本研究は、韓国語の大邱方言を対象とし、語頭閉鎖音の音響特徴及びアクセントの音声的実現における世代差を明らかにし、ひいては、語頭閉鎖音の音響特徴の1つであるF0とアクセントの音声的実現の関わりにおける世代差を明らかにすることを目的とする。

 韓国語の閉鎖音は平音(lax)、激音(aspirated)、濃音(tense)の3系列が対立している。これらの閉鎖音の音響特徴として、主にVOT(Voice Onset Time)と後続母音のF0が取り上げられ、VOTと後続母音のF0の違いによって閉鎖音が弁別されるとされていた。閉鎖音に関する初期の研究によると、韓国語の語頭閉鎖音のVOTは‘激音>平音>濃音’の順に長いが、平音と濃音のVOTが近いという特徴があり、後続母音のF0は、‘激音>濃音>平音’の順に高く、濃音のF0が激音のF0に近いという特徴がある。ところが、近年の研究によって、ソウル方言の若い世代では、平音と激音のVOTが接近し、VOTがこの2つの閉鎖音の弁別に関わらなくなった代わりに、後続母音のF0が平音と激音の弁別に関わるようになったことが明かになった。

 一方、高さアクセント方言である慶尚道方言に関しては、語頭閉鎖音の後続母音のF0がアクセント類型の弁別に関わるため、ソウル方言のような閉鎖音の音響特徴における変化はないとされていた。しかし、最近の研究によって、慶尚道方言の若い世代でも、平音と激音のVOTが接近し、語頭閉鎖音間のF0の差が老年層より大きい特徴があることが明かになった。但し、これらの研究は離れた世代を対象としているため、慶尚道方言の語頭閉鎖音の音響特徴における変化がいつから生じたかを把握するまでには至っていない。さらに慶尚道方言の閉鎖音の後続母音のF0において世代差があるならば、その影響によってアクセントの音声的実現にも世代差が生じた可能性が考えられる。

 慶尚道方言のアクセントの音声的実現は、主にF0配列におけるF0値と、ターニングポイントの時間的位置について論じられ、アクセント類型によってピークのF0値と時間的位置が異なるとされていた。ところで、若い世代において、語頭閉鎖音間のF0の差が老年層より大きくなったとするならば、語頭閉鎖音の違いがアクセントの音声的実現に何等かの影響を与え、世代によってアクセントの音声的実現が異なる可能性が考えられる。

 なお、慶尚北道方言のアクセント類型H:H類型は、語頭長母音の有無によってHH類型と対立を成すが、いくつかの研究によると、若い世代ではH:H類型における語頭長母音が消失し、H:H類型とHH類型の弁別がなくなっている。しかし、どの世代からH:H類型の語頭長母音が消失したかは定かではない。

 本研究では、慶尚北道方言の下位方言である大邱方言を対象とし、まず、語頭閉鎖音の音響特徴における世代差を明らかにする。変化における時期や過程を具体的に把握するため、1950年代生まれから1990年代生まれまでの連続した世代を対象とする。語頭閉鎖音の音響特徴における世代差を明らかにしたうえで、アクセントの音声的実現における世代差についても論じる。アクセントの音声的実現の世代差を論じるに当たり、1950年代生まれから1990年代生まれまでの連続した世代を対象とし、変化の過程を詳細に分析することにする。アクセントの音声的実現を分析するため、アクセント句(accent phrase)におけるピッチの実現を分析の対象とする。

 本研究は全4章から成る。第1章の序論では、本研究の目的と構成について述べる。第2章では、大邱方言の語頭閉鎖音の音響特徴における世代差について論じ、第3章ではアクセントの音声的実現における世代差を論じる。第4章の結論では本研究の結果をまとめ、今後の課題について述べる。序論の第1章と、結論の第4章の内容を除き、第2章と第3章における本研究の内容をまとめて述べる。

 第2章では、大邱方言の語頭閉鎖音の音響特徴における世代差について論じた。具体的にはVOTと後続母音のF0を分析の対象とした。まず、世代別にVOTの実現を見た結果、どの世代においてもVOTは‘激音>平音>濃音’の順に長く、統計検定を行った結果、閉鎖音間に有意差があったため、VOTによって語頭閉鎖音が弁別されることが明かになった。ところが、1950年代生まれでは平音のVOTは濃音のVOTに近いのに対し、世代が若くなるほど平音のVOTは激音のVOTに近くなり、世代による違いがあることが明かになった。統計検定の結果によると、1950年代生まれと1960年代生まれの間に有意差あったため、平音のVOTの変化は1960年代生まれから始まったと考えられる。さらに、激音のVOTも世代が若くなるほど長くなる変化があり、統計検定の結果によって、激音のVOTの変化は1970年代生まれから始まったことが考えられる。平音と激音に対し、濃音のVOTにおいては世代による変化が見られなかった。

 次に、世代別の後続母音のF0の実現を見た結果、どの世代でも閉鎖音の種類とアクセント類型が関わりあって実現することが分かった。閉鎖音間のF0の差はどの世代でも統計的に有意であったため、全世代で閉鎖音はF0によって弁別されることが明かになった。ところが、1950年代生まれでは濃音のF0が平音のF0に近いのに対し、世代が若くなるほど濃音のF0は激音のF0に近くなり、世代によって違いがあることが明かになった。アクセント類型によるF0は、世代が若くなるほどアクセント間のF0の差が小さくなり、1990年代生まれではHH類型とHL類型がF0によって弁別されない様相を見せた。

 VOTと後続母音のF0が閉鎖音の弁別に如何に関わるかを見るために、VOT-F0空間を分析した。その結果、1950年代生まれでは平音のVOTの分布は濃音のVOTの分布に重なり、分布が重なっていない激音がVOTによって明確に弁別される様相を見せた。ところが世代が若くなるほど、平音のVOTの分布は激音のVOTの分布と重なるようになり、1990年代生まれに至っては、VOTによって濃音が明確に弁別される様相を見せた。F0の分布は、1950年代生まれと1960年代生まれではF0のみでは閉鎖音が弁別されがたい様相を見せたが、世代が若くなるほど平音と激音のF0の分布が重ならなくなり、1990年代生まれに至ってはF0によって平音と激音が明確に弁別される様相を見せた。

 世代別VOTとF0の実現及びVOT-F0空間の観察から、古い世代ではF0がアクセント類型の弁別により関わっていたのに対し、若い世代では語頭閉鎖音の弁別により関わるようになったことが考えられる。

 第3章では、アクセントの音声的実現における世代差について論じた。アクセント句のピッチ曲線におけるターニングポイントのF0値、F0の変動幅、ターニングポイントの時間的位置を分析項目とする。まず、HH類型、HL類型、LH類型を対象とし、アクセント類型によって、また語頭子音の種類によって、アクセント句のピッチが如何に実現するかを世代別に分析した。

 アクセント類型によるアクセント句のピッチ実現の分析においては、語頭子音を種類別に分類し、分析を行った。アクセント類型によるアクセント句のピッチ実現を分析した結果、古い世代では、「Pre-MinのF0」、「F0の上昇幅」、「Pre-Minの時間的位置」、「Peakの時間的位置」がアクセント類型の弁別に有用に関わるパラメータであった。しかし、概ね1970年代生まれを境に、世代が若くなるほどアクセント類型の弁別に対するパラメータの有用性が低くなることが明かになった。この結果から、世代が若くなるほど、アクセント類型の弁別に混同が起きていることが考えられる。

 次に、語頭子音の種類によるアクセント句のピッチについて分析を行ったが、分析に当たっては、アクセント類型を分類した。分析の結果、ターニングポイントのF0については、語頭子音の種類によるF0の対立‘激音・濃音(高い)/鼻音・平音(低い)’がPre-Minにとどまって観察されたが、世代が若くなるほど、語頭子音の種類によるF0の対立がPeakまで拡張する様相が観察され、このことから、アクセント句のピッチに対して語頭子音の種類が強く影響することが示唆された。アクセント句のピッチ実現に与える語頭子音の種類の影響は、概ね1970年代生まれを境に著しくなる。アクセント類型によるアクセント句のピッチを考察した結果からも、概ね1970年代生まれからアクセント類型の混同が生じることが考えられるため、若い世代ではアクセント類型の弁別における混同と語頭子音の影響の強化が関わりあってアクセント句のピッチが実現すると解釈できる。また、語頭子音の種類の違いは、Peakの時間的位置にも影響を与えることが明かになった。すなわち、語頭子音が激音と濃音の場合、Peakは早まって現れるのに対し、語頭子音が鼻音と平音の場合はPeakが遅れて現れる。また、語頭子音の種類によるPeakの時間的位置の遅れは、世代が若くなるほど著しく観察される。

 最後に、H:H類型とHH類型を比較し、H:H類型の実現における世代差を論じた。1970年代生まれ以降の世代ではH:H類型の第1音節の母音長と、HH類型の第1音節の母音長の間に統計的な有意差はなかった。しかし、アクセント句のピッチ実現を見た結果、Peakの時間的位置に関しては全世代間で有意差があった。この結果から、H:H類型とHH類型の弁別は完全になくなったとは言いがたいが、1970年代生まれを境にH:H類型が消失しつつあると結論付けられる。