南米ペルー、ワヌコ盆地の紀元前二千年紀の社会動態

金崎 由布子

 本論文では、ワヌコ盆地の紀元前二千年紀の精緻な編年を構築し、地域の詳細な社会動態を明らかにすることを目的として研究を行った。ワヌコ盆地はペルー北部中央山地に位置する標高2000m程の山間渓谷であり、山岳地域と熱帯低地の中間地点に位置している。当地域は前二千年紀に山地・熱帯の両方の伝統が融合したような特異な土器文化が栄えることで知られており、アンデス文明の初期における山地-熱帯間の関係性を示すものとして学史上注目されてきた。当地域での考古学調査は1960年代の大規模調査以降しばらく途絶えており、編年研究の遅れが課題となっていたが、2016年から新たな調査が開始された。そこで本研究では、2016年から2019年にかけて行われたワヌコ盆地の考古学調査の成果をもとに新たな編年を構築し、前二千年紀のワヌコ盆地の社会変化のプロセスを考察した。

 本論文は全8章で構成される。第1章では、研究の背景となる中央アンデス地域の編年と地理、および前二千年紀のワヌコ盆地の特徴について概観し、研究の目的と方法を論じた。前二千年紀は、土器の導入とともに新たな建築伝統が各地で成立し、地域社会の発達と地域間交流の拡大がみられる時期であり、北部アンデスや東部のアマゾン地域との交流の痕跡が増加する。したがって、ワヌコ盆地の前二千年紀の社会動態に焦点を当てることは、山地-熱帯間の関係の発達プロセスや、外部社会との交流と在地社会の長期的な発達との関係の解明に貢献する。

 第2章では先行研究を概観して現状の課題を整理し、本論文の位置づけと方法論を提示した。本研究では土器編年の構築方法として、土器の形態学的特性の漸次的変化から時系列を推定する系統セリエーションの方法を導入した。土器の分類システムは従来の全土器片を対象とした属性分析にもとづく分類ではなく、器種-形態/文様という階層分類を適用した。このような型式学的分析と発掘調査による層位学的知見、年代測定結果の相互検証を通じて、精度の高い編年が構築される。また詳細な土器編年による層位の新旧区分を制約条件として、ベイズ推定を用いた年代解析を行うことで、考古学的状況を反映した高精度のモデル年代が得られる。

 さらに本研究では地域間交流の具体的な様相を捉えるため、土器スタイル論に系統学的アプローチを導入した。ジョージ・クブラーの「系統年代」概念を参照し、器種組成と文様の系統構造の通時的変化を各系譜的要素の動態から捉えることで、知識・技術の伝達における製作者間の交流形態のあり方や、既存の製作伝統に影響を与えた諸種の実践パターンの変化に接近する視点を提示した。

 第3章では近年の調査成果をもとに、各遺跡の建築の通時的変化を明らかにした。2016年・2018年に調査されたコトシュ遺跡では、1960年代に発見された建築の最上段にあたる各時期の建築が発見され、早期最終期から中期まで5時期の建築シークエンスが明らかにされた。2017年に調査されたハンカオ遺跡では、遺構の検出はわずかであるが、詳細な型式学的分析によって形成期前期・中期に相当する6時期の異なる堆積の存在が明らかになった。2019年に調査されたビチャイコト遺跡は、丘陵上に円形/隅丸方形の基壇が建設され、基壇は一度更新されていた。また丘陵頂上の窪地では炉群が形成されたのちに埋められていた。当遺跡はこれまで調査された各遺跡とは異なり、形成期前期の比較的短期間に利用され、機能を停止したと考えられる。

 第4章では、上述の調査により得られた土器資料と先行研究のデータを総合し、体系的な型式学的分析によって新たな土器編年を構築するとともに、系統学的アプローチにより土器スタイルの変化のプロセスを考察した。ハンカオ遺跡ではWJ-I,II,III,IV,V,KT-Iの6時期の土器編年が設定された。コトシュ遺跡ではWJ-IV,Vの時期が同定されたほか、KT-Iに型式学的に後続すると考えられるKT-II期が設定された。ビチャイコト遺跡ではWJ-IVのみが同定された。

 ワイラヒルカ期前葉(=WJ-I)は無文の無頸壺類のみから構成され、近隣の山岳地域とよく類似していた。ワイラヒルカ期中葉(=WJ-II,III)では無頸壺、鉢、ボトルという基本の器種が出揃い、弧状文を主とする在地の文様系統が発達した。この時期のボトルは近隣の山岳地域には見られない橋付きボトルであり、熱帯低地との関係が示唆された。ワイラヒルカ期後葉(=WJ-IV,V)になると器種が多様化し、鉢類を中心にZoned Hachure技法が隆盛した。熱帯低地の伝統と共通性のあるZoned Hachure技法による幾何学文は、凸底鉢・内傾鉢と結びつきが深いが、技法自体は閉口鉢・浅型鉢・広口壺などの器種にも導入され、比較的単純な文様が施された。また前時期まで無頸壺・鉢ともに主体的であった在地の弧状文系統は、この時期には主に無頸壺に適用され、文様は簡素化した。コトシュ期では、Zoned Hachure技法と関係の深い多くの器種が消滅し、無頸壺は無文化した。前時期の特殊鉢の後継と考えられる外反鉢では、太い刻線による幾何学文様および人面文が発達した。

 第5章では、各遺跡の放射性炭素年代測定データをベイズ推定を用いて解析し、各遺跡の利用時期を推定するとともに、新たな地域編年の年代観を提示した。その結果、ハンカオ遺跡ではWJ-I期:1740-1665 cal BC、WJ-II期:1545-1480 cal BC 、WJ-III期:1435-1380 cal BC、WJ-IV期:1310-1245 cal BC、WJ-V期:1160-1065 cal BC 、KT-I期:990-945 cal BCのモデル年代が、コトシュ遺跡ではWJ-III(IIa)期:1535-1470 cal BC、WJ-IV期:1355-1215 cal BC、WJ-V期:1130-1045 cal BC、KT-II期:885-835 cal BCの年代が得られた。また、ワイラヒルカ期前葉は前1800-前1600年頃、ワイラヒルカ期中葉は前1600-前1300年頃、ワイラヒルカ期後葉は前1300-前1000年頃、コトシュ期は前1000-前800年頃と位置付けられた。この新たな年代観により、周辺地域の編年との対応関係が見直され、これまで形成期前期の典型的な土器スタイルとされてきた「ワイラヒルカ土器」は、実際には中期前半に相当することが明確になった。

 第6章では新たな地域編年にもとづき、各時期の遺跡分布と立地の利用形態、およびワヌコ盆地と外部地域との地域間交流の通時的変化を考察した。踏査データの再検討から、ワイラヒルカ期中葉までの遺跡分布は、ミト期から利用されたと考えられる河川合流地点付近の沖積地の立地に限定されていた可能性が高いことが示された。またワイラヒルカ期後葉では、河川沿いの丘陵上という新たな立地に遺跡が出現し遺跡数が増加するが、コトシュ期には再び長期の利用のある立地でのみ建築活動が継続した。さらに、長期の利用のある遺跡でも機能停止と再利用が繰り返されていた。次に各時期の建築について、ミト的スタイルの部屋と「埋葬型」の建築の更新は一部の遺跡でワイラヒルカ期前葉まで続いた後停止し、次の時期では比較的小規模な建築活動が行われた。ワイラヒルカ期後葉になると、円形/隅丸方形の基壇と上部の連結部屋という新たな建築スタイルが生じた。コトシュ期の建築は前時期との連続性が見られ、建築の更新時に墓の埋め込みが新たに行われるようになった。

 第7章では、これまでの内容をもとにワヌコ盆地の社会変化のプロセスを考察した。ワイラヒルカ期前葉(形成期早期末)には地域に土器が導入されたが、一部の遺跡でミト期の建築伝統が継続していた。当地域の土器の導入はミト期的な社会システムの中で生じた現象と考えられ、当時の土器の希少財としての価値が、初期の土器の拡散に寄与したと想定される。ワイラヒルカ期中葉(前期)ではミト期的な建築慣行が見られなくなり、代わって遺跡周辺住民による比較的小規模な公共活動が行われた可能性が高い。また土器の様相から、当時期には土器の利用範囲が拡大するとともに、基壇建築での饗宴活動と関連して東斜面・熱帯低地との関係が段階的に発達したと考えられる。ワイラヒルカ期後葉(中期前半)では、以前から利用のある場所だけでなく、それまで利用のなかった盆地内の各地に基壇建築が建設され、長期の歴史を持つ遺跡群と短期の利用のために新たに作られた遺跡群という二分が成立した。これは基壇建築での活動を通じて新たな社会紐帯が生成され、周縁部が地域システムの中に組み込まれるとともに、ミト期から利用が継続した各遺跡の位置する場所が中心性を帯び始めた可能性を示唆する。また土器は前時期から大きく変化し、東斜面・熱帯低地と共通性の高い新たな器種・文様・施文技術が広く導入された。このことは当時期にこれらの地域から直接的な知識・技術伝達があったことを示しており、異なる地域集団間での直接交流の場が形成されていた可能性が高い。このような交流が宗教イデオロギーの相互浸透や儀礼実践の変化につながり、地域の社会システムの変容を促したと考えられる。コトシュ期(中期後半)では長期の利用のある遺跡でのみ活動が継続された。また建築の更新における墓の埋め込みや葬送儀礼を通じて、特定の個人や集団がこれらの場所と象徴的に結びつけられ、特別な地位に置かれ始めたと考えられる。このことは、前時期に生成した集団関係が新たな儀礼慣行によって強化され、社会階層化につながるような集団関係の不均衡が成立した可能性を示す。一方で土器や交易品の様相から、熱帯低地との関係は依然重要であるものの、中期後半に台頭したチャビン・デ・ワンタル遺跡を中心とする経済-宗教複合システムの影響が生じ始めており、後期の「チャビン・ホライズン」の在地的受容の下地が形成されていたことが示唆される。

 第8章では前章までの議論から本稿の結論を提示した。前二千年紀のワヌコ盆地と周辺地域との関係は固定的なものではなく、熱帯低地との関係は近隣の山岳地域との関係の変化と関連しつつ段階的に発展しており、当地域の各時期の社会システムは、地域間関係の通時的変化と相互に関連しながら発達したことが示された。

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