関東平野北西部における後期旧石器集団の居住形態の変遷

小原 俊行

第1章・第2章

 本研究の目的は、人類の活動痕跡である考古学的資料と、古環境変遷や地形発達史などの自然環境に関する資料を総合して論じることによって、旧石器時代の人類の環境適応の過程を説明することにある。

 近年の日本の旧石器研究を概観すると、1990年代以降に推進された社会生態考古学的研究の中で石材分析等を基にした行動論研究や、石器群の広域編年対比が活発に議論された一方、研究の根幹を形成する編年観などについては、脱却すべきパラダイムとされた発展史観論が多大な影響を及ぼしていることが判明した。また、遊動型狩猟採集民と考えられる旧石器集団の適応行動の変化を考える上で、環境史の変化は契機の一つとして考えられるため、両領域の時間的対応関係を精確に把握することが求められる。しかし、半世紀近くに及ぶ大規模開発に伴う発掘調査よって得られた膨大な量の考古学的・自然科学的資料が統合して議論されておらず、未消化のまま蓄積されている現状が認められる。よって、旧石器研究に求められる今日的な課題は、(1)モデル偏重型の演繹的説明でもなく、些末な実証主義的研究でもない、豊富な考古学的資料によって担保された、広域―局地の両端を横断可能なシナリオの提示と実証、(2)自然科学分野の知見も取り入れた人類の環境適応史の総合的研究の両輪であると考えた。

 本論で対象とする関東平野北西部では、遺跡から出土した資料数と、地形発達史・古環境研究等の自然科学分析の両側面において、膨大な量の情報が蓄積されている。加えて、当該地域の後期旧石器時代の石器群の特徴として、編年観や遺跡数の増減などが隣接する関東平野南域と対照的な傾向を示す。本研究では、これらの現象の背景にある旧石器時代の集団の居住形態の変化を、石器群の編年と自然環境の変遷との対応関係も踏まえた上で問い直した。

 

第3章・第4章

 関東平野北西部は、現在の群馬県内である赤城山南麓を中心とした地域である。関東平野周辺域の資源分布構造を概観すると、本地域は通時的に狩猟採集活動の中心部であった平野南域と、石器石材原産地が分布する平野周辺域の中間帯に位置する。

 後期旧石器時代における自然環境の時空間的変化を確認するため、花粉化石と植物珪酸体の分析例、哺乳動物化石の産出状況、主要な地域・河川流域の地形発達史について整理した。また、環境変遷と石器編年を実年代で比較するために、当該域のテフラ等の降下年代を整理した。

 本地域の検出テフラを年代基準とすると、榛名箱田テフラ(Hr-HA)降下後から姶良Tn火山灰(AT)降下前の35-30 ka cal BP(1 ka cal BP =1,000 calibrated years Before Present)は比較的温暖な気候ではあるものの、相対的な温暖期・寒冷期を繰り返す時期で冷温帯落葉広葉樹林が広がる環境であった。しかし、AT降下前の32-30ka cal BPでは急激な寒冷化・乾燥化が起き、亜寒帯性針葉樹林が主体となった。室田軽石(MP)降下後の28 ka cal BPでは短期間の温暖化が起きるが、浅間板鼻褐色軽石群(As-BP Group)降下期間中の28-24 ka cal BPは寒冷な気候となる。As-BP Group上部から浅間大窪沢軽石群(As-Ok Group)間の24-21 ka cal BPでは温暖だがやや寒冷な気候となり、亜寒帯性針葉樹林が分布する中に冷温帯性落葉広葉樹が伴う。As-Ok Group降下後から浅間板鼻黄色軽石(As-YP)降下前である21-19 ka calBPは寒冷な気候になり、基本的に針葉樹林が卓越する環境となる。しかし、As-YP降下直前である16 ka cal BPに向かって湿潤化して落葉広葉樹の分布が広がるようになる。

 結論として、当該地域の古環境変遷は、より広域な範囲での気候変動と連動していることが示された。哺乳動物化石の検討では、本地域ではナウマンゾウ-ヤベオオツノジカ動物群が生息しており、動物群中の大型哺乳動物は27.5 ka cal BPに古本州島全体で絶滅したと推定された。

 

第5章

 関東平野北西部における後期旧石器時代の石器群の編年観を整理した。その際、既存の地域編年である「群馬編年」を用いず、システム論的進化・発展論を基に、遺跡を単位として個々の石器の系統関係を追究して編年を再構築した。そして、前章までに復原した古環境変遷との通時的対応関係を検討した。

 本地域の石器群を遺跡ごとに確認した結果、後期旧石器時代前半期(35-27 ka cal BP)における「台形様石器II類の規格化・量産化にみられる特殊化」と、「赤谷層産黒色頁岩を用いた大型石刃(石刃サポート)の運搬と背部加工尖頭形石器の規格的生産」が、時期を違えて段階的に発生した現象であると捉えられた。これらの現象は従前の研究において補完関係にあるとされていたが、台形様石器II類の特殊化は35-32 ka cal BPの不安定な気候における森林性環境下での生業活動への適応であるのに対し、石刃サポートの運用は32-30 ka cal BPの安定的な寒冷・乾燥化した草原性環境への適応と推定された。

 また、台形様石器II類の特殊化は、本地域では信州産黒曜石を用いた縦長剥片剥離技術の行使と強固に結び付いていることが認められた。この現象は、石刃サポートを中心とした石材消費戦略に切り替わる時期に、その影響を受けて断絶する。これにより、東北・北陸地方と本地域における台形様石器II類の特殊化は、継続期間と地域適応の過程がそれぞれ異なることが推定された。そして、(1)広域に認められる石器の形態変化と、(2)各地域の諸資源の利用形態に基づいた局地的な石器の変異という、異なる位相の変化・変異が石器の形態的多様性を生み出していることを示した。

 後半期(27-16 ka cal BP)は、前半期と比較しても段階ごとにおける石器群の変化が著しく、古環境変動が起きる時期とも一致する傾向にあった。そのため、前半期と比較しても大幅な社会の再編成が起きる頻度が前半期と比較しても高かったことが予想される。

 

第6章

 前章で得られた編年観を基にした遺跡分布の時空間的な変遷から、旧石器集団の本地域内での居住形態の変遷を確認した。これにより、前半期から後半期への遺跡数の激減という現象は、生業戦略の環境適応に伴う居住形態の漸進的な変化として捉えることが可能となった。

 35 ka cal BP以降、赤城山南麓を中心として環状ブロック群などにみられる旧石器集団の拠点的居住が認められた。その後、32 ka cal BP以降には寒冷・乾燥化が安定して進行することから、大型哺乳動物の狩猟を主とした生業戦略に移行することで、居住形態も前代と比較して広域移動を想定したものに変化する。その結果、黒色頁岩製石刃・縦長剥片を運用する技術体系に重点化すると共に、本地域では拠点的居住が石材資源の獲得を主目的としたものに移行した。黒色頁岩製石刃の運用が最も特殊化する時期には、黒色頁岩原産地付近の利根川流域に大規模遺跡が形成される一方、赤城山南麓には小規模な遺跡が点在するのみとなった。黒色頁岩製石刃の運用の背景にある広域移動を伴う居住形態に移行した結果、赤城山南麓での旧石器集団の生業活動の機会は著しく低下した。

 30-27 ka cal BPには短期間の温暖化が繰り返し起きるなど、気候変動が不安定な時期であった。信州産黒曜石の利用頻度が著しく増大する時期が認められ、短期間の温暖化との相関関係が想定される。一方、その後の28-27 ka cal BPにおける短期間の温暖化期には信州産黒曜石の利用頻度が低下すると共に、黒色安山岩を用いた石刃生産を行っていた。30-27 ka cal BPの期間は大型哺乳動物の絶滅時期に該当する。短期間のうちの急激な温暖化・寒冷化といった不安定な気候変動と大型獣の絶滅に適応するために、旧石器集団の主要な狩猟対象獣は中・小型動物に変更され、それに伴って黒曜石の利用頻度低下、そして移動領域の縮小という事態が生じた。

 後期旧石器時代後半期前葉では、本地域の遺跡数が激減するが、この現象は前半期末から進行した旧石器集団の生業・移動領域の縮小を反映したものである。従前の研究では、本地域は浅間山の噴火が活発化することから、遺跡数の激減という現象を局地的な災害イベントと関連付けられていた。しかし、このような表面的な現象と直接的に結び付けて捉えるのではなく、居住形態の変遷過程を追究した上で当該期集団が本地域を生業域として積極的に利用しなかった理由を検討することの必要性が明示された。

 後期旧石器時代後半期中葉には武井遺跡のような大規模な尖頭器製作遺跡が大間々扇状地扇頂部に形成される。本期の大規模尖頭器製作遺跡が形成された要因には、大間々扇状地周辺の地形発達史のほか、それまでの古環境の変遷や、旧石器集団の石器製作技術や居住形態の変化など、当該期の自然・社会的環境の変化が複合的に関連し合った結果であることが示された。

 その後、後期旧石器時代後半期後葉における細石刃石器群と大型尖頭器石器群は前代までのものとは異なり、河川流域沿いに特に遺跡が形成される傾向にあった。大型尖頭器石器群において出現期土器が現れ、その後に縄文化が進行していく。その土台には、後半期中葉から始まった本地域の生業領域としての回復と、削片系細石刃石器群からの河川流域沿いにおける土地利用の重点化が密接に関連していると推測した。

 旧石器時代の石器群の変化は、単純に気候変動と対応するわけではない。それに伴う動植物相の変化と、適応するための生業戦略・居住形態の変化といった、当該期の狩猟採集民の行動と連動していることが本研究によって示された。このことは遺跡の時空間的な分布の変化においても同様に言える。本研究のように、旧石器時代の狩猟採集民と当該期の自然環境の変遷との対応関係を踏まえて議論することは、出土遺物が殆ど石器に限られる本国の旧石器研究に大いに寄与すると考えられる。

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