日本の都市社会学において、社会的に不利な立場の人々が集住する「不利な近隣」が近年注目されつつある。大都市インナーシティの不利な近隣を扱った事例研究は、不利な近隣で育つ子どもの学歴達成が抑制されることを繰り返し指摘してきた。またセグリゲーション・社会地図研究は、日本の大都市圏において所得・階層別の居住地の分極化が進行し、それに伴い格差の再生産が促進される危険性を指摘してきた。しかし、これまでの日本の不利な近隣に関する研究は、個別の近隣で起きている現象の解釈や、クロスセクショナルな記述分析が中心で、不利な近隣に住まう子どもは学歴達成の面でどの程度不利になるのか、またその不利が生み出されるメカニズムは何なのかについての因果的検証を行えていなかった。一方、世界的には不利な近隣に住まうことの悪影響を統計的因果推論の手法で実証する近隣効果(Neighborhood Effects)の研究群が発展しつつある。では、この近隣効果の手法を輸入して日本の実証研究に単純に応用すればいいのかというとそうではない。近年、この統計的因果推論の手法を多用する近隣効果研究は批判に晒されている。その批判は、近隣効果研究は往々にして特定の近隣に住まうことのアウトカムに対する因果効果をあるかないかの二分法的な立場から推定しており、近隣で起こる社会的プロセスを明らかにできていない、というものである。

 そこで本博士論文では、第1章と第2章の方法論パートで近隣効果研究の抱える問題をどう克服すればよいのか、近隣を社会学的に扱うための方法論を整理し、そしてその上で第3章から第6章の実証パートで日本の近隣がいかに学歴達成の格差を生み出しているかを実証的に分析した。

 まず第1章では、日本の都市社会研究が検証できていない近隣にまつわる仮説が何かを整理した。そしてまたシカゴ学派から近隣効果研究に至るまで、都市社会学研究の中で近隣と不利の再生産の関係を明らかにする研究はどのような課題に直面してきたのか、そしてその課題を解決するために導入した手法がどのような問題を引き起こしたのかを整理した。近隣に着目した都市社会学研究の系譜をたどると、20世紀初頭のシカゴ学派も、1987年に『本当に不利な人々』を出版し20世紀末以降の近隣効果研究の火付け役となったW.J.ウィルソンも、不利な近隣で集合レベルの創発的な力が働いていることを主張してきたが、不利な近隣の集合レベルの創発的な力にみえるものは実は個人レベルの属性の総和に還元されてしまうのではないかという批判にいずれも晒され、近隣を扱うこと自体の正当性は常に揺らいだ状態にあった。そして統計的因果推論の導入によって不利な近隣に住まうことの因果効果が推定できるようになり、不利な近隣の集合レベルの創発的な力があること自体は受け入れられるようになったが、今度は統計的因果推論による因果効果の推定が二分法的なもので、社会学的に妥当な説明にならないのではないかという批判が生じた。

 第2章では、統計的因果推論を用いたうえで、社会学的に妥当な説明を行うにはどのような方法がありうるのかについて検討した。まずは、二分法的な近隣効果研究を批判し、より説明的な近隣効果研究を行うための方法論のアップデートを目指した既存のレビュー・理論研究が、個別具体的な方法論の議論を重視していた一方で、どのように問題設定をするべきかについての認識論上の議論を十分に行っていないことを指摘した。そこで、調査研究の歴史を事実の生産ではなく認識の生産として捉える佐藤健二の視点、次に観察者が暗黙に持つ前提や道具立てによって「対象の構成」がなされ、対象を構成する道具もまた対象の構成の仕方を左右するとするピエール・ブルデューらの視点、そして、新たな知識を生産する(社会)科学の実践の構造を整理したルイ・アルチュセールの理論的実践の理論を参照し、これまでの近隣効果研究の認識枠組み・問題設定・分析道具の組み合わせが変化する過程を分析した。シカゴ学派の認識枠組みを引き継いだウィルソンの問題設定は、90年代から始まった近隣効果の計量研究の中には反映されていたが、回帰分析系の手法ではバイアスの問題を回避できず、不利な近隣の効果をうまく測定することができなかった。そこで統計的因果推論の枠組みが導入され、不利な近隣に住むことの効果は取り出されるようになったが、当時使われていた手法は一回の処置のアウトカムに対する効果を識別する手法で、estimand(=研究において求めたい効果の推定量)として単純な平均処置効果を用いていたため、問題設定自体も近隣効果があるかないかに限定されてしまい、ウィルソンが『本当に不利な人々』で提示した問題設定から研究の方向性が乖離してしまっていた。しかし、近年では複数回の処置や、処置とアウトカムの間にある媒介変数の分析を通して処置の効果が現れるメカニズムを観ることができる分析手法が登場しており、これらの活用によって近隣のもつ効果を因果的にかつウィルソンの問題設定に近い形で推定できるようになっていることを論じた。

 第3章では、日本の近隣効果を実証する上での分析方針を設定した。日本において現段階では近隣と不利の再生産の関係を扱う社会学研究は進んでおらず、不利の再生産を表す指標として、子どもの大学進学の格差を、探究するアウトカムに設定した。分析の手順は、まず不利な近隣に住まうことの大学進学にたいする因果効果を推定した上で、不利な近隣に住まうことの効果が集団や近隣の位置する場所によって異なるのか、効果の異質性を推定し、さらに因果媒介分析で不利が生成されるメカニズムを特定していくこととした。

 第4章から第6章までの実証分析パートは、「学校生活と将来に関する親子継続調査」(JLPS-J)のデータを用いた。第4章では、無職率、専門管理率、大卒率、中卒率、離別率から構成された近隣指標を用い、不利な近隣・有利な近隣にはどのような属性を持っている人が住んでいるかを確認した。結果として、不利な近隣ほど社会経済的に不利な人々が住んでいることが判明し、不利な近隣は大都市よりも地方部に多く立地していることがわかった。次に、近隣指標上位20パーセントの不利な近隣に居住する群を処置群とし、それ以外の近隣に居住する群を統制群とし、傾向スコアマッチングの手法を用いて不利な近隣に住まうことの大学進学への因果効果を推定した。結果、日本の不利な近隣に居住した場合、そうでない近隣に居住している場合に比べて10.19ポイント大学進学率が下がることが判明した。2019年の大学進学率は53.7%であり、この不利な近隣に住まうことによる大学進学率抑制効果は社会的に大きなインパクトをもっている。この結果は、都市社会学の先行研究が危惧してきた、不利な近隣に住むことによる不利の連鎖が実際に日本でも存在することを示している。

 第5章では、不利な近隣の効果が集団や地域によって異なるのかを確認した。ここでは、構造ネスト平均モデルを用い、近隣指標と子どもの性別、世帯年収・貯蓄、両親学歴・職業、母子家庭、区部居住、町村部居住、三大都市圏居住の交互作用項を設定した。分析結果としては、不利な近隣に居住する母子家庭は不利な近隣の悪影響をより強く受け、区部に住む場合は不利な近隣の効果が緩和されることが判明した。分析からはこの二変数以外の効果の異質性の仮説が棄却されたが、このことは、日本全体において近隣が大学進学に与える影響に異質性が比較的存在せず、様々な集団に対して広く等しく影響するという日本の近隣効果の作動の仕方の特徴を捉えたものである。

 第6章では、不利な近隣に住まうことでなぜ大学進学率が抑制されるのかそのメカニズムについて分析した。まずは記述的分析を行い、日本の不利な近隣で子ども達がおかれている一般的な状況を確認した。その結果、日本全体でみると、不利な近隣において荒れや暴力の認知が多いものの、近隣の有利不利に関係なく子どもは近隣コミュニティとのつながりがあり、社会的緩衝装置が一定程度稼働していることが判明した。アメリカの先行研究においては、大学卒業と近隣の間にあるメカニズムについて、暴力認知のみが媒介の要因であるかもしれないという可能性が指摘されており、また学業成績に対して近隣が与える効果は、学校の質によってはほとんど媒介されないとされていた。しかし、日本の学校はアメリカと異なったトラッキング制度を持っており、どのようなランクの高校に行くかがその後の進路を大きく左右する。そのため、日本の不利な近隣が大学進学に与える因果関係を媒介する要因としては、どのような高校に入れるかが重要である可能性がある。そこで、因果媒介分析を用いてこの高校ランクと社会的緩衝装置、そして暴力・荒れの認知が、不利な近隣に住まうことの大学進学への因果効果を媒介しているかどうか確認した。その結果、社会的緩衝装置と暴力・荒れの認知は媒介効果を有しておらず、高校ランクは中学3年制時点の成績など因果推論上問題となる変数を考慮した分析をした上でも、不利な近隣に住まうことの大学進学への因果効果の約40%を媒介していることを確認した。

 第7章では、本論文のまとめと意義、そして今後の近隣効果研究への展望を述べた。本論文は、前半の方法論パートでは統計的因果推論の手法を用いながらシカゴ学派やウィルソン的な認識論のもと実証研究を行う方法について示し、後半の実証パートでは、日本で不利な近隣が子どもの学歴達成を抑制する様相を因果的に解明した。今後求められる研究としては、日本の個々の不利な近隣がおかれた歴史的文脈を考慮した分析や、不利な近隣への転居パターンの分析、子どもと近隣に立地する施設との関わりの分析等が挙げられる。