井伏鱒二の小説作品における文体的技巧および機構表現の文学史的意義を解き明かすこ とが、本論の目的である。
 周知のように、井伏の創作活動は昭和初頭のモダニズム文学の強い影響下に本格的に始まった。一種韜晦的な趣を漂わせるユーモアの表現は、戦前戦中戦後の井伏作品を特徴づける要素であるが、従来、このユーモアの表現がプロレタリア文学陣営への対抗意識や〈ナ ンセンス文学〉をめぐる表現意識といった、主として昭和初年代の文学状況とのかかわりのなかで追究されてきた所以もそうした出発期の履歴と無縁ではない。ただしその一方で、井伏の初期作品には同時代文学の影響もさることながら、自然主義文学に胚胎し、大正期に一応の完成を見た〈私小説〉のリアリズムを受け継いでいると思われる節もある。その文体表現はまた、それぞれの時代にはびこる過激な思想に対して批評性を発揮しつつ、日本の散文芸術の伝統を受け継いだ作家井伏鱒二のイメージを作り上げていると考えられる。井伏作品のユーモアをリアリズムの側面からとらえ直し、それが昭和初頭の文壇とやがて来る戦争の時代、さらに戦後の文芸空間で果たした役割について考えてみる必要があるのである。
 このような問題意識のもと、本論では、磯貝英夫「井伏鱒二――近代文学における笑い の定着」(『日本文学研究』昭 25・4)や東郷克美『井伏鱒二という姿勢』(ゆまに書房、 平 24・12)、安藤宏『近代小説の表現機構』(岩波書店、平 24・3)などの、井伏の初期一人小説の写実意識について論攷している優れた先行研究の継承・発展を試みたいと思う。昭和初頭(一九三〇年前後)における井伏の文学的自我形成期と、井伏が陸軍報道班員として国家権力と深くかかわったアジア・太平洋戦争期(一九四〇年前後)、そして戦後改 革期(一九四五年前後)から高度経済成長期(一九五〇年~一九六〇年)にかけて出版された井伏作品が検討の対象になる。
 本論の構成は以下の通りである。
 第一章「井伏鱒二作品の構造分析」では、井伏作品をめぐる近年の研究パラダイムを視野に入れながら、作中にあらわれる〈ナンセンス〉の効用について分析してみた。「鯉」や「炭鉱地帯病院」、「川」などの初期作品から、「敵弾が作つた池のほとりにて」や「南船大概記」、「花の町」といった戦時中の作品、そして、「病人の枕もと」や「遥拝隊長」、「駅前旅館」のような戦後の作品まで考察の射程を広げている。その結果、モダニズム文学の磁場から次第に離れ、同時代の過激で俗悪な言説をはね返しつつ、人間の生のエネルギーを反動的に浮き上がらせていく〈ナンセンス〉の戦略が確認できた。
 第二章「「川」論――〈新しい文体〉を超えて」では、昭和六年九月から翌年の五月ま で四回にわたって連載された「川」を取り上げ、井伏の写実意識について考察してみた。「川」には、写生的で客観的な自然主義文学の文章表現と、人間の〈モノ化〉に徹しつつ主観を露骨にするモダニズム文学の文章表現との融合を想定させる叙述スタイルが採用されているが、人間の生理的・心理的構図をおのずと浮き上がらせる結果になっているという点に井伏の独創とユーモアの姿勢をうかがうことができる。「川」が発表されたのは、いわゆる〈エロ・グロ・ナンセンス〉のモダニズム文学が衰退し、〈新心理主義文学〉が流行した時期である。本論を通して、同時代文学の変革期に〝新しい〟リアリズムを画策していく井伏の柔軟性と包容力に満ちた営みを評価した。
 第三章「「さざなみ軍記」論――〈ロマン〉の諸相」では、文壇内の理論闘争から距離を置いて展開する井伏の芸術摸索の営みが、戦時下の思想統制の時代に期せずして大きな批評性を発揮していく様子を辿ってみた。ここではまた、「さざなみ軍記」をめぐって先行研究史で提起されてきた様々な〈断層〉の問題にも着目している。結論を先取りしていえば、一人称〈私〉と〈大衆〉をめぐって変転する昭和初年代の知識階級のロマンを凝視していく井伏の視座を明らかにすることができた。ユーモアの表現はここではやや控えめにあらわれるものの、井伏特有の〈韜晦的〉な文体によって仮構されていく作品の〝イロニー〟は、戦時中の創作活動に 継承されていくことになるという点で注目に値するものと考えられる。
 第四章「〈南方徴用作家〉という姿勢」では、戦時中に陸軍報道班員として国家権力に携わった井伏鱒二の行跡を、その周辺の作家らの動向を参照しつつ巨視的に検討してみた。これらの作家たちの書き残した文章類の場合、戦争への〈抵抗〉か〈協力〉かにその評価基準が据えられてきたように思われるのだが、こうした二項対立的なとらえ方の限界もまた指摘されて久しい。本論は、従来の文学研究の領域において捨象されてきたきらいのある徴用作家らの文章から、単なる〈国策文学〉ではない逆説的な存在意義を見出すことを目的としたものである。井伏のユーモアは、この時期においては戦時下の力学をも無化し得る諧謔性を発揮したと考えられる。
 第五章「「花の町」論――「傍観者」のイロニー」では、井伏鱒二が日本軍宣伝班員としてシンガポールに滞在中の際に執筆した「花の町」を対象に、〈大東亜共栄圏〉の夢想性を暴く〝イロニー〟の戦略について検討してみた。「花の町」には、一見日本軍と現地の人々との微笑ましい交友関係が描かれているように見えるが、結果的には〈ナンセンス〉なやり取りのみがくり返される異質な空間としてのシンガポールのイメージと、占領統治の欺瞞性が浮かび上がってくることになるのである。「花の町」の文学史的な意義は、個人を圧倒する巨大な狂気に打ちのめられつつも小説を〝小説〟たらしめていくために奮闘する、井伏のしたたかな創作態度を通して確かめることができると考えられる。
 第六章「「二つの話」論――〈戦中〉と〈敗戦〉の狭間で」では、井伏がみずからの戦争体験とその敗北を戦後にいかに受け止めていったかを、語り手「私」の心境の陳述を道しるべに検討してみた。作中で「私」は、戦時中に書き損ねた二つの物語の筋書きを振りかえつつ、その再執筆を試みている。しかしながら物語の内容は荒唐無稽を増し、再び破綻を迎えることになるのである。あり種自虐的にも思われるこうした作品の語りは、戦中に国家権力に便乗し創作を続けた井伏の〈恥〉の告白になっていると同時に、戦時中と酷似した言説のくり返されていく終戦直後の時代相の寓意として提示されているものと考えられる。〈戦争〉と〈敗戦〉という二つの歴史上の悲劇を血肉化していく井伏の真摯な作家的態度を、「二つの話」のユーモア表現から析出してみたいと思う。
 第七章「「遥拝隊長」論――「噂」の効用」では、語り手が具現する「噂」という姿勢 に注目し、長らく作者井伏の戦争批判小説として読まれて来た「遥拝隊長」の再検討を試みた。集落内の噂話にもとづく「遥拝隊長」の語りは、強い土俗性と主観性に貫かれており、そうした語り方によって、近代的な言説には収まりきらない、人間の共同体的な生き方の価値がおのずと浮かび上がってくることになるのである。「遥拝隊長」における「噂」という姿勢は、日本の村落共同体と戦争の関わりを示唆すると同時に、戦後の日本を支配する言説の矛盾をあぶり出す戦略でもあったと考えられる。
 第八章「「本日休診」論――〈風俗〉を描くということ」では、戦後の文壇にはびこる愛欲官能への信仰や人間性をめぐる独我論的な主張などを相対化する井伏作品の特殊性と、芸術の〈風俗〉化に際し、散文芸術の歴史的な根拠を担保していくために奮闘する井伏の創作態度について検討してみた。井伏のユーモアは、ここで取り上げている「本日休診」では義理と人情という、やや通俗的な味わいをもってあらわれている。本論は、そこに醸し出されるユーモアに注目し、死と悲惨と破壊だけが残された焼跡のなかで再生の可能性を探る井伏のヒューマニズムと共に、戦後改革期の社会的混迷を象徴する諸問題を中和していく文学の営みを評価したものである。
 最期に、第九章「時代錯誤の〈戦後〉――「駅前旅館」から「黒い雨」まで」では、戦後の井伏作品に見られる回顧的な叙述スタイルの意義を、同時代の文壇・メディア、そして社会組織的な言説とのかかわりのなかで検討してみた。第六章で取り上げた「二つの話」を含め、戦後の上野の駅前旅館を背景にしている「駅前旅館」や、井伏の骨董趣味が活かされている「珍品堂主人」、そして被爆時の広島の惨状が振りかえられている「黒い雨」に至るまでの作品の多くには、頻りに過去を振りかえる語り方によって、一種のアナクロニズムが醸し出されている。そこに貫かれているのは、敗戦と占領によってもたらされた〈断続〉への視座であるといえ、本論ではこうした視座にもとづく井伏の軽妙かつ円転自在な語りの戦略を明らかしてみた。
 以上示したように、本論文では一種とぼけたような趣を持つ井伏作品のユーモアを文体表現上の技法としてとらえ、分析してみた。その結果、同時代文学の要求や政治状況へ敏感に反応しつつ、日本の散文芸術の伝統から流離しまいと奮闘する井伏の諧謔の方法が明らかになった。本論は井伏作品の再検討に乗り出しつつある近年の研究パラダイムを補足する意義を持つと同時に、激動の近代をくぐり抜け、戦後もなお続けられていった井伏文学の生命力の根幹を探査する上で有効なものと考えられる。