本論文の目的は,スイス出身のドイツ語圏作家クリスティアン・クラハトの作品を,アジアという新たな視点から捉え直し,クラハトのテクストに通じる詩学を論じることである。世界の各地を舞台とした小説作品や多くの旅行記を手掛けるクラハトにおいて,「越境」や「旅」が重要な視点を為していることは言うまでもない。事実,「ポストコロニアリズム」や「オリエンタリズム」「太平洋をめぐる言説」などの分野で多くの視座を提供するクラハトの作品は,今日の学際的研究において,ますます注目を集め,クラハトは同時代作家としては異例な程に,研究が進められている作家の一人である。

 一方で未だ評価の定まらない同時代作家を研究対象とするため,論文第一部では,各作品の分析の予備的作業として,クラハトの主な経歴とテクストの特徴を考察する章を最初に設け,1995年に小説『ファーザーラント』でデビューした作家クラハトの来歴と,彼のテクストにおける特徴を論じた。クラハトの経歴において特徴的なのは,一つには英語圏文化の積極的な受容,そしてルポルタージュを中心としたジャーナリストとしての初期の活動である。英語圏文化の受容は,ポップやキャンプといった表現手法に認められる。これらは特にドイツをめぐる議論における,時に挑発的で時にアイロニカルな態度や書き方に現れ,この主題に関して他のドイツ語圏作家とは異なる取り組み方を見せている。また,ルポルタージュに代表されるように,現地に身を置いた自分自身の問題意識から文章を執筆するというジャーナリストの活動スタイルが,彼の文学テクストに社会的な問題意識を含ませ,また現在でも世界各地に赴き小説を執筆する小説家クラハトの姿勢を作り出している。

 第二部では,実際に具体的な作品に即して,クラハトのテクストにおけるアジアの意味を考察した。クラハトのアジアの捉え方を探るために,小説の分析に先立ち,クラハトのアジア旅行記『黄色の鉛筆』を扱った。主に1990年代にクラハトが発表したアジアをめぐるルポルタージュ記事を集めた本旅行記は,一方では東西冷戦後のグローバル化が進み,東洋や西洋という区分が消え去った今日の世界を描いているかのように見えるが,他方ではそのグローバル化のもとにアジアが欧米化していく様子,また決して未だ対称ではない世界の姿を現出させてもいる。本旅行記で,クラハトは数多くの映画タイトルを入れながら,20世紀の映画作品がいかに多くアジアを題材とし,そして現実のアジアはいかに映画での描かれ方と異なるかを示す。クラハトの旅行記は,単に映画によってつくられたアジアの表象が崩れていく様子を描くのではなく,そのことに対する落胆を効果的な演出として用いながら,西洋によって描かれるアジアという旧来のオリエンタリズムの図式が過ぎ去った20世紀末の時代を映し出す。かつてサイードが『オリエンタリズム』において示した「描く・描かれる」という図式は,クラハトが旅する1990年代においては過ぎ去り,ツーリズムに代表される商業主義のもとで,アジア自身が自らに押し付けられたイメージを模倣するというハイブリッドな世界となっている。しかしクラハトが問題視するのは,こうしたオリエンタリズムの構図が崩れ去った高度資本主義の商業化したグローバリゼーションの時代において,歴史に対する無関心や無批判な態度が生み出されていくことであり,また東洋や西洋という旧来の図式が過ぎ去ったかのように見えるグローバル商業主義の時代にあっても,その商業主義を支える労働力としてのアジアと,そのビジネスを手掛ける者たちが,かつての植民地主義時代のように経済的な搾取を進めているという現実である。

 アジア旅行記『黄色の鉛筆』論で捉えた,クラハトのこうした西洋批判,またグローバル化に対する批判的態度を手掛かりに,続く章ではテヘランと中国を舞台としたクラハト2作目の小説『1979』の分析を試みた。小説の表題が示すように,1979年のイラン革命を扱った本作品では,1970年代当時の西ドイツのツーリズムを背景としながら,アジア旅行を企てたドイツ人主人公が,宗教的な巡礼の旅へと回帰し,最後は中国共産党の労働改造所に至るまでの過程がアイロニカルに描かれる。クラハトは2008年のネパール旅行記『ネパールとカトマンズの取扱説明書』のなかで,1960-70年代における西ドイツの多くの若者たちがアメリカのヒッピー文化に影響を受け,アジアへと旅立った様子を語るが,平和や反戦を掲げる彼らのアジア行路が,皮肉にもドイツ帝国主義時代のアジア侵略の航路と重なっていたことを指摘する。小説内では,とりわけ文明的世界から宗教による原初的世界への回帰が象徴的に描かれており,本論ではボードリヤールの消費社会論を手がかりに,テクノロジーによって象徴的なものが奪われたポスト・モダンの世界から,再び象徴的なものへと回帰していく過程を跡づけた。『1979』は,そのポスト・モダンを享受する欧米世界を諷刺的に描き出し,その没落が主人公たちによって戯画化されている。

 第三部では,アジアを舞台とした二つの歴史小説である『帝国』と『死者たち』を考察した。2010年以降に書かれた両作品は,それ以前の三部作(『ファーザーラント』『1979』『僕はここにいるだろう,日向に,陰に』)からの大きな転向を示しながら,主に20世紀前半のドイツを背景に,史実と虚構が交差する歴史小説の形式を取っている。太平洋ドイツ植民地を舞台とした『帝国』は,これまで「太平洋をめぐる言説」(Pazifikismus)の枠で多く注目されてきたが,それによれば20世紀前半の太平洋は,ヨーロッパ,日本,アメリカを結ぶ政治的争点であると同時に,ヨーロッパ人の想像力を大きく刺激し,彼らの芸術的空想に大きな可能性をもたらすものでもあった。『帝国』の主人公アウグスト・エンゲルハルトも,こうした遠い太平洋植民地に彼の芸術的空想を喚起され,そこに自身の「帝国」を築いた人物であり,本論では小説の語り手が繰り返し主人公の呼称とする「ロマン主義者」の意図するものに着目し,小説において一貫するドイツ批判の態度を捉えた。とりわけ,エンゲルハルトをヒトラーと暗示させて描くことにより,この小説が,アジアへの関心を強めた帝国主義時代からナチスの第二次世界大戦までの20世紀前半の歴史を批判的に描き出していることを明らかにした。

 続く最終章では,日本を舞台とした小説『死者たち』を扱った。ここでは主に,オリエンタリズムを超えたエキゾチシズムの遊戯としての日本の描き方に着目した。第二次世界大戦へと進む1930年代を舞台に,米ハリウッドの文化帝国主義に対抗するため,日独が合作映画を製作するという筋書きのなかで,小説は主にサイレント映画とトーキー映画の対立を描き出す。クラハトはアジア旅行記『黄色の鉛筆』の日本旅行記「陰影礼賛」において,「谷崎」から「ソニーのウォークマン」に至るまで,エキゾチシズムとしてコード化された日本像を示しているが,本小説においても同様な「日本美学」が随所に描かれる。「序・破・急」という三部構成をとる小説の構造をはじめ,冒頭に描かれる切腹の撮影シーンなどには,計算されたエキゾチシズムが認められ,クラハトの遊戯性が現れている。加えて,「長い息の語りが小津や溝口の日本映画を思い出させ」,「退屈さの中に,神聖なもの,言葉にできないものを表す」主人公ネーゲリのサイレント映画の技法もまた,谷崎が『陰影礼賛』のなかで述べた,失われていく日本の語りと重なるが,そこにはクラハトのテクストに共通する暗示的な詩学,多くを語らないものの読者を美的にテクスト内へと入り込ませる作家クラハトの「沈黙」という文学的美学が共鳴してもいることを論じた。

 結論部では,本論全体を振り返りながら,クラハト作品におけるアジアの意味を再検討した。クラハトにとってアジアは, 19世紀末から20世紀ドイツの近現代史を映し出す場所となっており,単に作品や旅行記の舞台の一つをなすだけでなく,ドイツを批判的に捉えるための重要な場所であった。本論文で取り上げた『帝国』『死者たち』『1979』の各小説作品では,ドイツが非西洋圏に関心を示した帝国主義時代,日独の結びつきが緊密となっていた第二次世界大戦,そして戦後西ドイツの退廃をそれぞれ背景としながら,ドイツの懐いたアジアへの関心が描かれている。しかし,その際クラハトはアジアを,19世紀の小説や20世紀の映画がそうであったように,彼らの頭のなかで作り出したオリエンタリズム的アジアとして描くのではなく,むしろそうした想像的アジアのイメージを前提とし,それらを遊戯的に用いながら作品に描き出す。そこには,近代以降の西洋が作り出したオリエンタリズムに対する諷刺,そして読者自身の潜在的観念や偏見に目を向けさせるための挑発的で批判的態度が認められる。一見遊戯的で政治性を持たないように見えるテクストの振舞いのなかに,歴史や同時代に対する批判的態度を潜ませる手法こそが,クラハトの詩学の特徴である。