和歌史において『新古今和歌集』は一つの到達点とも言われる。『新古今和歌集』成立前後の「新古今時代」と称される時期には、様々な表現上の試みがなされた。新古今時代については歌人、歌壇史、そしてまた表現史といった各種の論点から先学の論考の蓄積があるが、現在、研究は「新古今時代」を和歌史に定位し直すために再検討が必要な段階を迎えていると言える。特に新古今時代にのみ集中的に見られ、以後の和歌史に定着しなかった新奇な試みについて分析していくことは、新古今時代の特性を定位するに有効な視点であると考える。

 本論では「新古今時代」の上限を、「新儀非拠達磨歌」と呼ばれる新風和歌の試みが推進された良経家歌壇の活動が開始する文治5年(1189)に、下限を『新古今和歌集』の切継作業が終了したと推測される承元3(1209)~4年までと定め、この時期の和歌を対象に論考を進めるものである。

 第一篇では藤原良経を取り上げた。藤原良経は新古今前夜の歌壇主宰者であるとともに自身歌人でもあった。旧来それぞれの面に着目した論考はあったが、この二つの側面を統合する視点を創出することで、藤原良経という人物を新古今時代に正しく位置づけ、またそのことを通して新たな「新古今時代」像を立ち上げることができるのではないかと考え、論考を進めた。この二つの側面がこれまで結びつきづらかった一因として、良経歌壇の和歌行事の本文の多くが散佚してしまっていたということがあった。そこで第一篇の付章「藤原良経の歌壇活動」では散佚本文の収集と整理を行い、特にその歌題設定という面に着目し、良経歌壇では時間を一つの素材として扱う傾向が顕著であること、それは後鳥羽院歌壇へと受け継がれていくものであるということを明らかにした。

 第一章では良経歌壇の最初期から名を連ねている寂蓮に着目し、寂蓮の歌が良経詠に表現の面でどのような影響を与えていたのかを検討した。良経はその初学期に寂蓮の和歌における特殊な表現やことばの配置を摂取しているが、とりわけ寂蓮の特徴の一つである構図の巧みさに関して学ぶところが大きかったものと思われる。また寂蓮の和歌における構図は起点が明確なところにその特質があるが、この特質は京極派の和歌へとも流れ込んでいるのではないかということを指摘し、表現の面から和歌史における寂蓮の位置づけの見直しを図った。

 第二章では藤原良経の和歌に頻出する「風」という素材に着目し、良経が詠歌の中で風にどのような機能を担わせていたのかを検討した。良経の詠作では特に「風」という素材の持つ時間経過を演出する役割が重視されている。このことは、良経歌壇の歌題設定において時間そのものを詠歌素材として捉える傾向が顕著であることとも連動している。「風」は『新古今集』の中心を占める重要な素材となったが、そこには良経の生涯にわたる試みが大きく寄与しているということを明らかにした。

 第三章では、新古今時代、藤原良経周辺の歌人に集中的に見られる「心の空」という表現を取り上げ、院政期以降に流行する「心の○」という表現の中でどのような位置にあるのか、また以後の和歌表現史に定着しなかったのはなぜかということを、「心」を「景」でどのように表していくかという和歌における根本的な問題の中に置き、この問題を説明する際に先行研究で用いられることの多い「心物対応構造」の枠組みを踏まえながら検討した。そして、ある「景」を心情の比喩として提示するということは和歌が始まって以来幾度となく繰り返されてきたが、新古今時代の和歌では「景」がそのまま「心」の喩として機能せず、「心」と「景」との間にずれや懸隔が生じていること、そして「心の空」という表現の創出の背後には、その齟齬自体を歌おうとする姿勢があることを明らかにした。

 第一篇の論考から、良経歌壇と藤原良経の和歌に共通する問題として「時間」と「叙景」という問題が抽出された。そこで、第二篇・第三篇では「時間」と「叙景」の表現の問題を新古今歌人全体に押し広げ、検討することとした。

 第二篇第一章では新古今歌人の和歌に特徴的な素材として「春の曙」を取り上げた。「春の曙」は「秋の夕暮」と並び賞される美的観念の表象として馴染みが深いが、和歌にこのことばが詠み込まれるようになるのは院政期頃からであり、勅撰集では『千載集』が初出と、存外に遅い。それが新古今時代には用例が急増する。特定の時間そのものを主題とすることは、その時間に特定の和歌的イメージを認めたということであり、言い換えれば歌ことばたりうるだけのイメージの蓄積がなされたということである。

 「春の曙」という時間帯はこれまで「艶」と結びつけて論じられることが多かったが、新古今歌人の「春の曙」詠の検討を足がかりにこの語にイメージが蓄積していく経過を辿ると、この時期さまざまに試みられていた「心」をどう詠むかという問題との関わりが強いと言えるとここでは結論づけた。

 第二章では「むすぼほる」ということばの語義を問い直すことを通じて、新古今歌人たちが和歌の中に「時間」をどのように詠み込んでいったかを検討した。新古今歌人たちの用例と平安期の用例を見比べると、一見正反対の意味合いに見えることが多いのだが、これは「むすぼほる」と歌われる対象の違いに起因する。新古今歌人たちは輪郭のないはかない景物に好んで「むすぼほる」の語を用い、さらにそこに「むすぼほれゆく」「むすぼほれつつ」のように幅のある時間を表す「ゆく」「つつ」を付し、はかない景物が消失へと向かう過程における危うさ・不安定さを描くことを主眼としている。

 第三篇では叙景表現が新古今時代の和歌においてどのように機能しているかということを様々な角度から検討した。

 第一章では古注以来その解釈の定まらない藤原定家の「年も経ぬ祈る契りは初瀬山尾上の鐘のよその夕暮」という一首の表現を掘り下げ、「よその夕暮」という箇所に自身と「景」との関わり方、言い換えれば「心」と「景」との関係性が端的に示されているのではないかという見通しのもと論証を進めた。

 そもそもどの角度から見るかによって、「よそ」となりうるものは変化する。すなわち、「よそ」の問題とは言い換えれば視点の問題でもある。そして「よそ」という表現は心の喩となるはずの景からはじき出された作中主体、という俯瞰的な視点をも提示することを可能にする語であり、第一篇第三章で扱った「心の空」という表現同様、「景」と「心」とのずれや懸隔を描くことばであったと結論づけた。

 第二章では新古今時代に盛んに行われた『源氏物語』摂取の一例として藤原定家の「吹きまよふ荻の上風むすぼほれ秋に閉ぢつる暮の空かな」という歌を取り上げ、新古今時代に流行の様相を呈した『源氏物語』取りが、新古今歌人たちの叙景表現にどのような影響を与えたのかを一首の読解にこだわることで掘り下げた。一首の中に複数の『源氏物語』由来のことばを取り込んだ当該歌では、摂取されたことばが『源氏物語』での用法とは意味をずらされていること、主体が定まらないこと、『源氏物語』の巻全体の情調を取り込んでいることなど、様々な原因によって部分がそれぞれ拡散していく。そのため固定された角度から読み解くことは不可能であるのだが、このことは定家が『源氏物語』との距離を保とうとして意図的に演出したことなのではないかと結論づけた。

 第三章では新古今時代の和歌に見られる「ながむ」ということばの機能について分析した。『古今集』以来、幾度となく歌に詠み込まれてきた「ながむ」ということばは、時代が下るに従って少しずつ視覚優位の意味合いに変化していくことが言われているが、その過程で釈教歌における用例が出現していることに注意が払われるべきである。釈教歌における「ながむ」は単なる視覚の問題として片付けられるものではなく、仏教的な思想を基にした心のありよう、そしてまたその姿勢による外界の景の捉え方と言い換えられるだろう。すなわち、「ながむ」という語の意味合いの変遷は、「景」と「心」との関係性、言い換えれば「見ること」と「思うこと」との関係性の変化を反映したものと言え、このことは叙景表現の問題全体へと繋がるものである。 

 また付論として、東京大学総合図書館が所蔵する『月清集攷』の書誌調査・翻刻を掲載した。『月清集攷』は藤原良経の私家集である『秋篠月清集』の注釈書で、江戸時代の国学者岡本保孝の手になるものである。現在その存在が確認できるのは、国立国会図書館蔵本、京都大学附属図書館蔵本、そして東京大学総合図書館蔵本の3本である。ここでは3本の本文を対校した上で、この書物がどのような注釈態度に基づいているかについて検討し、保孝自筆本である可能性が高いことを指摘した。

 以上本論は新古今時代の和歌について、藤原良経を足がかりに、「時間」と「叙景」という二つの問題点から考察を行い、和歌史における「新古今時代」の位置づけの再検討を図ったものである。