能力に関する暗黙理論の有効性の検討:環境要因としての課題選択の自由度に着目して

鈴木 啓太

 私たちは日々、学業や就業における様々な場面で課題に直面し、その達成を試みる。課題遂行者のモチベーションはその課題の達成を左右する重要な要因であり、モチベーションの維持過程の解明は社会心理学を含めた心理学の最重要課題の1つである。個人のモチベーションに影響を与える要因として、「自分の能力はどの程度努力で変わりうるものなのか」に関する信念がある。この信念は暗黙理論 (Dweck, 1986; 2006)と呼ばれ、能力は可変的であるとする増加理論、能力は固定的であるとする実体理論の2つに分かれる。Dweck(2006)は、多くの逸話や実証的研究を紹介しつつ、直面した困難を乗り越え、当該の課題の達成に向けた努力を継続するためのマインドセットとして、増加理論を持つことの望ましさを論じている。教育場面に端を発した一連の暗黙理論研究は今や様々な分野で大きな影響を与えている。

 では困難に直面した時に他の課題を選択できるような場面ではどうだろうか?これが本研究に通底するリサーチクエスチョンである。例えば、はじめに受験科目として理系を選択していた生徒が数学の成績に伸び悩んだ時、努力をしてその困難を克服することは必ずしも唯一の解決策ではない。科目選択を文系に移すことも有用な解決策である。他にも、どの部活動、どの業種や職種の仕事を選択するか、といった場面は、我々の日常の中で広くみられる状況である。このように、私たちの暮らす社会には、特定の課題で困難を克服することが求められる単一課題場面だけでなく、取り組むべき課題を選択する場面も多く存在する。従来の暗黙理論研究では単一課題場面のみが着目され、困難を努力で克服できる増加理論者の望ましさが主張されてきたが、単一課題場面・課題選択場面それぞれにおける増加理論・実体理論のポジティブ・ネガティブな側面を理解し、「どういう時にどちらの暗黙理論を持つことが成果や満足に結びつくか?」を検討していくことも、暗黙理論研究の知見を社会に還元する際に重要になるだろう。

 以上を踏まえ、本研究では、課題選択場面における暗黙理論の働きを検討し、暗黙理論の有効性を規定する境界条件を明らかにすることを目的として設定した。本論文では、まず理論編において、従来の暗黙理論研究の系譜を概観し、これまでの研究とは異なる視点に立つ本研究の目的とその独自性を整理したうえで、続く実証編において、上述の目的の達成のため実施した5つの実証研究を3部構成で報告する。

 実証編第1部では、課題選択場面における増加・実体理論者の課題選択方略の差異を検討した。ここでは、増加理論者はどんな課題でも努力した分だけ能力が向上すると考え、従事する課題で努力を注力し熟達することを目指す「課題熟達方略」をとる、と予測した。他方、実体理論者は、能力は固定的であるという信念に基づき、成果見込みの高い課題に取り組むことで成果の最大化を目指す「適性探索方略」をとる、と予測した。2つの実験室実験(研究1・2)の結果は上記の仮説を支持し、増加理論者が課題熟達方略を、実体理論者が適性探索方略をとることが示された。

 実証編第2部では、課題選択場面における増加・実体理論者の認知傾向の差異として、それぞれの努力観に着目した。先行研究では、困難時にも努力を継続して成長する増加理論者と、無力感に陥り努力を止めてしまう実体理論者という対比が強調されてきた(e.g., Dweck, 2006)。その背景には、能力の可変性を信じる増加理論者は努力を能力向上のための資源として捉える一方で、能力の固定性を信じる実体理論者は努力によって能力が向上するとは考えないという、一次元的な比較に基づく努力観の差異が想定されている。しかし、実体理論者はどんな課題でも努力を行わないわけではなく、課題で高いパフォーマンスを発揮できそうな場合は努力を行う熟達志向的な反応を見せることが知られている(Dweck, 1986)。この知見に基づけば、実体理論者は「課題間の能力の高低つまり適性はあらかじめ決まっており、努力によって能力それ自体を向上させることはできないが、適性のある課題であれば、努力によって元来備わった能力を発揮できるようになり、パフォーマンスが向上する」と考えることが予測できる。すなわち、課題選択場面においては、実体理論者は努力を通じてその課題の適性を評価することができるという観点に立ち、努力とその成果を見ることによって、適性探索方略にとって重要な適性評価のための情報を得ようとするだろう。2つのシナリオ実験(研究3・4)は上記の仮説を支持し、増加理論者は努力の成長の資源としての側面を、実体理論者は努力の適性評価のための情報としての側面を重視することが示された。

 実証編第1・2部で明らかになった知見に基づけば、単一課題場面では困難を克服することに長けた増加理論者も、課題選択場面では特定の課題への固執というネガティブな側面も見せること、逆に、単一課題場面では困難を克服できない実体理論者も、課題選択場面では自分に適した課題を見極めて成果を挙げるというポジティブな側面を見せることが示唆される。つまり、学習者が置かれた場面によって有効な暗黙理論は変わるといえるだろう。しかし、暗黙理論やそれぞれの方略の有効性を規定するのは単一課題場面か課題選択場面かといった選択肢の数だけではないだろう。課題に選択肢があっても、特定の課題に従事させる圧力が高かったり、課題を変更する際のリスクやコストが大きかったりする場合は、複数の課題を吟味する適性探索方略をとる実体理論より、特定の課題で努力する課題熟達方略をとる増加理論の方が望ましいと考えられる。このように、課題を自由に選択できる程度によって有効な暗黙理論は変わってくる可能性がある。比較教育社会学の領域では、教育場面において課題を自由に選択できる程度には、学校教育制度やカリキュラムに応じたバリエーションがあることが指摘されている。たとえば、恒吉(2008)は日米の初等・中等教育における授業のあり方を比較し、日本がアメリカに比して、指導内容や学習進度が生徒間で一律な平等主義的特徴を持つことや、授業内容が体系的な指導要領によって事前に練られた固定的なものであること、受験のための勉強が重視されやすいこと等を指摘している。このような教育制度の特徴は、学習者の課題選択の自由度を規定する重要な環境要因である。授業内容が固定的で指導が斉一的な教育環境に置かれた生徒は、特定の課題に従事させようとする教師からの圧力を受けやすく、自分が取り組む課題を自由に選択する余地が少ないと言える。

 実証編第3部では、この課題選択の自由度が暗黙理論とパフォーマンスの関係性を調整する環境要因となっているかどうかを検討した。具体的には、恒吉(2008)が指摘するような、指導の斉一性や授業内容の固定性、勉強の重要度の高さといった授業に関する特徴を「教育の斉一性」として操作的に定義し、課題選択の自由度の指標として測定した。中学校時代の学業場面を対象とした社会調査(研究5)の結果、教育の斉一性が高い環境では、増加理論的な生徒ほど学業成績や学校生活の満足度が高く、逆に、教育の斉一性が低い環境では、実体理論的な生徒ほど学校生活の満足度が高い傾向があることが示された。すなわち、課題選択の自由度が低い時には増加理論者が、課題選択の自由度が高い時には実体理論者がパフォーマンスを上げやすいというように、課題選択の自由度という教育環境要因が暗黙理論の有効性を規定する境界条件になっていることが示唆された。

 本研究の独自性は、課題選択場面における暗黙理論の働きに着目した点にある。私たちの社会が単一課題場面と課題選択場面の両方によって構成されていることを考えると、暗黙理論研究の知見を実社会で応用する際には、学習者がどちらの場面で課題に向き合っているのかを考慮する必要があるだろう。Epstein (2019)は、学習者が特定の課題にこだわりすぎることで自身にとって最適な分野を見つけられない可能性を指摘し、警鐘を鳴らしている。学習者が課題選択場面に置かれているにも関わらず、増加理論的なマインドセットを持つことが過剰に推奨されてしまうと、学習者の到達度を制限するような事態に陥ることもあるだろう。従来見過ごされてきた課題選択場面への着目によって、学習者が置かれた状況そのものに目を向ける姿勢を持つことができるようになる。その上で、その状況に即して増加理論・実体理論それぞれの利点を理解し、活かしていくことが、実社会において暗黙理論研究の知見の有用性を高めていくための重要な過程であろう。

 また、課題選択場面に着目する意義は、それだけに留まらない。本研究では、単一課題場面か課題選択場面かといった違いを二分法的に捉えるのではなく、これを一般化し、課題選択の自由度という環境要因として概念化することを試みた。そして、暗黙理論が学業パフォーマンスに及ぼす効果を課題選択の自由度が調整する可能性について検討した。暗黙理論と学業パフォーマンスの関係を検討した先行研究の結果は一貫しておらず、調整要因の重要性が指摘されてきたにもかかわらず(Walton & Yeager, 2020)、これまでに十分な実証研究が行われてこなかったことを踏まえると、課題選択の自由度という環境要因の調整効果を見出した本研究の意義は大きい。加えて、こうした視点に立つ研究は、暗黙理論研究を、人々の心理行動傾向を社会・生態環境への適応という観点から解釈する「社会生態学的アプローチ」(Oishi, 2014)の俎上に載せることを可能にする。それによって、特定の環境のもとで育つ個人が特定の暗黙理論を獲得する過程や、暗黙理論の文化差が生成され維持されるメカニズムを検討する方向へと、研究を発展させることが可能になるだろう。

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