集合知は、集団での情報集約または情報共有によって各個人の意思決定に創発的な改善が生じる現象である。集合知と呼ばれる現象そのものは、人間の社会を特徴づける特性の一つとして長年注目されてきた経緯がある。「探索と知識利用のトレードオフ」、「情報の不確実性」、「最適な選択肢の時間的変動」といった人間が生きる生態環境のもとでは、集団を構成する個人の側の学習メカニズムからより優れた特定の選択へと収束するようなボトムアップの「結合型意思決定」による集団的決定のプロセスが集合知の成功に重要な鍵を握る。しかしながら、これまでの研究では、結合型意思決定において集合知を支える個人の学習メカニズムについての定量的な理解が十分に蓄積されてこなかった。こうした状況に対して、本論文では計算論モデリングの枠組みを通して、集合知というマクロな現象と社会学習というマイクロな認知基盤の両面的な理解を目指した。計算論モデリングは、人間の行動の背後にある「計算」過程を数式で表現したモデルであり、データからは直接観測できない内的な計算過程を推定することができる。特に、概念的な行動の要素(e.g., 学習の速度や判断ノイズなど)をパラメータによって定量的に評価できる点が重要である。これにより、行動データとして記録された参加者の行動を認知過程として説明するだけでなく、行動データを実際に得ていないような状況での集団レベルの現象をシミュレーションにより予測することができる。本論文では、「社会ネットワーク構造」(研究2)と「課題間学習」(研究3)という人間の社会において重要な拘束条件に着目し、計算論モデリングの枠組みを通して、集合知現象の認知基盤への実証的接近を目指した。

 研究2では、社会における個人間の情報伝達にとって重要な制約条件である社会ネットワーク構造に着目した。従来の研究では、社会ネットワーク構造という「物理的制約」が集合知の発生水準に及ぼす影響が検討されてきた。しかしながら、情報採餌場面でしばしば見られる最適な行動選択の時間的変動(すなわち、最適な選択肢が時間の経過とともに変化する状況)において、社会ネットワーク構造が集合知の発生にどのような影響をもたらすのかは明らかでない。本研究では、250人の参加者が「非定常」2腕バンディット課題を単独で取り組んだ場合(ソロ条件)と、集約型または分散型ネットワークに埋め込まれた社会学習状況で取り組んだ場合とを比較する。いずれのネットワーク条件もソロ条件を上回ったが、集約型ネットワークと分散型ネットワークの間に有意なパフォーマンスの差はみられなかった。本研究の実験状況下でネットワーク効果がみられなかった背景を理解するために、計算論に基づいた個人選択モデルを用いて参加者の行動をパラメトリックに分析した。さらに、その分析結果をもとに、実験状況を変動的課題から静的課題に拡張し、個人の意思決定戦略の違いがどのような条件下で社会ネットワーク構造の効果を生み出しうるのかについて、シミュレーションにより検討した。その結果、以下の2点が明らかになった。まず、変動的課題において、参加者たちの行動データから観察された行動選択は、結果として社会ネットワーク構造の効果にほとんど寄与しないようなパラメータ値をとっていた。また、多くのパラメータの組み合わせにおいて、変動的課題において観察されうる社会ネットワーク構造の効果の大きさそのものが、静的課題において観察されうる効果の大きさと比べて極めて小さいことがわかった。これらの結果は、社会ネットワーク構造が集合知の発生レベルに及ぼす影響が、環境変動の程度によって制約をうける可能性を示唆する。最適な行動選択の時間的変動をはじめとする環境変動は、我々が生きる世界にさまざまなスケールで普遍的に見られる現象である。本研究の結果は、固定的な特定の環境条件下で社会ネットワークと集合知の関係を明らかにした従来の研究の結果が、環境変動という次元において必ずしも成立しないという問題を提起するとともに、今後の研究において環境変動という次元のもとで集合知の発生様態を評価する必要性を明らかにした意義を持つ。

 研究3では、変動環境下の意思決定において、集合知を支える認知的基盤により焦点を当てる。これまでの研究では、情報探索場面における社会学習のアルゴリズムとして、「他者の行動をコピーする(模倣学習)」というモデルが検討されてきた。このようなモデル上の仮定は、1つの探索空間の中での社会学習過程に対して最もシンプルかつ強力な説明力を持つ。すなわち、この社会学習は、単一の新たな探索空間における情報探索に効率性を発揮する(「課題内学習」)。その一方、多様な探索空間が次々と出現しうるという状況に拡張した場合、模倣学習によるモデル化を採用することで、社会的情報が環境変動によって「一切役に立たなくなる」という強い仮定を敷くことになる。確かに、地震のように現在の科学技術では事前の予測が極めて難しい災害が存在することは事実だ。だが、例えば天候の変化のように、環境変動の背後に理論化可能な何らかの法則性を持っていたり、四季の変化に伴う周期性のようなパターンを考慮して変動を予測できたりするようなものもある。しかし、我々が生きる世界は探索空間の変動を伴っているものの、人間の社会は変動のたびに大混乱に陥っているわけではない。むしろ、これまで蓄積してきた集合知を変動後の環境に活かし、より素早く立ち直ることができるだろう。そのためには、複数の関連する環境に拡張可能な汎化可能な理解を構築することが必要になると考えられる(「課題間学習」)。そこで研究3では、「共通のルールに従って生成された空間的に相関のある報酬地形において、実験室内で複数回の情報探索を行う」という新たな多腕バンディット課題を導入し、参加者の社会学習過程を検討した。その結果、ペア参加者は単独参加者よりも、セッションをまたいだ情報探索の効率を向上させることができることが示された。また、参加者の選択行動を計算論モデルにより解析した結果、セッションをまたいだ情報探索の効率向上は、共通の生成法則の理解度の向上と関連していることがモデルパラメータの分析から明らかになった。さらに、生成法則の理解にはペア内で相関があり、社会的相互作用が課題間学習の向上の鍵であることが示唆された。本研究は、これまでの模倣学習に基づく社会学習モデルを拡張し、新たに個別の環境に共通の生成法則を学習し、個別の課題を超えた情報の利用をモデル的に解析可能にした点で新規性を持つ。さらに、解析の結果は、共通の生成法則の理解に及ぶ「メタ」なレベルでの集合知という新たな集合知の発生容態を計算論モデルの枠組みで発見し、今後の集合知研究における新たな指針を提供する意義を持つ。

 最後に、総合考察では上記の実験研究の結果の総括を行う。そして、得られた結果をもとに、集合知というマクロ現象とその認知基盤への計算論モデリングによるアプローチについて、展望を示す。本考察では、本論文で取り組んだ実証研究を含む計算論モデリングを用いたアプローチを、集合知現象の理学的側面への貢献と工学的側面への貢献という二面的な視点から議論する。まず、計算論モデリングによって参加者の行動を認知過程として「説明する」というアプローチは理学的な側面といえる。このアプローチは、モデル自身の妥当性と社会的意思決定状況における相互依存性のモデル化という二つの大きな課題を有する。これらの課題は困難であるものの、人間の集合行動を考える上で避けられないものであり、今後のモデル設計の発展が必要である。一方、行動データを実際に得ていないような状況での集団レベルの現象をシミュレーションなどを使って「予測し改善する」というアプローチは工学的な側面といえる。情報カスケード現象をはじめ、集団的意思決定が現実の問題として集合愚ともいえる状況を生み出す状況がある。こうした中、ボットなナッジによる集団の決定の誘導が一つの解決策として示されている。一方、本論文で取り組んだような計算論モデリングの手法は、単なる世論誘導ではなく、集団レベルの現象のメカニズム的理解に立った上で、理論を社会設計に接続する可能性を持つ。今後の研究では、計算論モデルによる認知過程への理学的アプローチを大集団での創発現象の説明原理として拡張し、情報カスケードやフェイクニュースをはじめとする現代社会に特有の問題群に対して対処する道筋を示す工学的アプローチに接続する必要があるだろう。