本論文は、十世紀後半頃に成立したとされる私撰集『古今和歌六帖』(以下『古今六帖』)を中心に、同時代の和歌研究を行ったものである。本論文の目的は、次の二点にある。一点目は、『古今六帖』の構成や、その和歌表現を研究することで、ひとつの文学作品としての同集の特色を明らかにすること。二点目は、『古今六帖』と前代・後代の作品との関係について検討を加えることで、広く和歌史的・文学史的展望のなかに同集を位置づけることである。

 本論文は、以下の四部に加え、序章、終章から成る。

  第Ⅰ部 古今和歌六帖の構成

  第Ⅱ部 古今和歌六帖の撰集資料

  第Ⅲ部 和歌史のなかの古今和歌六帖

  第Ⅳ部 初期定数歌歌人の研究

このうち特に第Ⅰ部~第Ⅲ部では『古今六帖』を主たる研究の対象とし、第Ⅳ部では、『古今六帖』成立と同時期に活躍した、曾禰好忠や源順をはじめとする初期定数歌歌人の詠歌の研究を行った。好忠や順の和歌には『古今六帖』所載歌と表現上の影響関係があるとみられるものが少なからず存しており、その見通しから、初期定数歌歌人の研究にも取り組んだものである。

 

 序章「古今和歌六帖概説――研究史の回顧と本論文の主題と意義――」では、『古今六帖』についての概要を「伝本」「構成・歌数」「撰者・成立年代」「撰集資料」の四つの観点から述べた。またこれまでの研究史を「前代の作品と古今六帖との比較研究」「後世の作品と古今六帖との比較研究」「古今六帖そのものの研究」の三項目に分けて概観したうえで、本論文の主題と構成について概略し、本論文が研究史のなかでいかなる意義を有するかを論じた。

 

 第Ⅰ部「古今和歌六帖の構成」では、『古今六帖』の構成について論じた。歌集の構成や構造の研究としては、松田武夫氏による『古今集』の研究が先駆的なものであるが、稿者は『古今六帖』についてもその構成や構造の研究が有効かつ重要だと考える。というのも、二十二部、五百余の項目に和歌を分類する点が同集の最大の特徴であり、その分析を行うことは、同集の特徴と性格を明らかにするうえで不可欠と思われるからである。そこで第Ⅰ部では、特に『古今集』や唐代類書の構成が、『古今六帖』にいかなるかたちでふまえられているかに注目して考察を行った。

 第一章「古今和歌六帖の構成」では、『古今六帖』全体の構成に分析を加えた。同集の構成については、従来「春・夏・秋・冬・天・山・田・野・都・田舎・宅・人・仏事・水・恋・祝・別・雑思・服飾・色・錦綾・草・虫・木・鳥」の二十五部構成と説明されることがあった。そのことをふまえて本章では、類書と『古今集』の構成との比較等に基づき、『古今六帖』が本来「歳時・天・山・田・野・都・田舎・宅・人・仏事・水・恋・祝・別・雑思・服飾・色・錦綾・草・虫・木・鳥」の二十二部構成であった可能性があることを指摘した。そのうえで、これらの部の名称や配列に唐代類書からの影響が濃厚であることから、『古今六帖』は唐代類書のような網羅性と検索性を備えた「和歌における類書」を企図して編まれたものであると結論づけた。

 第二章「古今和歌六帖「歳時部」の構成――暦月を中心に――」では、第一帖「歳時部」の構成に検討を加え、歳時部には、暦月の進行を基軸に時の推移を示すという『古今六帖』ならではの時間構造が認められることを論じた。それらの暦月による項目の採歌方針には月次屏風歌からの影響が強いとみられることが従来指摘されてきたが、本章ではさらに、先行の歌合からの影響が小さくないであろうことをも明らかにした。そして、十二の暦月の項目がもれなく収集されていること、また各季節の初めと果ての項目がそれぞれ一つずつ掲げられていることなどから、同集の編纂方針に網羅性や均等性が存することを指摘した。

 第三章「古今和歌六帖「雑思部」の配列構造――古今和歌集恋部との比較を中心に――」では、第五帖「雑思部」の諸項目がどのような配列構造を成しているかについて、『古今集』恋部の配列構造との比較に基づきつつ論じた。そのなかで『古今集』においては基本的に恋の進行過程に即して歌が配列されているのに対し、『古今六帖』においては、恋における様々な局面・情況に基づく項目が多様な連想・類想によって配列されていることを明らかにした。

 

 第Ⅱ部「古今和歌六帖の撰集資料」では、『古今六帖』がどのような歌集を撰集資料としたのか、またそれらの撰集資料からいかなる方針で和歌を採録したかに検討を加えた。

 第一章「古今和歌六帖の万葉歌と天暦古点」では、『古今六帖』の万葉歌がいかなる資料から採歌されたのか、天暦古点との関係はどのようなものなのかに検討を加えた。同集には多くの万葉歌が採録されており、その本文は、伝承による部分が大きいとの見方が一般的である。本章では、その本文を桂本等の『万葉集』の古写本の本文・訓と比較したうえで、両者が密接な関係にあることを指摘し、『古今六帖』によって『万葉集』の古訓の具体相を知りうる可能性があることを論じた。

 第二章「万葉集から古今和歌六帖へ――和歌分類の方法をめぐって――」は、『古今六帖』が『万葉集』を単なる採歌源としただけではなく、和歌分類の方法の点でも『万葉集』に学んだ可能性を考察した。具体的には、『万葉集』巻十などにみられる詠物歌・寄物歌が、『古今六帖』の、歌に詠まれた景物等によって歌を類聚するという構成の先蹤であったことを指摘した。そのうえで、『古今六帖』における和歌分類の方法が『万葉集』のそれに学んだ可能性があることを論じた。

 第三章「源順の大饗屏風歌――古今和歌六帖の成立に関連して――」では、源順が詠んだ屏風歌「西宮の源大納言大饗日たつるれうに四尺屏風あたらしくてうぜさしむるれう哥」に検討を加えた。同屏風歌の成立をめぐっては諸説があるが、本論文では、村上天皇中宮の藤原安子が営んだ中宮大饗の屏風歌であるとの新見を提出した。また近年、源順が『古今六帖』の撰者である可能性が指摘されてきたが、上記屏風歌の成立の問題と、同集に採録された順の歌は当該屏風歌に限られること等を合わせ考えると、順を撰者とみなすことには慎重であるべきことを指摘した。

 

 第Ⅲ部「和歌史のなかの古今和歌六帖」では、『古今六帖』の和歌表現に、主に和歌史・文学史的観点から考察を加えた。特に、『古今六帖』が後代の文学作品にいかなる影響を与えたかに焦点を当てた。

 第一章「古今和歌六帖の物名歌――三代集時代の物名歌をめぐって――」では、『古今六帖』にみえる物名歌を抽出し、その表現の特徴を三代集時代の物名歌のそれと比較検討したうえで、『古今六帖』の和歌史上の位置づけに分析を加えた。その結果、『古今六帖』の物名歌の表現が、三代集時代の物名歌の潮流とは異なり、物名題の選び方の点においても歌の表現の点においても類型的な技巧を指向するものであったことなどを明らかにした。

 第二章「古今和歌六帖から源氏物語へ――〈面影〉項を中心に――」では、『古今六帖』に類聚された和歌が『源氏物語』の散文表現にいかなる影響を与えたかについて、第四帖「恋部」〈面影〉項を例にとって論じた。その際、第四帖「恋部」と第五帖「雑思部」という恋歌を収集した両部が、それぞれいかなる性格を有するかについても考察し、「恋部」では、恋の情念をかたどる歌ことばに基づき項目が立てられているのに対し、「雑思部」では、恋の情況・段階に基づき項目が立てられていることを論じた。

 第三章「古今和歌六帖と実方集――古今和歌六帖の享受の様相――」では、『古今六帖』が後代の歌人にいかなるかたちで享受されたかをめぐって、『藤原実方集』を対象として検討を加えた。その結果、『古今六帖』が、成立後ほどなくして流布し、人々の和歌の教養の基盤を成すような歌集として重用されたであろうことを明らかにした。

 

 第Ⅳ部「初期定数歌歌人の研究」では、『古今六帖』成立とほぼ同時代に活躍した歌人と、その私家集とを中心に検討を加えた。

 第一章「曾禰好忠の「つらね歌」」では、曾禰好忠が独自に試みた和歌連作形式「つらね歌」の表現を分析した。「つらね歌」には、好忠が他の和歌でも繰り返し詠んだ歌語・表現・主題が用いられているが、そればかりではなく、「音」とことばへのこだわりに基づく特有の表現がみられること等を論じた。

 第二章「円融院子の日の御遊と和歌――御遊翌日の詠歌を中心に――」では、寛和元年に円融院が紫野で営んだ子の日の御遊の参加者、関係者による和歌の表現について分析し、それらが前日の御遊、特に歌会の次第と深く関わる内容をもつとみられることを論じた。御遊の次第についてより厳密、具体的に分析し、紫野という地で子の日の御遊が行われたことの意義を探ることで、これらの詠歌の解釈が深まる可能性があることを指摘した。

 第三章「述懐歌の機能と類型表現――毛詩「鶴鳴」篇をふまえた和歌を中心に――」では、『毛詩』「鶴鳴」編をふまえた述懐歌が、源順の詠歌をはじめとして、平安朝に多数詠まれたことに着目し、時代に応じた変遷を検討したものである。また、述懐歌がそもそもいかなる機能を有するものであったかという点にも検討を加え、述懐歌の平安貴族社会での役割について論じた。

 

 終章「本論文のまとめと今後の展望」では、本論文で考察してきた内容、主張をまとめるとともに、稿者の今後の研究の展望を述べた。