本論文は、中上健次作品を世界文学論の枠組みで論じたものである。21世紀の欧米で盛んになった世界文学論の主要な潮流については、序章でフランコ・モレッティ、デイヴィッド・ダムロッシュ、エミリー・アプター、ウォリック・リサーチ・コレクティヴなどを具体例に挙げて紹介・検討する。以降の本論では、特にその反/脱ナショナリズム的な傾向と中上作品の性格が呼応していく様を見ていくが、序章の第2節では、大澤真幸の「自由」をめぐる議論を参照しながら文学作品を比較する際の枠組みについて考察することで、世界文学論が各国文学の基盤から離れることはできず、また離れるべきではないことも示す。

 第1章では、一般に秋幸三部作の始まりと位置付けられている短篇「岬」と、その続篇である『枯木灘』を論じる(三部作の最後たる『地の果て 至上の時』については第3章で扱う)。これらの作品は、主人公・秋幸による父殺しの物語だと概括されがちであるが、第1節では「岬」の精読を通じ、父殺しというまとめは単純化に過ぎ、むしろ母殺しの主題こそが中上作品の始まりにあったことを示す。また、秋幸三部作をはじめ、本論文が注目する主要な中上作品は、作家が生まれた和歌山県新宮市の被差別部落をモデルとし、作中では「路地」と呼ばれる文学的トポスを舞台とするが、「岬」では母殺しから広がる血縁への憎悪が、路地という地縁への憎悪となっていることも明らかにする。第2節では、秋幸の抱くこうした母や路地への憎しみの主題が『枯木灘』においては緩和され、父殺しへまとめられてゆく様を精読によって示す。秋幸は実父・龍造と直接的な対峙をするなかで、母を赦し、自らが路地を代表する存在となることを選ぶのである。さらに、この秋幸対龍造の図式が、中上対ウィリアム・フォークナーの構図に重なることも論じる(中上は柄谷行人の勧めでフォークナー作品を読み、多大な影響を受けたことが知られている)。中上は自らをモデルに造形した主人公・秋幸に、『枯木灘』を通じて龍造の物語を奪わせることで、「日本のフォークナー」になったと小説的に宣言している。

 第2章では中上の中期作品を、世界文学論の重要な一分野である翻訳研究(トランスレーション・スタディーズ)の視点から論じる。第1節でまず、中上に関する日本語と英語の先行研究を概観しつつ「中期作品」の具体的な範囲を画定し、この時期の作品群の主要な性格として、社会的関心を深めた中上が文体を変容させ、初期作品への自己批判を顕著に行なうようになったことがあると示す。なお、近年の中上研究においては、被差別部落出身という作家の出自を強調してと言うべきか、初期作品にまでさかのぼって差別の主題を積極的に読み込む傾向にあるが、中上が差別といった問題に正面から取り組むようになったのは、作家としての地位を確立して社会的関心を深めた後、つまりあくまで中期作品以降である。第2節では『紀州 木の国・根の国物語』と『千年の愉楽』を主に取り上げ、中期作品に特有の複雑な文体が、中上が路地≒被差別部落の文化への理解を深めた結果、標準的な「書き文字」では路地の現実を描くことができないと認識し、路地の「語り言葉」と「書き文字」とのあいだで一種の「翻訳」を行なって生み出したものであることを跡付ける。またこの「翻訳」は、路地と、日本という国家とのあいだの溝を大きくし、特に『千年の愉楽』の最終2短篇において、文体のみならず内容においても国民国家の枠組みを曖昧にしている。以上のように2節が文体的変容に注目するのに対し、3節では『熊野集』と『物語の系譜』を通じて行なわれた中上の自己批判を論じる。初期作品では路地の現実を捉え損ねていたと考えた中上は、「岬」結末の秋幸と異母妹とのあいだのエディプス的な近親姦を、母系社会の路地ではほとんど無意味だと批判し、さらにフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』のトマス・サトペンを元に造形した『枯木灘』の龍造は、現実の実父と似ても似つかないと批判するようになる。初期作品における中上は、例えば「エディプス的な父殺し」といった物語の型に依拠して積極的に反復を目指していたが、中期以降はこうした「物語」では路地を描けないという自己批判を行なうようになる。その結果、ステレオタイプに接近するような物語の基本的な型を多く作中に導入しながら、単純にそれらを反復するのではなく、そうした様々な型の中から「最も悪くない」物語が半ば自然発生的に見出されるのを待つという詩学の変化が見られる。

 第3章では、世界文学論でもしばしばトピックとされる「資本主義」をキーワードに、『地の果て 至上の時』を論じる。同作以降の中上作品はしばしば後期作品と呼ばれ、中上文学の到達点として高く評価する批評家がいる一方、早くから中上を評価していた批評家たちの中にも、中上が時代の傾向に流され、筆力の衰えが見られると批判する者があり、毀誉褒貶の入り混じった評価を受けている。こうした事情を踏まえて第1節では、柄谷や大澤が「同時代的」な作品として村上春樹の『1973年のピンボール』を取り上げている論考を補助線に、後期中上作品の「同時代性」を詳らかにする。『地の果て』の路地は、同時代の現実の新宮の被差別部落と同様に解体され消失しているが、実際の同和対策事業は政治駆動的な性格が強いのに対し、作中では路地解体の経済駆動的側面が強調され、資本主義的消費社会への変容という性格が描き出されている。2節ではこうした「資本主義」のもたらした変容が、「水の信心」という新興宗教や、龍造や秋幸の思考・振舞いにも看取されることを作品精読によって明らかにする。こうした登場人物たちの振舞い、特に秋幸が結末で「ジンギスカン」の物語に依拠する様子は、柄谷が村上批判で用いた「ロマン的イロニー」による歴史・現実の忘却と相同的であり、これが先行研究における『地の果て』評価の分裂の所以となっている。

 第4章の第1節では、『日輪の翼』とその続篇『讃歌』を論じる。『日輪の翼』は、4人の若衆と7人の老婆が解体された路地を出て東京へ至るまでの奇妙な聖地巡礼を描いた作品であり、また『讃歌』は、『日輪の翼』の若衆のひとりが東京で男娼を行なっているという設定をもつ。このように両作とも、路地出身者たちが路地のない世界でどのようなアイデンティティを得られるかという『地の果て』の主題を、ジェンダーなども視野に入れつつ引き続き検討している。多くの先行研究は、『日輪の翼』と『讃歌』を通じて登場人物たちのアイデンティティが根本的に変化していると論じるのだが、本論文ではむしろ、彼らは路地のない世界でも路地の文化を継承しようとしている点に注目し、彼らのアイデンティティの維持に焦点を当てる。先行研究がアイデンティティの変化を強調しがちなのは、路地と東京という二項対立に、前近代と近代、周縁と中心といった構図を重ね、前者を脱却し後者へ至るという枠組みが前提となっているからである。だが中上後期作品において中心と周縁はきれいに二分されず、混淆したものとされる。したがって登場人物たちは確かに変容しているが、それは東京という「中心」の内の別の「周縁」へ安定するためであり、元来の路地的な周縁性は維持されている。またこれは結果、様々なレベルの周縁を見出し、そうした周縁同士が連帯するという主題へも繋がっている。第2節ではこうした中上の新たなヴィジョンが、ウォリック・リサーチ・コレクティヴが提唱する「世界-文学」や、ポストコロニアル理論などで用いられる「グローバル・サウス」といった概念を先取りしていたことを示す。中上は1985年、「フォークナー、繁茂する南」という講演において、自作の性格を「繁茂する南」と名付け、世界中のいわゆる「周縁」、中上の言葉を借りれば「南」に見られるフォークナー影響下の作家たちとの連関を探っている。こうした「繁茂する南」のヴィジョンが、『地の果て』における秋幸の新たな振舞いや、『讃歌』結末における「世界-文学」的な「グローバル・サウス」の連帯へ至っている。

 終章は、中断を挟みつつ8年以上にわたって執筆され、結局未完に終わった『異族』と、作家の死後に発見された同作完結篇のためのシノプシスと考えられている「異族最終回三〇〇枚」を論じる。本論文で見てきた中上健次の世界文学論的詩学が、この大長篇で集大成的に展開している様を追いつつ、同作が完結できなかった理由を考察する。中上はこの作品に、ほとんどステレオタイプの様々な周縁的背景をもつ多くの登場人物を導入し(例えばウチナンチュのウガジン、アイヌのウタリなど)、満州国再興を目指すというほとんど荒唐無稽なプロットを描いている。こうした明らかな虚構性を通じてナショナリティやエスニシティの相対化を行ない、グローバル・サウス的連帯を模索していたのであろうが、小説の進展とともに明らかになったのは、たとえステレオタイプ的な最低限の歴史性であっても容易に相対化されることはなく、彼らの連帯は不可能だという事態であった。したがって『異族』は小説的試みとしては失敗作であるが、しかし、安易な予定調和は免れている。こうして各々の歴史がぶつかりあって不協和音を鳴らし続ける様は、「世界文学」という語がどこか孕む安定した調和へのアンチテーゼとして、世界文学論の可能性を体現している。