に必要な補足を加えたものであり、演奏に注目が集まり始めた1980年代以降に研究対象とされるようになる。実用版楽譜は、概念自体が歴史的に変化しており、そのあり方も年代によって変化しているため、本論分においては「実用版」楽譜と表記する。これまでの研究では、「原典版」との二項対立の枠組みのなかで論じられ、「実用版」楽譜が持つ多様な機能や、演奏をとりまく環境の変化に現場がどのように対応してきたかが反映されたドキュメントとしての側面は明らかにされてこなかった。本論文では、そうした「実用版」楽譜のメディアとしての機能や変化も明らかにしつつ、「実用版」楽譜に記載された奏法や解釈に着目し、バッハ演奏のオーセンティシティをめぐる20世紀初頭のパラダイム・シフトを経て、それらがどのように変化しながら継承されてきたのかを検証する。

 一方で、演奏が研究対象にされるようになると録音分析が活発化し、2004年イギリスにCHARM(The AHRC Research Centre for the History and Analysis of Recorded Music)という録音の音楽学的研究を担う研究組織が設立されるなど、2000年代以降コンピュータ・ソフトウェアを用いた分析が行われるようになる。文学研究および人文情報学における遠読(Distant Reading)の概念を援用した「Distant Listening」の概念に基づいた分析がされ、演奏様式がどのように変化してきたかが議論されるようになる。これらの研究は、1920年代までの初期の演奏録音資料では、速度変化の大きい19世紀の演奏習慣を残していることを明らかにしてきた。しかし1920年代以降の演奏様式の変遷については、研究者間で見解に相違がある。これまで、演奏の演奏様式の変遷を一世紀単位で長期的に捉えようとする研究はなく、また分析する範囲が楽曲全体ではなく恣意的に抜粋されており、十分に客観的な分析方法を確立できていない点にも問題があった。そこで本論文では、特定楽曲の録音を長期的に収集することにより、1920年代以降の速度変化の変遷を辿ることにした。一作品の分析では特定楽曲の特徴が速度変化に反映されているに過ぎない可能性があるため、J.S.バッハ《平均律クライヴィーア曲集第1巻》第1番BWV846前奏曲とフーガ、《半音階的幻想曲とフーガ》フーガの3作品の演奏録音(1912年~2019年までの90種類)に焦点を絞り、抜粋することなく楽曲全体を速度変化の変遷を独自のコンピュータ・プログラムを用いて分析した。

 

 本論文は3部6章構成をとる。第1部では、「実用版」楽譜の機能と、19世紀から20世紀初頭にかけて演奏の根幹をなす概念であった音楽修辞学について説明し、本論文の理論的な枠組みを提示した。第1章ではまず、「実用版」楽譜と作曲家のオリジナルを再現しようとする「原典版」との境界線は実は曖昧であることを指摘した。「実用版」という用語で一纏めにされる以前から、「実用版」楽譜は多様な機能を有し、そのなかには録音が登場する以前に、演奏家の商標として自らの解釈を記録するという機能もあったことを示した。第2章では、ヨーロッパにおいて16世紀以降作曲や演奏の規範となってきた音楽修辞学と、そこで重要な観点となってきた「聴き手にとってのわかりやすさ」という概念が、音楽理論において20世紀まで変化しながらも受け継がれてきたことを述べた。またその伝統と楽譜には書かれていない「作曲家の意図」を読むことを重視する姿勢が、20世紀初頭まで継承されてきたことを、「実用版」楽譜およびピアノ演奏理論書の読解から明らかにした。

 第2部では、「実用版」楽譜を具体的に比較し、奏法が継承されながら少しずつ変化してゆく様を示した。第3章では《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第11番BWV856 のフーガを対象に、1830年代から2000年代までの20種類の「実用版」楽譜を比較した。170年の間に、「実用版」楽譜のあり方がどのように変遷したのかを浮き彫りにしつつ、ピアノで弾くための合理的な運指や、ピアノならではの演奏表現による「ピアノによるバッハ像」が、パラダイム・シフトを経ながらまさに「実用版」楽譜で共有され発展してきたことを、具体的に明らかにした。第4章では、まず19世紀以降のバッハ演奏受容の中心となった流派の中心人物である、カール・チェルニー、フランツ・リスト、ハンス・フォン・ビューロー、フェルッチョ・ブゾーニによるバッハ像を検証した。19世紀にはヴィルトゥオーゾが社会的な脚光を浴び、19世紀後半には高度な技術を有することは演奏者の前提条件となる。19世紀におけるバッハ演奏受容も高度な技術に基づいており、特にオルガンの響きのイメージをピアノで再現するオクターブ奏法は、リストのバッハ演奏の代名詞であり、その「ピアノによるバッハ像」がブゾーニまで継承されていることを明らかにした。その上で、《半音階的幻想曲とフーガ》の4人の版を含めた1800年代から1920年代までの9種類の「実用版」楽譜を比較し、フーガの主題のオクターブ奏法など、具体的な奏法が流派間でどのように継承され、あるいは改変されたかを具体的に示した。

 第3部は、「実用版」楽譜の分析で明らかになったことをもとに、録音資料を分析した。まず第5章では、同一人物による同一作品の「実用版」楽譜と録音資料として、《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1番、および《半音階幻想曲とフーガ》から5例を比較し、本論文において比較したものについては一致することを示した。そして「実用版」楽譜が、19世紀の演奏実践を検証するための一次資料になり得ることを指摘した。次に、20世紀における演奏様式の変化に関してその要因として先行研究で挙げられている、新即物主義とHIPという演奏の新たな潮流、および録音というメディアが演奏のあり方を規定する側面について述べた。第6章では、第5章に引き続き《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1番、および《半音階幻想曲とフーガ》を対象に、コンピュータ・ソフトウェアを用いたさまざまな分析を行い、演奏がどのように成立するのか多角的に検証した。まず先行研究において共通認識となっている、19世紀の演奏実践の特徴である、速度の揺れに着目し、一つ一つの録音が速度をどれくらい揺らしているかを可視化することで、年代によって演奏様式がどのように変化しているのか客観的に明らかにした。修辞学的演奏様式と定義できるのは1920年代までである一方で、1990年代以降に録音初期の偏差の大きな演奏様式に近い録音が増加することを示した。次に局所的な速度変化と音量変化に着目し、解釈が録音間でどれだけ類似しているかを分析した。その結果作品によって、同じ流派に属する演奏者による録音の類似性が高いものと、年代が近い録音の類似性が高いものに分かれることを示した。また2000年代以降になると速度と音量の揺れの大きさだけでなく、局所的な変化においても初期の録音と類似度が非常に高い録音があることを指摘した。最後に《半音階幻想曲とフーガ》の「実用版」楽譜で継承されてきた奏法が、録音においても継承されているのかを分析した。その結果、「実用版」楽譜の校訂者でもあるチェルニー、リスト、ブゾーニの流派において、一貫してオクターブ奏法の実施率が高かったことを明らかにした。オクターブ奏法は、バッハのオリジナルには記載のない、「実用版」楽譜において継承されてきた奏法である。20世紀のパラダイム・シフトにより、オーセンティシティに関する議論が活発化し、演奏におけるオーセンティシティがなによりも重視されていた1960年代から1980年代にかけても、チェルニーから継承されてきた「ピアノによるバッハ像」が流派において継承されてきたことを明らかにした。

 

 本論文は、以上の分析を通して、演奏のあり方は年代による影響を受けつつも、流派間では奏法が継承されてきたことを明らかにした。西洋芸術音楽研究において、人文情報学の概念を用いた新たな手法を提案し分析したことは、本論文の有する意義といえる。また本論文は、演奏における楽譜の位置付けが歴史的に変化することを浮き彫りにした。演奏様式の変遷とは、演奏における楽譜の位置付けの変化に由来することを併せて明らかにした。特に1990年代以降の偏差の大きい演奏のあり方は、パフォーマンスとテクストの新たな関係性を示すものであり、そこから本論文は、演奏研究のみならずオペラ研究、パフォーマンス・スタディーズの分野にも一石を投じるものとなり得るであろう。