三島由紀夫研究

藤田 佑

 本研究は、昭和20年代における三島由紀夫の作品史と、それを取り巻いた戦後文学史の動態を、文学の“ジャンル”という観点から構想し、記述することを目的としている。

 第一部は「「戦後」への介入 昭和二十四年前後と題し、戦後文学のスターダムに躍り出る『仮面の告白』までの道程を、敗戦直後の文壇を席巻し、彼もその一角にあった「近代文学」派との距離感を測定しながらたどった。主な対象時期は、昭和24年前後である。

 第一章「戯曲という方法―『獅子』論」では、三島が戯曲というジャンルに接近していった必然性を検討するために、ギリシア悲劇の翻案『獅子』(昭23)を取り上げた。本作は演劇的なドラマツルギーを小説に導入し物語を劇に見立てることで、登場人物の内面と、それを表現する描写との不一致をあえて示してみせている。すなわち三島における戯曲への傾斜は、心理という不可視の圏域を書記言語で再現する小説形式への忌避として始まった。本章は、作中人物から発せられる「肉声」のリアリティを理想化する作品の展開に、ロマン主義的な空想の否定という主題を見出し、転向や弾圧を実存主義的に描いた戦後派文学との対決点を明らかにした。三島は戦後派文学をロマン主義の一種として解釈していたが、同様の発想は中村光夫らの言説にも見られる。戦時下で涵養された自身のセンチメンタリズムを、戦後文学のロマン主義的傾向に投影し、それを討つという方法こそが三島の戦後作家としてのスタートであり、そのために要請された理念こそが戯曲であった。 

 第二章「劇と心理小説―『盗賊』論」では、「戦後批判」というステレオタイプから敗戦後の諸作を解放するために、最初の長篇小説『盗賊』(昭23)を論じた。本章が注目するのは、疑似的な悲劇の創出に挫折するプロセスとして物語が展開する点、及び本作の作中年代が「一九三〇年代」にある点である。すなわち『盗賊』の主眼は、「一九三〇年代」をすでに美的な死の可能性が喪われた時代に塗り替えることで、戦前的な時間への憧憬を断ち切るところに存する。なお、『獅子』『盗賊』の両作はともにラディゲの文体からの影響が認められるが、戦後における三島のラディゲ認識の興味深い点は、心理小説の手法を戯曲とのアナロジーから捉えた点にある。ラディゲを古典主義作家と見做し、あるべき戦後作家のモデルとして彼を理解した点にも、三島が戯曲というジャンルに接近していく必然性が見出せる。

 第三章「批評の方法論―三島由紀夫と川端康成」は、三島の文壇処女評論「川端康成論の一方法」(昭24)の分析を通して、三島における批評の方法論を検討した。三島が「近代文学」に寄せた本評論は、川端康成『十六歳の日記』を考察した文章だが、作家の実生活を徹底的に度外視し、芸術作品と作家の分断を説くその内容は、「近代文学」派が主導した伝記実証的な作家論とは性格を異にしている。本章は三島のこうした手法から、同時代の「批評」ジャンルへの批判的視角を抽出し、実人生における肉体の欠落という自身の負い目を、芸術論によって解消しようとするその目論見を明らかにした。芸術作品を芸術家の「自我の他者」と見做す本評論の発想は、直後に発表される『仮面の告白』のモチーフを先取っている。

 第二部「文学論としての小説 昭和二十四年~二十八年」では、出世作『仮面の告白』が刊行された昭和24年から、最初の作品集『三島由紀夫作品集』(昭28~29)が上梓された昭和28年前後までの期間を扱う。戦後文学のスターダムにのし上がった三島は、旗手としての自覚ゆえか、かつて以上に同時代文学に機敏に反応し、同時代の文学理念を絶えず篩にかけていった。第二部で検討する作品群は、いずれも文学ジャンルそれ自体のメタフィクションとして機能している点に、共通の特徴がある。

 第四章「書くことと演じること―『仮面の告白』論」は、三島にはめずらしく一人称によった『仮面の告白』(昭24)の、演劇論としての射程を分析した。書き手である「私」は、性倒錯者としての呪われた宿命を劇化するため、小説風の叙述の執筆に携わる。しかし一人称小説に必然的にもたらされる「書く現在」と「書かれる過去」の分裂によって、「私」のそうした望みは不履行に陥る。そのために「私」が選択した方法が、演技による自己劇化であった。本章は、一人称小説をめぐる如上のジレンマを解消する手立てとして、本作が「演技」という発想を取り入れていることを論証し、「書くこと」と「演じること」をめぐるメタフィクションとして、この小説を読み解いた。なお、『仮面の告白』からおよそ一年後の昭和25年、文壇と劇壇の交流、小説と戯曲のジャンル的交感を企図して、「雲の会」が結成される。同会に期待を寄せた中村光夫、福田恆存らが、ともに私小説の批判的検討に関与していた点は重要である。

 三島が昭和25年前後に著した一連の新聞ダネ小説も、文学論としての性格を有している。第五章「事件と小説―『青の時代』論」では、三島の新聞ダネ小説の最初期の作品として知られる『青の時代』(昭25)を論じた。所謂「光クラブ事件」に取材した本作は従来、アプレ青年への共感、乃至は関心に裏打ちされた、戦後批判の言説として読まれてきた。しかし本作の発表された昭和25年前後が、中間小説・風俗小説の興隆期であり、アプレ・ゲール現象の小説化が頻繁に行われていた事実を閑却してはならない。本章では同時期の事件小説に対する三島の批評的視角と、現実の事件を小説に仕立てあげていくそのドラマツルギーを分析した。

 『青の時代』連載中に執筆が開始された『禁色』(昭26~29)は、二十代の総決算と呼ぶに相応しい、長大な構想を備えた長篇小説である。時期を同じくして、三島にとって初となる本格的な作品集『三島由紀夫作品集』全六巻の刊行が始まっている。第六章「作品と全集―『禁色』と『三島由紀夫作品集』」では、作品と文学全集の関係性を視座に、『禁色』を読み解いた。本作の主人公もまた、三度目の全集刊行を控えた老作家であったが、作品と全集の関係性をどう把握するか、三島とこの老作家は対照をなしている。本章では当該時期の三島の「作品」観の分析をもとに、書記言語で自身の生を書き記すことの断念から、三島が作品の外に作家の実体を構築し始めたことを指摘した。なおこの頃から、それまでの小説作品に顕著であった戯曲との交感は影を潜めていく。それはすなわち、三島が小説の外側の実生活の領域で、自身の肉体と実体とを露出し始めたからに他ならない。

 昭和31年、三島は『仮面の告白』以来およそ七年ぶりとなる本格的な一人称小説『金閣寺』を著す。第三部「「三島由紀夫」という物語」の目的は、三島にとっては異例ともいえるこの一人称小説を、「三島由紀夫」という作家の、昭和20年代におけるジャンル認識の帰結として読み解くことである。この時期の三島は、作家としての出発以来あまり言及することのなかった「詩」や「詩人」への執着を表明し始めている。同じ頃に開始された肉体の鍛錬という実生活上の変化も補助線として考えるならば、三島は自身を一つの「作品」に化すことを目論んでいる。第三部では、三島が自身の作家イメージを利用し、いわば一篇の「三島由紀夫物語」を巧みに紡ぎ出すプロセスを検証した。

 高度経済成長の前夜にあたるこの時期、文学の大衆化という事態に三島はどのように応じたのか。第七章「通俗と芸術の境界―『潮騒』と作家の名前」では、メディア論の手法も取り入れつつ、『潮騒』(昭29)を論じた。『潮騒』は発表以来、現在に至るまで毀誉褒貶が激しいが、それは本作が「三島由紀夫」の書いた作品であるからに他ならない。作家の名前が作品の商品的価値を決定した当時の文学マーケットにおいて、作品の自律的な批評はもはや機能不全に陥っていた。本章は、読者のなかで通俗と芸術という二つのジャンル認識が形成されていくメカニズムと、そうした二分法自体を攪乱する仕掛けが『潮騒』の内部に蔵されていることを、作家の名前の機能に注目することで論証した。

 ところで、三島は『潮騒』の発表とほぼ同時期に、十代の「詩人」時代を綴った私小説風の小篇『詩を書く少年』を執筆している。その前年に書かれた『ラディゲの死』(昭28)もまた、自身にとって小説家の理想像であったラディゲを、「詩人」との相関関係から捉え直そうという発想がみられる。第八章「詩への「回帰」―『ラディゲの死』と『詩を書く少年』」は、これら二つの短篇小説に通底する、「詩」と「詩人」の問題を考察した。詩人・コクトーと小説家・ラディゲの対話篇として構成された『ラディゲの死』と、詩人としての挫折を描いた『詩を書く少年』(昭29)は、発する言葉の美しさではなく、存在そのものの美しさをこそ「詩人」の条件に据える発想が共通して見られる。ここで呈示された言葉と美の関係、あるいは芸術家自身の美の問題は、直後に書かれる『金閣寺』の重要なモチーフになる。

 第九章「言葉と美―『金閣寺』論」では、昭和20年代における三島のジャンル認識の帰結を、『金閣寺』の解釈によって導き出すことを試みた。伝統的私小説の様式性を取り入れた第三の新人の登場は、戦後文学における一種の古典主義文学運動として捉え得る。ところが三島は、『金閣寺』を境に、自身の作品の特質でもあった様式性を放擲していく。この問題を考える際の補助線となるのは、本作を「詩」と評した小林秀雄、中村光夫らの作品評である。本章は、金閣放火に赴く過程で獲得された「私」の言語観とその記述の分析から、『金閣寺』が「詩」として読まれ得る必然性を検証した。そのうえで、三島が昭和30年代以降「文学」から離れ、時事評論という新しいジャンルに参入していく道筋を考えた。

 

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