本論文はフランクフルト学派第1世代の社会哲学者であるヘルベルト・マルクーゼの管理社会論に代表される社会理論・社会哲学を「労働と遊びの一致としての生命活動」という観点から再解釈することを目的とする。

 様々なモチーフ・論点からマルクーゼの理論を体系的に再構成する試みがいくつかなされてきたが、「労働と遊びの一致」をもとにマルクーゼの理論を体系的に描きなおす試みはこれまで行われてこなかった。労働と遊びの一致とは、自然や他者との戯れを通して、新しいものを生成し、世界のなかで自己の存在を確かめていく生命活動を指す。

 労働そのもの、とりわけ日々の生活を成り立たせるための労働は、対象と戯れることよりも、対象との闘争であったり、あるいは他者を労働に使役させる主従関係を取り結ぶことを伴う。マルクーゼはこのような労働観を生命の活動であると捉えつつ、その活動が人間に、あるいは対象に大きな負担をもたらすことを見ていた。

 労働を通して世界のなかで自らの存在を確証することには大きな負担や苦難が常につきまとう。個々の存在を確証しつつも、その負担をどのように緩和することができるのか。マルクーゼは「遊び」という労働の対概念へ着目をすることで、対象と戯れつつ日々の必要を満たすための労働をおこなう可能性を考えていく。当初マルクーゼは、必然の労働と自由の労働の区別を前提としたうえで、後者から前者を照射することで、遊びの契機を必然の労働に含有させることを考えていた。しかし、必然の労働と自由の労働がおこなわれる各領域の相互侵食の過程を目の当たりにし、最終的にマルクーゼは、日々の必要を満たす必然の労働をテクノロジーを触媒とすることで自動化し、可処分時間を増やすことによって、人間は科学的発明や実験といった精神労働にのみ従事できるようになるという社会構想にたどり着くのであった。

 本論文の第1章では1930年代初頭にかけてのハイデガー期のマルクーゼの諸論文、特に『ヘーゲル存在論と歴史性の理論』「史的唯物論の基礎づけのための新史料」「経済学的労働概念の哲学的基礎」におけるマルクーゼの労働論と遊び論を整理した。30年代初頭、マルクーゼは労働と遊びの一致により生命活動としての「真の労働」がもたらされるという基本的な労働観を固めて以降、その都度の社会状況に応じて、労働や遊びがいかに管理されるようになっていったのかを分析するようになる。

 第2章では1930年代後半の諸論文を取り扱った。マルクーゼは、フランクフルト学派帯同期に、生命活動としての労働(=必然の労働)と遊び(=自由の労働)が、禁欲労働(疎外された労働)と仮象文化(疎外された文化)に分化していく様相を描き出す。ドイツからアメリカへの亡命と前後して、マルクーゼはフランクフルト社会研究所で刊行していた『社会研究年誌』にて、諸論文を発表していく 。同章では「文化の現状肯定的性格について」「哲学と批判理論」「快楽説批判」を主な資料として取り上げ、自由の労働の成果として生み出されるはずの文化が、必然の労働の苦痛を麻痺させる機能を有すること、そしてそのような状況を乗り越えるための対象との戯れに基づく文化の可能性を明らかにした。

 30年代中盤の分析は、哲学史的な考察、文化批判的な考察に基づいて行われている。西欧資本主義に基づく市民社会において、生命活動としての労働はプロテスタンティズム的禁欲労働となった。市民社会において遊びは生命活動としての労働から切り離され、対象と戯れる自由を失うとともに、市民社会の芸術文化として位置づけられるようになり、その意味内容を縮減させていく。市民社会の文化は、労働者の禁欲のはけ口となる。労働を禁欲的に耐え忍ばせるための「仮象の幸福」が労働者に与えられ、幸福は個人の精神の充足の問題であるとして片付けられる。市民社会の労働は、毎日必需品をつくりだしはするが、世界内での自己確証の契機を認識できず、剥奪されてしまう「疎外された労働」となる。さらに、ドイツの全体主義的労働国家において、市民社会の文化は労働者を称揚し、国家を支えるための英雄文化へと変化するが、文化によって労働を疎外する機能は変わらない。労働国家において労働は人間にとってのすべての行為を国家や民族を支えるための「奉仕としての労働」と化していく。

 この状況を克服するために、マルクーゼは、古代ギリシャ以来、理性よりも低い価値を与えられていた感性に基づく快楽の解放に手がかりを求める。本来であれば、身体が快楽を享受しながら生命活動を充足していくはずであるが、市民社会では身体の快楽は禁欲的勤労主体にとって疎外されたものとなる。禁欲から解放されるには、偶然性のなかで自然や対象と出会い、現実を超える空想の力を媒介としつつ感性の対象にひたむきに没頭することで、賃労働のための身体でなく生命活動のための身体を回復させる必要がある。

 第3章では、1940年代前半にかけて書かれた諸論文、特に「現代テクノロジーの社会的意味」と題された論文を資料として扱った。40年代以降、文化によって労働が疎外されるというマルクーゼの洞察は、テクノロジーによって労働が管理されるという洞察へ変化する。哲学史的考察、文化批判的考察に基づくならば、たしかに市民社会の文化や労働国家の文化のイデオロギー性を把握することができる。しかし、マルクーゼが直面していたドイツ社会、あるいはアメリカ社会の状況は、上記の哲学史・文化批判的アプローチだけでは説明をすることができないものとなっていた。とりわけ、テクノロジーによる労働の合理化や効率性の追求がドイツのテクノクラシー社会体制の成立に関与しているとマルクーゼは考えるようになった。生産テクノロジーが社会にどのような影響をもたらすのか。マルクーゼはテクノロジーに内在する思考、行動、本能の方向づけの力に着目しつつ、哲学史や文化批判的アプローチではなく、当時の社会科学を参照点としながら分析をしていく。その際に、マルクーゼはアメリカの産業社会を映し鏡にして、ナチス・ドイツのテクノクラシー体制を照射するという考察の構えを取る。マルクーゼはアメリカ産業社会の現実のなかにナチス・ドイツに流布する技術的合理性を発見したのである。

 マルクーゼの議論に基づくなら、テクノロジーの発展により、自由主義的経済の主体が有する個人主義的理性が、大企業の寡占、生産テクノロジーの独占、新しい生産様式の普及に伴い、技術的合理性に変化していく。個人の理性は、テクノロジーに効率的に適応するためだけの理性に切り詰められていく。そのような状況で、人間の本能、思考、行動パターンもテクノロジーに委ねられるようになる。さらにマルクーゼは、技術的合理性の展開と並行して、急速に発展する科学技術の動向を反映した労働形態の変化を見ている。たとえば、マルクーゼは科学的管理法に基づく職業訓練や労務管理を批判している。マルクーゼの「労働と遊びの一致」という観点からすると、科学的管理法は人間を取替可能な労働のための道具にし、生産性や効率性で労働を測定してしまうような技術的合理性の象徴であり、労働者が主体的にルールを設定し対象と戯れる契機が入り込む余地はそこにもはや存在しないのである。

 続けて第4章では、マルクーゼによって著された1940年代前半のナチス・ドイツの政治分析レポートを資料とし、ドイツ・テクノクラシー体制の展開をマルクーゼがどのように記述していたのかを検討した。前述のとおり、マルクーゼはテクノロジーの本質を技術的合理性に見出した。この基本的な枠組みに依拠しながら、マルクーゼはナチス・ドイツにおけるテクノクラシー体制の展開を分析する。特に、技術的合理性を支える政治構造と経済構造のアマルガムをマルクーゼは本格的に研究するようになる。

 さらに、第二次世界大戦後の管理社会論の展開にあたっては、1950年代のオートメーション論の流行がひとつの背景となる。この点については第5章で50年代以降のマルクーゼの主著を資料として検討した。第二次世界大戦後、オートメーション・テクノロジーが急速に普及するなかで、マルクーゼの労働観はさらに深化していく。先の科学的管理法批判を踏まえると、マルクーゼは、労働者がベルトコンベアの流れ作業で効率的に仕事をこなし、そうすることで快楽を覚えるという「熟達本能」を批判している。また、ソ連の生産性向上運動を事例として取り上げつつ、生産性信仰や労働道徳を批判している。オートメーション・テクノロジーを労働と遊びの一致のために効果的に用いるには、生産性信仰や労働道徳からの解放が必要となる。

 終章は本論文の結論となる。マルクーゼはその初期において、ヘーゲルや初期マルクスの労働論に依拠しながら、自然などの対象と戯れるような遊びが、闘争を通して対象を自己の生命に取り入れる労働の負担性を緩和するには必要であると考えるようになる。他方、労働と遊びは、身体を拘束する禁欲労働と、精神を拘束する市民文化に分極していく。マルクーゼはこの分極を統合する鍵をテクノロジーに求める。特にオートメーション・テクノロジーが普及することで、人間の苦役労働が最小限になり、可処分時間が増大し、人間の「真の労働」が達成されると考えるようになる。そのような労働はものを産み出す快楽を伴う「遊び」となる。人間は科学にもとづいて対象と戯れる実験や発明に勤しみ、人間の自由が達成される。上記を達成するためには、労働を生産性追求の観点から捉える見方を克服する必要があった。この見方が、労働国家を支える禁欲的な労働を成り立たせていたのである。