彼方の海岸 ―20世紀と21世紀のラテンアメリカ文学者らによる、日本古典文学の翻訳とその時代背景

マヌエル・アスアヘアラモ

 スペイン支配下の植民地時代から、ラテンアメリカの文学者たちはスペイン語以外の西洋文学に興味を示し、ヨーロッパ諸国の言語から詩や散文の作品を数多くスペイン語に翻訳してきた。しかし、19世紀半からは、それまで西洋と文化的交流が比較的に進んでいなかったアジア大陸の諸国(インド、中国、そして日本)の文化と文学が欧米において知られるようになるにつれて、ラテンアメリカの文学者たちのあいだでも、これらの地域の文学への関心が高まっていった。この経緯の結果として、19世紀半ばから日本の文化と文学が、フランス語や英語などで書かれた著書を経由して、ラテンアメリカ文学者たちの手に渡り読まれ始めていった。

 本論文は、上記の経緯を踏まえ、20世紀初期から21世紀初期にかけて、ラテンアメリカの代表的な文学者たちが執筆した日本文化と関係する一連の作品——すなわち、日本文学から重訳あるいは直訳された翻訳作品や、日本の文化、文学、宗教などを紹介、もしくは解説する作品——を取り上げ、翻訳作業を創作的な文学的営みとみなす観点から、文化的資本のアダプテーションと交流であるこの現象を考察し、各作品の時代背景を検討し、各テクストを精読するものである。つまり、ラテンアメリカの知識層における<日本像>が辿ってきた変遷を確認するとともに、各時代・地域において機能していた<日本>を取り巻く諸言説にも着目しながら議論を進めている。この<日本文学像>について論じるため、本研究は、世界文学理論(World Literature Studies)と翻訳研究(Translation Studies)の双方が交差するようなアプローチを理論的な枠組みとして採用している。

 本論文は、以上のような視点に基づいて、上記の各時代における<日本像>を代表する作家たちに視野を絞り、それらによる日本文学からの翻訳とアダプテーションを五章に分けて分析する。本論文が研究対象とするのは、20世紀初期に活躍していたジャーナリストのエンリケ・ゴメス=カリージョ(Enrique Gómez Carrillo)による日本紀行、20世紀ラテンアメリカ文学の巨匠ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)による俳句、短歌、そして『枕草子』のスペイン語訳、メキシコ出身でノーベル文学賞受賞者の詩人オクタビオ・パス(Octavio Paz)による『おくのほそ道』のスペイン語訳、20世紀後半にブラジルで頭角を現した前衛芸術運動の具象詩の旗手、詩人アロウド・ジ・カンポス(Haroldo de Campos)による能文学の翻訳と表意文字を巡る論考、そして21世紀初期に、日本を舞台とする作品を執筆した二人の小説家、ブラジルのアドリーアナ・リズボア(Adriana Lisboa)とメキシコのマリオ・ベジャティン(Mario Bellatin)の小説である。

 研究対象となっている上記の作家たちによる作品の分析に加えて、本論文では、日本の文化と文学を考えるためにラテンアメリカの文学者たちが参照していた諸原説の推移も確認する。20世紀のラテンアメリカのような、日本をめぐる情報が錯綜した思想状況のもとで形成された日本像を考えるためには、日本と関連した作品の作成、あるいは日本文学作品の翻訳を試みた各作家の文学的な世界観を概観する必要がある。したがって、本論文では、研究対象となっているそれぞれの作品の精読を行うとともに、各作家の歴史的背景と、その思想の経緯にも焦点を当てることにした。なぜならパスやボルヘスの日本観に入り込んでゆくことは、20世紀初期のメキシコとアルゼンチンにおける日本像を考え、さらには当時その両国で流布していたであろう、ヨーロッパ諸言語で執筆された書籍の中の日本像を考え ることに等しいからだ。たとえば、ボルヘスにとってのそれは、自国アルゼンチンのオリエンタリズムと、アーサー・ウェイリーによる英訳『源氏物語』などイギリス、フランスそしてドイツで翻訳されていた日本文学になるし、パスにとってのそれは、タブラーダをはじめとするメキシコのハイク文学の経緯と、西洋言語で書かれたドナルド・キーンなどの日本文学研究者による翻訳作品並びに入門書と、さらにロマン・ヤコブソンやレヴィ=ストロースなどフォルマリズム及び構造主義の思想家が同時代に提案していた斬新な文学論になる。このように、国内外の諸要素に影響されながら、各世代のラテンアメリカ文学者たちは自分なりの<日本像>を作り上げ、それを各々の文学作品の中に落とし込み、特定の機能を担わせていたと考えられる。本論文は、各作家の<日本像>を明らかにしたうえで、それらを体系的に繋げることを目的としている。

 本論文の構成は以下の通りである。

 まず、イントロダクションでは、先行研究を概観し、本論文の理論的基盤となっている世界文学論と翻訳論とその比較分析の方法について理論的背景を明らかにする。さらに、ラテンアメリカにおける文学翻訳の歴史と役割を検討する際に提起される諸問題を確認して、本論文で具体的に研究対象となっている作家たちがいかにラテンアメリカにおける日本文学からの翻訳とアダプテーションの現象を代表しているかを説明する。

 第1章では、西洋における日本像の原型とも言える言説の源、すなわちフランシスコ・ザビエルをはじめとする16世紀のイエズス会の宣教師たちがスペイン語やポルトガル語で書いた書簡をトランスカルチュレーションの観点から検討したうえで、時系列を追って進み、20世紀初期に日本についての旅行記や記事をラテンアメリカとスペインの新聞で連載したグアテマラの作家エルネスト・ゴメス=カリージョの日本描写について考察する。本章ではまた、20世紀ラテンアメリカ文学における日本像の形成を考える際に重要なキーワードとなる要素、すなわち<周縁> (The Periphery)と<中心> (The Center)や、翻訳と重訳などの要因について論じることにも繋がっていく。フランス文化を普遍的な中心と捉えたゴメス=カリージョの日本は、それでも後のラテンアメリカの日本描写に見られる相違点を考えるうえで不可欠なケーススタディとして論じている。

 第2章では、ラテンアメリカ文学の文豪、アルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスの日本文学観を俎上に載せ、『汚辱の世界史』 (Historia Universal de la Infamia, 1935)や英訳版『源氏物語』の書評など、ボルヘスが作家活動の早い段階に著した作品を足がかりとして、俳句や短歌の詩形をとった作品が収められている晩年の詩集『群虎黄金』 (El oro de los tigres, 1972)や『暗号』(La cifra, 1981)などの日本関連作品を取り上げる。なお、同章の後半では、ボルヘスがマリア・コダマ夫人とスペイン語に共訳したとされる『枕草子』(El libro de la almohada, 2004)を出発点とし、ボルヘスの翻訳論を考慮に入れた上で、この『枕草子』がボルヘスによる作品ではないという仮説を提示する。

 第3章では、20世紀メキシコの国民詩人オクタビオ・パスと日本文学の関係に焦点を当てる。彼が1950年代のインドおよび日本滞在期間中に本格的に接触し始めた日本文学との邂逅を説明したうえで、スペイン語訳『おくのほそ道』(Las sendas de Oku)の1957年版と1970年版のテクストを分析する。大きく書き換えられた1970年の改正版は、現在のラテンアメリカにおいても同作品の定訳となっている。ここでは、パスによる訂正にどのような創作的な意図が反映されているかについて考察する。さらに、この『おくのほそ道』の初版と同年の1957年にアルゼンチンで刊行された文芸誌『スール』の日本文学特集を念頭において、その刊行にあたってパスが果たした役割も示し、そこで確認できる国際的な文学と翻訳のネットワークについて考察する。 

 第4章では、焦点をブラジル文学に移し、20世紀後半からブラジルの文学界に大きな影響を及ぼした詩的運動、具象詩の旗振り役として活躍した詩人アロウド・ジ・カンポスの日本文学論、翻訳論、そして日本文学からの翻訳作品を検討する。本章が主に分析しているテクストは、ジ・カンポスによる表意文字文学論『表意文字——理論、詩、言語』(Ideograma: Logica Poesia Linguagem, 1977)と、日本の能楽作品『羽衣』のポルトガル語訳およびその翻訳の制作過程を記した『世阿弥の羽衣』(Hagoromo de Zeami, 1993)である。その分析の結果、日本語を実際に勉強したジ・カンポスの試みは、日本語の原文を参考にしているにもかかわらず、本論文で扱っている他の翻訳作品のどれよりも、高度な独自性を示していると結論づける。

 第5章では、21世紀初頭のラテンアメリカ文学の<日本像>について考察する。ここでは、日本や日本文化を扱う小説の特徴として「偽翻訳」と「文化的な傍観者」という二つの区分を提案する。この二つのカテゴリーの代表的な小説作品として、メキシコ出身の作家マリオ・ベジャティン(Mario Bellatin)の『ムラカミ夫人の庭園』 (El jardín de la señora Murakami, 2000)と、ブラジル出身のアドリーアナ・リズボア(Adriana Lisboa)の『落柿舎』(Rakushisha, 2007)を検討している。現在の世界における日本現代文学のイメージを反映する形で、本章の小説の主人公たちの名前は、村上春樹になぞらえられている。こうして、村上春樹の存在が暗示されているこれら二つの作品を考察することによって、現在のラテンアメリカにおいて、現代日本文学がいかに屈折されているかを考察している。

 本論最後の結論では、ラテンアメリカ的な文学空間を素描した上で、今後のラテンアメリカ作家たちが、世界文学の一部としての日本文学に対する認識のあり方についても考える。ラテンアメリカの文学者たちにとって、長きにわたり問題視されてきた土着文化と欧米文化の対立のはけ口あるいは、その問題から脱却するための突破口として、東洋文学、とりわけ日本文学は魅力的な選択肢であったと言える。世界の各国文化を相対化することは、欧米によって周縁化されてきたラテンアメリカにとって、世界文学を平等な立場で語ることのできるような文学空間を作り上げるために欠かすことのできない戦略であった、という結論に達している。

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