本論文は、趣味という社会現象を、歴史社会学の視点からあらためて問い直し、この現象をいかに対象化できるか、その枠組みの構築に取り組んだものである。その目的のために、構造、主体、実践、モノを総合的に捉えることが必要であり、いくつかの独自性を有する試みを行ってきた。第一に、趣味論の問題系を整理し、そこから新たに主体化のメカニズムの重要性と、それと表裏一体に考えられていたがゆえに見過ごされがちであった耽溺の問題という課題を導き出したこと。第二に、動詞に注目するという新たな切り口から、実践論と量的内容分析を組み合わせたこと。第三に、趣味空間という新たな方法の、具体的な手続きを提示したことである。実践論を応用するがゆえに、数多くの実践のスタイルをもつ「鉄道趣味」が、分析に適した研究対象として浮かび上がってきた。

 

 本論文の議論は、三部で構成されている。第1部は、趣味がこれまでどのような概念・理論の枠のなかで検討されてきたのかを確かめる、理論検討編として展開する。

 第1章では、明治時代における趣味という言葉の成立にさかのぼり、その日本語に込められた意味の重なりを確認した。趣味という言葉は、おもしろみを意味する漢語として存在していたが、美を意味する洋語の輸入に伴って再発見され、さらにモノの性質を指す和語がそれらを媒介したことで、新旧の意味を巻き込む形で定着してきた。この漢語と洋語と和語が融合する過程を経て、趣味という日本語のなかでは「Taste」、「Hobby」、「おもむき」という三つの意味が、ゆるやかに結びつく形で運用されている。また、その言葉と関連語には趣味がいかにして社会的な問題となってきたのかを示す痕跡が残されている。それは、アマチュア性の強調や、道楽という言葉との対比を通じて明らかになる。語誌の検討では、日本における主体化や耽溺の問題が、生活全体を規律化する社会規範というよりは、人格や主体をめぐる内在的な議論と結びついてきたことが分かった。

 第2章では、社会学における趣味研究の広がりを概観し、先行研究に示される問題意識を確認した。趣味の研究は階級、時間、消費、労働、生活、集団という六つの主題をめぐる大きなうねりのなかにあり、分析の視角は構造、主体、実践という三つの軸に整理することができる。そのなかでも構造と主体は、客観と主観という社会学の伝統的な二項対立の問題を含んでいた。この問題を克服するために導入されたのが、実践論である。実践は歴史性、身体性、日常性、反復性から行為を捉えることで、構造の外在性を無視することなく、また主体の内在性を無視することもなく、双方との適切な距離感を模索する視角をもっていた。そして趣味の問題系を整理すると、公的領域と私的領域の問題、労働と非労働の問題、主体化と耽溺の問題、ヒトとモノの問題という四つにまとめられるが、とりわけ主体化と耽溺の問題は、実践論と同じような問題意識を抱えていた。この趣味の問題を追究するために、本論文では鉄道趣味に焦点を当てる。鉄道趣味は、鉄道のもつ公共性の高さや、実践の豊かなバリエーションから、趣味の公的領域と私的領域の問題、主体化と耽溺の問題を考察するのに適した題材であった。ここにおいて本論文の問いは、「鉄道趣味」を成り立たせている場は、どのように作り上げられてきたのか、という一文にまとめられる。

  

 第2部は、第1部の検討を踏まえ、「鉄道趣味」に関わる素材・事例を具体的に分析してみることで、これまでの趣味研究をいかに拡げることができるのか、そうした拡張のための事例分析編として展開する。

 第3章では、鉄道模型に注目した分析を行った。調査対象には少年向け科学雑誌である『子供の科学』を選択し、表紙と目次の量的内容分析と質的内容分析を実施した。この雑誌は鉄道趣味雑誌のルーツの一つであり、そこには鉄道趣味に分化していく以前の、科学趣味のあり方が記されている。鉄道は工作の文脈から扱われやすい題材であり、本論文はそこで工作記事および模型に注目し、戦前/戦中/戦後の区分のなかで変化を記述した。とりわけ戦前から戦中にかけては軍艦、戦闘機、戦車などの軍事的な要素が盛り上がり、その影響下で、鉄道が兵器として扱われた時期もあった。戦後になると、それらは一転して姿を消していくが、鉄道は比較的早く誌面に再登場する。続いて、工作と模型の意義、将来の理想像、工作と模型のスタイル、材料に対する姿勢を整理すると、そこには教育、実用、娯楽の論理がはたらいていたことが分かった。工作や模型には啓蒙的なメッセージが組み込まれ、近代国家の要請として教育と実用の論理が優勢になり、戦中には発明という実践と、その象徴的な形として特許の申請が熱を帯びていくことになる。しかし戦後になると、実用の論理が姿を消していくとともに、その実践も目立たなくなってきた。娯楽の側面では、戦後において科学から趣味への移行が生じてきたが、その内在的な論理を確認するためには、異なる視点からの調査を必要とした。

 第4章では、鉄道写真に注目した分析を行った。調査対象には鉄道趣味雑誌である『鉄道ファン』を選択し、読者投稿の計量テキスト分析と質的内容分析を実施した。鉄道趣味雑誌とその読者投稿欄には、より内在的な娯楽の論理が記されている。その内容を整理するために、動詞形による六つの分類から鉄道趣味の実践をまとめると〈のる〉、〈とる〉、〈つくる〉、〈あつめる〉、〈よむ〉、〈かく〉、さらには残余カテゴリーとして〈その他〉が設定できる。これらの量的な推移を確認すると、調査対象としたテキストは〈とる〉実践を分析するのに適した資料であることが分かった。そこで、計量テキスト分析から浮かび上がってきたコンフリクトを基点にして、そこから鉄道写真というジャンルに注目し、その生成過程を具体的に記述した。鉄道写真では、芸術写真における「芸術性」、「技術」、また鉄道趣味における「記録性」、「愛情」が融合してきた。そこには異なる空間同士が出会うことによる、構造的な変容が示されていた。しかし、この趣味を担う主体の間では、公的な評価への志向性と、私的な評価への志向性が、二極に分化していくことにもなった。

 

 第3部は、第2部の分析を踏まえ、あらためて「鉄道趣味」に焦点をあわせ、この複合的な現象をどのように把握し、いかなる枠組みにおいて分析するべきかを探る、枠組構築編として展開する。

 第5章では、現代における鉄道趣味の実践について、資料の渉猟やフィールドワークの観察を通じて幅広く確認した。ここでは、内在的に育まれた鉄道趣味の豊かさを記述するとともに、実践同士の位置関係と、その重なりを描き出していく。本論文では実践のスタイルを捉える際に、多様性よりもまとまりに注目する。それゆえに、まず既存の量的調査を確認し、その数量的なまとまりとカテゴリーの作られ方を検討した。それらは〈のる〉、〈とる〉、〈つくる〉、〈あつめる〉、〈よむ〉、〈かく〉、そして〈その他〉への分類が、主要なまとまりを押さえていることを示すとともに、それぞれの主体が複数のカテゴリーを横断する傾向にあることもまた示していた。質的調査では、ルールに注目するという観点から鉄道趣味を「ゲーム」として捉え、さらに、さまざまな主体のもつ動機を含み込むものとして、複合的なゲームの概念を導入した。そして実践の記述を通じて、「網羅のゲーム」、「記録のゲーム」、「表現のゲーム」、「陣地のゲーム」が明確に存在することを示し、これらが鉄道への知覚を習熟させることによって深められることを確認した。鉄道のメディア性にも言及し、まずは鉄道車両のメディア性を、人々の鉄道に対する知覚を拡張するメディアとして捉え、これが鉄道網の上を移動することによって、路線や駅、また旅先へと、知覚の及ぶ範囲を拡大すると主張した。そのような鉄道の性質によって、五感を通じて鉄道に関係する経験を得る実践である〈のる〉実践が、鉄道趣味の中心的な位置を占めていると述べた。

 第6章では、これまで行ってきた鉄道趣味の研究を、趣味の研究にも還元できるように、あらためて分析枠組みを精査した。「愛情」をはじめとした、知覚の議論を組み込むために現象学の知見を応用するとともに、実践論を支えてきた社会空間論の知見も応用しながら、趣味の問題を社会空間論の文脈から捉える、趣味空間という分析枠組みを提示した。それは趣味の主体化と耽溺の問題を、分析することに特化した方法であった。趣味空間の方法は、構造、主体、実践、モノの概念を交差させ、それぞれの要素を限定することで、具体的な場の分析を可能にする。現象学の知見は、空間の認識が時間の認識を伴うことを示してきたが、それゆえに趣味空間もまた、歴史的な記述を必要とする歴史社会学の方法として展開する。この方法を応用して、あらためて鉄道趣味における趣味空間の変容を整理し、趣味の実践がもつゆらぎを描き出すことで、以下のように最終的な結論をまとめた。

 鉄道趣味は、教育や実用という、近代国家が作り出した外在的な論理に支えられてきた。しかし戦後には、国家の要請してきた実用の論理が抜け落ちることで、より内在的な趣味の論理を作り上げる余地が生まれてきた。さらに現代では、鉄道への知覚を十分に育むことを通じて、独自の実践のスタイルを成熟させている。

 本論文の事例分析では、鉄道趣味のなかでも一部の実践のゆらぎを描き出すに留まっていた。歴史社会学の方法に基づいて分析をさらに積み重ね、総合的に拡大していくことが、今後に続く課題として示される。