宗教教団の改革運動に関する歴史社会学的研究——真宗大谷派の事例分析

宮部 峻

 本研究は、真宗大谷派を事例に、宗教教団の改革運動が生成した背景と展開した過程、帰結を分析した。近代化が進み、社会が機能分化することで、宗教の世俗化が進行する。その結果、「組織」としての宗教は、政治、経済、科学、道徳といったその他の世俗的な社会領域とのあいだでこれまでにない葛藤、交渉し、変容を経験してきた。本研究は、近代社会における「組織」としての宗教の変容過程を真宗大谷派の改革運動という事例から明らかにした。

 1章では、真宗大谷派の改革運動を社会学的に研究することの意義を論じた。真宗大谷派の改革運動に関する近代仏教史研究、宗教史研究は、主として、信仰の近代化の影響に注目してきた。しかし、改革運動は、組織の合理化・民主化という組織の近代化が追求されていくなかで生じた。真宗大谷派の改革運動とは、信仰の近代化と組織の近代化という二つの近代化が一体となって行われた運動である。本研究では、信仰共同体としての教団と行政組織としての教団という教団組織の二重性に着目し、近代日本における宗教の変容について、制度・環境に信仰と組織の二つを適応させる形で進展した真宗大谷派の事例に即して明らかにすると問題を設定した。

 個人の主体的な信仰の確立を追求する信仰の近代化は、ある一時期までは、プロテスタンティズムの精神を自律的で近代的な精神として捉える社会科学のあいだでも高く評価された。しかし、エリート主導による信仰の近代化は、教義の純粋化・高度化・抽象化をもたらし、具体的な悩みを抱える生活者と教義とのあいだで乖離が生じていく。真宗大谷派の改革運動とは、近代社会にふさわしい宗教のあり方が追求されていく一方、現在の宗教が抱える課題の要因を見出すことができる事例でもある。以上の問題関心のもと、2章にて真宗大谷派の改革運動を研究する分析枠組みを示し、3章から7章にかけて、1920年代から1980年代にかけての真宗大谷派の改革運動に関わる出来事を分析した。

 2章では、分析枠組みとして教団組織論を導入し、改革派の特徴と系譜を示した。現在の世俗化論の動向を整理すると、宗教が政治、経済、科学、道徳といった諸領域から分化していく「分化説としての世俗化論」が支持されていることがわかる。現在の世俗化論の経験的研究、歴史研究の課題の一つは、マクロな次元での機能分化とメゾの次元での組織の変容との関係を解明することである。

 宗教組織の変容の分析を展開した一人は、宗教社会学者の森岡清美である。森岡は、「家」制度や教団ライフサイクル論に代表される教団組織論を展開した。森岡の教団組織論による真宗教団研究では、戦後の改革運動で生じることとなる、改革派が抱えた組織と信仰の矛盾・葛藤の説明が解くべき課題として残っていた。

 そこで、マックス・ヴェーバーの「ゼクテ論文」を手がかりに、教義と組織が動態的な関係にあるゼクテのモデルを確認したうえで、真宗大谷派の改革派は、ローマ・カトリック教会の修道会のように、組織の「内側から」社会とのコンフリクトに対応した集団であると捉える視点を導いた。さらに、改革派が教団内でもたらした対立・葛藤は、行政上の主導権争いをめぐって生じていることも踏まえ、信仰共同体としての教団と行政組織としての教団という教団組織の二つの側面に着目し、信仰の近代化と組織の近代化をめぐる複数の制度ロジック間のコンフリクトに注目することとした。実際に、清沢満之にはじまる改革派の特徴と系譜を確認すると、信仰の近代化と組織の近代化との関係を分析しなければ、改革運動が信仰運動から行政運動へと展開していく過程を分析できないことが明らかとなった。

 3章では、1920年代の「社会の発見」という言説空間の変容、マルクス主義と浄土真宗との関係に注目し、マルクス主義による社会批判に真宗大谷派がどのように応答し、教義や実践を規定したのかを論じた。真宗大谷派は、1921年に社会課を設置するなど、社会矛盾に対して組織的な対応を図った。しかし、反宗教運動や「マルクス主義と宗教」論争に代表されるように、真宗大谷派は、マルクス主義の批判の対象となり、自己規定の見直しを迫られる。

 長谷川如是閑や服部之総の議論からわかるように、マルクス主義的宗教批判によって批判されたのは、民衆を搾取する行政組織としての教団制度の問題であった。真宗大谷派では、反宗教運動やマルクス主義との応答を通じて、教団の見直しと「内奥」に訴えかけるという二つの次元での反省を見出し、宗教の意味を再定義していく。1920年代の「社会の発見」、マルクス主義的宗教批判は、教団組織の搾取構造を教団内外に意識させ、見直しを要求するものであったと同時に、社会の問題を自己の問題として反省・体験し、信仰を獲得・確立する体験主義的な宗教理解が教団内で強まっていく契機であった。

 4章では、改革派が教団組織の中枢へ動員される過程を分析するため、総力戦における教団組織改革と教学の再編成の関係に注目した。暁烏敏、金子大栄、曽我量深ら清沢の思想的影響を受けた近代教学者たちは、戦前には「異端」扱いされていた。「異端」であった近代教学者は、総力戦体制に合わせた度重なる組織改革と同時に、教団中枢へと動員された。

 暁烏は、明治末から大正期の時代背景が作用して、日本主義的言説へと接近し、戦争に協力的な言説を展開した。金子と曽我は、近代的な学問体系を摂取していたこともあり、伝統的な研究者からは異端扱いされ、教団の中枢から外されていた。真宗大谷派では、総力戦体制下における組織改革の要求、真宗に寄せられた真宗の教義と国体との矛盾の疑いを背景に、教学に関する研究機関の整備が急激に進められる。ここで動員されたのが、「異端」扱いされていた暁烏、金子、曽我であり、彼らは改革の象徴として動員される。戦時中に整備された人的資源、制度的資源は、戦後の改革運動へと受け継がれていく。

 5章では、真宗大谷派の改革運動である同朋会運動の前身である「真人社」の活動に注目し、信仰と組織の矛盾が戦後日本の封建遺制論に基づく宗教批判によって顕在化し、戦後の教団改革運動を推進したことを明らかにした。

 敗戦後から1950年代にかけての封建遺制論が盛り上がった時期には、真宗教団の制度・構造に対して社会科学が批判的な関心を強く寄せた。真人社は、マルクス主義と宗教の緊張関係に対応するため、組織された。真人社は、清沢の思想的影響を受けた改革派を中心に組織されたが、教団の伝統的立場から異端扱いされたこともあり、教団からみれば、在野として活動した。真人社の理念を主導した安田の教学は、実存主義的な宗教観に基づくものであった。真人社の間では、個々の信仰確立に基づく「体験主義」の限界が認識され、安田により教学に基づく教団論の構想が提唱され、教団外部からの改革が構想された。信仰共同体と既存の教団組織との矛盾が認識され、真人社の理念は、同朋会運動という行政運動へと受け継がれる。

 6章では、1962年に行政主導で開始された同朋会運動を取り上げ、教団の異端に位置していた近代教学の影響を受けた改革派が、戦時中に形成された人的資源や制度的資源を活用して教団の改革を進めていく過程で生じた問題を扱った。

 新興宗教が「大衆」を中心に教線を拡大していく一方、既成仏教教団は、伝統的な基盤であった農村部から都市部への人口流出もあり、既存の布教・教化体制を改革する必要に迫られた。教学者の中には、安田のように、政治への関わりを警戒する者もいたものの、同朋会運動は、清沢の思想的影響を受けた訓覇信雄ら行政の指導者を中心に行われた。しかし、改革は、教学者の理念通りに進んだわけではなく、彼らが認識できなかった課題が生じた。近代教学者・改革派は、教団内部でもエリート層であった。彼らの教学の難解さは、教学と現場の乖離を招く一因となった。改革派は、宗教社会学者の高木宏夫の実態調査も活用しながら、教団体制の見直しを進めた。しかし、改革派が理念とした「個の自覚の宗教」は、既存の体制、法主の体制に対する異議申し立てを意味することとなる。

 7章では、1981年に教団の最高規範である『宗憲』の改正に至る過程を分析することで、改革運動が教団体制にもたらした帰結を示した。

 『宗憲』改正の直接的なきっかけは、1969年の「開申事件」をめぐって、信仰の近代化の点から潜在的に抱えていた改革派と伝統派との対立の顕在化である。問題の焦点は、真宗大谷派の代表役員の地位を法主が兼務すべきか否か、聖なる地位にあるものが俗務を担うべきかにあった。

 伝統派と改革派という区分は、伝統宗学とそれに対する異議申し立てとして現れた近代教学という教学上の違いと一致していたこともあり、信仰の近代化と組織の近代化で生じたコンフリクトをいかに調整すべきかが課題となる。ここで決定的な役割を果たしたのが、法学による調整であった。『宗憲』改正に法学的な立場から関わったのは、法社会学者・川島武宜であった。川島の主張では、教団の代表役員の法的地位は俗務とされた。ここには、宗教と世俗を分離するという政教分離、民主主義のロジックが見出される。1920年代から生じた教団に対する封建遺制批判が、近代教学と法学による根拠づけによって解消された。

 8章では、分析結果をもとに、改革運動後の真宗大谷派が抱えている課題として、(1)生活と乖離する宗教、(2)合理化する宗教の正統化、(3)教学者と戦争をめぐる問題の三つを指摘した。さらに、制度的環境と組織、教学との関係に注目した本研究の分析枠組みの発展可能性を示し、現在の浄土真宗が置かれた状況、現在の宗教が抱える対立・矛盾を説明することに今後の課題があると述べた。

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