西鶴奇談研究

梁 誠允

 長い日本文学の歴史において、実質的な庶民文学は、井原西鶴(寛永十九年~元禄六年)の天和二年刊『好色一代男』によって誕生した。同時代の人間の姿や心のあり方、世態風俗に深く心を傾け、写実的にそれらを描き出した西鶴の小説は、当世風(すなわち同時代風)小説という意味で「浮世草子」と呼ばれる。しかし、西鶴の浮世草子は、当代の風俗と人々の心情の写実的な描出に終始するのではなく、前代からの説話および古典の解体と再生が図られ、その多くは奇談として作中に豊富に盛り込まれている。従来、西鶴の奇談を対象とした本格的な研究は、厖大な前代の説話等との比較や西鶴の題材との向き合い方の究明、江戸時代に特徴的な異界観・怨霊観・因果観、異類認識・宗教観の把握等々、難しい手続きが必要とされるため、極めて少なかった。本「西鶴奇談研究」は、同時代の風俗世態と〈世の人心〉を描破するにあたり、西鶴が様々な奇異な素材を用いてどのように表現の可能性を切り開いたかを考察したものである。研究の主眼は、色々な説話の材料が入り混じり、既存の説話に内在している伝統的な思考や感性が複合・変形しながら生成する西鶴奇談のメカニズムを捉えること、それによって西鶴奇談が独自の相貌を表してくる瞬間を捉えることにある。

 本論文は三つの章から成っている。以下、章ごとの基本構想及び各節の内容を要約する。

 第一章「伝承の想像力」では、典拠不明とされていたいくつかの西鶴奇談の原拠を報告した。西鶴奇談の中に伝承世界の想像力が持ち込まれ、それが書き手と受け手との間に暗黙の了解を生じさせながら、同時代の言説と絡み合い(違和と葛藤を引き起こす要素として機能し)、あるいは逆説的な形で利用されることで、当時の町人達・武家の世態や人心を劇的に描出するに相応しい手段として形作られていく様相が捉えられる。

  第一節「『西鶴名残の友』巻三之七「人にすぐれての早道」と狐飛脚伝承」では、元禄十二年刊『西鶴名残の友』巻三之七「人にすぐれての早道」を取り上げ、本話が志一稲荷伝説・与次郎稲荷伝説をはじめ、主人のため早足で活躍した狐が非業の死を迎える「狐飛脚伝承」を典拠としたことを証明し、種々の狐飛脚伝承の話型による分類をも試みた。通例の狐伝承は狐が主君から忠義を認められ死後も顕彰される狐忠義譚・狐褒賞譚であったのに対し、本話の狐は主君や朋輩から疎外され、その忠心は報われない。さらに妻が狐の夫を殺し自害してしまうという結末は、西鶴が子別れ・夫婦別れという悲劇的な要素をもつ異類婚姻譚を持ち込んだものである。西鶴は狐飛脚・異類婚姻譚(狐婿)・妖狐退治などの様々な狐伝承の話型を盛り込みながら、狐伝承をめぐる既有の知識・従来の認識枠を宙吊りにしたり、伝統的心象をひっくり返したりする方法により、忠誠を尽くしても報われず殺害されるという特異な悲劇に仕立て直していることを明らかにした。

 第二節「フィクションとしての報道説話―『懐硯』巻五之二「明て悔しき養子が銀筥」の虚偽―」では、貞享四年刊『懐硯』巻五之二「明て悔しき養子が銀筥」を取り上げ、本話に『棠陰比事』「道譲詐囚」の物語に原型を求めることのできる詐術譚と「大晦日の客」の民話が取り入れられていることを証明した。「道譲詐囚」の犯罪の手法と逮捕のための欺瞞策は、町人世界における経済的な危機を打開する方策へと組みかえられ、世渡りのために内証を誤魔化し、見せかけの詐術を使う町人達の関係が見事に形象化されている。また、民話「大晦日の客」の発想と『撰集抄』の霊験譚を逆説的な形で用いながら、町人達の経営破綻から再起しようとする情念、その心が動く刹那を可視化することに成功してもいる。同時代の世態や人心を描出するに相応しい手段として、伝承世界の想像力が持ち込まれ、あたかも現実であるかのように虚構の説話を紡ぎ出す西鶴説話の創作的意義が明らかになった。

 第三節「『懐硯』巻三之三「気色の森の倒石塔」と「猫と南瓜」―民話の想像力を糸口に」では、未解読のまま残されている巻三之三「気色の森の倒石塔」を取り上げ、民話「猫と南瓜」の発想と俳諧における〈猫の妻恋〉の発想とが構想の重要な契機として働いていることを確認した。現在知られている民話「猫と南瓜」の話型とは違う、埋もれていた民話「猫と南瓜」のパターンを新たに指摘して話型の補完を行いつつ、本話を構成する伝承の文脈を掘り下げた。西鶴は民話の発想をひねったり、俳諧の発想を応用したりしつつ、屋敷奉公の裏事情(傍輩間と男女間の葛藤)に焦点をあてている。従来顧みられてこなかった民話のモチーフが、西鶴奇談の生成メカニズムの分析から新たに証明されたことは、西鶴奇談の背後には豊かな日本の伝承的想像力が潜んでおり、今後それらがさらに発見できる可能性を窺わせるものである。

 第二章「西鶴奇談の様式に関する試論」では、西鶴奇談には不思議な逸話という内容面のみならず、様式面においても極めて周到な工夫が凝らされており、当代の読者が話の表現技法そのものを楽しむ面が窺えることを指摘した。多様なジャンルの様式を枠組みとして援用し、同時代の人情世態を描き出す西鶴の実験的な試みが明らかになる。

 第一節「方法としての〈なぞ問答〉―『西鶴諸国はなし』巻一之五「不思義のあし音」の遊戯―」では、貞享二年刊『西鶴諸国はなし』巻一之五「不思義のあし音」に〈なぞ問答型〉の語りが仕組まれていることに着目し、従来の〈なぞ文芸〉の諸形式と比較検討した。その結果、本話の面白さは、表面上は奇人の逸話を語りつつ、実は〈なぞ文芸〉の形式・発想様式を巧みに取り込んだ表現の仕方にあることを指摘した。このような話の様式により、伏見の市井世態や米商人の商行為・旅中の服装風俗等が鮮やかに描破できたことを明らかにした。民間伝承の二段なぞ(描写型・見立て型)の設問の仕方が話の中に取り込まれ語られていく様相は、近世文学史において特記すべき表現方法である。

 第二節「『懐硯』巻五之三「居合もだますに手なし」の手法」では、『懐硯』巻五之三「居合もだますに手なし」を取り上げ、報道説話の様式を踏まえつつ虚構の説話が作り出されていく様相を分析した。本話に見える残酷な死体処理の方法(面皮を剥ぐ行為)が実際の事件・巷説に由来するという従来の典拠論を批判的に検証し、西鶴の政治批判・風刺の意図があるとする読み方に疑問を呈した。西鶴は男伊達の性(さが)への好奇のまなざしから、奇抜な道具立てとして〈死体の面皮を剥ぐ〉という『太平記』に記述されている合戦時の兵略を完全犯罪を企てる設定に組み合わせ、彼らの情念を劇的に形象化している。同時に正体の識別できぬ変死体事件を構成した上、当時の法秩序を背後に巧みに織り込みつつ『棠陰比事』「道譲詐囚」の話柄も利用して事件解決へのドラマを作りあげている。それによって人物達の奇妙な行為の有り様、それを支える心情と論理が異様なほどのリアリティと感銘を持って浮かび上がる。

 第三節「書簡体の様式と仏教説話の発想―『万の文反古』巻三之三「代筆は浮世の闇」と楽出家―」では、「秀作」とされる元禄九年刊の書簡体小説『万の文反古』「代筆は浮世の闇」を読み直した。主人公「自心」の苦患のあり様について、『沙石集』『因果物語』『本朝故事因縁集』等の説話集に見られる霊験譚・因果譚・懺悔譚の類話と比較考察した結果、従来の仏教説話の常套話の型と発想を巧妙に変形させ、中世の仏教説話や江戸初期の怪談集に表れている信仰態度とはまったく違う、西鶴の時代における欲望や罪に無自覚な人の心、主人公の自己欺瞞の姿を書簡体の形式(一人称告白体)を使って見事にえぐり出していることを明らかにした。自心の因果理解の欠陥が浮かび上がるように書かれていることと、その因果理解の欠陥に向けられた語り手の批判的視線とは、当代のいわゆる「楽出家」や現世利益のための信仰を軽薄と見る、西鶴の厳しい視線に由来することを指摘した。

 第三章「西鶴奇談の位相」では、西鶴奇談とそれを利用した後代の作品とを比較検討しながら、西鶴奇談の独自の語り口を捉え直した。

 第一節「話柄の行方―『棠陰比事』「彦超虚盗 道譲詐囚」をめぐって―」では、『棠陰比事』「彦超虚盗 道譲詐因」の話柄が笑話から西鶴を経由して成立した『日本桃陰比事』(宝永六年刊)巻之六の四「小判も石となる思案箱からくり」、江島其磧の『風流宇治頼政』(享保五年刊)、上田秋成の『世間妾形気』(明和四年刊)巻一之一「人心汲てしられぬ朧夜の酒宴」まで如何に受容されてきたかを考察した。各々の作者達が新たな表現の可能性を如何に模索していたかをあぶり出し、西鶴奇談の特徴も逆照射してみた。

 第二節「〈欺瞞〉と〈機智〉の継承と創造―『棠陰比事』から『大岡政談』「小間物屋彦兵衛伝」へ―」では、近世期を通して好まれた特定のモチーフと話柄の変容について論じた。『棠陰比事』「道讓詐囚」の話柄が重要な役割を果たしていることに注目し、西鶴と後代の浮世草子・見聞集・実録体小説において〈欺瞞〉と〈機智〉に関わる特定のモチーフ・話柄が如何なる変貌を遂げつつ「日本人好みの型」を形成していき、やがて明治期活版本『実録(古今)大岡仁政録 小間物屋彦兵衛伝』に収束してゆくのかを明らかにした。特に『大岡政談』「小間物屋彦兵衛伝」の話型の原型を正確に定めた上、写本『大岡美談録』から『大岡美談』に成長変化する過程、『実録(古今)大岡仁政録 小間物屋彦兵衛伝』に辿り着くまでの経緯を詳しく分析した。〈欺瞞〉と〈機智〉に関わるモチーフが様々な話材と結合して変容していく様相を把握することにより、西鶴奇談をはじめ、それぞれの作品の魅力を浮き彫りにした。

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