本研究は、男性向けAV(アダルトビデオ)との比較によって、「女性向け」とされるAVがどのような性的主体化の装置であり、それを視聴者の解釈実践はどのように受容ないし抵抗するのかを明らかにすることを目的に研究を行った。

 1章では、なぜ「女性向けAV」を対象とするのか、「女性向けAV」とは何であるのかを議論した。女性向けAVを研究対象とする第一の理由は、現在、ポルノグラフィの最も中心的な存在であるAVに着目することで、男性の性的欲望を逆照射するポテンシャルを持つからである。第二に、女性向けに描き下ろし・撮り下ろしされたポルノが市場にもたらすオルタナティブ性だけでなく、男性向けポルノに対する女性の解釈のオルタナティブ性を射程に含められるからである。第三に、AVが漫画や小説と最も異なるのは、現実に行われた性行為を映している点である。

 2章では、先行研究を検討することで、女性向けAVを分析する本研究の視角を示した。抑圧/解放の二項対立図式で(女性向け)ポルノグラフィを議論することには限界が指摘されており、性的主体を産出する装置としてポルノを捉える理論枠組みが有望といえる。しかし、先行研究の問題点として、①ポルノを性的主体化の視角から分析した研究は女性向けポルノが議論できない論理構成になっていたこと、②逆に女性向けポルノは主体化=従属化の問題を看過したまま研究されてきたこと、③性的主体化に対する抵抗可能性が明らかになっていないことの3点があった。本研究はこれらの解決のために、M. フーコーの権力論をフェミニズム、クィア理論と結びつけたJ. バトラーの性的主体化論を導入した。しかし、バトラーの理論を踏まえる限り、女性が現にどのように解釈しているのかに着目する実証的研究が必要であった。

 3章では、日本の女性向けAV史を辿った。重要なのは、女性向けAVを研究するにあたっては、男性を主なターゲットとするAVメーカーとの関係性を踏まえる必要性があることである。かつては、男性向けAVメーカーの女性監督が女性から注目されたり、男性向けAVメーカーから女性向け宅配サービスが生まれたりしていた。本研究が主な対象としたメーカーについても、SILK LABOの500万円の元手や男優の専属契約資金、GIRL’S CHが主に初期に提供していた「女性向け」に再編集した自社の男性向けAVなど、男性向けAVで成功してきたソフト・オン・デマンドグループの資本に支えられている。

 4章では、アダルト動画販売サイトの商品説明文の計量テキスト分析によって、男性向けAVと女性向けAVの差異の傾向を示した。男性向けAVの商品説明文は、性的アイデンティティとなる性的嗜好の語彙が多く用いられ、女性の身体、快感に焦点化していた。GIRL’S CHの商品説明文は、ストーリーを説明しつつも性行為の内容も説明しており、男性の身体、快感に焦点化していた。SILK LABOの商品説明文は、性的嗜好の語彙よりもドラマのストーリーを説明し、男性の身体というよりも男女の対を焦点化していた。また、SILK LABO作品が、男性向けAVとは異なる特徴を有しながら、むしろより強く性的主体化の装置としての機能を持っているのではないかと示唆された。

 5章では、SILK LABOの性的主体化の装置としての側面を検討した。男性向けAVは、すべてが性的興奮に結びつくように組織化されているという単調さをもつがゆえに、多様な性的嗜好を詰め込むことが可能になっていた。しかし、SILK LABOは、必ずしも性的興奮にむけて組織化されているわけではない。だが、性的嗜好のバリエーションを膨大に用意することよりも、性の選択の地平に参入するための入口として機能することが意識されている点において、SILK LABOは男性向けAVメーカーよりも性的欲望による主体化に意識的であるといえる。

 6章では、視聴者をあるジェンダーの持ち主として主体化させるポルノの仕組みを、特に視線の構成と同一化効果の関係から明らかにした。主観的映像だけでなく半主観的映像も議論に導入することで、「男性の性的主体化」しか分析できていなかった先行研究の理論枠組みが、現実の女性向けポルノを分析するにあたっては不自由で強固な前提があったことを指摘した。また、技法はコンテクストに埋め込まれたかたちでしか効果を持たないと指摘することで、映像内在的な抵抗可能性を浮かび上がらせたと同時に、男性向けAVと女性向けAVの様式の差異を指摘した。男性向けAVでは視聴者と女優が見つめ合うことが、女性向けAVではカメラと男優が見つめ合わないことが、リアリティの演出として意味を持っていた。第三者視点が基調である女性向けAVは、男性向けAVと比べて異性へのジェンダー化に開かれた映像として捉えられるが、これは、「女性」という性的主体のポジションの不安定さと、視聴者が「女性」以外への主体化に巻き込まれていく反復=反覆可能性の両面を示していた。

 7章では、「ヘテロ男性を主なターゲットとするAVが、なぜ・いかにして一部を切り取るだけで『女性向け』のアダルト動画に編集(不)可能なのか」という問いを通じ、ポルノグラフィを「再意味づけ」する実践の可能性と限界を経験的に明らかにした。結果、1本の作品から「女性向け」と感じられるシーンを発見する反面、女性に対し抑圧的とされ「男性向け」と感じられるシーンを取り除く編集によって、男性向けAVから女性向け動画を切り出すという実践と、男性向け/女性向け動画が真逆の性質を持つという理解が、矛盾せず両立していた。作品のうち一部のシーンのみ視聴しても問題がないというAVのメディア的特性が、この「再意味づけ」を支えつつも、ジェンダー化されたジャンルの攪乱を不十分なものに留まらせた。このように、「同一のテクスト」とは何なのかというメディア論的・表象文化論的問題と、ジェンダー・セクシュアリティ論的問題との交点で、バトラーの反ポルノ批判の有効性と同時に、その限界を経験的に明らかにした。ただし、アダルト動画サイトのレビュー欄というデータは、視聴者の映像解釈の詳細な分析には不向きであり、インタビュー調査で補完される必要が示された。

 8章では、調査者・被調査者が固有に持っている社会的経験の積み重ねや、インタビューという相互行為が、女性向けAVを視聴するファンが男性研究者に語る場の成立や語りの形式に作用していることを議論した。女性向けAVを視聴するファンは、インタビュー調査以前から、ファン・コミュニティに限らない聴き手に対して語る(語らなければならなくなる)状況があり、そこですでに語りの戦略を発揮している存在である。ゆえに、男性研究者のインタビューに答える以前から男性とAVについて語り慣れていることが、障壁をなくしている場合もあった。それでも、ジェンダーが調査現場の相互行為によって前景化した場合、語りが滞ることもあるが、「女性向けAVの研究者」という属性の提示が、「女性」で「AVを視聴するファン」と同様に、「常識」と異なる文化に位置する聴き手であることを納得させていた。さらに、SILK LABO作品を中心とした日本の女性向けAVや、それに出演する男優の魅力は、性的嗜好の告白を行わなくても十分に語ることができる余地があるゆえに、インタビューに答えやすくなっていた。

 9章では、男性向け/女性向けAVという区分を女性視聴者はどう捉えているかという7章の問いを、女性向けAVを視聴するファンへのインタビュー調査によって改めて考察した。7章のデータでは「男性向け」という言葉は動画が自分の好みでないという批判に用いられていたが、9章のデータでは、ファンは単純に男性向けAVを批判するのではなく、「男優ファン」であるがゆえに男性向けAVの視聴を自然にファン活動に組み込んでいた。しかも男性向け作品を「仕方なく」視聴するのではなく、ある種のトラウマ経験がある女性であっても、両方に良さを感じながら楽しんでいた。また男性向け/女性向けを越境した視聴を行うだけでなく、そうした区分の必然性を揺るがすような捉え方もしていた。

 10章では、本研究の内容を再度まとめ直したうえで、本研究の意義と今後の課題を示した。本研究のインプリケーションとして、第一に、本研究はポルノを性的主体化の装置として分析する枠組みを批判的に発展させ、女性の性的主体化を議論した。第二に、女性向けポルノ表象のオルタナティヴ性だけでなく、女性視聴者の解釈のオルタナティヴ性も分析することで、男性向け/女性向けポルノを比較研究した先行研究とは異なる結論を止揚した。第三に、具体的に映像と視聴者を分析することで、バトラーの反ポルノ批判の可能性と同時に、その限界も指摘した。本研究の今後の課題は、第一に、インタビュー調査のさらなる拡充によって、女性向けAVの視聴者が現にAV視聴をきっかけにいかなる自己アイデンティティを構築しているのかをより明らかにすることである。これを通じて、主体化の権力への抵抗可能性を視聴者の調査から裏付けること、セクシュアリティのアイデンティフィケーションとジェンダーのアイデンティフィケーションの関係性をさらに議論することも目指される。第二に、本研究は女性向けAVを研究することによって男性向けAVの特徴や男性の性的欲望を逆照射することも目指してきたが、今後は男性の多様性にも目を向ける必要がある。第三に、異性愛者の男性・女性だけでなく性的指向を含めた分析、メディア論的視角をより取り入れた分析へと発展的に展開することも、次なる課題となる。