本研究は17 世紀の哲学者、デカルト(René Descartes, 1596–1650)の形而上学を、存在論の系譜、とりわけクラウベルク(JohannesClauberg, 1622–1665)の存在論との対比のもと、明らかにしようとするものである。デカルトの形而上学を明らかにするための対比軸としてクラウベルクを選んだ理由は、17 世紀初頭に発生したとされる「存在論(Ontologia)」と呼ばれる学の系譜における初期の代表的哲学者であり、かつ忠実なデカルト主義者の一人でもあるという特異な経歴にある。しかし、「存在論」という学が展開しようと試みる形而上学と、デカルトが展開しようと試みる形而上学とは、根本的に対立しているのではないかというのがわれわれの解釈上の仮説である。本論を通してこの仮説を様々な面から確かめつつ、デカルトの形而上学を従来の解釈史の観点とは異なった切り口から明らかにすることが本研究の目的である。
 第1部では、本研究の問いを彫琢するために、諸々の背景の問題を論じた。第1 章「デカルトと「存在論の無」」では、マリオンによって提起されたデカルトにおける「存在論の無」の問題、すなわちデカルト哲学では表面上存在論が不在であることに纏わる問題を論じた。デカルトと同時代に発生した「存在論」に関してデカルトが無知、あるいは徹底的に無視していたことはデカルトの形而上学の特質と関係があるのだろうか。この問題意識のもとで、クラウベルクの主著『オントソフィア』の中に、デカルト哲学と存在論、この両系譜の抗争を見るという本論文の視点を論じた。本論文全体の手法は以下のものである。『オントソフィア』の存在論、およびこの書物の二度の改訂の分析を通して、「存在論」とデカルト形而上学の両者の対立点を抽出し、同時に、『オントソフィア』の存在論全体の構造を把握する。そして、従来の伝統的形而上学と「存在論」との距離を測りつつも、「存在論」を従来の伝統的形而上学の側に置き、デカルト形而上学と対比する。ついで、同時代の「存在論」との差異の分析を通して、デカルト形而上学に固有の構造および特質を明らかにする。

 第2章「「存在-神-論」について」では、存在論、神学、そして形而上学に纏わるハイデガーの「存在-神-論」解釈を検討することで、近世哲学において「存在-神-論」を解釈枠組として使う意義を論じた。「存在-神-論」解釈は形而上学の本質に関わる解釈であり、「存在論」と「神学」、普遍的な存在と卓越した存在者、そして存在者全体が相互に独特の基礎付け関係にあるとするものである。この「存在-神-論」的構成に照らして分析するならば、デカルトの形而上学はどのような構造を持っていると言えるのだろうか。ハイデガーの「存在-神-論」概念について検討しつつ、ブルノワの「歴史的」存在-神-論解釈と、マリオンの「形而上学の本質」的存在-神-論解釈を分析したのち、われわれの取るべき存在-神-論解釈の方向性とその意義を論じた。
 第3章「存在論の系譜とクラウベルク」では、クラウベルクの背景となる存在論の系譜について素描した。「知解可能なもの(intelligibile)」を対象とする、拡張された形而上学である「存在論」は、「存在論(ontologia)」という語を使うことはなくとも、カルヴァン派の哲学者であるティンプラーによって実質的に開始された。その特徴は、従来の形而上学の主題である「存在者としての存在者(ens inquantum ens)」に対して、従来は主題から除外されていた「無」をも含むものとして、より広範に及ぶ主題拡張として、「知解可能なもの」とその諸属性、つまり、超超越範疇、超越範疇、および諸々の一般的諸属性が主題に設定されたところにある。このティンプラーの影響の下に、「存在論」という語の初出であるロルハルドゥスの著書が著され、ゴクレニウス、ルター派のカロフらが「存在論」に纏わる思索を展開する。これら哲学者の影響を受けて、初めて「存在論」という意味のタイトルを持つ著作を出版するのがクラウベルクである。このクラウベルクがとりわけティンプラーと類似性を持つこと、特に学の主題である「知解可能なもの」の共通性などを確認した。

 第2部「クラウベルクの存在論」では、クラウベルクの存在論の構造を分析した。第4 章「クラウベルク『オントソフィア』の形而上学」では、主著『オントソフィア』の解釈上の諸問題、二度の改訂の事情を分析したのち、デカルト主義の影響が『オントソフィア』の改訂にどのような影響を与えたのかに関して、われわれの仮説を提示した。すなわち、『オントソフィア』初版はデカルト主義の影響下にない、純粋に「存在論」の系譜の影響の下に書かれたものであり、第2 版でデカルト主義の影響を受けた大幅な削除、改訂がなされたということ、また、第3 版では細かい改訂の他、主に本文への注の追加という形で改訂がなされているということである。結論としては、『オントソフィア』には「私はある(ego sum)」の原理を取り入れて「存在論」と折衷しようという試みは見られず、反対に、デカルト主義の影響によって、「存在論」の試み自体の有用性への疑念がクラウベルクに生じていた可能
性が見られる、ということを確認した。
 第5章「論証と第一原理の問題」では、矛盾律と第一原理に纏わる問題を論じた。スアレス、デカルト、クラウベルクにおいて、矛盾律は第一原理とは見なされておらず、あるいは見なされていたとしてもさほどの重要性を与えられていなかったということを論じた。と
りわけデカルトでは、「私はある(ego sum)」の原理が最初の実在を認識させる、ということの有用性が強調されており、矛盾律が批判されるのも、いかなる実在の認識も与えないためであるとされている。クラウベルクは矛盾律を「第一原理」とはみなしておらず、むしろ「或るもの」や「無」から導出される公理の一つであるとみなしていた。またデカルトの影響を受けたのちは、基本的にデカルトの立場を継承しており、矛盾律に対して躊躇を覚えていると思われることを確認した。
 第6章「「原因からの論証」と存在論の体系」では、クラウベルクの存在論の体系構成に関するわれわれの仮説を提示した。『オントソフィア』初版の第1 部Prolegomena の「原因からの論証」の箇所において、スアレスが理想とした論証のタイプである「原因からの論証」と類似の論証をクラウベルクが論じていることを確認した。それは、「原因の代わりの、先行する規定(ratio)」として、一つの属性を原因の代わりに用いて、同じ基体の別の属性を導出する、というものである。クラウベルクがここでその論証の例として挙げるものが、『オントソフィア』の構造に対応していることを、クラウベルク自身が添付した第2 部巻末の表と照らし合わせることで明らかにした。ここから、クラウベルクは学の主題である「知解可能なもの」に、「原因からの論証」を適用し、その属性を次々に導出していくことで「存在論」を体系化したのではないか、というわれわれの仮説を提示した。
 第3部「デカルト形而上学と存在論」では、クラウベルクの存在論の分析を受けて、これと対比させることでデカルト形而上学の構造、およびその特質を分析した。第7章「デカルトの形而上学とクラウベルクの形而上学の差異:「或るものaliquid」をめぐって」では、体系構造における「「或るもの」概念の位置に関するデカルトの形而上学とクラウベルクの存在論の類似性と差異を分析することによって、両者の重要な構造の違いを明らかにした。クラウベルクの「或るもの」は、「知解可能なもの」の下位分割の一枝であり、矛盾を内に含まないということを根拠に存在可能性が与えられ、可能的存在者と見なされる。これに対してデカルトの「或るもの」は、明晰判明に知得されたものであり、その明晰判明に知得されたことを根拠にして神によって創造可能であることが論じられ、その神による創造可能性を介して存在可能性が与えらえる。このように、デカルトの形而上学においては独特の媒介的構造が存在していることを明らかにした。
 第8章「デカルト形而上学の構造:無限の観念と神の創造」では、「第三省察」における神の存在のアポステリオリな第二証明の議論、とりわけ私と「無限の観念」の関係、および「無限の観念」と神の力能の関係を重視して検討し、それが「第六省察」冒頭の「第二の明証性の一般規則」とわれわれが呼ぶ議論までの一連の論証を通して、デカルト独特の形而上学の構造が構築されることを分析した。

 第9章「存在論とデカルト形而上学」では、デカルトとクラウベルクの形而上学を、重要な概念(「無限の観念」、「知解可能なもの」)の全体性の規定の差異や、学の普遍性の与えられ方の違いを元に対照させ分析した。「学の主題」自体の普遍性を元に学の普遍性を担保するクラウベルクと、一連の「学の主題」候補が織りなす全体的構造を元に学の普遍性を担保するデカルト、という構図を提示した。
 本論文の結論として、デカルトの形而上学は「存在論」および伝統的形而上学と異なり、何らかの範例的存在者を「学の主題」として立て、その諸属性を普遍化・一般化させる形ですべての存在者について論じるのではなく、私-無限の観念-神-諸事物という一連の構造からすべての存在者について論じることを可能にしている、というデカルト形而上学と「存在論(Ontologia)」の根本的な対立を確認した。共に表象を重視する二つの近世的形而上学の間で、このような構造的な差異があることを明らかにした。