本博士論文は,認知言語学の観点から英語の構文を分析するものであり,事例として取り上げる現象は場所格交替である。場所格交替とは,loadやsprayといった動詞が,ほぼ同一の内容を表す2通りの構文に現れる現象のことである(移動物目的語構文John loaded hay onto the truck./場所目的語構文John loaded the truck with hay.)。認知言語学の中でも,本稿が特に依拠するのは,捉え方の意味論(捉え方を重視する意味観)と使用基盤モデルである。これらは認知言語学,とりわけRonald W. Langackerが提唱する認知文法の基礎をなすものである。場所格交替を扱った認知言語学の研究では,捉え方の観点から議論が進められることが多く,使用基盤モデルからの分析は十分には行われていない。本稿では,捉え方の意味論と使用基盤モデルが有機的に結びついた研究の在り方を示し,場所格交替の2つの構文がどのように選択されているのかを分析する。

 本稿が扱う主な現象は場所格交替ではあるが,場所格交替は英語のほかの文法現象とも関わり合っている。場所格交替とほかの現象で似たような動機づけを見出せることもあれば,場所目的語構文が受身で使われるように,別の構文と組み合わさっていることもある。また,日本語との比較・対照が英語の場所格交替を分析する上で有益なこともある。したがって,場所格交替以外の文法現象を扱った研究も適宜参照し,積極的に関連現象を取り上げている。英語と日本語のデータを得るにあたって,British National Corpus(BNC),Corpus of Contemporary American English(COCA),現代日本語書き言葉均衡コーパス(Balanced Corpus of Contemporary Written Japanese(BCCWJ))などのコーパスを利用した。これらの均衡コーパス(多様なレジスターからバランスよくテクストが収録されたコーパス)を用いることで,これまでの研究で扱われてこなかったような事例を収集することが可能となり,場所格交替のより詳細な記述を行うことができた。一方で,料理本のレシピに特化して集めたデータも分析し,レジスターによって場所格交替が異なる姿を見せることも示すことができたと考えている。それ以外に,書籍やウェブサイトからの実例,筆者の作例もデータとして用いた。

 以下,各章の内容を示す。第1章では認知言語学と場所格交替の概要を示し,捉え方の意味論と使用基盤モデルが有機的に結びついた研究の在り方について論じる。

 第2章では捉え方の意味論と使用基盤モデルに基づく構文研究を紹介し,場所格交替がどのように扱われているのか,これからどのような研究が必要なのかについて議論する。そして,そのような分析の実践例として,穴あけ構文の事例研究を紹介する。

 第3章では,場所格交替が本格的に研究されるようになった1960年代から現在までにどのような理論的変遷をたどっていったのかを概観し,本稿で扱う課題を具体的に選定する。

 第4章から第7章にかけて英語の場所格交替をさまざまな観点から分析していく。第4章は場所格交替と評価的意味の関係を扱う。分析のための枠組みとして,意味的韻律(semantic prosody)という概念を導入する。意味的韻律とは生起環境や共起関係をもとに判断される語や構文の評価的意味のことである。本章では,意味的韻律について紹介した後,事例研究としてloadとsmearを取り上げる。BNCの用例を見ると,loadの場合もsmearの場合も,移動物目的語構文と場所目的語構文に共通して現れる名詞がある一方で,片方の構文にしか現れない名詞もあることがわかる。loadの場合,移動物目的語構文が貨物運搬のための積載を表すことが多いのに対して,場所目的語構文は救急,犯罪の場面における積載のほか,授与,属性などの事態を表すのにも用いられ,それに合わせて幅広い名詞が生起している(e.g. load [人] with honours)。smearの場合も,場所目的語構文では単なる塗り付け以外の場面で用いられることが多く,特に汚れや関係する名詞が生起している(e.g. smeared with blood)。load,smearの場所目的語構文は,どちらも抽象名詞が生起する(メタファー)という共通点がある。上記の名詞の分布から,場所目的語構文の意味的韻律を確認することができる。意味的韻律は,loadの場合は肯定的/否定的どちらの場合もありうるのに対して,smearの場合は否定的なものに偏っている。このような違いはあるが,場所目的語構文が評価的意味を担う点は共通している。これまで場所格交替が意味的韻律という観点から扱われたことはなかったが,場所目的語構文のほうが特殊な構文であると(無意識のうちに)感じていた研究者は多かったのではないだろうか。そのことが,中立的に事態を描写する移動物目的語構文を基本に据える研究者が多いことの一因になっている可能性がある。

 第5章では,場所格交替の2つの構文が形容詞的受身と組み合わさった事例を扱う。このような表現の中には行為の結果を表しているとは言い難いものもある(e.g. loaded with talent)。本章ではこの種の表現が成立する動機づけを(A)主体化と(B)英語の好まれる言い回しおよび構文ネットワークの観点から分析する。(A)については,仮想上の変化という考えを導入し,それがLangackerの言う主体化の事例の1つと見なせることを指摘する。(B)については,英語らしいスル的な言い回しの一環として場所格交替+形容詞的受身の表現を位置づけると同時に,構文ネットワークの観点から移動物目的語構文と場所目的語構文の違いを捉える。また,loadを中心にこの種の構文に見られる慣習的表現を確認する。さらに,場所格交替に限らず,複数の構文の組み合わせについて考察し,認知言語学の構文研究における理論的な貢献を目指す。

 第6章はレシピで用いられる場所格交替動詞を扱う。レシピは場所格交替動詞が現れやすいレジスターの1つであるが(e.g. Sprinkle salt over the meat. / Sprinkle the meat with salt.),これまでレシピに特化した場所格交替の分析は行われてこなかった。本章では,レシピでは場所目的語構文がデフォルトであることに加えて,場所名詞句が省略されやすいこと(目的語の省略や動詞・不変化詞構文),移動物目的語構文は限定的ながらも使用されること,レシピでのみ交替用法が慣習化している動詞(drizzle)があることなどを明らかにする。このような現象はレシピの機能的側面(レシピがどのようなことを伝えるためのレジスターなのか,どのような種類の談話であるのか)に注目することで自然な説明が可能であることを示す。

 第7章では本来は移動物目的語構文にしか現れないとされるpourクラスの動詞(dribbleなど)が例外的に場所目的語構文に現れる現象を扱う。pourクラスの動詞は,行為の意図性や場所を変化させるという目的が読み込まれる場合(特に料理表現の場合),形容詞的受身と交差する場合は,慣習的な交替動詞からの類推が働き,例外的に場所目的語構文に現れることがある。一口にpourクラスの動詞と言っても,場所目的語構文で使われるのがどれほど自然かという点では違いがあり,特にspillのような非意図的な行為を表す動詞は臨時性,創造性が高いと考えられる。

 第8章は英語の場所格交替に相当する日本語の表現を分析する。英語に比べて日本語では交替動詞が少ないと言われているが,そうであるとすれば英語の場所格交替がカバーしている事態について,日本語ではどのような表現を用いているのかという疑問が生じる。英語の場所格交替動詞が料理表現として用いられることが多いという観察に基づき,ここでは調味料をかけることを表す日本語表現を取り上げる。BCCWJから得られた用例における調味動詞を調べ,調味料がどのような格で表現されているかをまとめると,調味料をヲ格で表現するもの(e.g. 振る,入れる)とデ格で表現するもの(e.g. 調味する,味つけする)があることがわかる。英語のsprinkleのような交替動詞は一語でその両方に当たる役割を兼ね備えていると言える。Sprinkle the meat with salt.に相当する内容を表す場合,日本語では「肉に塩を振って味つけする」のように2つの動詞を使うのが自然である。

 第9章は全体のまとめと本研究の意義を示す。場所格交替として言語現象・言語知識を俯瞰した視点からまとめることも,慣習的表現の細部に目を向けることも可能にするのが,捉え方の意味論と使用基盤モデルが有機的に結びついた言語観であることを確認する。